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家賃滞納地雷ちゃん  作者: leemero


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3/10

大家さんは大家さん

 仕事から帰ると、地雷ちゃんが廊下にいた。


 もう驚かなかった。


 驚かない自分に少しだけ嫌気が差した。


「おかえり」


「ただいま、ではないです」


「冷たいな」


「あなたが当たり前みたいにいるからです」


「隣人だし」


「隣人は廊下に常駐しません」


「細かい男だな」


「普通です」


 神谷優人はため息を吐いた。


 時刻は午後十時半。


 昨日より少し早い。


 少し早いだけで、体はかなり楽だった。


 だが、精神はそうでもない。


 なぜなら目の前に地雷ちゃんがいるからだ。


 202号室の前。


 ピンク色の髪。


 黒い服。


 座り方は雑。


 そして手には空のペットボトル。


 どう見ても平穏ではない。


「今日は何ですか」


「何って?」


「財布ですか。お腹ですか。お金ですか」


「全部」


「帰ります」


 優人は自分の部屋の鍵を出した。


「待てって」


「待ちません」


「今日は違うんだよ」


「今、全部って言いましたよね」


「言葉のあや」


「便利ですね」


「うん」


「褒めてません」


 地雷ちゃんは立ち上がった。


 ようやくかと思ったが、帰る様子はない。


 むしろ優人の前に立ちふさがる。


「神谷」


「何ですか」


「今日、大家さん来る」


「そうですか」


「助けて」


「嫌です」


「まだ何も言ってない」


「言う前から分かります」


「じゃあ助けて」


「嫌です」


 話が早い。


 そして何も解決していない。


「大家さんが来るって、家賃ですか」


「たぶん」


「払えばいいじゃないですか」


「金ない」


「でしょうね」


「分かってるなら言うなよ」


「分かってるから言ってるんです」


 地雷ちゃんは露骨に嫌そうな顔をした。


 その顔だけ見ると、少しだけかわいい。


 だが中身は家賃滞納者である。


 油断してはいけない。


「何ヶ月ですか」


「何が?」


「滞納」


「聞く?」


「聞かない方がよさそうですね」


「三ヶ月」


「言いましたね」


「言った」


「三ヶ月はまずいでしょう」


「まずいよ」


「他人事みたいに」


「だって私事だし」


「もっと駄目です」


 優人は額を押さえた。


 会社で疲れた頭に、家賃滞納の話は重い。


 自分の家賃ではない。


 それなのに重い。


「そもそも何で俺に助けを求めるんですか」


「近くにいたから」


「理由が雑」


「神谷、優しいし」


「違います」


「おにぎり買ってくれた」


「あれは事故です」


「今日も事故れ」


「嫌です」


 その時だった。


 階段の方から足音が聞こえた。


 ゆっくり。


 静か。


 だが確実にこちらへ近づいてくる。


 地雷ちゃんの顔が少しだけ固まった。


「来た」


「逃げればいいじゃないですか」


「逃げたら負けじゃん」


「払わない時点で負けてます」


「うるさいな」


 やがて階段を上がってきたのは、年配の男性だった。


 白髪交じりの髪。


 落ち着いた服装。


 穏やかな表情。


 手には封筒。


 このおんぼろ荘の大家だった。


 優人も何度か顔を合わせたことがある。


 あまり親しいわけではない。


 必要な時にだけ会う人。


 そのくらいの距離感だった。


「こんばんは、神谷さん」


「こんばんは」


 優人は軽く頭を下げた。


 大家は続けて地雷ちゃんを見る。


「こんばんは、地雷ちゃん」


「こんばんは、大家さん」


 地雷ちゃんが急に丁寧な声を出した。


 気持ち悪いくらいだった。


「家賃です」


「月が綺麗だね」


「家賃です」


「今日は風も気持ちいい」


「家賃です」


「会話しよ?」


「家賃です」


 強い。


 大家は全く揺れなかった。


 優人は少し感心した。


「今月分」


「うん」


「先月分」


「うん」


「先々月分」


「うん」


「合計三ヶ月分」


「改めて聞くと多いな」


「多いです」


 大家は淡々としていた。


 怒鳴らない。


 責めない。


 ただ事実を積み上げる。


 それが一番怖い。


「地雷ちゃん」


「はい」


「払えますか」


「無理です」


「そうですか」


「諦め早っ」


「では、いつ払えますか」


「未来」


「具体的に」


「明るい未来」


「具体的に」


「そのうち」


「具体的に」


「……来月?」


「先月もそう言いました」


「記憶力いいな」


