第5話 チンポは生が一番ですわ♡
「そろそろ、生のおちんぽが食べたいですわぁ♡」
「し、師匠!? いきなり何を言い出すんですか!」
甲板に、アリシアさんの悲鳴が響いた。
交易都市ベルガを出発して数日。私たちはようやく、魔族大陸へ向かう船に乗り込んでいた。
青い海、潮の香り、水平線まで続く波。海の向こうには、未知の魔物と珍味が待っている。
「ああ……なんて素晴らしい世界なんでしょう♡」
「美食さん、昨日から何回それを言うんですか」
「だって、これまでいただいたオークさんもバジリスクさんも、グリフォンさんも、すべて火を通したお料理でしたもの。そろそろ素材本来の味も知りたいんですの♡」
「つまり、刺身ですか?」
「ええ♡ ひんやりした舌触り、噛むほどに広がる繊細な旨味……想像しただけで胸が高鳴りますわ!」
「でも、知らない魔物の生食なんて危険ですよ!」
「もちろん存じていますわ。ですから今までは我慢してきましたの」
私はちらりとリーンさんを見た。
「食中毒を治せる魔法でもあれば、研究の幅が広がるのですけれど……」
「私を見ないでください! 普通の《治癒》では毒や感染症まで治せません!」
「まあ、残念ですわねぇ」
するとアリシアさんが、腕を組んでうなずいた。
「……なるほど。師匠は食事という分野でも、己の限界に挑戦しているのか」
「ええ♡」
「私も見習わねばな……!」
「見習わないでください!!」
今日も平和な船旅ですわね。そう思っていた、その時だった。
◆
ドゴォン!!
「きゃああっ!」
船が大きく傾き、甲板の木箱が転がった。
「海獣だ! アビスシャークが出たぞ!」
海面を割って現れたのは、全長十メートルはあろうかという巨大な鮫さん。黒い皮膚、幾重にも並ぶ牙、そして背中には紫色の棘がずらりと生えていた。
「まあ! なんて立派な鮫さんでしょう♡」
「師匠、船底に突っ込んできます!」
次の瞬間、再び衝撃が走った。手すりが折れ、船員さんが一人、海へ投げ出される。
「《時間停止》!」
カチンッ。
私は空中で止まった船員さんを抱えて甲板へ戻し、倒れかけた荷物も固定した。
時間を戻すと、船員さんが目を丸くする。
「お、俺、海に落ちたはずじゃ……!?」
「ご無事で何よりですわ♡」
しかし、別の場所で悲鳴が上がった。
「ぐああっ!」
船員さんの腕に紫色の棘が刺さっている。傷の周囲がみるみる黒ずんでいった。
「リーンさん!」
「はい! 《ヒール》!」
緑の光が傷を塞いだ。けれど船員さんは苦しみ続け、息遣いもおかしくなっていく。
「どうして!? 傷は治ったのに……!」
「毒だ! 医務室へ運べ!」
白髪の船医さんが駆け寄ってきた。
「アビスシャークの棘は神経を侵す。傷を治すだけでは駄目だ!」
リーンさんが青ざめる。けれど、傷口から棘を取り除き、清潔な布で覆う手つきは正確だった。
私はその肩に手を置いた。
「リーンさん、船員さんをお願いします。鮫さんは私たちが止めますわ」
「……はい!」
アリシアさんと甲板の先端へ駆ける。アビスシャークさんは船の周りを旋回し、何度も突進してきた。
「乗客は船室へ! 甲板に残るな!」
アリシアさんの指示で、船員さんたちが乗客を避難させていく。
「海中では剣が届かない……!」
「では、飛び出した瞬間に仕留めましょう♡」
アリシアさんが剣先に魔力を集めた。
「《飛翔斬》!」
光の斬撃が海を裂く。驚いた鮫さんが大口を開け、船へ跳びかかった。
「《時間停止》」
牙の一本一本まで止まった世界で、私は静かに手を合わせた。
「鮫さん。あなたの命、ありがたくいただきますわ」
「《絶対切断》」
時間が戻ると同時に、巨体が海面へ崩れ落ちた。船員さんたちが歓声を上げる。
「……師匠は、やはりすごい」
「アリシアさんが飛び上がらせてくださったおかげですわ♡」
討伐した鮫さんは、船員さんたちに頼んで回収していただいた。
◆
医務室では船員さんがうなされていた。リーンさんが《治癒》を重ねても、毒は消えない。
「……私、何もできないんでしょうか」
「いや。一つ、可能性がある」
船医さんが古い魔導書を取り出した。
「《体内浄化》。毒の性質を見極め、魔力で体外へ排出する術だ。習得は難しいが、お嬢さんには素質がある」
「わ、私に……?」
「この船を守ってくれたお礼だ。私の知識をすべて教えよう」
船医さんが術式を示す。リーンさんは必死に覚え、倒れた船員さんへ手をかざした。
「《体内浄化》!」
淡い光が生まれ、すぐに消える。
「……駄目!」
「焦るな。傷を塞ぐのではなく、毒だけを見つけるんだ!」
船員さんの呼吸が浅くなる。時間はない。
「……もう一度!」
