第3話 もう一人の勇者
「まあ! なんて賑やかな町なんでしょう!」
私たちが辿り着いたのは、西方最大の交易都市ベルガ。
城壁の内側には屋台が立ち並び、商人や冒険者たちがひっきりなしに行き交っていた。
「美食さん、見てください! あの市場、すごいですよ!」
「まあまあ! 見たことのない果物に香辛料、それに魔物のお肉まで……素晴らしいですわ♡」
「まずは宿を探しましょう。港町まで、まだ数日ありますし」
「では、その前に市場を少しだけ……」
「ダメです! 美食さんの『少しだけ』は全然少しじゃありません!」
屋台からは香ばしい匂いが漂い、看板には読んだことのない食材の名前が並んでいる。できることなら一軒ずつ覗いて回りたいけれど、今のところリーンさんにその気はなさそうだ。
そもそも私たちの目的地は、海の向こうにある魔族大陸。そこで魔王様を倒すよう、女神様からお願いされている。寄り道ばかりしていてはいけませんわね。
もっとも、魔王様がいったいどのような方なのか、私は今から楽しみで仕方ないのだけれど。
リーンさんは最近、私に少々厳しい。これも親しくなった証拠かしら。
そう思った矢先、背後から凛とした声がした。
「――そこの二人、少しいいだろうか」
振り返ると、銀の鎧をまとった金髪の女性が立っていた。年の頃は二十代前半。腰には立派な長剣を帯び、背筋を真っ直ぐ伸ばしている。
「あなたが、異世界から来た勇者か?」
「ええ、そうですけれど」
「王都近郊のオークを一瞬で討伐し、ゴーレムも一撃で倒したと聞いた。ぜひ会ってみたかったんだ」
「まあ! 私をご存じなんですの?」
女性は右手を差し出した。
「私はアリシア。西方諸国で勇者の称号を授かっている者だ」
「まあ、あなたも勇者様! 私は綾小路美食、こちらはリーンさんですわ♡」
「は、初めまして! アリシア様のお噂は聞いています。何度も町を魔物から守った、有名な勇者様ですよね!」
「大げさだ。私はただ、人々を守るために剣を磨いているだけだよ」
少し照れたように笑うアリシアさん。なんて立派な方なのでしょう。
リーンさんは興奮した様子で、彼女が討伐した魔物や、盗賊に襲われた村を救った逸話を教えてくれた。どうやら本当に、民衆から慕われる勇者様らしい。
一方、アリシアさんは私の武器らしいものが見当たらないことを気にしているご様子だった。
「……剣も杖も持たずに、どうやって戦うんだ?」
「うふふ。いろいろと便利な能力をいただきましたの♡」
「……女神の加護というわけか。ぜひ実際に見てみたいものだ」
「同じ勇者として、一度あなたと手合わせをしてみたい。明日にでもどうだろう?」
「喜んで――」
ドオオオン!!
答えかけた瞬間、東の大通りから轟音が響いた。
「魔物だ! 逃げろおおっ!!」
悲鳴を上げて人々が駆けてくる。その背後から現れたのは、体長三メートルを超す巨大な鹿さんだった。
青白い毛並み。稲妻のように枝分かれした角。その先端では、青い電流が激しく弾けている。
「雷角鹿です!」とリーンさん。「角から雷を放つ、危険な魔物ですよ!」
「まあ! 鹿さんなのに雷まで使えるんですの? これは興味深いですわ♡」
「観察してる場合じゃありません!!」
バリバリッ!