「大家なので」


「大家なので?」


「大家なので」


 優人は思わず大家の顔を見た。


 大家は真顔だった。


 そこでふと思い出す。


 この人の名前。


 たしか。


「大家さんって」


 優人は思わず口にしていた。


「はい」


「名字が大家さんなんですよね」


「はい」


「名前も……」


「大家です」


 大家は普通に答えた。


「大家大家です」


「……」


 分かっていた。


 前に契約書で見たことがある。


 見たことはある。


 だが本人の口から聞くと破壊力があった。


 地雷ちゃんがにやっと笑う。


「大家さんって、大家になるために生まれてきたよな」


「よく言われます」


「名前負けしてないのすごい」


「ありがとうございます」


「褒めてない」


「そうですか」


 大家は全く動じない。


 この人もこの人で強い。


「でもさ」


 地雷ちゃんが続けた。


「大家大家って、ちょっとずるくない?」


「何がですか」


「職業欄いらないじゃん」


「いります」


「大家です。大家です。ってなるじゃん」


「なりますね」


「面白いな」


「よく言われます」


 優人は口元を押さえた。


 笑ってはいけない。


 笑ったら負けだ。


 しかし名前が強すぎる。


「神谷さん」


 大家がこちらを見た。


「はい」


「笑いましたか」


「笑ってません」


「口元が」


「疲労です」


「そうですか」


 危なかった。


 かなり危なかった。


 地雷ちゃんは楽しそうに笑っている。


「大家さんって本名も知ってるんだよね?」


「知っています」


 優人は少し反応した。


 本名。


 地雷ちゃんの本名だ。


 昨日聞いて、教えてもらえなかった名前。


「教えないでよ」


 地雷ちゃんが言った。


 さっきまでの軽さとは少し違う声だった。


 大家は頷く。


「もちろんです。本人の希望ですから」


「偉い」


「個人情報です」


「硬いなぁ」


「大家なので」


「また出た」


 優人は地雷ちゃんを見た。


「大家さんは知ってるんですね」


「契約してるので」


「そりゃそうか」


「でも教えません」


「聞いてません」


「顔が聞いていました」


「そんな顔してました?」


「してた」


 地雷ちゃんが言う。


「めっちゃ知りたそうだった」


「別に」


「嘘だ」


「本当に別に」


「じゃあ私の本名、気にならないの?」


「なりません」


「ちょっとくらい気になれよ」


「面倒臭いですね」


 地雷ちゃんは不満そうに頬を膨らませた。


 自分で隠しておいて、気にならないと言われると不満らしい。


 本当に面倒臭い。


「話を戻します」


 大家が封筒を差し出した。


「地雷ちゃん、こちら督促状です」


「物騒な紙きた」


「物騒ではありません。正式な書類です」


「もっと優しい名前にしようよ」


「例えば?」


「応援状」


「家賃を応援してどうするんですか」


「じゃあお願い状」


「内容はお願いではありません」


「怖」


 大家は封筒を地雷ちゃんに渡した。


 地雷ちゃんは受け取ったが、開けない。


 開ける気配もない。


「開けないんですか」


 優人が言うと、地雷ちゃんは真顔で答えた。


「開けたら現実になる」


「もう現実です」


「まだ紙の中に閉じ込めてる」


「無駄な努力ですね」


 大家は腕時計を見る。


「では、私はこれで」


「あれ? 終わり?」


「はい」


「もっと怒らないの?」


「怒って払えるなら怒ります」


「払えない」


「では怒りません」


 妙に筋が通っていた。


 優人はまた感心してしまった。


「ただし」


 大家は地雷ちゃんを見た。


「今月中に一ヶ月分だけでも払ってください」


「一ヶ月分?」


「はい」


「全部じゃなくて?」


「まずは一ヶ月分です」


「優しい」


「本当は全部払ってほしいです」


「だよね」


「はい」


 地雷ちゃんは封筒を見つめる。


 少しだけ黙った。


 その沈黙が意外だった。


 いつもなら茶化すところだ。


 だが今回は、ほんの一瞬だけ真面目な顔をした。


「分かった」


 地雷ちゃんが言った。


「ちょっと考える」


「考えるだけではなく、行動してください」


「厳しいな」


「大家なので」


「便利だな、それ」


 大家は軽く頭を下げる。


「神谷さんも、夜分に失礼しました」


「あ、いえ」


「地雷ちゃんがご迷惑をおかけしていたら、すみません」


「大家さんが謝ることじゃないです」


「おい」


 地雷ちゃんが横から睨む。


「あんた今、否定しなかったな」


「迷惑はかけられてますから」


「ひど」


「事実です」


 大家は少しだけ笑った。


 そして階段を下りていく。


