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【カクヨムコンテスト11 中間選考突破】 累計336万8千PV 僕の戦国時代  作者: 虫松
新選組列伝ー誠の残響ー

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外伝【豊臣秀吉の下剋上物語】 上

挿絵(By みてみん)


【倣の力】


かつて、尾張の国に藤吉郎(秀吉)という男がいた。農民の家に生まれた彼には、父は織田家で足軽をしていたが浮気ばかり家におらず母は朝から晩まで農作業をしていた。よって彼は学問の機会がなかった。しかし、秀吉は周りの人々を観察し、彼らの行動を真似ることで学ぶ才能に長けていた。


藤吉郎(秀吉)は、村の者たちがひらがなを使って手紙を書くのを見て、自らも文字を覚えた。漢字は書けなかったが、ひらがなを使って簡単なメッセージを書くことができた。彼は、このスキルを使って、他の村人とのコミュニケーションを図り、彼らの信頼を得ることに成功した。


天文12年(1543年)、秀吉は父を亡くし、若き秀吉は一時期、寺に入れられたが、やがて家に戻り、父の遺産を受け継いだ。しかし、彼には留まることのできない運命があった。家を再び出て、針売りや草履売りをしながら放浪の日々を送った。


放浪の末、秀吉は今川氏の臣下である松下加兵衛に仕えることとなった。しかし、彼の才覚は先輩たちの妬みを買い、18歳でその地を去ることになる。それは彼にとって新たな始まりの予兆であった。


藤吉郎(秀吉)は、織田信長の足軽であった父のつてで、信長のもとへと向かった。彼は、織田家の足軽として働き始めることになる。信長のもとで、藤吉郎(秀吉)はその機転と才能を発揮し、やがて信長の信頼を得て、出世の階段を駆け上がっていくのであった。


ある冬の日、信長は鷹狩りから戻られた。雪がちらつく中、草履は冷え切っていた。そこで藤吉郎(秀吉)が名案を思いついた。


信長の草履を胸で温めようというのだ。


「信長様、この草履、私が暖めます。」


藤吉郎(秀吉)は自信満々に言った。信長は眉をひそめながらも、草履を渡された。藤吉郎(秀吉)は草履を両手で包み、まるで宝物のように胸に抱えた。そして、彼は城の中を駆け回り始めた。彼の動きは、まるで火をつけられた兎のようだった。


城の人々は、その光景に驚き、笑いをこらえることができなかった。秀吉は気にせず、草履を温め続けた。


しばらくして、信長が草履を受け取られた。足を滑り込ませると、ふと表情が和らいだ。


「おお、これは暖かい!」


信長様は驚かれた。秀吉は得意げに微笑んだ。


「信長様、私の胸の温もりです。」


と答えた。信長は笑いながら、秀吉の肩を叩かれた。


「お前は面白い男だ。」


と言われ、秀吉は心の中で小躍りした。


この日、秀吉の機転とユーモアが、信長の心を捉えたのであった。またこの出会いが木の下であったため、「木下」という苗字を信長から与えられた。


しかしこの草履を温める行為は、実は別の者がやって人を感動させた話を木下藤吉郎(秀吉)は人づてに聞いていたのだった。彼はこの成功談を信長に実行して織田信長に認められたのだった。



【桶狭間の戦い前夜と秀吉の猿踊り】

永禄三年(1560年)、尾張の地は緊張で息を詰めていた。今川義元が率いる2万5千人の大軍が、尾張国知多郡桶狭間に迫っていた。織田信長は、まだ若き大名であり、動員可能人員はおよそ5千人であり五倍の兵力の差があった。


織田家では家臣団の間で会議が開かれた。城で籠城すべきだという意見が上がる中、家臣の簗田政綱が奇襲をすべきだと提案をした。


柴田勝家


「 信長様、奇襲とは卑怯者のするものです。武士の誇りを持って正々堂々と戦うべきである。」


織田信長


「 権六(勝家)、戦は勝つことが最も重要だ。奇襲もまた戦術の一つ。政綱の案には一理ある。」


簗田政綱


「信長様、今川が油断している今こそが勝機です。奇襲は卑怯ではなく、機を見るに敏なる智略です。」


柴田勝家


「 しかし政綱 、我々の奇襲に失敗したらどうなる?城は間違いなく持たんぞ。」


織田信長


「 勝家、戦は予測不可能なもの。だが、政綱の案は敵を出し抜く絶好の機会を与えてくれる。」


簗田政綱


「 信長様、今川本陣に我が密偵がおります。よって本陣の動きは読めます。私はこの奇襲が成功すると確信しております。どうか、私にこの任をお任せください。」


明日、簗田政綱が今川義元がいる本陣に織田30の騎馬隊と約100名の足軽で山寺より駆け下りて奇襲する案に信長は織田家の存続をかけた。


そして織田信長は、桶狭間の戦の前夜、今川の大軍の噂で死におびえる兵の士気を高めるために宴会を開いた。


織田信長


「 今宵は我々の勝利を祈って宴を開くことにする。」


宴会の最中、信長は木下藤吉郎(秀吉)を呼び寄せた。


織田信長


「木下藤吉郎(秀吉)、お前は猿の物まねがうまいので猿とあだ名されてるようだな。今宵はお前に猿踊りを披露してもらおう。」


木下藤吉郎(秀吉)