リーンさんは目を閉じ、両手に魔力を集めた。
「私だって……誰かの命を守りたいんです!」
「《体内浄化》!!」
白い光が医務室を満たした。船員さんの顔に血色が戻り、荒い呼吸がゆっくり整っていく。
「……助かった……のか?」
「やった……!」
リーンさんがへたり込む。アリシアさんが拍手し、私も思わず抱きついた。
「リーンさん! 素晴らしいですわぁ♡」
「えへへ……ありがとうございます」
「これで食中毒も治せますのね!?♡」
「…………はい?」
船医さんが慌てて口を挟んだ。
「毒の種類次第だ。未知の病原体や寄生虫には効かないし、解毒が間に合わないこともある。生食のための魔法ではないぞ!」
「まあ。承知しましたわ♡」
「……本当に分かってます?」
リーンさんの疑わしそうな視線から、私はそっと目を逸らした。
◆
騒ぎが収まったところで、私は回収したアビスシャークさんを調べ始めた。
「……まあ! この鮫さん、おちんぽが二本もありますわぁ♡」
「に、二本!?」
アリシアさんの顔が真っ赤になった。
「厳密には哺乳類のものとは違いますけれど、雄の鮫さんには『クラスパー』という左右一対の交接器があるんですの。地球の鮫さんと同じですわね♡」
「そ、そんなことまで知っているのですか、師匠……」
「食材を理解するには、生態を知ることも大切ですもの♡」
私は手帳に記録し、次に船医さんへ相談した。今回は、どうしても刺身を試してみたい。
毒腺から離れた部分を選び、船医さんにも調べていただく。強い毒の反応は出なかったが、未知の成分まで判別できるわけではないと念を押された。
「安全の保証はできん。やめておくことを勧める」
「……ありがとうございます。危険は承知のうえですわ」
好奇心に負けている自覚はあった。それでも、この未知の味を確かめたい気持ちが勝ってしまった。
薄く切り分けた一切れを皿に並べる。しっとりとした艶、淡い色合い。火を通したものとは、まるで表情が違う。
「いただきます♡」
ぱくっ。
「……んんっ♡」
冷たい舌触りに、むっちりとした弾力。噛むほどに微かな甘みが広がり、最後に磯を思わせる香りが抜けていく。
「まあ……! これが生ならではの味わい……♡」
私は夢中で手帳を開いた。
『アビスシャーク。加熱時とは別物。弾力が強く、後味に淡い甘み』
なんて幸せな瞬間でしょう。
――その数十分後。
「……あら?」
腹の奥が、ちくりと痛んだ。
指先が痺れ、手帳が床に落ちる。
「美食さん?」
「……少し……気分が……」
次の瞬間、腹部をえぐるような痛みが走った。
「……っ、あ……!」
膝が折れ、床へ倒れ込む。指が動かない。脚に力が入らない。息を吸おうとしても胸が膨らまなかった。
「師匠!?」
アリシアさんが抱き起こしてくださる。その顔が二重にぼやけた。
「……いき……が……」
「船医さんを! 早く!!」
遠くでリーンさんが叫んでいる。
脈が飛ぶ。冷たい汗が首筋を伝う。唇の感覚さえ薄れてきた。
「神経毒だ! 呼吸筋が麻痺している!」
船医さんの声が聞こえた。
「検査で見つからなかった毒が残っていたんだ! このままでは呼吸が止まる!」
……まあ。
どうやら、笑い事では済まないようだ。
前世でラクダさんの珍味を喉に詰まらせた時と、よく似ている。
息ができない恐怖。意識が遠ざかる感覚。
まさか、また珍味で死にかけるなんて。
……我ながら、学習しませんわね。
アリシアさんが何かを叫んでいる。リーンさんの泣き声も聞こえた。
せっかくできた、大切なお仲間。
こんなところで、お別れするわけには……。
「……リーン……さん……」
声にならなかった。
視界が、真っ黒になった。
◆
「美食さん! 美食さん!!」
リーンが呼びかけても、美食は反応しない。唇は青紫色に変わり、胸の動きもほとんどなくなっていた。
「先生、助けてください!」
「《体内浄化》だ! 急げ!」
リーンは震える手をかざした。
「《体内浄化》!」
白い光が一瞬広がり、途切れた。
「……効かない!?」
「毒が全身に回っている! さっきの船員より深刻だ!」
船医は懸命に呼吸を助ける処置を続ける。アリシアは美食の冷たい手を握っていた。
「……師匠、頼む……死なないでくれ……!」
「私はまだ、何も教わっていないんだ……!」
リーンの頬を涙が伝う。
「さっき覚えたばかりなのに……こんなに早く、仲間に使うなんて……!」
船医は美食の胸に耳を当て、顔をしかめた。
「次に失敗したら危険だ。術式を思い出せ!」
リーンは涙を拭った。怖くても、自分がやらなければならない。
いつも笑顔で、少し変で、けれど誰よりも優しい美食。
「……嫌です」
リーンは唇を噛み、両手を握り直した。
