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最初に動いたのは、若い護衛だった。
二十代半ばだろうか。鍛え上げられた筋肉と引き締まった体躯を持ち、腰には上質な剣を帯びた男だ。おそらくは元騎士か傭兵で職業戦士としての風格を漂わせていた。彼は大きく息を吸い込むと、抜刀と同時に突進してくる。
「うおおおおっ!」
雄叫びが響いた。恐怖を振り払うための咆哮だろう。剣が煌めき、刃先が俺の喉元を狙って一直線に突き進んでくる。速い。訓練された動きだ。だが──。
俺には、すべてが見えていた。
彼の筋肉の収縮、重心の移動、剣を振る軌道。すべてがスローモーションのように鮮明に映り、脳が自動的に最適な回避ルートと反撃の手順を計算していく。
俺は半歩だけ横に移動した。剣が空を切り、男の体勢が僅かに崩れる。
魔力の刃を纏わせた、男の首筋に向けて横一文字に薙ぎ払った。
シュッ。
風を切る音だけが響き、魔力の刃が男の首の左側面を薙いだ。皮膚が裂け、筋肉が断たれ、喉笛を切り裂く。
男の動きが止まった。剣を握る手から力が抜け、カランと金属音を立てて剣が床に落ちる。彼は呆然とした表情で俺を見つめ、それから首を押さえようと手を上げたが、その動作すら完遂できずに膝から崩れ落ちた。
傷口から血が噴き出す、白い大理石を鮮やかな紅色に染めていく。
死んだ。
一人目。
会場が、凍りついた。
「ぎゃああああああっ!」
「化物だ!」
「逃げろ!」
悲鳴が爆発した。ドレスを着た婦人たちが転び、子供たちが泣き叫ぶ。給仕係が皿を落とす。パーティ会場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。美しく着飾った人々が、まるで戦場から逃げ惑う難民のように混乱している。
だが、俺の意識にそれらは映らなかった。ただ次の敵だけが見える。四人の護衛が、叫び声を上げながら四方から突進してくる。
「怯むな!」
「ただの子供だ!」
「囲め! 一斉に仕掛けろ!」
「殺せ!」
二人目が俺の背後から剣を振り下ろし、三人目が右側から槍を突き出す。四人目が左側から短剣で切りかかる。隙のない攻撃パターン。だが、俺の目にはすべてが止まって見えた。
まず背後からの剣を避ける。身を屈めると剣が頭上を通過し、そのまま回転しながら男の懐に潜り込んだ。
右手の人差し指を、男の後頭部と首の境目、延髄の位置に正確に突き立てる。
『脊髄破壊』。
中枢神経の要である延髄を破壊する技術だ。脳からの命令が身体に届かなくなり、すべての生命活動が停止する。
指先が男の首筋に触れた瞬間、炸裂した。男の全身が硬直する。彼は声も出せず、ただ人形のように崩れ落ちた。
二人目。
次は右側から突き出された槍だ。俺は倒れた男の身体を蹴って横に跳び、槍を躱しながら接近する。彼の顔に驚愕の色が浮かぶが、もう遅い。
俺は男の腹部に右手を押し当てた。魔力を掌から放出し、体内に浸透させる。皮膚を通過し、筋肉を通過し、そして内臓に到達した魔力が特定の周波数で振動を始める。
『内臓破裂』。体表には一切の傷をつけず、体内の特定臓器だけを破壊する技術だ。
俺は躊躇いなく男の心臓を狙った。魔力の振動が心筋を襲い、心臓が内側から破裂する。男の目が見開かれ、口から血が溢れ出したが、それ以上の反応を示す間もなく彼は崩れ落ちた。外傷は一切ない。だが内部では心臓が粉々に砕け散っている。
三人目。
左側から短剣で切りかかってきた男は、俺が二人を瞬時に葬った光景を目の当たりにして明らかに動揺していた。攻撃の軌道が乱れ、力みすぎて無駄な動きが多い。恐怖が技術を鈍らせている。
俺は男の短剣を左手で掴んだ。素手で刃を掴むという常識外の行動に、男が硬直する。その隙に、俺は右手の手刀を男の首筋に叩き込んだ。
温かい血が俺の手に降りかかるが、それを意識する余裕すらない。男は喉を押さえて倒れ、床に広がる血溜まりの中で痙攣した。
四人目。
会場の隅にいた護衛は、逃げていた。
仲間が一瞬で殺されるのを見て、彼は完全に戦意を喪失していた。武器を構えることもなく、ただ這うようにして出口へ向かって逃げ出す。その姿は惨めで、護衛としての矜持など欠片も残っていなかった。
俺は男の背をつまらなそうに見た後、血まみれの己の手を見下ろした。赤い液体が指先から滴り落ち、床に小さな水溜まりを作る。これが人の血だ。これが殺すということだ。だが不思議と、何の感情も湧かなかった。罪悪感も、嫌悪感も、恐怖も。すべてが凍りついたまま、ただ事実だけを認識した。
戦闘の合間、俺の意識の端で何かを捉えていた。詠唱の気配だ。会場の隅、先ほどサンダーライトで照明を灯した雷系魔術師が、長い詠唱を始めていた。
「雷神よ、我が声を聞き届けたまえ──」
低く、重厚な声が響く。魔力が収束していく感覚があり、空気が帯電して髪の毛が逆立っている。
「天空を駆ける稲妻の王よ──汝の裁きの光を、今ここに──」
俺は魔術師の方を見た。彼は会場の端、柱の陰に隠れながら必死に詠唱を続けている。その額には冷や汗が滲み、手が震えているのが見えた。恐怖と決意が入り混じった表情。
