② 九年後の折り鶴
それから九年後。
今度は彼女にも折り鶴を渡すことにした。
ただし、彼のときとは違っていた。彼女はすでに転勤していて、直接会うことはできなかった。他の美容部員へ事情を説明し、その人を通して渡してもらう形になった。
手から手へ渡るのではなく、一度、間に置かれる。その時点で、すでに九年前とは形が違っていた。
それでも、折ること自体は同じだった。
折り紙を取り出して色を選ぶ。今回は国旗ではなかった。売り場で見ていた色に近いものを選んでいた。赤、ピンク、オレンジ。照明の下で並んでいた化粧品や、鏡の前で過ごした時間を思い出すような色だった。
九年前のように、遠い国を思い浮かべることはなかった。今回浮かんでいたのは、鏡の前の照明の色や、ガラスケースに並ぶ瓶の反射、肌に触れたときの温度のほうだった。以前は世界の外側へ行きたいと思っていたのに、いつの間にか、自分が毎日をどう生きるかのほうを考えるようになっていた。
九年前が、世界へ飛び立つための色だったとすれば、今回は、生き続けるための色だった。
折りながら、九年前のことを思い出していた。同じように折り、同じように送り、そして返事が届いたこと。あのときは、渡したものが届いたと分かる形で返ってきていた。
だから今回も、どこかで同じようになると思っていた。形として渡せば、何かしら返ってくる。そんな流れが存在する気がしていた。
完成した折り鶴にリボンを結ぶ。
青だった。
ただし、九年前とは違う青だった。あの頃は既製品をそのまま使っていた。今回は、手元にあった材料で、自分で形を作って結んでいた。赤に近い資生堂カラーを土台にしながら、その上へ重ねるように青を入れていく。
結びながら、少しだけ手間が増えていることに気づいた。同じように渡そうとしているはずなのに、形は少しずつ変わっていた。九年前は、ただほどけないように結ぶだけで精一杯だった。今回は、長さを調整し、見え方を考え、自分の手で形を整えていた。
誰かへ気持ちを渡したいという部分だけは同じだった。けれど、その向いている先は違っていた。
九年前は、遠い世界へ飛び立っていくための祈りだった。今回は違った。毎日の生活の中で、無事に働き、無事に帰り、無事に生きていけるようにという願いに近かった。同じ折り鶴なのに、折り込まれているものの重さが変わっていた。
次の場所でも無事に過ごせるように。八年間の時間への感謝。そして九年前、自分が受け取った言葉を、今度は渡す側になること。
透明なラッピングの中で、赤やピンクやオレンジの折り鶴が重なっていた。そこには、世界地図の色ではなく、百貨店の照明や、化粧品売り場の匂いや、何度も鏡の前で交わした短い会話が入っていた。肌に触れた感覚、選んでもらった色、売り場で聞いた声、安心して任せられた時間。完全に明るいだけではなく、どこかに過去の痛みも混ざっていた。それでも、それごと包んで渡すしかなかった。
だから彼の最後の言葉も手紙へ書いた。
「生まれて初めてもらった。とても感激した。そして次の転勤先にも持っていく」
あのときの言葉を、そのまま現在へ受け継ぐように書き写していた。九年前に受け取った別れの言葉を、今度は自分が別の誰かへ渡している。そのことに、書きながら少しだけ手が止まった。過去がそのまま戻ってきたわけではない。けれど、同じ折り鶴を通して、あのとき閉じたものが別の形で開いている気がした。
数日が過ぎた。
だが、何もなかった。
もう少し待てばと思った。それでも何も変わらなかった。他の美容部員へ聞いても、「渡しています」としか返ってこない。
それ以上の言葉はなかった。
九年前のように、「受け取った」と分かる形では返ってこなかった。届いたのかどうかも分からない。喜ばれたのかも分からない。終わりだけが、曖昧なまま残った。
九年前は、返事の封筒が届いた瞬間に終わりの形が決まった。紙の手触りも、封を切る音も、今でも思い出せる。「次の転勤先にも持っていく」という一文だけで、渡したものが確かに届いたと分かった。