鹿さんの放った雷が屋台を直撃し、木片が飛び散った。
「リーン、負傷者を頼む! 美食は住民を避難させてくれ!」
アリシアさんが剣を抜いて駆け出した。リーンさんも倒れた商人さんのもとへ向かう。
逃げ遅れた男の子が、一軒の屋台の陰で泣いていた。私はその子を抱きかかえて安全な路地へ運び、お母様らしい女性のもとへ送り届ける。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「どういたしまして。もう大丈夫ですわよ♡」
振り向くと、アリシアさんが剣で電撃を受け流し、鹿さんを広場の中央へ誘導していた。人のいない場所で戦おうという判断なのだろう。
少し離れたところでは、リーンさんが倒れた商人さんの腕に手をかざし、治癒魔法を使っている。皆様、頼もしいですわね。
私も、もちろん人命優先だ。
◆
「ブオオオオッ!!」
雷角鹿さんは角を振り回し、周囲へ電撃を散らしていた。けれど、どうにも様子がおかしい。
人を追っているというより、何かを探して走り回っているように見えるのだ。
「美食、危ない!」
アリシアさんが叫ぶ。巨大な角が私へ迫った。
「《時間停止》」
カチンッ。
世界が止まる。
「……さて♡」
まずは落ち着いて観察しましょう。
美しい毛並み、強靱な四肢、金属めいた光沢を帯びた角。地球の鹿さんとは異なる特徴ばかりだ。
角には細い溝が幾筋も刻まれ、その中を淡い光が走っている。電撃の仕組みが気になるところだが、表面を傷つけて調べるのは控えた。
鹿といっても地球にはさまざまな種類がいる。トナカイさんのように雌も角を持つ種類がいるし、ましてここは異世界。見慣れた生き物だと決めつけるのは早計だろう。
手帳に記録しつつ、私は腹部に目を向けた。
「……あら。この鹿さん、雌ですのね」
大きく発達した乳房を見るに、どうやら子育ての最中らしい。
思えばこの鹿さんは周囲を見渡すような動きを繰り返していた気もする。
「……もしかして、お子様を探していらっしゃる?」
町を守るためとはいえ、事情も知らずに討伐するのは気が進まない。
私は時間を止めたまま、倉庫街へ向かった。
◆
しばらく大通りを探し回ってみたものの、これといった成果は得られなかった。
そんなとき、ふと視界の端に、扉が半開きになった倉庫が目に留まった。
「あら、この匂いは……」
どこか覚えのある匂いに誘われ、倉庫の中を覗き込む。
すると、そこには思いがけない光景が広がっていた。
「……まあ! 子鹿さん!」
大きな檻の中に、小さな雷角鹿さんが閉じ込められていた。母親と同じ青白い毛並み、小さな角。首には魔力を抑えるらしい輪がはめられている。
近くに人の姿はない。どうやら、捕まえた方は留守のようだ。
檻のそばには水桶と干し草が置かれているものの、子鹿さんは怯えたように身体を丸めていた。突然、知らない場所へ連れて来られたのなら無理もない。
あの母鹿さんも、きっとこの子の声や匂いを追いかけて来たのだろう。人々を襲うつもりではなく、我が子を取り戻すことしか頭になかったのかもしれない。
「なるほど……。お母様は、あなたを探しにいらしたのですね」
子鹿さんはまだ幼い雄だった。
未知の生き物と知れば、珍味ハンターとしてはその身体にも少し興味が湧く。
けれど、母親は我が子のために危険を冒して、あれほど必死に探している。
「……お母様の目の前で、お子様の命を奪うなんて。さすがに可哀想ですものね」
食への好奇心と、命への敬意は別の話。食べたいと思ったものを、すべて食べなければならないわけではない。
「ご安心くださいませ。お母様のところへお返ししますわ♡」
《絶対切断》。錠前が真っ二つになり、檻の扉が開いた。首輪も壊して取り外す。
これで自由の身だ。
……しかし、立ち去りかけて私は思い直した。
「待ってくださいませ。これでは、人様のものを勝手に壊して、持ち出すことになってしまいますわね」
親子を引き離す商売に賛成する気はない。それでも、誰かの財産を勝手に処分したままでは後味が悪い。
