薪十二本目
「おかえり」
佐藤草太は自宅へ戻ると自身を迎える声がいつもと違うと察した。どことなく震えていて、なにかよくないことが起きているかのような声。
しかしリビングへ行くとノートパソコンを開き作業をする幽井至の姿があった。いつも通りなのになぜ、こんなに胸がざわつくのか。
「……なんかあった?」
しかし草太の予想は外れた。
「いや? 何もないけど……」
なんだ、とほっとしキッチンへ向かい、電気ケトルに水を入れスイッチを押した。キッチンのカウンターの向こうには四人用の大きな白木のテーブル。幽井はそこに座っていた。テーブルの奥にはソファとテレビ。コーヒーが出来上がったら観よう思ったが、少し気になって幽井の様子を窺った。
幽井のノートパソコンのディスプレイを覗くと、彼に誘われた企画の件についてのものだった。
「草太、ちゃんとメール見たか? 来週打ち合わせだってよ」
見ていなかった。訝しげに見詰める幽井は自身のことを実によく分かっている。なぜか誇らしくになった。本当に、なぜか。
「早いね。そういえば聞いてなかったけど、他に誰が参加するの?」
「アマチュアの方は知らんけど、燭朱里と、倉戸啓一らへんかな。俺もよく知らないんだ」
藍々社なら安心だけど、と付け加え彼は席を立った。お湯が沸いていた。
「燭朱里!」
眠そうにカップに熱湯を注ぐ幽井とは裏腹に、草太は顔を輝かせた。
「やっぱりあの人はすごいよ。また燭朱里にまみえるときがくるのか! 楽しみだなあ、少しでもお近づきになれたらいいな。ああ、もちろん恋愛的な意味ではなく。いや、燭にそういう魅力がないわけじゃないよ?だからつまり……」
「わかってるよ。本人がいないのに慌てて弁解って」
幽井が笑みを漏らした。
草太はばつが悪そうに頭を掻き、コーヒーカップに口を付けた。じんわりと広がる温かさは、まるで今を形容しているようだった。
「俺はやっぱり、幸せ者だよ。夢を追える立場にいて。それをサポートしてくれる友達もいて。そしてやっと芽を出してきて。偉大な作家が近くにいるってこれ以上ないほど恵まれている」
これは本心だった。本当なら、こんな歳になったら現実を見ろと就職をさせるのが善だ。それが社会の善。
自分が今ここに立てているのは自分の努力だけではない。幽井の存在や憧れの燭といった環境が大きな土台になっているとつくづく思う。この世界には何人、夢を捨てた人がいるのだろう。
「そんな恵まれた環境を作ったのも、草太の実力だと俺は思うよ」
幽井も同様にコーヒーを飲んだ。一息ついてパソコンを閉じる。
彼もまた、草太への言葉は本心だ。
自分は孤独だった。大学四年で脚本家になるまで、ずっと独り。一人ではなかったが、夢を追うのは孤独な作業だと思っていた。
草太がいて、どれほど救われただろう。
「ありがとう。いつか必ず、俺はセンセイの作品の主演を獲る! 天才脚本家の書いた作品をその同級生が演じるなんて、マスコミも黙ってないね!」
「ああ、そのことなんだけど」
幽井はカップをソーサーに置いた。
「引退しようと思うんだ」