けれど今回は、その最後の輪郭だけがどこにも現れなかった。渡したはずのものが、途中で透明になってしまったようだった。
平成の別れは、返事によって閉じることができた。けれど令和の別れは、既読も感想も分からないまま、宙に浮いて終わっていく。
終わり方が決まらないまま時間だけが過ぎていく。手元には何も残っていないのに、区切りだけがつかない。渡したはずの行為だけが宙に浮いたまま残り、ふとした瞬間に思い出される。
見てもらえていないのかもしれない。何も感じられなかったのかもしれない。
そう考え始めると止まらなかった。
送らなければよかったという思いと、送ったからこそ残せたものがあるという思いが、同じ場所へ重なったまま離れなかった。
九年前とは違っていた。
同じように折っているはずなのに、入っているものの重さが違っていた。一つにまとめて渡したつもりのものが、今回はまとまりきらないままそのまま渡されていた。さらに渡し方も違っていた。直接届いて返ってきたものではなく、人を介して渡され、その先が見えないままになっている。その違いだけで、同じ行為のはずなのに結果の形はまったく別のものになっていた。
あの頃は、世界へ向かいたかった。今は、世界の中で生きていこうとしている。国家、思想、遠い国々ではなく、肌、生活、日常、安心感。人生の重心そのものが変わっていた。
同じ折り鶴だった。けれど、そこに込めていたものは変わっていた。九年前は、まだ知らない世界へ向かっていくためのものだった。今回は、すでにある日常を失わずに生き続けるためのものだった。彼との時間と、彼女との時間は、別々のものだったはずなのに、同じ形をした折り鶴によって、どこかで繋がってしまっていた。
そのあと、売り場の前へ立てなくなった。
入口までは行けるのに、そこから先へ足が進まない。中へ入れば、これまでと同じように買い物ができるはずだった。それでも、その手前で止まる。
あの場所だけが切り離されたように感じられた。
無理に入ろうとすると、あのときの感覚がそのまま戻ってくる。言葉にならないまま残っていたものが、一度に浮かび上がってくる。
だから入らなかった。
代わりに別の百貨店へ行くようになった。
同じ資生堂の売り場でも、場所が違えば入ることができた。ただし、一つだけ変わっていた。
美容部員の名前を呼ばなくなっていた。
誰かを指名することなく、その場にいる人に対応してもらい、長くは留まらず、そのまま出る。
関係が始まる前で止めるような形に変わっていた。
誰かの名前を覚えてしまえば、またその場所に意味ができてしまう。売り場の照明や香りや会話まで、全部が記憶と結びついてしまうことを、もう知っていた。だから最初から深く残らないようにする。続けるために距離を取るやり方を、いつの間にか覚えていた。
以前の自分は、誰かを通して世界の外へ出ようとしていた。けれど今は違う。毎日を崩さずに続けていくことのほうが、ずっと難しいと知ってしまった。だから深く残りすぎない距離を選ぶ。そうしないと、日常そのものが動けなくなることを、もう知っていた。
同じ場所には戻れなかったが、完全に離れることもできなかった。形だけを変えながら、そのまま続いていた。
九年前に一度閉じたはずのものが、別の形でまた目の前に現れている気がした。
相手も場所も違うのに、折り鶴を包み、リボンを結び、別れの言葉を待っている自分だけが、あの頃と同じ場所へ戻っていた。
二〇二五年一月十八日。
それは、生活世界が終わった日だった。
二〇一六年三月三十一日が、世界へ向かおうとしていた思春期の終わりだったとすれば、今度は、生活を支えていた場所が静かに閉じた日だった。
けれど、中心に残っていたものだけは変わらなかった。
折り鶴。
感謝。
祈り。
別れを、飛び立ちへの形へ変える行為。
九年前、世界へ飛び立つために折った鶴は、九年後、人生を生き続けるための鶴へ変わっていた。
それでも、折り続けているのは同じ自分だった。




