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放課後バーガー  作者: あしゅ太郎


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12/21

11話 本音

 七月の放課後は、まだぜんぜん終わる気配がなかった。


 チャイムが鳴っても空は明るいままで、校舎の中には昼の熱がうっすら残っている。


窓を開けても風はぬるくて、廊下を歩くだけで制服の背中が少し張りつく感じがした。


 次の日の放課後、朔人はずっと落ち着かなかった。


 授業中も、黒板の文字が頭に入ってこない。


 昨日の帰り道からずっと同じことばかり考えていた。


 あの子といても、思っていたみたいには楽しくなかったこと。


 付き合えるかもしれない流れを、自分で止めてしまったこと。


 そして、その理由を考えた先に、どうしても凪の顔が浮かんでしまうこと。


 今日は、放課後になったら自分から行こうと決めていた。


 凪が最近、自分から誘わないなら、こっちから行くしかない。


 理由はまだうまく言えない。


 ネタがあるからでも、大会があるからでも、相方だからでも、全部間違ってないのに、その全部だけじゃ足りない気がしていた。


 チャイムが鳴る。


 椅子を引く音が教室に広がる。


 朔人は、鞄を掴むとほとんど反射みたいに立ち上がった。


「雪代、今日早くね?」


 後ろの席のやつが聞いてくる。


「ちょっと」

「また予定?」

「まあ、そんなとこ」


 それだけ言って、朔人は教室を出た。


 部室の引き戸を開ける。


 中には八坂と櫻葉しかいなかった。


「あれ。凪先輩は」


 思わず声が出る。


「まだ。来てない」


 櫻葉が答える。


「珍しいな。ていうかサクのほうが珍しい。そんな勢いよく入ってくるの」


 八坂が言う。


「うるさいっす」


 朔人は言ってから、少しだけ呼吸を整えた。


「……凪先輩、最近ずっとこんな感じ?」


 その問いに、櫻葉が一瞬だけ視線を上げた。


「まあ、ちょっと」

「ちょっとどころじゃないだろ。この前なんか、パン一袋しか食ってなかったし」


 八坂が言う。


「それは体調不良を疑うレベルだな」


 朔人がぼそっと返すと、八坂が笑う。


「でしょ?」

「笑い事じゃないでしょ。凪、分かりやすいから」


 櫻葉が言った。


「……何があったんすかね」


 朔人が低く言うと、櫻葉は少しだけ迷う顔をした。


「たぶん、自分で勝手に考え込んでる」

「それ、凪先輩の悪いとこっすね」

「うん。だから、雪代。行ってきなよ」

「え」

「ここで待ってても、たぶん変に遠慮するだけだから」

「なんで俺が」


 言いかけたところで、八坂が身を乗り出した。


「行きなよサク。凪、たぶん今めっちゃめんどくさい時期だから」

「雑な言い方するな」

「でも合ってるでしょ? なんか最近、部室でもネタ帳あるのに気分が乗らないみたいな顔してるし」

「それ重症じゃん」

「でしょ?」


 朔人は少しだけ黙った。


 部室の中に凪がいないだけで、妙に空気が足りない気がする。


 それがもう答えみたいで、余計に腹が立つ。


「……行ってきます」


 結局、そう言っていた。


「いってらっしゃい」


