田中奈々の化けの皮が剥がれる
「そう言えば、聞いた話ですけど、『神のゲンコツ』って何でも願いが叶うそうじゃないですか。普段なら、そんな子供だましの噂なんて一蹴したはずです。だけど、警察の取り調べや、ある程度自由に行動できる病院内とはいえ軟禁状態にされ、精神的に不安定になったのでしょう。元来、五十嵐は信じやすい純粋な心を持っているのも手伝い、例えどのような暴挙に出ても、『神のゲンコツ』がすべてを解決してくれると思ったのかもしれませんわ」
「ああー、そうですねそうですね。犯行内容は凶悪でも、きっかけとしては、その程度のものなのかもしれませんね。うん、五十嵐の単独犯で決まりかなー。背後に黒幕がいるだなんて、小説の読みすぎかもー」
「そうですわよ。顔に似合わず、読書をなさるんですね。人って、本当に、見かけによらないですわ。どんな小説よりも面白い顔をなされているのだから、鏡をずっと見てらした方が楽しい時間を過ごせますわよ」
こ、こいつ……。ほんの何日か前に初めて会ったばかりの他人に、なんでそんな真正面から悪口が言えるんだ? まして、建前上は田中太郎が私にケガを負わせたのを謝りにきたんだろ?
ははあー。大怪盗の私は、田中奈々の考えている事を盗むのなんて、朝飯前だった。私を怒らせて、本音を引き出させるつもりなのだ。そんな手に乗る私だと思うなよ。
と決めつけたところで、私の苛立ちは消えなかった。私が人間ができていないわけではないと思う。素直なだけだ。そして、そんな素直な私は、こんな時のために、きちんと八つ当たりされ係を用意……。あー、八つ当たりされ係の明智君がいない。
どどどどうしよう。あっ、明智君が無理なら、ナースコールをこれでもかと連打して憂さ晴らしを……。だめだ。マリ先生が田中奈々にメスを100本提供してしまう。そして、手術のミスで私が亡くなったことにされるだろう。
まずいぞ。あと一回でも私の悪口を言われると、私は暴言を吐きつつ、田中奈々を疑っている旨をペラペラと話してしまうかもしれない。これといった重要な証言を田中奈々から引き出せてはいないが、お引取り願おうか。
田中奈々の背中に向かって罵詈雑言を浴びせれば、なんとか心の平穏を取り戻せるだろう。もちろん口真似だけなので、効果は半減だ。明智君が戻ってきたら、何かしらの八つ当たりをすれば、完全なるいつもの紳士の私は復活しているのだ。
気持ち的には、いきなり「帰れー!」と言いたい。だけど、本来の紳士ぶりを前倒しで発揮して、体裁を保つためにも、少し疲れてきたことにするか。瀕死の状態から意識が戻って間もない私が、明らかに声を枯らしながら話しだしたら、いくら鈍感な田中奈々でも察するだろう。
察したとして、果たして素直に帰ってくれるのだろうか。事件に無関係なら、帰るのが人として当たり前だ。だけど、田中奈々は黒幕が確定している。私が疲れてるフリをしたなら、弱り目にたたり目を食らわせてやれとなるかもしれない。そのために来たと言っても過言ではないのだ。私の名推理では。
でも、私は私の超絶名推理を詳細には話していない……はず。少なくとも、田中奈々が黒幕だなんて、声には出さなかった。口パクはしてない自信はないが。
私が疑っているかどうかは、今のところ、田中奈々の中では多く見積もっても五分五分だろう。なのに、危険を冒してまで、私を亡き者にするだろうか。うーん、するかもしれないか。逆に言えば、少しでも疑われているなら、早めに手を打ちたい。ほぼ五十嵐の単独犯で落ち着いているはずだったのに、私がそうではないと言った時点で、田中奈々は虎視眈々モードだったかもしれないのだ。
だからって、監視カメラが血まなこで見つめている。田中奈々に策があるとは思えない。思えないが、ないとは言えない。
