部下のやる気を引き出すのも、リーダーの大事な仕事
五十嵐の追跡は明智君と小林に完全に任せて、私と阿部君は二人に置いていかれないようにしながらも、『神のゲンコツ』盗難事件の推理を始めた。もちろん阿部君主導だ。といっても、あまりに簡単なので、ただの答え合わせだけどな。
「じゃあ、ひまわり警視の意見を聞かせてもらおうか」
「巡査のリーダー、そんな言葉遣いでいいんですか? 巡査部長が遠のきますよ」
阿部君はどうしてこうも強気になれるのだろうか。自信を裏打ちする何かなんて全くないだろうに。単純に羨ましいが、聞くに聞けない。とりあえずご機嫌取りはやっておくか。
「ひまわり警視総監候補生の意見を、ぜひ賜りやがってくれてもらいあげまつってください」
「まあまあだけど、妥協してあげましょう。では、私の名推理を拝聴してくださいね。まずは、一番最初に『神のゲンコツ』に手を触れたのは誰かを教えてあげましょう。いわゆる、金庫から盗った人物ですね。いいですか? 息を呑みましたか? 驚いて卒倒しないでくださいよ」
えっ? これはフリなのだろうか。阿部君が犯人の名前を挙げたら、驚いてひっくり返れよと。いやいや、そんなコントのようなことをしていたら、明智君に何をされるか分からないぞ。明智君は人生で一番といっていいほどに真剣に仕事をしているというのに。だけど、阿部君の機嫌を損ねるのは危険極まりないし。
……。私は、これでもかというほどに息を呑んだ。空気を吸い込みすぎて、少し浮いているような感覚に陥るほどに。うん、阿部君はご満悦だ。卒倒しなくても大丈夫そうだぞ。
声を出すと、せっかく吸い込んだ空気を全部出してしまう恐れがある。なので、準備完了の意味で、私は右手の親指を上げた。阿部君は気持ちがっかりしている。私に、空気を出しながら風船のように飛んで行って欲しかったのだろうか。それとも、推理を披露する時がいよいよ来てしまったからか。
少なくとも私は失敗を犯していないのだから、責められる材料はないはず。白々しい卒倒をする気はないが、これだけ息を呑んでいるのを阿部君は目の当たりにした。うん、大丈夫だ。それよりも、早く答えを言っておくれ、阿部君。呼吸ができなくて苦しくなってきたじゃないか。
「では……。『神のゲンコツ』を金庫から持ち出したのはー……準備はいいですか?」
チッ……。一応作り笑顔で、私は再度右手の親指を上げた。
「トゥニャギャニャニャ……」と、阿部君はぎりぎり聞こえないように言った。
もっとはっきり言いやがれ。私をバカにする時のような、しっかりした大声で。私は、聞こえなかったの意味を表すために、わざとらしく両手を両耳に当てた。今度は作り笑顔までは作れなかった。余裕がないからだ。そんな私はどんな顔をしているのだろうか。普通の神経の人なら心配してくれるだろう。だけど、人でなしの阿部君ならツボにはまるかもしれない。そうなったら、もう終わりだ。阿部君が落ち着くまで息を止めるなんて不可能だからな。
しかし、阿部君は私の顔を見て笑わなかった。気を使ったわけではない。自分の推理に自信がないから、私の顔に注視する余裕がないのだ。そして、今度はなんとか聞き取れるほどの声で、なぜか逆ギレしながら答えた。
「た・な・か・な・な・ですっ!」
ふうー。呼吸をできる事と阿部君が正解だった事の、二つの安堵があった。阿部君が当てるかどうかは、本当のところを言うと2対8だったからな。もちろん、2は……。言う必要はないな。阿部君と会話をしないと、無視してると因縁をつけてくる。
「その心は?」
「太郎丸は金庫に鍵が掛かっていると信じていたし、手順を踏んで借りるつもりでした。焦ってはいたようですけどね。だけど、金庫を破る技術はもちろん度胸もない。できることと言えば、ママの田中奈々に相談することくらいです。相談と言っても、パパの田中太郎に口添えしてくれないかと、だったとは思いますけど。そして、田中奈々は簡単に持ってきてくれた。これだけだと、田中奈々が田中太郎に頼んで手に入れたとも考えられます。だけど、そんな正当に太郎丸に渡っていたなら、田中太郎が警察に言ってくるわけないですよね。田中奈々は田中太郎に無断で『神のゲンコツ』を持ち出したのは明らかです。金庫にかかわらずありとあらゆるものに田中太郎は鍵をしないのを、妻の田中奈々なら知っていて当然ですし。なので、絶対の絶対に、事件のきっかけは、田中奈々ですっ!」
私が反対しなかったら、やけに流暢に長々と話したな。太郎丸の日記という分かりやすい証拠があっても、やはり不安が大きかったようだ。まさか、イチかバチかで田中奈々と言ったわけでは……。
答えも理由も当たっているから、褒めておくか。自信に繋がるからな。
「なかなかやるじゃないか」
「ああっ!」
ちょっと当たったからって、ここまで強気になれるなんて。本当に阿部君が羨ましいぞ。
「素晴らしい推理でございますですねん」
「ふんっ! こんなの、田中太郎の屋敷に着いてすぐに分かったわよ」