 櫻葉がさらっと言う。八坂も、やたら満足そうに手を振っていた。


 凪は、校舎裏の自販機の横にいた。


 日陰になっているはずなのに空気はぬるく、自販機のモーター音だけが妙に耳につく。


 凪は炭酸の缶を片手に持ったまま、帰るでもなく立っていた。


 朔人は階段を下りたところでその姿を見つけて、少しだけ足を止めた。


 その横顔が、思っていた以上に沈んでいたからだ。


「凪先輩」


 呼ぶと、凪が肩を揺らして振り向いた。


 その顔に一瞬だけ浮かんだ驚きが、すぐにいつもの笑い方っぽいものに隠される。


「サク」

「何してるんすか」

「別に」

「別にじゃないでしょ」


 朔人はそのまま歩み寄った。


 凪が逃げるみたいに目を逸らす。


「部室、行かないんすか」

「今日はいいかなって」

「またそれ」

「たまには」

「たまにはって何回目っすか」


 思っていたより声が強くなった。


 でも止められなかった。


 凪は少し黙ってから、手の中の缶を見た。


「サク。お前、たまには別のことしててもいいだろ」

「別のこと?」

「だから。女子と遊ぶとか、そういうの」

「……なんで急にその話になるんすか」

「急じゃないだろ」

「急です」

「サクだって……デートとか、したいんじゃないの」


 朔人は数秒、何を言われてるのか分からなかった。


 言葉の意味は分かる。でも、なんで凪がそれを知ってるのかが分からない。


「誰に聞いたんすか」


 低く聞くと、凪がまた目を逸らした。その反応だけで、だいたい分かってしまう。


「あの子か。二年の、文化祭見てたって言ってた子。会いに来たんすね」


 凪は、少しだけ唇を噛んだ。


 いつもの凪ならもっと軽く流すはずなのに、今日はそれができていない。


「なんで黙ってるんすか」

「別に、言うほどのことじゃ」

「あるでしょ。それでこんだけ変になってるのに」


 その言葉で、凪の肩が少しだけ揺れた。


「変って何」

「分かってるくせに。最近の凪先輩、普通に変です」

「サク」

「ハンバーガー屋行かないし、ネタの話しないし、勝手に距離取るし。しんどいとか、誰が言ったんすか。俺、一回も言ってないっすよ」

「……うん」

「うん、じゃないでしょ」

「でも」

「でもじゃないっすよ」


 凪は少しだけ笑ってみせた。


 でも、その笑い方はいつもと違って、全然平気そうじゃなかった。


「ごめん。今日ちょっと帰る」

「え」

「また明日」


 それだけ言って、凪は鞄を肩にかけた。


 止める間もなく、朔人の横をすり抜けていく。


「待って」


 気づいたら、朔人はその腕を掴んでいた。


 凪が止まる。


 自分でも驚いたけど、もう離せなかった。


「……何」

「俺、しんどいなんて言ってない」

「うん」

「じゃあなんで避けるんすか」

「避けてない」

「避けてるでしょ」


 腕を掴んだままそう言うと、凪は少しだけ目を細めた。


 暑い。近い。


 なのにそれ以上に、今このまま離したらだめだという気持ちのほうが強かった。


「凪先輩。俺この前、その子とカラオケ行きました」


 凪の表情がそこで止まる。


「……行ったんだ」

「行きました。でも、なんか全然楽しくなくて。普通にかわいいし、感じいいし、ちゃんと楽しいはずだったんですけど。でも、なんか違った。凪先輩とハンバーガー屋でネタ帳見てる時のほうが、ずっと楽しかった」