田中太郎に刺されたことで、私の臓器のいずれかには損傷がある。不死身の私でも、そこまで速く傷が完治はしていないからな。その辺りをさり気なくでも殴られたなら、それなりにダメージはあるだろう。最悪、傷が開き出血多量で死んでしまうかもしれない。なのに、体の表面にはほとんど跡が残らないだろう。田中奈々が疑われることは、まずない。これを、田中奈々が密かに考えていたなら、私が疲れてくるのを待っているかもしれないのだ。
うん、仮病を使って、田中奈々にお引取りを願うのはやめておくか。素直に時間も時間だからと言えば、帰ってくれると期待しよう。何気に、みんなが出ていってから、数時間は経っている。と言っても、私には今何時か全く分からないが。
あっ、もしかすると、そろそろ阿部君と明智君が帰ってくるかも……。と期待したところで、速攻、私は諦めた。あの二人は、私の期待を裏切ることに命を賭けている、と言ってもいい。
とはいえ、私は3、4日意識不明だった。あの二人なら、私への罵詈雑言がたくさん溜まっているはず。阿部君明智君、今日だけはおもいっきり罵詈雑言を聞いてやる。だから、病室のそのドアを豪快に開けて、田中奈々をビビらせてやってくれ。
と願ったまさにその時、奇跡が舞い降りた。ドアが壊れるほどの勢いで開いたのだ。いや、確かめてはいないが、要修復になっただろう。ドアの心配をしている場合ではないな。
阿部君は私を驚かせようとやったのは、私は知っている。ドアに恨みがあるわけではないのだ。しかし、阿部君の思惑は外れた。なぜなら、そうなるように切に願っていたので、私はさほど驚かなかったのだから。驚いたのは、田中奈々だ。
それは、そうだ。普通に立っていても驚いただろうに、私への何らかの悪巧みを練っていたのだ。勢い余って、私に向かって倒れ込んできた。
えっ! これに乗じて、私にとどめを刺すのが容易になったじゃないか。阿部君のバカヤロー!
と、そのバカヤローの阿部君が、火に油を注ぐ。
「リーダー、田中奈々が犯人となりうる証拠はありませんでしたよー。本当に田中奈々が黒幕なんですか?」
「やっぱり私を疑ってたのねー!」の声とともに、田中奈々はハンドバッグから何らかの毒物ではなく、小さなナイフを取り出した。
こ、こいつ、バカなのか。阿部君は、証拠がないと言ったんだぞ。なのに、私を殺そうとしたなら、田中太郎の件は罪を免れても、私への傷害もしくは殺人で裁かれると分からないのだろうか。
他人の心配よりも、我が身を守らなくては。私はケガで痛む体にムチを打ち……。
だめだ。今にも殺されそうなのに、力が全く入らない。火事場のバカ力も休眠中のようだ。おそらくだけど、痛み止めとして点滴に鎮痛剤の成分が入れられているのだ。もちろん、正規の治療としての。田中奈々には入れる余裕なんてなかったし。
と、現状を解説している場合ではない。ないが、私にはもうどうしようもない。せめてもの救いとして、鎮痛剤の効果で刺されても、さほど痛くないだろう。これで、苦しんで死ぬという最悪の終わり方だけは、回避できそうだ。鎮痛剤さえなかったなら、いくらかでも体を動かせて抵抗できたのになー。なんて考えないようにしよう。
そろそろ、私の走馬灯に電源が入るのだろう。走馬灯って、物心付いた頃から始まり、どんどんと最近の記憶に近づいていくのだろうか。それとも、今から遡って色々と思い出すのだろうか。すごく気になるが、もう少しで分かるから、悩む必要はないな。
最後に明智君にお別れを言いたかったが……。そうだ! 明智君のスピードなら、田中奈々を止めることができるかもしれない。
私は、つぶっていた目を開け、阿部君が開けたままの病室の入り口を見た。まず目に入ったのは、大爆笑している阿部君だ。ドアを豪快に開けることだけで満足して、中を見ていないのだ。同様の理由で、明智君はマリ先生と楽しそうに笑っていた。なぜマリ先生が阿部君明智君と一緒なのかは、考える余裕なんてない。考えたから、どうなんだって感じだし。もう私を救ってくれる人はいない。ハハッ。
最後に明智君の笑顔を見られて良かった。これで、心置きなく天国に行けるというものだ。
私はゆっくりと目を閉じた。




