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余焰  作者: 雅野キュウ


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13/15

薪十三本目

 打ち合わせ当日。幽井は藍々社がある恵比寿に向かった。ビル風が肌を刺すように冷たい。

 引退。その言葉を聞いた草太の反応は今まで見たことがないほど慌てていた。もちろん、今は隣でいつも通り歩いているが。


「センセイ、どういうこと? お、おかしいよ。まだ二十代だろ? どうして?」


「悪い意味じゃないよ。ただ、別の目的ができたんだ。今回の企画が終わったら辞めるとするよ」


「なら仕方ないけど……」


 草太の言う通り、幽井は引退するには若すぎる。だがそれでも、手にしたいものがあった。


 燭朱里の失墜。


 鞄に忍ばせたナイフのことを思うたびに心が躍った。「嫌いな人の潰し方」。幽井にとっての潰す方法はこれしかなかったのだ。もちろん罪に問われる上に、社会的に死ぬだろう。でも燭が消えさえすれば。


 草太はおそらく幽井の「別の目的」を、何か新しい夢や目標だと思い込んでいる。深入りしなかったのは彼の性格ゆえだろう。

 胸が異様に高鳴るなか、打ち合わせが始まる。会議室②と扉に書かれていた。

 出席者が向かい合うように机が四角型に並べられ、全員の顔を窺えた。幽井の隣には草太。幽井に連絡をくれた編集者や倉戸を始め、見知った顔が並んでいる。もちろん、燭も。隣には無名と思われる女がいた。


「本日はお忙しいなかお集まりいただきありがとうございます。早速ですが、資料の表紙をめくって一ページをご覧ください」


 会議は順調に行われた。制作するアンソロジーは小説から映像まで様々。そしてテーマは「炎」。炎といっても付き始めだったり、燃え盛っていたり。もしくは消えかかって燻る余焰。炎の一生をどう表現するか。出来上がった作品は藍々社や他の制作会社が商品化し、小説も映像も詰まったアンソロジーパックとなる。


 プロとアマチュアそれぞれ自己紹介をして締めとなる。幽井は自分の番で席を立ち一揖した。隣に座る草太はわかりやすくそわそわしていた。


「脚本を書いている幽井至です。よろしくお願いします」


「さ、佐藤草太です、俳優です! 素晴らしい方々とお仕事できるなんて夢のようです! よろしくお願いします!」


 幽井は自分の後に挨拶する参加者たちを値踏みするように見た。アイツは画家、隣には三流イラストレーターか。次の小説家はエッセイがヒットしただけの半端者、そしてアマチュアの方は野暮ったい女だ。鼻で嗤いそうになったが我慢した。


「燭朱里。脚本家です。どうぞよろしく」


 ………………。


 憎い女の番がやって来た。ムカつくことに、トリだった。隣にはいかにもな美人が座っていた。目つきが燭に似ている。しかし燭は人当たりのよさそうだが高根の花のような印象に対して、隣の女はどこかけだるげな、月下美人のような顔つきだった。


宇藤うどう亜理紗ありさといいます。女優です。……よろしくお願いします」


 彼女らはこの空間を彩る花束のようだった。誰もが二人に注目していて、燭のナンバーツーである幽井など忘れているかのように。幽井はそれが気に入らなかった。歯の奥を噛む。

 自分に向けられていない拍手ほど不要なものはない。

 滞りなく終わった会議のあと、待たせていたタクシーへ草太と向かう。だが、計画はここからだ。


「草太、先帰ってて。俺はちょっと会社に用事あるから」


「ん? ああ、わかった……」


 タクシーと草太に背を向け、藍々社の地下駐車場へ向かった。燭が今日自家用車で来ていることは知っている。色も、ナンバーも。

 一人分の足音が二人分になっていく。駐車場の柱に隠れ、鞄の中の刃物にそっと触れた。そして静かに深呼吸。柱のセメントがいやに冷たく感じた。ただ、それで火照った体を冷やすことはできない。幽井の全身は燃え盛る炎のように熱かった。もうじきここで火事が起こる。


 燭の後姿は見惚れるほどだった。体のラインがわかるワンピースは艶やかな曲線を描き、真っ赤なヒールがコツコツと鳴る。ああ、でも、今日でサヨナラだ。

 くたびれた革靴でコンクリートの床を蹴り、彼女に近づいた。突然増えた足音に燭は振り向き、目を見開く。その視線の先には、さっき会った男の姿。ただ、右手には鋭利な刃物を握っている。


「こんにちは、幽井さん。さっきぶりですね」


 彼女は柔和な笑みを浮かべた。ああ、ここでもか。こういうところがムカつくんだ。脚本界のトップにいながら決して天狗にならず低姿勢、かつ殿上人の気品を欠かさず、誰も容易に近づけない。嫌いだ。

 幽井は返事もせず彼女に切りかかる。さすがに燭も動揺したのか、抵抗するが所詮は女。幽井の力には勝てなかった。


「お前さえ、お前さえいなければ……!」


 肉を刺す感覚は気味が悪くて、空きっ腹でなければそのまま嘔吐してしまいそうだった。

 燭の華奢な体に血が滲んでいく。苦痛の表情に脂汗が浮かぶ。そうだ、その顔が見たかったのだ。ああ、だけど、その顔は俺の脚本を見てから浮かべて欲しかった。だがそれが叶うならそもそもこんなことしない。


 もう一度、確実に殺すために血で濡れたナイフを振り降ろそうとした。

 だが、それは燭を貫かなかった。代わりに幽井が誰かにぶつかり、転がって倒れる。一体、何が。まさかあの宇藤とかいう女だろうか。……いや、そのはずがない。彼女は燭よりも先に帰っていったはずだ。

 幽井に突進したのは、誰よりも幽井を知る男だった。思わず立ち上がる。


「なんでここに……!」


「未来あるアーティストがこんなことしちゃだめだ」


 草太は床のナイフを手に取り、幽井の指紋を消すように柄を何度も握る。ぽたりと血液が垂れ、灰色のコンクリートに滲んだ。

 幽井は草太の様子を呆然と立ち尽くして眺めることしかできなかった。だんだんと体の火照りが去っていく。自分は、なんてことを、


「ソウタ。あとは任せて。大丈夫、大丈夫だから」


 創太、と草太は言った。「センセイ」ではなく。

 救急車のサイレンが近づいてくる。その音は春日井かすがい創太そうたの耳に焼き付いた。

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