 その一言は、もう引き返せない感じがした。


 凪が何も言わない。


 ただ、さっきまで逸らしていた目を、今はちゃんとこっちへ向けている。


「だから。勝手に距離取られると、普通に困るんすよ。店、行きましょう。先に行って待ってるんで。ネタの続き、やりたいです」


 凪はその場でしばらく止まっていた。


「……ほんとに? ほんとに、行く?」

「行きます。凪先輩が来るなら」

「……ずるいな。今の言い方」


 凪が少しだけ笑った。


「凪先輩にだけは言われたくないっす」


 その返しで、ようやく凪がちゃんと笑った。


「じゃあ。あとでな」

「え。一緒に行かないんすか」

「先、行ってて。ちょっとだけ整理したい」

「……分かりました。じゃあ、店で待ってます。ちゃんと来てくださいよ」

「行くよ」


 朔人はそれだけ言って、先に歩き出した。


 その少し前。


 凪に会いに行ったあの女子は、階段の踊り場の影から二人の背中を見ていた。


 声は全部聞こえたわけじゃない。


 でも、十分だった。


 雪代が自分ではなく、一ノ瀬のほうへ歩いて行ったこと。


 あんなふうに真っすぐ何かを言っていたこと。


 自分はたぶん、最初から勝てなかったんだろう。


雪代が自分で、一ノ瀬のいる放課後を選んでいた。


 彼女は、もう一度だけ凪を呼び止めた。


「一ノ瀬くん」


 凪だけが少し遅れて振り返る。


 朔人はもう校舎の外へ向かっていて、その背中は小さくなりかけていた。


「なに」


 凪が聞くと、彼女は少しだけ笑った。


 もう最初みたいな棘はなかった。


「負けた」

「え」

「私。雪代くん、全然こっち向いてなかったみたい。だから、変なこと言ってごめん。でも……待ってるんじゃない?」


 その一言だけを残して、彼女は先に階段を下りていった。


 凪はしばらくその場に立っていた。


 胸の奥が、また少しだけうるさい。


 でも、さっきまでの混乱とは違う。


 もっとはっきりしていて、もっと逃げづらい何かだった。


 校舎の外へ向かった朔人の背中を思い出す。


 先に行って待ってる、と言った声も、腕を掴まれた時の熱も、まだそのまま残っていた。


 凪は小さく息を吐いて、ようやく歩き出した。


 ハンバーガー屋の窓際の席には、朔人が一人で座っていた。


 店内の冷房の中で、朔人はトレーを前にしたまま、時々入口のほうを見ていた。


 その姿を見た瞬間、凪の足がほんの少し止まる。


 朔人は先に来ていた。


 自分が来るのを、ここで待っていた。


 凪がトレーを持って席へ近づくと、朔人がすぐ顔を上げた。


「遅いっす」

「ごめん」

「あ……いや。俺も今来たとこなんで」


 この言い方が少しだけぎこちない。


「何頼んだ?」

「いつも通り。一セット」

「少な。今日ちょっと多めにした」

「見れば分かる」


 凪のトレーにはセットのほかにバーガーがふたつ、それから新作のシェイクが乗っていた。


「またそれ頼んだんだ」

「新作だから。夏は増えるんだよ、誘惑が」

「知らないっすよ」


 なんでもない会話なのに、最初だけ少しぎこちない。


 しばらく離れていたせいか、いつもの距離に戻るまで一拍必要みたいだった。


 凪は席に座って、ネタ帳を机に置く。


「ちゃんと持ってきたんすね」

「今日は確認した。三回」

「気にしすぎでしょ」

「気にするに決まってんだろ」

「まあ、大事だし」

「うん」


 そこで会話が一瞬切れる。


 でも、凪がネタ帳を開いた瞬間、その空気が少しずつ剥がれていく。


「無人島の夢のくだりなんだけど。やっぱ“俺も帰れてないのかよ”はもう少し強くていいと思う」

「やっぱそうっすよね。で、そのあとすぐ返したい」

「じゃあ間詰めますか」

「うん。あと、伝書鳩のとこ。もっと大げさでいいかも」

「お。いいね。そこちょっと好きだったんで」

「お、言うじゃん」


 そのやり取りで、二人とも少しだけ笑った。


「じゃあ通す? 今。最初から」

「その言い方久しぶりに聞いた。言ってくださいよ、いつもみたいに」


 その言葉が出た瞬間、二人とも一瞬だけ止まった。


 でも次の瞬間、凪が吹き出した。


「何その言い方」


「いや、なんか。変に気まずいのしんどいんで」


「ごめんって」

「軽いなあ。でも今、戻った感じする」


 朔人が笑いながら目を逸らす。凪も笑った。


「じゃあやるぞ。もし無人島に流されたらどうするか練習しよっか」

「生命の危機というより、野外実習が延長された気分じゃない?」

「なんでそんなに冷静なんだよ」

「おほんっ……いやあ、物騒だねえ」

「百均前線混ざってる!」


 そこで、二人とも同時に笑ってしまった。


「やっぱこれだな。サクとのテンポ」

「……まあ。俺も、こっちのほうが落ち着きます」


 その一言が、凪には思っていたより深く刺さった。


 凪はネタ帳を閉じてから、ふと朔人を見た。


「サク」

「なんすか」


 ほんの少しだけ迷ってから、凪は口を開いた。


「ただいま」


 朔人は一瞬だけ目を丸くした。


 それから、すぐに笑う。


「おかえり」


 そのやり取りだけで、さっきまで空いていた何かがちゃんと埋まった気がした。


 二人は、また当たり前みたいにネタ帳を開いた。


 放課後は、やっぱりこうでないと落ち着かなかった。

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