 その背中は静かだった。


 おんぼろ荘という名前のアパートで、大家大家という名前の人が家賃を回収しに来る。


 冷静に考えると、かなり変な状況だった。


 だが、ここでは普通らしい。


「神谷」


 地雷ちゃんが封筒をひらひらさせる。


「何ですか」


「一ヶ月分っていくら?」


「自分の家賃でしょう」


「現実と向き合いたくない」


「向き合ってください」


「一緒に向き合って」


「嫌です」


「ケチ」


「お金の話じゃありません」


「じゃあ心がケチ」


「もっと嫌な言い方ですね」


 地雷ちゃんは封筒を開けようとして、やめた。


 また開けようとして、やめた。


 その動きが三回続いた。


「開けないんですか」


「怖い」


「さっきまで強気だったのに」


「紙は怖い」


「紙が怖いんじゃなくて中身でしょう」


「うるさいな」


 優人はため息を吐いた。


 本当に面倒臭い。


 だが、ここで放っておいたら、明日もこの廊下で同じことを言っていそうだった。


「貸してください」


「え?」


「封筒」


「見るの?」


「見ないと始まらないでしょう」


「勝手に人の現実見るなよ」


「見せようとしてきたのはあなたです」


「そうだっけ」


「そうです」


 地雷ちゃんはしぶしぶ封筒を渡した。


 優人は中の紙を取り出す。


 金額を見る。


 思わず黙った。


「どう?」


「……なかなかですね」


「なかなかって何?」


「なかなかです」


「やめろよ、怖いだろ」


 地雷ちゃんが紙を覗き込む。


 そして固まった。


「……」


「現実です」


「見なかったことにしよう」


「できません」


「燃やす?」


「犯罪です」


「じゃあ埋める?」


「意味がありません」


「神谷」


「嫌です」


「まだ何も言ってない」


「貸しません」


「言ってない!」


「言う顔でした」


「じゃあ食べ物」


「もっと駄目です」


 地雷ちゃんはその場にしゃがみ込んだ。


 そして封筒を膝の上に置く。


「働くしかないのか」


「そうですね」


「人類、厳しいな」


「普通です」


「神谷も働いてるもんな」


「はい」


「偉いな」


「普通です」


「普通って大変だな」


 その言葉だけ、少し本音に聞こえた。


 優人は返事に困った。


 普通は大変だ。


 会社に行くのも、家賃を払うのも、生活するのも。


 当たり前の顔をして毎日やっているが、実際はかなり面倒臭い。


 それでもやるしかない。


 優人はそうやって生きている。


 地雷ちゃんはたぶん、それが下手なのだ。


「とりあえず」


 優人は言った。


「明日、財布の中身を確認して、払える分がないか見てください」


「中身ないって昨日叫んだ」


「叫ぶ前に管理してください」


「正論やめろ」


「それから仕事を探すとか」


「急に世界が敵になった」


「世界じゃなくて現実です」


「現実きらい」


「好きな人は少ないです」


 地雷ちゃんは紙を見つめていた。


 しばらく黙ったあと、ぽつりと言う。


「一ヶ月分か」


「はい」


「払ったら褒める?」


「大家さんが」


「あんたは?」


「俺ですか」


「うん」


 なぜ俺が。


 そう思った。


 だが、地雷ちゃんは意外と真面目な顔をしていた。


 優人は少しだけ迷う。


「まあ、払えたら偉いんじゃないですか」


「偉い?」


「はい」


「じゃあ払うか」


「軽いですね」


「褒められたいし」


「子供ですか」


「褒められたい大人だっているだろ」


 それは、少し分かる気がした。


 会社では怒られることばかりだ。


 褒められることなんてほとんどない。


 優人は何も言えなくなった。


 地雷ちゃんは封筒を抱えたまま立ち上がる。


「よし」


「何ですか」


「明日から本気出す」


「出ない人の台詞ですね」


「明後日からにするぞ」


「明日からにしてください」


「じゃあ明日」


「本当にお願いします」


 地雷ちゃんは202号室のドアノブに手をかける。


 そこでふと振り返った。


「神谷」


「何ですか」


「督促状、読んでくれてありがと」


 まただ。


 こういう時だけ、普通に礼を言う。


 ずるい。


「……どういたしまして」


「あと」


「はい」


「明日、おにぎりは鮭がいい」


「買いません」


「ケチ」


 やはり地雷だった。


 優人は頭を抱えた。


 おんぼろ荘の三話目にして、優人は薄々気づき始めていた。


 この隣人は面倒臭い。


 かなり面倒臭い。


 だが、放っておくには少しだけ危なっかしい。


 そしてその少しが、一番厄介だった。

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