一方で、フリードがエレナの手を引いて出口へ向かおうとしていた。娘を守るために、この混乱から逃れるために。だが、ガウェインがそれを制止する。
「お待ちください」
老剣士の声は落ち着いていた。
「お嬢様の予知では、暗殺者は二人組だったはず。もう一人の気配を感じます。我々護衛から分断させ、もう一人が殺害する算段かもしれません。私の傍を離れないほうが賢明です」
フリードの足が止まった。彼は一瞬逡巡したが、すぐに頷く。
「……わ、分かった。お前を信じる」
そして、雷系魔術師の詠唱が終わった。
「──我が敵を撃ち貫け! 上級魔法・ライトニング!!」
詠唱の最後の一節が響き渡ると同時に、魔術師が両手を俺に向けて突き出した。
刹那、両手から極太の稲光が降り注いだ。
直径一メートルはあろうかという巨大な雷撃が、轟音と共に俺を襲う。あまりの速さに、視認してから回避することは不可能だった。光と音が同時に到達し、会場全体が白く染まる。
雷撃が俺の身体を貫いた。
凄まじい衝撃が全身を駆け巡り、筋肉が痙攣し、髪の毛が逆立ち、服が焦げる匂いが鼻を突く。床が砕け、俺の足元に大きなクレーターができた。煙が立ち昇り、一瞬視界が白く霞む。
魔術師が、勝利を確信した表情で俺を見つめていた。上級魔法の直撃を受けて生き延びられる人間など、この世にそういるものではない。
だが煙が晴れると、そこに立っていたのは無傷の俺だった。
服は少し焦げているが皮膚には何の損傷もない。ただ、全身に青白い電撃の残滓が纏わりついていて、バチバチと小さな火花を散らしているだけだった。
「……馬鹿な……上級魔法が……効いてない……?」
魔術師の顔から、血の気が完全に失せた。
俺は、ゆっくりと魔術師の方を向いた。全身に纏わりついた雷撃を払うこともせず、ただ歩き出す。一歩、また一歩、電撃が床に伝わって小さな焦げ跡を作りながら。
「生憎、家庭の事情で電気は効かなくてね」
俺の声は、自分でも驚くほど冷たかった。感情の欠片もない、機械的な声。
ヴァルダード家で、毎日のように電撃を浴びせられ続けた結果、俺の身体は完全に電気に適応していた。上級の雷属性の魔法も、ちょっと痛いかな程度だ。
「来るな……来るな!」
魔術師が後ずさりを始めたが、もう遅い。
俺は一気に距離を詰め、彼の眼前に現れた。魔術師が悲鳴を上げる暇もなく俺は右手を彼の胸部に突き立てる。
心臓抉り。ヴァルダード家の暗殺拳の中でも最も高度な技術の一つだ。
俺の指が、彼の胸部に沈んでいく。皮膚を裂き、筋肉を分け、肋骨の間を滑り込ませ、そして心膜に到達した瞬間、心臓を鷲掴みにした。
温かい、脈動する感触。
ドクン、ドクンと鳴る心臓が、俺の指の中にある。
俺はそれを、引き抜いた。
ズルリ、という不快な音と共に、心臓が魔術師の胸から抜け出る。血まみれの、まだ微かに動いている臓器。それが俺の手の中にあった。
魔術師は、自分の心臓が抜かれたことを理解する間もなく、目を見開いたまま崩れ落ちた。
俺は手の中の心臓を、握り潰した。
赤い液体が指の間から溢れ出る。心臓の破片と血液が床に落ち、小さな水溜まりを作った。
残るは、あと一人。ガウェインと呼ばれた老剣士のみ。
俺はゆっくりとガウェインの方を向いた。雷撃を纏ったまま、ただ静かに彼を見つめる。
会場は静まり返っていた。死体と血溜まりだけが残された空間で、俺とガウェイン、そしてその背後に隠れるフリードとエレナがそこにいた。
ガウェインは剣を構えたまま俺を見つめていた。彼の表情には恐怖はなく、ただ冷静な戦士の表情を浮かべていた。
「……見事な手並みだ」
しばらくの沈黙の後、ガウェインが口を開いた。
「だが、その技。見たことがある」
ガウェインの目が、僅かに細められた。
「心臓抉り、脊髄破壊、頸動脈切り……すべてヴァルダード家に伝わる暗殺拳だ。間違いない。お前は、ヴァルダードの者だな」
「知ってるんだ」
短く、そう言った。
ガウェインの表情が僅かに歪んだ。それは怒りでも恐怖でもなく、同情だった。静かな哀れみの色が、老剣士の瞳に宿っている。
「悪魔の子め」
彼の声には、抑えきれない感情が滲んでいた。
「お前に選択肢はなかったのだろう。生まれた時から、この道を歩むしかなかった……」
老剣士は、深く息を吐いた。
「だが、だからといって、お嬢ちゃんを殺させるわけにはいかん」
ガウェインが剣を構え直す。
俺も構えを取る。
雷魔術師が死んだことによって、サンダーライトが消えた。だが同時に、屋敷の予備電力が作動したのか、会場の照明が再び点灯する。柔らかな光が会場を照らし出し、床に広がる血溜まりと散乱した死体を浮かび上がらせた。
ガウェインと向き合う。今までのように手刀で攻撃するのは危険だ。相手は伝説の剣士、俺の指が届く前に手首ごと切り落とされる可能性が高い。
俺はゆっくりと懐に手を伸ばすと、指先が冷たい金属に触れる。アルルから貰った黒曜石のナイフだ。ヴォイド・オブシディアンの刃が、光を吸い込むように黒く輝いている。
俺はナイフを構えた。そしてゆっくりと魔力をナイフに流し込んでいく。魔力が刃全体に広がっていく感覚があり脈動し始めた。刃先が、さらに鋭くなる。
「では、参る」
ガウェインが動いた。




