往生際が悪い田中奈々
「リーダーへの殺人未遂容疑の現行犯で逮捕します」
「痛いじゃないのー。放しなさいよっ!」
私は奇跡を目の当たりにした。
なんと、警部補君が、田中奈々の右手を背後からきめ、床に膝まづかせていたのだ。それも、田中奈々が落としたナイフをしっかり踏みつけながら。
こ、こいつに、こんな芸当が……。こいつと言うのは失礼か。命の恩人だもんな。
「じゅ……リーダーさん、大丈夫ですか?」
こ、こいつ、私がこいつの部下だった頃の呼び名の「巡査」って、うっかりと呼びそうになりやがったな。こいつは、私の中では、ずっとこいつだ。直接呼ぶ時は、もちろん敬意を払って「警部補君」と呼ぶがな。
そんなどうでもいいことよりも、今は速やかに現状に対処する時だった。返事くらいはしないと、私が刺されたと心配するだろうし。紳士らしく、まずは、お礼を言ってからだな。
「ありがとう、警部補君。間一髪のところで命拾いしたようです」
「それは良かった。リーダーに何かあったら、明智君が悲しみますからね」
こいつこいつこいつ……。明智君のためだけを思っての行動だったんだな。でもまあ、結果として助かっているのだから、あまり目くじらを立てないでおくか。それよりも、田中奈々の処遇だ。
私への殺人未遂の動機として、田中太郎殺害計画を自白するように持っていきたいが。持っていきたいが……。難しいだろうな。うん、負け戦のようなものだ。どうせ無理なら、警部補君に任せよう。わざわざ私が失敗をして恥をかく必要なんてない。さあ、警部補君、火中の栗が美味しそうに焼けているぞ。ヒヒッ。
「警部補君、田中奈々の取り調べだー」
「りょうかいー! 田中奈々、あなたがこれから発言する内容は証拠として扱われます。そのつもりで。いやー、一度言ってみたかったんですよー! キャッホー!」
「よ、よかったな、警部補君……」
「何が証拠よー! その汚い手を放しなさいよー、バカ刑事!」
おおー、いいぞ、田中奈々。警部補君にもっともっと暴言を吐いてくれ……。あっ、だめだ。本気でへこんでる。その程度の悪口でへこんでどうするんだ。犯人が逆上して吐いただけだし、何の捻りもないんだぞ。まったくもー。世話の焼けるやつだなー。今のうちに命を助けてくれた借りを返しておくか。
「警部補君、警部補君はバカではないじゃないか。むしろ、バカの反対の天才だろ?」
ああー、私は、はっきりと分かる嘘をついてしまった。自分を許せる日がやってくるだろうか。自信はないが、他の選択肢もなかったのだ。うん、許せる日はやってこないかもしれないが、明日にははっきりと忘れているだろう。
「イエース! よし、田中奈々、放してやるが、逃げようとするなよ。まあ、逃げてもいいが、殺人未遂罪に公務執行妨害罪が足されるだけだからな」
「私は、ただ……そこのおもしろい顔の探偵さんのために、果物の皮を剥いてあげようとしただけじゃないの」
「えっ? うそー! いや、でも……」
…………。どうやら、この辺が今の警部補君の限界かもな。少なくとも、この病室には果物なんて一つもないが。田中奈々にしても、一応はお見舞いに来ているのだから、果物の一つでも持ってきていれば言い訳にも説得力があっただろうに。警部補君は信じているようだけど。それとも、作戦のうちなのだろうか。いや、違うな。言葉が出てこないもんな。
仕方がない。助け舟をだすか。全く期待していないと、全く落胆しないもんだな。
「警部補君、田中奈々さんがそう言うなら、それでいい。ただ、もう隠す必要はなくなったので、宣言します。田中太郎殺害計画の黒幕として、あなたを必ずや逮捕してみせます」
「ふんっ。おもしろい顔だけが売りのボンクラ探偵に、そんなことができるわけないでしょ。そこのバカ犬とお調子者お嬢さんが、証拠なんてなかったと、張り切って断言していたじゃない」
お調子者お嬢さんと言われたのがムカついたのか、今の今まで黙って聞いていた阿部君が口を挟む。しかし、私の阿部君評は間違っていた。明智君をバカ犬と呼ばれたのにムカついた、のも違う。なんと、私のために、阿部君は田中奈々に噛み付いてくれたのだ。
阿部君……。きっと阿部君の活躍の場を作ってあげるからな。
「いい加減にしなさいっ! 確かに、リーダーは、面白い顔をしてバカ面も併せ持ち、なおかつブサイクで、どんな悲しみを背負った不幸な人をも顔だけで笑わせることができるわ。だけど、リーダーの顔を笑い者にしていいのは、リーダーのことを大好きな人だけよ。ねえ、明智君?」「ワンッ!」
あ、阿部君……。言い過ぎだぞ、と言うと余計に惨めだな。まあ、美的センスが皆無の阿部君に言われたとてだし。なによりも、私はハンサムさんなのだから、笑って許せるのだ……。おっ、阿部君がまだ何か言おうとしているな。