「 はっ、信長様。私の踊りで、皆様を楽しませることができれば光栄です。」


秀吉は軽やかに舞台へと上がり、猿の真似をしながら踊り始めた。彼の滑稽な動きと表情に、宴会場は笑いに包まれた。


同僚の足軽


「 ははは、藤吉郎(秀吉)の踊りは本当に猿のようだ!」


別の足軽


「 いいぞ!サル吉郎!これで明日の戦に向けての緊張もほぐれたな。」


木下藤吉郎(秀吉)の踊りは、兵の士気を高めると同時に、戦の前夜の緊張を和らげる一時の安らぎをもたらした。


そして、その夜は明日の戦の不安を忘れさせる楽しい宴となった。



【桶狭間の戦いと雷神降臨】


永禄三年(1560年)、6月の曇り空の下、尾張の地は戦の狼煙に包まれていた。今川義元の大軍が迫り、織田軍が待ち構える織田信長の采配のもと、桶狭間での運命の合戦が始まった。


佐々政次と千秋四郎を含む織田軍の30余りの部隊が、信長の出陣の知らせに意気上がり、今川軍の前衛に単独で攻撃を仕掛けた。しかし、彼らは今川軍の反撃に遭い、勇敢に戦いながらも討ち取られた。


今川軍は丸根砦と鷲津砦を陥落させ、今川義元はその勝利に謡をうたわせた。しかし、13時頃、視界を妨げるほどの豪雨が降り始めた。織田軍はこの天の恵みを利用し、今川義元の本隊に奇襲をかけた。


織田信長


「政綱よ、今こそ山からの奇襲だ。今川義元の本陣を狙え!」


織田信長の密偵が今川義元の本隊の場所を山寺に居る簗田政綱知らせに来た。


簗田政綱


「 はっ、信長様!山寺からの急斜面を駆け下り、敵を撹乱いたします!」


雷と豪雨が降りしきる中、簗田政綱は山寺からの急な斜面を駆け下りた。彼の足取りは確かで、まるで山を滑り降りるかのように敏捷であった。雨に濡れた草木が彼の周りで風に揺れ、雷鳴が轟く中、彼の姿はまさに雷神の如し。


今川義元


「 何だ、この騒ぎは!?織田勢の動きがおかしいぞ!」


今川義元は、簗田政綱の奇襲に驚き、退却を余儀なくされた。彼の周りの旗本たちは混乱し、雨と泥に足を取られながらも、必死に義元を守ろうとした。


豪雨が桶狭間の戦場を襲い、雷が鳴り響く天はまるで今川義元の運命を暗示するかのように荒れ狂っていた。義元は、かつての威厳を失い、雨に打たれながらうろたえていた。


今川義元


「 何ということだ!この豪雨と雷は…雷神の怒りか!?」


彼の周りでは、織田軍の追撃が激しさを増していた。義元の旗本たちは一人また一人と倒れ、彼の絶望は深まるばかりだった。


今川義元


「 我が今川の兵はどこへ行った!?誰か応えろ!」


しかし、返事はない。ただ豪雨の雨音と、遠くで聞こえる織田軍の戦闘の叫び声だけが、義元の耳に届いていた。


今川義元


「この場は 退却せねば…生きて駿府へ戻らねば…」


彼は泥濘に足を取られながらも、必死に馬を駆って逃げようとした。しかし、織田軍の馬廻が迫り、義元はついに追いつかれた。


今川義元


「 これで…まさか…終わりか…」


義元は太刀を抜いて最後の抵抗を試みたが、織田軍の毛利新介に組み伏せられた。

その時、今川義元は毛利新介の小指に噛みつき新介の小指を喰いちぎった。


今川義元


「ここで死ぬのは嫌じゃあぁぁー」


彼の最後の断末魔の叫び声は、豪雨と共に戦場に消えていった。その場で今川義元は首を討ち取られた。


この悲劇的な最後は、桶狭間の戦いの記憶として、後世に語り継がれることとなる。

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