檻の持ち主がここにいれば、事情を説明して交渉できたかもしれない。けれど町ではまだ母鹿さんが暴れている。一刻も早く子供を返さなければ、怪我人が増えてしまう。
ならば、せめて相応の代金を置いていくことにしましょう。
「……そうですわ!」
鞄から取り出したのは、ずっしりと重い革袋。旅立ちに際して王様からいただいた、金貨の詰まった旅費である。
この世界の相場にはまだ詳しくない。希少な雷角鹿さんがいくらするのかも見当がつかなかった。
私は革袋を、空いた檻の中へそっと置く。
ジャラリ。
「この子の値段がいくらかは分かりませんが……多分、これだけあれば足りるでしょう♡」
念のため、金貨は一枚も残さず置いていった。
「これでお代はお支払いしましたわね。では、参りましょうか♡」
満足して時間停止を解くと、子鹿さんは突然開いた檻に驚いて跳ね上がった。
「メエエッ!?」
「大丈夫。お母様がお待ちですわよ」
私は慎重に子鹿さんを誘導し、倉庫を後にした。
なお、この時の私は、ある重大な問題にまだ気づいていなかった。
◆
一方、大通りでは、アリシアさんが雷角鹿さんと剣を交えていた。
「くっ……! なんという魔力だ!」
雷を弾く剣さばきは見事なものだった。けれど母鹿さんは我が子を求めて興奮している。これ以上戦いが長引けば、町への被害も広がってしまう。
「アリシアさん! お待ちくださいませ!」
「美食!? どこへ行っていた!」
「この鹿さん、お子様を探していらしたんですの。ほら……♡」
私の背後から、小さな青白い影が顔を出した。
「メエエエッ!」
「……ブオッ!?」
母鹿さんがぴたりと動きを止める。角に走っていた電流も、みるみる弱まった。
「さあ、お母様のところへどうぞ♡」
子鹿さんは勢いよく駆け出した。母鹿さんは首を下げ、小さな身体を鼻先で何度も確かめる。
「メエエッ!」
「ブオオ……」
すると、リーンさんが慌てて駆け寄ってきた。
「アリシアさん! 腕から血が出ています!」
「ん? ああ、先ほどの雷で少しな。大した傷ではない」
「ダメですよ! すぐに治しますから!」
リーンさんが手をかざすと、淡い緑色の光がアリシアさんの腕を包み、傷口がみるみる塞がっていった。
「……助かった。ありがとう、リーン」
「すみませんリーンさん、あちらの鹿さんもお願いできますか?」
見ると、母鹿さんの全身にも小さな傷ができていた。アリシアさんとの戦いで負ったものだろう。
「もちろんです!」
リーンさんが慎重に近づき、母鹿さんの脚に手をかざす。
優しい光に包まれ、傷が綺麗に消えていった。
「これでもう大丈夫ですよ」
「ブオオ……」
母鹿さんは穏やかに鼻を鳴らした。
「まあ……リーンさんの魔法は本当に素晴らしいですわね♡」
「えへへ……これが私の仕事ですから!」
リーンさんは少し照れくさそうに笑った。
やがて鹿の親子は寄り添い、町の外へ歩き出した。
母鹿さんが一度だけこちらを振り返る。まるでお礼を言っているようだった。
「どうか、お元気で♡」
私は手を振った。
鹿さんたちの姿が森へ消えると、背後から声がした。
「……美食。あなたは、あの魔物を倒せたのか?」
「ええ。必要ならば」
「……そうか」
周囲からは、安堵した人々の声が上がっていた。倒れた屋台を起こす商人、抱き合う親子、治療を終えて額の汗を拭うリーンさん。
あの鹿さんが町を壊したことは事実だけれど、少なくとも誰かが命を落とす事態は避けられたらしい。
アリシアさんが剣を納め、うつむいた。
「私は町を守るには、討伐するしかないと思い込んでいた。だが、あなたはあの魔物の事情を見抜き、誰も傷つけずに収めた」
「いえいえ。アリシアさんが相手を引きつけてくださったおかげですわ」
「それでも、私はあなたのようにはできなかった。……完敗だ」
その声には、悔しさ以上に敬意があった。
「私は幼い頃から剣を振り、何年も修練を積んできた。なのに、あなたには遠く及ばない」
