160 夜明け前に起きたナターシャ
まだ朝日は見えず、この世界で有名な、明けの明星と呼ばれる一番星――マグナギア――が空で輝いている。ナターシャはアウラに包まれながら目を覚まして、その星を眺めていた。
他の星々が次第明るむ空に負けて姿を消す中、たった一人で空に瞬く、旅人に夜明けを知らせる星。
その輝きは、ナターシャ達のように野宿をする人々に次の日の始まりを告げて、同時に危険な夜を乗り切った安心感を与える。
伝承は分からない、既に残っていないにも関わらず、この世界の誰もがそう呼んで憚らない星、マグナギア。
きっと昔話の更に昔、そんな時代に名付けられたのだろう。この世界の国がいくつも盛衰して、そこから生まれた流浪の民が、新たな場所で星の名前だけを大事に伝え続けていたのかも知れない。
そんな空の星に歴史の重みを感じて、ナターシャは小さく呟く。
「……中々良い話だよな。何処にも伝承されていない事が、マグナギアの伝承だなんて」
何せマグナギアに関する伝承は、語り部が自由に作って良いって事だからな。中々いいアイデアだ。
「……おぉ、目が覚めたでありますかナターシャ殿。おはようであります」
すると、夜通し警戒をしていた斬鬼丸が、ナターシャの呟きに反応した。
実は……目覚めた事に気付いては居たのだが、そのままぼんやりと空を眺め続ける主にどう話し掛けようか迷っていたらしい。昨日の今日なのだから、当然か。
ナターシャも昨日の事は忘れたように、清々しく返答する。
「おはよ斬鬼丸。調子はどう?」
「依然変わり無く。寧ろ、そこら辺の魔物に憂さ晴らししたい程であります」
斬鬼丸が周囲を困ったように眺める。そこには透明な水色で楕円形の魔物――スライムが集まっていた。
夜、ナターシャとアウラが眠ってしまった後、気が付いた時には囲まれていたらしい。
最初は追い払っていたのだが、頑なに周囲から離れないし、反撃する気配も、此方に襲いかかる気配も一切無いので遂に諦めた、との事。
「いや護衛が諦めたら駄目じゃん」
ナターシャが突っ込むと、斬鬼丸は周囲を示す。
「……いえ何。周囲の――この国で手慣れているハズの冒険者達も、この魔物と共存している様子故に、危険性は無いのか、と」
気になったナターシャはアウラの腕中から抜け出し、辺りを見た。
そこには、スライムに囲まれたまま眠る冒険者達の姿があった。酷い者では枕にしている。
見張り役の冒険者も、周囲に集まるスライムの事は気に留めていない。敵だと思っていないようだ。
「……危険性は無いのかな?」
ナターシャはそう呟きながら近くのスライムを見ると、気持ちよさそうに爆睡していた。というか、周囲に居るスライム全部寝てる。“--”みたいな顔になってるし、ゲームとかアニメで良く見る、睡眠中を事を表す謎のシャボン玉が発生している。どういう原理だ。
本家本元のスライムを知っているナターシャは一切近寄らないが、それでも気になるのか一言呟く。
「一体どんな魔物なんだ……?」
その言葉に反応して震え始める右腰の魔道書。ナターシャは気付かない。
近くの斬鬼丸も、同じく首を傾げて返答。
「分からないであります……」
「不思議だねぇ……」
「そうでありますなぁ……」
興味を寄せるナターシャと斬鬼丸。
その時、ナターシャの右腰に居る魔道書が痺れを切らしたのか、遂に喋る。
『……我が盟主。私、リズールアージェントをお使い下さい。その魔物について説明致します』
「おぉ」
「何と」
驚くナターシャ達。
それを受けて、斬鬼丸がナターシャに質問する。
「……ナターシャ殿、魔道書とは喋る物なのでありますか?」
ナターシャはノータイムで返答。
「まぁ、そういう物もあるよ? 意思を持つに至った経緯は沢山あるけど、基本的に物知りで、大体とんでもない魔法が記載されてる。たまに口の悪い奴が居るね」
「おぉ……ナターシャ殿は物知りでありますなぁ……」
「ふふん、まぁね」
関心する斬鬼丸にドヤるナターシャ。
ありがとう俺の見た創作物達。ようやくその知識を他人に披露する時が来た。
その後ナターシャは説明して貰う為、魔道書をホルスターから取り出す。
「う゛っ」(ギュンッ)
……その際、再び魔力を吸い込まれる感覚に陥って、つい苦言を呈する。
「……その、手に持った時にめっちゃ魔力を吸い取るの辞めてくれない? それだと気軽に使えないよ」
魔道書リズールアージェントは、ナターシャの言葉に反論する。
『それは不可能ですマイロード。何故なら、今はまだ名前を確認しただけの仮契約状態。私を開き、ナターシャ様自身の魔力を登録して貰わない事には、盗難防止用の強制魔力吸引から除外する事は出来ません』
ちょっと面倒な会員登録みたいだ。でも対策としては正しいか。
「それ早く言ってよー……はい、開いたよ。どうするの?」
ナターシャは軽く嘆いた後、魔力の登録作業に入った。リズールアージェントの表紙を開いて、返答を待つ。
リズールは、空白の一ページ目に謎の魔法陣を表示すると、返答。
『では、掌を魔法陣に当てて下さい。後は自動登録致します』
「りょーかい……」
ナターシャは言われた通りに、右手を魔法陣に乗せる。すると、右手の周囲に文字の羅列ーー解析結果を表す数値(?)や、何かの分類らしき記述などーーが表示され、確定するように光を放った後、全て滲んで消えた。
