① 九年前の折り鶴
彼に最後の手紙を書くと決めたとき、一緒に何かを入れようと思った。言葉だけでは足りない気がしていた。
机の引き出しから折り紙を取り出し、一枚ずつ広げていく。どれでもよかったわけではなかった。柄を見ながら指が止まり、最後に選んだのは国旗の折り紙だった。一つの国ではなく、いくつもの旗が並んでいる。青、赤、白、見覚えのある色が並び、その配置を見ていると、三年間、小説の中で旅してきた場所がそこへ重なって見えた。
拉致や麻薬戦争の話を書いていた頃に調べていた国々だった。国家、国境、組織、世界情勢。物語のために見ていたはずなのに、いつの間にか社会そのものを見るようになっていた。
その頃の自分は、まだ実際の世界をほとんど知らなかった。行ったこともない国の地図を開き、ニュース記事を読み、名前も知らなかった都市を何度も検索していた。夜の机の上だけが、世界につながっているような時期だった。知らない国の国境線や紛争地帯を見ながら、自分の生活とは関係のないはずの出来事に、なぜか強く引き寄せられていた。
彼から返ってくる手紙は、単なる感想ではなかった。どこを見ればいいのか、何を考えればいいのか、その方向がいつも少しだけ示されていた。社会とは何か。国家とは何か。なぜ人は争うのか。なぜ裏切るのか。思春期の終わりに近づきながら、答えのない問いばかりを抱えていた頃だった。
彼へ送る文章を書いている時間だけ、自分のいる場所が少しだけ広がる気がしていた。部屋の机に向かっているだけなのに、手紙を書いている間だけは、国境の向こう側やニュースの奥へ、自分も少しだけ入っていけるような気がした。世界を理解したかったというより、世界へ出ていくための入口を探していたのだと思う。
折る前に、国旗柄を一度だけ広げる。並んでいる色と形を目で追い、それをそのまま内側へ折り込んでいく。面が一つずつ隠れ、最後に鶴の形になる。完成したとき、元の柄はほとんど見えなくなっていた。それでも、中に入っていることだけは分かっていた。
外から見れば、ただの折り鶴だった。けれど折り目の内側には、三年間かけて調べ続けた国の名前や、夜中に見ていた世界地図の色が、そのまま閉じ込められている気がした。それを誰かに説明することはできなかったが、自分の中では確かに繋がっていた。
もう一枚、別の折り紙も使った。寒色系だった。青に近い色を選んでいた。理由を説明できたわけではない。ただ、そのときの自分にはそれが一番自然だった。静かで、少し距離があり、触れれば壊れてしまいそうな色だった。
今振り返ると、その色は当時の文通そのものだったのかもしれない。会うことのない相手と、言葉だけで繋がっていた。郵便番号と住所を頼りに、遠くの誰かへ送る。郵便局へ向かう道、封筒、切手、返事を待つ時間。そのどれもが、近くにいる人と話すこととは違っていた。隣へ近づくのではなく、遠い場所へ細い線を伸ばしていくような感覚だった。
平成の終わりに近い空気の中で、世界へ向かいたいと思っていた思春期の自分が、そこにはいた。まだ何者でもなく、何かを知れば大人の世界へ入っていける気がしていた。国家や戦争や社会構造を見つめることで、自分の生活の外側へ出られるような気がしていた。
完成した折り鶴を小さく包み、百円ショップで買った青いリボンを結ぶ。特別なものではなかった。それでもよかった。まだ自分の力でできる範囲は限られていた。けれど、その中でどうにか形にしたかった。未完成でも、本気だった。
封筒へ手紙と一緒に入れる。送る前に少しだけ手が止まった。これで終わるのだと思った。それでも最後に郵便局へ立ち寄り、封筒を投函した。
二〇一六年三月三十一日。
最後の返事が届いた。折り鶴のことが書かれていた。
「生まれて初めてもらった。とても感激した。そして次の転勤先にも持っていく。本当にありがとうございました」
彼は別れも含め、明確なフィードバックを言ってくれていた。
そこまで読んだとき、少しだけ息が戻った。届いたのだと分かった。言葉だけではなく、形として渡したものも、そのまま受け取られていた。
終わりは変わらなかった。それでも、その中に一つだけ残るものがあった。だから区切りになった。
今振り返れば、あの封筒の中には、手紙だけではなく、その頃の自分自身も入っていたのだと思う。国家や世界地図に惹かれ、遠くばかりを見ていた時間。大人の世界へ向かいたくて、外側へ飛び出そうとしていた思春期の感覚。そういうものが、あの日を境に静かに閉じていった。
青いリボンと国旗の折り鶴だけが、その頃の精神世界を閉じ込めたまま残っていた。




