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卓の上の地図

第十話 


---


 ラクカが閉まった後の時間に、太田は鍵を貸してくれた。


 何も聞かなかった。「コーヒーは自分で淹れてください」とだけ言って、裏口の鍵を根古の手に置いた。


 根古はそれが当然のように受け取った。


 二十年来の付き合いとは、そういうものだ。


---


 集まったのは七人だった。


 根古親司。柊澪。星野由紀子。西野千紗都。古田麻尋。三枝康介。雨月雅之。


 カウンターの椅子を並べ、テーブルを中心に囲んだ。太田のいないラクカは、少し広く見えた。コーヒーの匂いだけが残っていた。


 ラルゴは遅れて来た。


 裏口から入ってきた男を、澪が一番先に見た。次に麻尋が見た。千紗都は最後まで壁の方を向いていたが、足音で気配を読んでいた。


 ラルゴは部屋を一度だけ見渡した。全員の顔を、順番に確認した。止まらなかった。一秒もかけずに全員を見て、カウンターの端に腰を下ろした。


「揃いましたね」


 声は低く、静かだった。


---


 最初に話したのはラルゴだった。


 テーブルの上に、折りたたんだ紙を広げた。手書きの地図だった。可児市内と、その周辺。いくつかの場所に、小さな印がついていた。


「組織の中継拠点です。現在確認できているのは四箇所。このうち奈々子さんが今いる可能性が高いのは、ここ」


 ラルゴが指で示したのは、市内から少し外れた山沿いのエリアだった。


「廃工場を改装した施設です。表向きは農業資材の倉庫。実態は、輸送前の一時収容所です」


 三枝の顔が変わった。でも声は出なかった。


 雨月が地図を見た。


「この情報の確度は」


「高い。三ヶ月かけて確認しました」


「単独で?」


「単独で」


 雨月はラルゴを見た。三年間、一人でこの地図を作ってきた男を見た。何かを言おうとして、やめた。


 根古が口を開いた。


「収容されている人数は」


「現在、推定で五人から八人。奈々子さんを含めて、全員十代です」


 テーブルに沈黙が落ちた。


 澪が膝の上で手を握った。千紗都は壁を見たまま、呼吸だけが少し変わった。麻尋は地図を見続けていた。


---


 次に話したのは根古だった。


「施設の警備は」


「人間が三人から四人。ただし外部との連絡は常時入っている。動きがあれば、上に報告が飛ぶ」


「上というのは」


「国内の統括役です。名前は割れていません。ただ、可児市内に拠点があると見ています」


 三枝が地図を見た。


「その統括役と、映像の記録媒体は繋がっていますか」


「繋がっています。燃やしたのはバックアップの一つです。原本はまだ生きている」


「どこに」


「それは、まだ言えない」


 三枝が顔を上げた。ラルゴを見た。


「なぜ」


「あなたを信用していないわけじゃない。ただ、情報を持つ人間が増えるほど、漏れるリスクが上がる。原本の在処は、動く直前まで俺だけが知っている方がいい」


 三枝は少し考えてから、うなずいた。


 雨月が手帳を出した。今度は誰も止めなかった。


---


 作戦の骨格を決めるのに、一時間かかった。


 大きく分けて、二つの動きが必要だった。


 ひとつは、施設からの奈々子の救出。


 もうひとつは、記録媒体の確保と公開。


 二つは同時に動かなければならなかった。どちらかが先に動けば、もう一方が潰される。


「救出は誰が動く」根古が聞いた。


「私と千紗都と麻尋で動けます」星野が静かに言った。「こういう仕事は、慣れています」


 三枝が星野を見た。何を言おうとして、言葉を選んでいた。


「あなたたちは??」


「元始末屋です」星野が静かに遮った。「今は違いますが、体は覚えています」


 三枝は黙った。


 雨月が続けた。


「警察として動くには、令状が必要です。でも今の段階では、証拠が足りない」


「記録媒体が確保できれば、令状は取れますか」根古が聞いた。


「取れます。私が動きます」


「タイムラグは」


「最短で六時間。長くて十二時間」


「その間、施設を押さえておけますか」星野が三枝を見た。


「……非公式に、信頼できる人間を二人動かせます」三枝が言った。「私が個人的に動いている案件です。表には出せないが、動いてくれる人間がいる」


 根古はテーブルを見た。地図を見た。印のついた四箇所を見た。


「記録媒体の確保は、俺とラルゴで動く」


 ラルゴが根古を見た。


「俺を信用しますか」


「する」


「理由は」


「目だ」


 ラルゴは少し間を置いた。それから、小さくうなずいた。


---


 澪が手を挙げた。


 全員が澪を見た。


「私は何をしますか」


 根古が澪を見た。


 連れてきたことを、少し後悔していた。でも置いてきたら、一人で動いていた。それの方が危ない。


「情報の中継をしてくれ。俺たちがバラバラに動いたとき、誰がどこにいるかを全員が把握できるように」


「連絡係ですか」


「大事な仕事だ」


 澪は少し不満そうな顔をした。でも反論しなかった。


「……わかりました」


「それと」根古が続けた。「安藤と江戸川に連絡を取れるか」


 澪が驚いた顔をした。


「YouTuberの二人ですか」


「ああ。鳴海も含めて、三人に話がある」


 雨月が根古を見た。


「何を考えているんですか」


「記録媒体が確保できたとき、それを公開するルートが要る。警察の正規ルートだけじゃ、上から潰される可能性がある。もう一本、表に出す道を作っておきたい」


 雨月は少し考えた。


「……YouTube、ですか」


「そうだ」


「それは??」雨月が言葉を選んだ。「手続きとしては、かなり」


「グレーだな」


「はい」


「でも有効だ」


 雨月は手帳に何かを書いた。それから顔を上げた。


「……わかりました」


---


 解散したのは深夜一時を過ぎていた。


 全員が帰った後、根古とラルゴだけが残った。


 根古がコーヒーを淹れた。二人分。太田の豆を勝手に使った。後で謝るか、と思った。たぶん謝らなくていいと太田は言う。でも謝る。


 ラルゴがカップを受け取った。


 しばらく二人とも何も言わなかった。


 ラルゴが口を開いた。


「根古さんは、何者ですか」


「ただの市民だ」


「その答えは何度聞いても同じですね」


「同じだから言っている」


 ラルゴは少し笑った。


「星野さんから聞きました。根古さんのことは、信用できると」


「そうか」


「由紀子さんが言うなら、間違いない」


 根古はコーヒーを飲んだ。


「ラルゴ」


「はい」


「三年間、よく一人で持ちこたえた」


 ラルゴは少し黙った。


「……持ちこたえていたわけじゃないです。ただ、止まれなかっただけです」


「それを持ちこたえると言う」


 ラルゴは答えなかった。


 窓の外で、風が木を揺らした。


 深夜の可児市は、静かだった。


 でもこの静けさは、もうすぐ終わる。


 根古はそれを知っていた。ラルゴも知っていた。


 二人は黙ったまま、コーヒーを飲み続けた。


---


*── 第十話 了 ──*



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