『……魔力登録・本人確認を完了致しました。我が盟主、ユリスタシア・ナターシャ様。貴方に私、リズールアージェントの全霊を捧げましょう』
そう言うと、魔道書リズールアージェントは一ページ目を金色・赤・緑・青のツタや葉で綺麗に彩り、題名として、『この魔法溢れる異世界にようこそ』と“日本語”で表示させる。
「……っ」
とても下手だが、作成者の想いが感じられる、優しさ溢れる手書きの太文字。作製からの年月を表す、茶色く変色したインク。
この感動は、この喜びは――とてもじゃないが、電子機器では生み出せないだろう。
(……やるじゃん。大賢者)
そんな感謝の気持ちでいっぱいになる、赤城恵の心。
自分の全てを話してしまえる、そんな人に、この世界でも出会えた気がする。
ナターシャは目を潤ませ、微笑みながら最初のページを見つめた後、ゆっくりと本を閉じ、リズールアージェントに質問を投げ掛ける。
「……粋な計らいどうも。じゃあ早速、周囲に居るスライムの説明をお願いしたいんだけど。良い?」
『私にお任せを』
魔道書リズールは浮かび上がり、ナターシャと斬鬼丸の間に陣取って、いくつかページめくり。
そして、止めた地点に解説文章や模写、カラーの絵を表示しながら、スライムの説明を始める。
『ーーこの魔物は通称"スライム"。過去に何件か発見例はあったものの、完全に認知されるようになったのはここ最近――5年前から世間に存在を確認されるようになった魔物です。
スタッツ国政府・魔術学会・魔導具技師連盟の共同研究チームによる、"魔物の自然発生原理"解明の為の実験で、偶然生まれました。現在は研究継続の為、フミノキース周辺の草原で自然発生するよう調整されています。なので、現時点で判明しているこの魔物の主要な生息域は、フミノキース近辺となります。
そして、研究チーム内では、"魔物のなり損ない"という見方が一般的です。
現在の研究で判明している情報は、
"肉体の構成素材は不明。しかしゼラチン質で、時折粘度の高い、青くて透明なジェルを吐く為、それと似た存在である"スライム"と便宜上名付けられた事"
"だが、名前の元となったスライムとは違い、体内に核を所持していない為、生殖しない可能性が高い事"
"人の持つ魔力に反応し、集まる習性がある事"
"主食はやくそう、昆虫類である事"
"魔法への完全耐性を所持している事"
"攻撃魔法を当てると分裂して増殖する事"
"逆に物理耐性は弱く、木の棒などで強く叩くと霧散して消滅する事"
"だが、刃物類での攻撃ならその場に残り、さらに切断面を合わせると接着し、生き返る事"
"水洗いすれば食用可能で、夏季の納涼食材に適している事"
です。その他の性質は目下研究中、との事。
次に生態などの説明ですが――性格は温厚で臆病。非交戦的。相手に対する害意は、一度攻撃された時にだけ生まれる。
警戒心がかなり高く、外敵を視認すると即座に逃亡を図る。だが、何故か人間に対してだけは非常に薄く、更に好奇心旺盛。呼ぶと集まる上に、その場で待機していると勝手に集まる。
夜間は魔物に襲われないよう、夕方の内に草原から城壁内に移動したり、野営を行う人間の近くに集まってから寝る習性を持つ。
その次は、食性の詳しい解説を。
スライムはエサを発見すると飛びかかり、体内に取り込んで消化する。この点も、スライムと名付けられた要因。
更に、取り込んだ食物は厳密に言うと消化している訳では無く、魔力へと分解している模様。この現象は、魔力値観測装置により確認された。スライムの意志さえ有れば、分解物の再生成も可能。
とある研究員が、スライムに水分・肉類・穀物・岩塩、鉱石などの無機物を摂取させたが、それらは全て分解した。最後は生きた魔物や、自らの手を差し込んでみたが、それらは拒絶し、吐き出した。その事から、雑食性ではあるが、昆虫以外の生物は受け入れないと判明している。
最後に、この街の住人との関わりなど。
基本的に無害だが、スライムは魔物。政府は城壁内にスライム専用の小規模な就寝スペースを作る事で、住民との関わりを最小限に抑えている。
この街の住民も普段は無関心だが、夏場はデザートの材料として乱獲を行う。短冊切りにして、糖蜜を掛けて食べると、甘くてひんやりとしていて美味しい……との事。
以上、全て一般的な視点からの説明となります』
「「おぉー……」」
説明を終えて自身を閉じるリズールと、関心するナターシャ・斬鬼丸。
ナターシャは代表して、重要な点だけをもう一度聞く。
「……つまり、コイツらは無害なの? 身体の中に取り込んで溶かしてこない?」
その質問にリズールは肯定。
『そういう事になります。私としては、"スライム"では名称による性質の勘違いが多発するので、今すぐに"ジェリー"や、"ゼラチンボール"などの分かりやすい呼称へ変更すべきだと提案致します』
「なるほどー……じゃあ、呼び方を変えた方が良いかな?」
『それをお勧め致します。此方の表記も変更致しますので、マイロードはお好きな名前を発言して下さい』
「わかった。何か良い名前かー……」
ナターシャがリズールの提案を受けて考え込んでいると、いつの間にか起床し、スライムの説明を聞いていたアウラが、ナターシャの背後から身を乗り出して一つの名前を示す。
「……じゃあ分かりやすく、“マギカスライム”なんてどうですか? 魔法に強いって感じしません?」




