表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勘違い令嬢が悪役令嬢に駆け寄ってくる際の最適解  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/10

第5話 円卓会議、王族まで届く


円卓の向こうで、王太子殿下が『この資料、外交部の研修に使わせてくれ』と微笑まれた。


微笑まれた、という言葉を、わたくしは前世を含めた人生で、こういう重さで使ったことがなかった。


場の空気が変わった。


きっちりと磨かれた円卓を囲んで座る教授陣の肩のあたりで、誰も息を継がない一拍があった。王太子殿下のお言葉の最後の一文字が、静けさの中で、ゆっくり落ちていった。


王太子殿下――レオンハルト・ヴァルフォート殿下。カイル殿下の御兄上。


今、円卓の向こうで、『ミミ嬢関連事例集』を両手で、きちんと、お持ちでいらっしゃった。


-----


そもそも、その場にわたくしが呼ばれていたこと自体が、妙な話だった。


先週、公爵邸に届いた円卓会議の招待状には、「王族より御一名、傍聴者として」と書かれていた。


「御一名」であり、「傍聴者」であるはずだった。


けれど、当日の円卓会議室に足を踏み入れたとき、上座には、王太子殿下と、そのすぐ隣のカイル殿下のお二方が、既に着席されていた。


「傍聴者」と言うには、少し、能動的な座位であった。


「お待たせをいたしました」


わたくしは教授会の書記官に案内されるまま、円卓の一席に座った。


席は、珍しい椅子だった。


普通の円卓会議用のものではない。背もたれの高さと座面の深さが、わたくしの身長と歩幅に、奇妙にぴたりと合っていた。


円卓会議用の椅子の規格としては、聞いたことがなかった。


視線を上げると、真向かいからわずかに外れた席で、カイル殿下が、ごく控えめに頭を下げられた。


視線の意味は、たぶん「お気遣いなく」である。


わたくしはその視線を、「王族の場の作法」と分類した。前回、学食で殿下が割り込みをお止めくださった場面と、同じ分類箱に。


-----


会議の本題は、あっさりと始まった。


「女子生徒の情報管理に関する教育資料、ならびに、その運用について、議論を行ないます」


議長を務めるイヴォンヌ教授が、よく通る声で宣言した。各教授の前に、『ミミ嬢関連事例集』の写しが、一部ずつ、静かに置かれていく。


王太子殿下のお手元に置かれた写しは、他のものより装丁が丁寧に見えた。気のせいかもしれない。


「この事例集は、学生が自発的に編纂したものにございます。目撃情報の採集の精度、反証可能性の担保、見出しの立て方、これらが学術論文の下書きに近い構造を持っております。教材としての有用性を、本日、ご議論いただきたく」


教授陣が、順に、頁をめくりはじめた。


わたくしは自分の前に置かれた写しに、手を触れなかった。読むまでもない。中身は、わたくしを含む学園中の人間たちが、それぞれの位置から寄せ集めた記録である。そこにわたくしの手の痕跡はない。それでも、わたくしの背骨の真横を通っている書類だった。


一人の教授が、頁の途中でふと顔を上げた。


「……これは、証人の属性を、出身家別に、ここまで丁寧に並べているのですね」


「ええ」


「それも、利害相反の可能性がある家、関係のない家、反対の派閥の家、と、属性ごとに」


「はい。編纂責任者の下級生方が、自発的にそのように並べたそうにございます」


「……自発的に?」


教授は、ひそやかに、隣の教授と目配せをした。


王太子殿下が、頁をめくる手を一度止められた。そして、小さく笑われてから、先ほどのお言葉を、円卓の空気に落とされた。


「この資料、外交部の研修に使わせてくれ」


微笑みに、お世辞の温度はなかった。


円卓の一拍の静寂が、そこで、あった。


「……王太子殿下」


イヴォンヌ教授が、珍しく、声の抑揚を一つ崩された。


「正式な採用のお話として、承ってもよろしゅうございますか」


「正式で構わない。細目は後ほど内閣府と詰めよう」


王太子殿下は穏やかに頷かれた。それから、隣のカイル殿下のほうに、ほんのわずかだけ、視線を流された。


カイル殿下は、一切、表情を動かされなかった。


――なるほど。


わたくしは頭の中の本棚で、政治と書いたラベルの棚のあたりで、一冊、位置を動かした。


これは、政治的利用であった。王族が、学園発の資料を、自分たちの制度に組み込むことで、資料の性格を確定させる。発信源は学生。採用は王族。中立性は保たれる。そしてこの資料の中で、誰の人間性がどのように扱われているかは、王家の公式記録に組み込まれた形で、永く残る。