「それに、今のところは証拠がないってだけなんだから。絶対に、それも近いうち、あなたを追い込んであげるから、束の間の自由を今のうちにどっぷりと味わっておきなさい。ねえ、明智君?」「ワンワワン」
「それは楽しみね。じゃあ、大サービスで教えてあげるわ。そこのボンクラ探偵が言うとおり、黒幕は私よ。五十嵐は私にゾッコンだから……」
「ゾッコンって。今どきそんな言い回しを……。ヒヒッ……ヒヒヒッ。若い阿部君には通じないですよ。なあ、阿部君?」
「はい。明智君は分かる?」
「ワッ? ワンワン。ワーオー、ワオンオンー」
「いいか、よく聞くんだぞ。ゾッコンとは……田中奈々さん、どういう意味でしたっけ?」
思い知ったか、田中奈々。私たち3人が組めば、こんなにも恐ろしいんだぞ。ちなみに、ゾッコンとは「心の底からすっかり夢中になっているさま」らしい。
「ほざいてなさい。そんなわけで、五十嵐は私の手となり足となり動いてくれたのよ。だけど、そんな証拠なんて、この世に存在しない。今の私の発言も、仮に録音していたとしても、証拠にはならないわよ。死にかけのボンクラ探偵を元気づけるために、心根が優しい私が悪人を演じましたとか言えば済むものね。では、サヨナラ。永遠にね」
田中奈々は、この長セリフを言いながら、じわりじわりとドアに近づいていき、気づけばいなくなっていた。拘束できる理由がなかったので、別に構わない。ただ、拘束しないといけなかったとしても、逃げられたかもしれないと思えるほどの、鮮やかな去り際だった。
それでも、田中奈々が気持ち震えていたのは、私には見えた。それはそうだ。後ろめたい事がある者には、拭いきれない不安があるものなのだから。そして、私たちには、漠然とした希望がある。
これは、いよいよ、太郎丸の日記帳が鍵を握ってきたぞ。田中奈々が五十嵐の名前を出して、太郎丸のたの字も出さなかったのも気になるし。実の息子だから、犯罪に加担させたくなかったのかもしれないが。
ただ、太郎丸に何も言わなかったなら、空気を読まずに意図的ではないにしろ、じゃまをしかねない。太郎丸とは、そういうやつだ。母親なら痛いほどに理解しているだろう。だから、協力はさせなくても、説明はしている可能性が高い。
そう言えば……。最初に五十嵐の手に『神のゲンコツ』が渡ったくだりでは、太郎丸はまあまあ重要な役割を果たしている。犯行内容は説明はしないで、協力をさせている、だろうか。ということは、太郎丸の日記帳には証拠となりえる文言がないとなってしまう。
いやいや、説明も協力もさせている可能性はないだろうか。田中太郎の家で太郎丸の日記帳を読んだ時は、太郎丸が借りた『神のゲンコツ』を田中奈々に返すタイミングがなくて、五十嵐に渡したというような事が書いてあった。いくら返すタイミングがなかったからって、『神のゲンコツ』ほどの高価なものを、又借りならぬ又返しなんてするだろうか。一般常識からすると、するはずがない。そうするように、前もって田中奈々が伝えていたのだ。
そういう風にして、具体的な犯行の説明はしていなくても、太郎丸がやらなければならない事を、田中奈々は懇切丁寧に教えていた。きっと、そうだ。
よし、CTスキャンにかけるぞ。それで、何も書いてなかったり、スキャンできなかったなら、その時はその時だ。証拠をでっち上げてやる……。うそうそ。『神のゲンコツ』は戻ってきているし、田中太郎はケガ一つしていない。私への傷害罪に問われている田中太郎には、被害者の私が情状酌量を提案する予定だから、田中太郎はホテル王の称号を失うことはないだろう。その流れで、田中太郎も五十嵐の殺人未遂を大目に見るかもしれない。まあ、五十嵐は、警部補君と小林への暴行で刑務所行きは免れないだろうけど。
結論を言うと、田中奈々が黒幕だと立証できてもできなくても、田中奈々が刑務所に入ることはないだろう。田中太郎との離婚で得られる慰謝料に大きな差がでるのと、私たちに『ゾッコン奈々』というニックネームを付けられるか付けられない程度だ。いや、違うか。『ひまわり探偵社』の評判にも影響があるな。ということは、阿部君の機嫌が……。
これは、まいったぞ。やはり、証拠のでっちあげも視野に……。いや、それだけは、だめだ。名探偵だけでなく大怪盗としても失格の烙印を押されてしまう。世界中にいる私のチビっ子ファンに顔向けができなくなってしまうじゃないか。
ああー! 名案が浮かんだ。でっちあげはだめだけど、ハッタリなら問題ないぞ。むしろ、推奨されていると言っていいほどだ。そして、何より、ハッタリは私たちの超得意技だ。阿部君、約束通りに、活躍の場を提供してやるからな。