「まあ……!」
私は感心した。何か一つの道を極めようとする姿勢は、私もよく知っている。
「アリシアさんは、とても努力家でいらっしゃるのね。素晴らしいですわ♡」
「……私を笑わないのか?」
「どうして? 私も、あなたのような方を見習いたいですもの」
彼女は意外そうに目を見開き、それから少しだけ笑った。
「……ありがとう」
◆
事件の報告を終えると、町の方が感謝のしるしに今夜の宿を用意してくださった。
私は時間停止中に見つけた檻の場所と、そこに子鹿さんがいたことも衛兵さんへ伝えておいた。町の方々には、きっと事情を調べていただけるだろう。
夕方のベルガには、再び屋台の呼び声が戻っていた。あの親子も、今頃は森で落ち着いているかしら。
ようやく部屋で一息ついた頃、リーンさんが笑顔で言った。
「今日は大活躍でしたね! アリシアさんも、美食さんのことをすごく尊敬してました!」
「うふふ。少し照れてしまいますわ♡」
彼女はふと、不思議そうに首をかしげた。
「そういえば、雷角鹿は食べなくてよかったんですか?」
「……少しだけ興味はありましたわ。子鹿さんは雄でしたし、未知の生き物でしたから」
「……ああ、やっぱり」
リーンさんの頬がひきつる。
「ですが、あんなに必死にお子様を探していらしたお母様の前で、命を奪うなんてできませんわ」
「……美食さん」
「私は美味しいものをいただくのが好きです。でも、食べるためなら何をしてもいい、とは思いませんもの」
リーンさんはしばらく私を見つめ、ふっと微笑んだ。
「……やっぱり、優しい人ですね。食生活はちょっとおかしいですけど」
「まあ。最後の一言は余計ですわよ?」
私は手帳を出そうとして、鞄を探った。
すると――。
「……あら。お金がありませんわ」
「えっ? 王様からもらった旅費ですよね?」
「ええ。檻を壊して子鹿さんを逃がしたので、そのお代として置いてきましたの♡」
「……いくら?」
「全部ですわ♡」
リーンさんが固まった。
「……全部?」
リーンさんの声が震えた。そういえば、王様は長旅のためにかなりの大金をくださっていた。お礼を言った時には金貨が多すぎて、袋を持ち上げるのにも苦労したほどだ。
「ええ。あの子のお値段が分からなかったので、念のために」
「宿代は!? 食費は!? 船代はどうするんですか!?」
「……あら」
言われてみれば、確かに困った。
「明日から、どうしましょう?」
「どうしましょうじゃありませんよぉぉぉ!!」
リーンさんの絶叫が宿屋に響き渡った。
あらあら。最近、彼女は本当によく頭を抱えていらっしゃる。
◆
同じ夜、ベルガの冒険者ギルド。
「異世界から来た勇者、美食について調べたい」
アリシアは受付嬢に尋ねた。
「美食様ですか? たしかに大変お強い方だと……ただ、変わった食事を好まれるという噂もありまして」
「変わった食事?」
「ええ。魔物の、珍しい部位を召し上がるとか」
アリシアは腕を組んだ。
「……なるほど。魔物の肉を食べ、魔力を取り込んでいるのかもしれないな」
「えっ? いえ、そういう話かどうかは……」
「剣術、魔力制御、身体強化……考えつく鍛錬はすべて試した。だが、食事のことは見落としていた」
アリシアの目が真剣な光を帯びた。
「美食はどこへ向かう予定だ?」
「西の港町を目指しているそうです」
「そうか。ならば、しばらく同行させてもらおう」
あの圧倒的な強さの秘密を、必ず突き止める。
彼女は固く拳を握った。
ギルドを出ると、夜風が金髪を揺らした。アリシアは昼間の出来事を思い返す。鹿を倒すことだけを考えていた自分と、見事に親子を救った美食。
強さだけでなく、何かを見抜く目も違う。そんな人物の秘密を知ることができるなら、多少の寄り道にも意味があるはずだ。
しかし、アリシアはまだ知らない。
美食が魔物のどの部位を好んでいるのか。
そして、その秘密を知った時、自分がどれほどの衝撃を受けるのかを――。
――第3話 完――




