③ 日常になる(固定される)
通う理由を考えなくなっていた。気づくと、行く曜日と時間が決まっていた。開店して少し経った頃、十一時になる少し前に百貨店に入り、そのまま同じ売り場に向かう。
その時間に行けば、いると分かっていた。売り場に立つと、声をかけられる前に顔を見られることもあった。
「こんにちは」
軽く会釈をされて、そのまま名前を呼ばれることもあった。彼女が対応している最中のときは、その少し後ろで待った。「彼女ですね。少しお待ちください」そう言われて、その場に立つ。待つこと自体が、もう決まった流れの一部になっていた。しばらくすると、手が空いた彼女がこちらに来る。
「お待たせしました」
その一言で、いつもの時間に戻る。毎回、何かを買うわけではなかった。しかし、椅子に座って、鏡の前で話す時間は変わらなかった。口紅を試す日もあれば、何も触らずに終わる日もあった。話す内容も、決まっていなかった。そのまま話して、時間が過ぎていく。彼女がいない日もあった。そのときは、別の美容部員が対応した。同じように椅子に座り、同じように商品を試す。会話も、途切れるわけではなかった。けれど、どこか違っていた。それでも、その時間も通う流れの中に入っていた。次に来るときは、また同じ時間を選んでいた。あるとき、彼女のほうから言われた。
「この日はお休みなので、次はこの時間にいます」
特別な約束ではなかった。けれど、その言葉を覚えていた。その時間に合わせて、また行く。売り場に立つと、何も言わなくても流れが続く。顔を見て、名前を呼ばれて、椅子に座る。話して、少しだけ整って、帰る。それが繰り返される。最初は意識していたはずの行動が、いつの間にか決まった形になっていた。理由はなくなっていた。ただ、その時間に行く。それだけで十分だった。気づいたときには、その繰り返しが、そのまま続いていた。それが、彼女との日常になっていた。そして、その日常は、いつの間にか八年続いていた。
書いて、出して、返されることで前に進んでいた時間とは違って、ここでは、何も進めなくても、そのままでいられる時間が続いていた。