「こんなところで、美食さんを死なせたくない……!」
船医の指示を思い出し、毒の流れだけを探り当てる。残った魔力をすべて注ぎ込んだ。
「《体内浄化》!!」
今度は、光が消えなかった。
医務室を満たす白い輝き。長い沈黙の後、美食の胸がかすかに上下した。
「……呼吸が戻った!」
船医が叫ぶ。リーンはその場に崩れ落ちた。
◆
「……あら?」
波の音で目を覚ますと、リーンさんが私の枕元にいた。
「……美食、さん……?」
「……ごきげんよう……」
「美食さぁぁん!!」
抱きつかれた拍子に、胸が痛んだ。
「もう……っ! 本当に死んじゃうところだったんですよ!!」
アリシアさんも目元を赤くしている。
「師匠……よかった……!」
船医さんによれば、私は一時、呼吸も脈も危険な状態になったらしい。船医さんの処置とリーンさんの魔法が、ぎりぎり間に合ったのだ。
「……申し訳ありません。私の軽率な行動で……」
私はリーンさんの手を握った。
「本当に、ありがとうございました。あなたがいなければ、私はここにいませんでしたわ」
「……もう、こんな無茶しないでくださいね」
「ええ。今度こそ肝に銘じますわ」
珍味の探究も、命あってこそ。
「……私は、食材を調べれば危険を避けられると思い上がっていましたわ。知らないことがあると分かっていたのに、好奇心を優先してしまいました」
船医さんが厳しい顔でうなずく。
「異世界の生き物が何を持っているか、医者の私にも分からん。覚えておきなさい」
「はい。本当に、身にしみましたわ」
◆
翌日。十分に休んで、ようやく甲板へ出られるようになった。
船医さんは原因となった食材を調べ直し、昨日の部位に未知の毒が含まれていたことを突き止めた。残りの食材も大半は処分することになった。
そんな中、アリシアさんが真剣な顔でやって来た。
「……師匠。私も、珍味の生食に挑戦したいんです」
「まあ! ですが、無理をなさることは……」
「もちろん危険なものは避けます。それでも、師匠がそこまで夢中になる味を、一度は知ってみたい」
私は一度断った。命がけの失敗を、弟子にまでさせるわけにはいかない。
それでもアリシアさんは引かなかった。そこでリーンさんと相談し、船医さんに調べてもらったうえで、原因となった部位から離れた、毒の反応が見つからなかった食材をごく少量だけ用意した。
「……では、一切れだけですわよ?」
「は、はい……!」
お皿の上には、みずみずしい刺身。
アリシアさんは箸を握り、顔を真っ赤にした。
「こ、これが……その……生の、あの部分……」
「ええ♡」
「…………っ!」
凶悪な魔物にも怯まない女勇者が、小さな一切れを前に震えている。
「無理しなくていいんですよ!?」
リーンさんが止めるが、アリシアさんは首を振った。
「私は勇者だ……! この程度のことで逃げるわけには……!」
「お食事は戦いではありませんわよ?」
「師匠には分からないんです……!」
ぱくっ。
意を決して口に入れる。
「……んむっ!?」
途端に目を見開いた。独特の弾力に驚いたらしい。
「……む、無理……っ!」
箸を握る手が震える。何とか飲み込もうとするが、どうにも口が動かない。
「……だ、だめだ……! 出てしまう……!」
口元を押さえたアリシアさんが、とうとう珍味を吐き出しかけた。
「もったいないですわ!!」
私は反射的に身を乗り出した。
ぱくっ。
彼女の口からこぼれた一切れを、直接口で受け止めてしまった。
「んんっ♡ 危ないところでしたわ」
「…………」
「…………」
アリシアさんとリーンさんが固まる。
「……し、師匠……! い、今、私の口から……!?」
「ええ♡ 食べ物を粗末にしてはいけませんもの」
「そ、それって……か、間接……っ!」
アリシアさんは耳まで真っ赤になり、顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「まあ? どうかなさいました?」
「な、なんでもありませんっ!!」
リーンさんが震える声で言った。
「……美食さん。昨日、死にかけたばかりですよね?」
「ええ。ですから、毒には十分気をつけましたわ♡」
「そういう問題じゃありません!!」
私は手帳を取り出した。
『生食は未知の危険あり。二度と油断しないこと』
『リーンさん――命の恩人♡』
『アリシアさん――珍味への理解度、少しずつ成長中♡』
うふふ。今回も、たくさん勉強になりましたわね。
船は今日も魔族大陸へ向かって進んでいる。
「さあ皆様! これからも美味しいチン味を探して参りましょう♡」
「はい、師匠!」
「少しは懲りてくださぁぁぁい!!」
――第5話 完――