――きれいな線の引き方だ。


わたくしは、その線の美しさに、一瞬、素直に見惚れた。


見惚れたあとで、引っかかりが一つ、残った。


――なぜ、王太子殿下がここまで、お動きになるのだろう。


問いを、わたくしは政治的合理性という太い柱に、素直に寄りかからせた。寄りかからせたが、消えてはいなかった。前回と、同じ癖である。


-----


会議の終わり際、議長のイヴォンヌ教授が、少し場違いに、小さな声を机の端に落とした。


「……ところで、少し、話が逸れますけれど」


「どうぞ、教授」


王太子殿下がおおらかに頷かれる。


「先日、教会の経理監査部門の知人から、妙な報告を耳にいたしまして。寄付金の管理記録が、この数ヶ月、少し、流れが怪しい、と」


「ほう」


「名前までは、わたくしは存じ上げないのです。ただ、管理者の一人として、元王家侍女長の、ご高齢のご婦人が、おいでになるそうで」


円卓の教授のうちの二人が、顔を上げた。


「ヴィオラ男爵夫人、かしら」


「名前までは、わたくしは存じませんけれど」


イヴォンヌ教授は、丁寧にその名前を避けた。


けれど、円卓の上に、名前は、もう、置かれていた。


-----


会議が閉じて、教授陣が退出していく列の、少し後ろで、わたくしはカイル殿下と肩を並べる形になった。


「殿下」


「はい」


「椅子、ありがとうございました」


「……お気づきでしたか」


「規格外の椅子でしたもの」


殿下は少し困ったように眉を下げて、それから、まっすぐに前を見ながら答えられた。


「会議の席は長くなることがございます。体力は判断力の源ですから」


「合理的なお気遣いですわ」


「合理です」


「……」


回廊の窓の外で、中庭の桜の枝が風に揺れていた。花はもう終わり、若葉の緑が、日ごとに濃くなっていく季節だった。


殿下は、少しだけ歩調を落とされた。


「ひとつ、お話をしてもよろしいでしょうか」


「どうぞ」


「次の資料。……ご一緒に、お作りしませんか」


わたくしは半歩遅れて、殿下の横顔を見た。


「次の資料、と仰せになりますと」


「今日の事例集は、学生発の資料です。けれど、学生発の資料は、学生の目線の限界を持ちます。王家の外交部が扱うとなると、もう少し、公的な場での危機管理手順に寄せた、整えた形の資料が必要になります」


「つまり、事例集の改訂版、ということでございますか」


「整理し直し、です。執筆者はあなた。監修者はわたし、もしくは外交部の実務官」


殿下のお声は、あいかわらず、お世辞の温度がなかった。


「光栄、でございますわ」


「そのお言葉、最近、多くなっていますね」


「他に使える語彙が、貴族社会では意外と少のうございますの」


殿下は、珍しく、声を出してお笑いになった。


笑い方が、教授会の円卓での沈黙と、全く別の人物のもののようだった。


-----


公爵邸に戻ると、父はすでに書斎におられた。


円卓会議の様子は、もう、耳に入っているご様子だった。


「王太子殿下が、外交部での採用を、その場で明言されたとか」


「はい」


「それと、ヴィオラ男爵夫人、とも」


「名前は、円卓では、はっきり出ておりませんの。教授会側は、丁寧に迂回をなさっておられました」


「迂回した、という情報自体が、情報になっている」


父は細い眼鏡を外して、机に置いた。


「フェリシア」


「はい」


「お前はもう、自分で場を設計する段階を越えた」


「……と、申しますと」


「場が、お前のために、自ら、動き始めている」


わたくしは、父の言葉を、胸の内に静かに置いた。


机の端に、イヴォンヌ教授から頂戴した、前世紀の女性学者の書簡集の写しが、今日も載っていた。父はそちらを見てから、少しだけ穏やかに微笑まれた。


「その本、いい選書だ」


「教授のお見立てですわ」


「ご自分の選書だよ、お前の」


「……」


父は机に肘をついて、しばらく暖炉の火を見ておられた。


「――ヴィオラ男爵夫人。ミミ・カーライル嬢の後援者。教会寄付の流用」


父の声は、柱時計の振れに合わせるように、低く、ゆっくりと落ちた。


「これは、事例集とは別の、もう一本の縦糸になる」


窓の外で、春の終わりの風が、少しだけ、鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