お、おい、何もそんなハッタリまで……。さては、どこかの有名な探偵の決め台詞のようなものを言いたくてうずうずしていたんだな。こんな序の口の序の口で使うセリフではないのに。それは事件がすべて解決した時に言ってこそ効果があるんだぞ、阿部君。調子に乗るのもいいが、その果てしなく高くなった鼻を少しだけ削っておくか。あくまでも阿部君のためだからな。からかってバカにして日頃の恨みを晴らしたいとかではないぞ。
「田中太郎の屋敷に着いてすぐになんて、どういうきっかけなんだい?」
「企業秘密です。では、続きはリーダー巡査が推理しなさい」
「えっ! まだ始まったばっかりじゃ」
「どの口が言ってるの、巡査部長候補のリーダー?」
ううっ……。どうやら調子に乗ったのは、私のようだな。気持ちの良い爽やかな相槌だけしておけば……いや、どちらにしても、阿部君の推理ではここまでが限界だっただろう。まあ成長した方だな。そんなの誰でも分かるじゃないかなんて言うバカはいないよな? 阿部君を怒らせたら、夜道を歩くのがしばらく恐怖だぞ、とだけ忠告しておこう。
では、この簡単な……じゃなくて、摩訶不思議な出来事の推理を引き継ぐか。もう既に分かっている人は、分かっていないフリをして聞いておくれ。分かっていない人には……私と阿部君から本当に感謝を捧げるぞ。
「田中奈々から太郎丸までの『神のゲンコツ』の足取りは、私も同意見だ。複雑な推理をしないといけないのは、ここからだな。本当に私が発表してもいいのかい?」
「はいっ!」
あ、阿部君……。なんて気持ちの良い返事をするんだ。分かっていないと言っているようなものだけど、いじめるのはやめておこう。私は優しく尊敬されるリーダーだからな。仕返しが……。
「では……どこからだったかな。えーっと、あーそうそう、『神のゲンコツ』は太郎丸に渡ったんだったな。友だちもどきたちに見せ終わった太郎丸は、田中太郎に気づかれないためにも、できるだけ速やかに返したかった。といっても、どこにどう戻していいか分からない。方法は田中奈々に渡すだけだ。だけど、そんな時に限って、田中奈々に渡すタイミングがない。焦った太郎丸は藁にもすがる思いで、五十嵐に頼む。太郎丸の日記を信じるなら、五十嵐に渡ったのは確実だ。あとは、阿部君がマッサージチェアーの上で見つけるまでの足取りだな。一応言っておくと、五十嵐の日記帳なんて探さないぞ、阿部君」
「えっ! …………」
「あ、阿部君? 五十嵐の日記帳なんて探さないからな」
「そそそそんなの分かってますよ。五十嵐の家が分からないんだから」
「いや……まあ、そういう理由でもいいか。私だったら、五十嵐が日記をつけるなんて、まずないと……」
「そんな偏見を持っていたら、柔軟な思考から遠ざかりますよ」
「まあ、日記なんて見なくとも簡単に想像はつくから、柔軟な思考の持ち主の阿部君、この後を引き継いでくれるかい?」
「はあっ! リーダーは、ただ太郎丸から五十嵐に渡ったことしか言ってないじゃないですか。そんなの、太郎丸の日記に書いてある事をなぞっただけですよ。たまには、探偵らしく頭を働かせないと、さらにボケますよ。当たってるかどうか私が判定してあげるし、なんならアドバイスもしてあげるので、そのサビだらけの脳細胞に油を差してください」
阿部君だって、田中奈々から太郎丸へ渡ったことまでしか言ってないじゃないか。と、声は出さずに口真似だけしてやった。もちろん阿部君からは見えないようにだ。よし、すっきりしたぞ。改めて推理してみるか。
太郎丸から五十嵐まで渡ったところまでは、まず間違いない。後は、五十嵐の手からマッサージチェアーの上に行くまでの過程を推理すればいいだけだ。簡単と言えば簡単だ。仮に間違ったとしても、だから何だというレベルのどうでもいいことだ。
なのに、阿部君は拒否をした。五十嵐を問い詰めて答え合わせをした時に、違っていたら困るからか。いや、阿部君なら、導き出した答えを、脅しと暴力で正解にすることだって十分可能だ。うーん、阿部君の真意が分からない。
『神のゲンコツ』がマッサージチェアーの上にあったことなんて、なんかどうでもよくなってきた。それくらいに阿部君の真意が気になる。よし、まずは、阿部君の真意を推理して謎を解いてみよう。『神のゲンコツ』なんて後回しでいい。
前提条件として、阿部君は正直者だ。嘘をつくにしても、負け惜しみか顔に嘘と書いてあるかだ。推理ショーに前向きなら、自分では解決できないと悟ってしまったのを気づかれたくない、というのが見え見えなはず。なのに、今回は、解決できないというのを気づかれようがどうでもいいという感じだ。ということは、お気に入りの推理ショーに、今回に限っては前向きではない。推理ショーが開かれるような事件ではなかったからだろうか。だけど、その代わりに、さっき予定していた深夜の『実録、ひまわり警視の本格取り調べで犯人が完落ち』の開催に前向きだったじゃないか。
ああ、そうか。警部補君傷害事件で取り調べがなくなったばかりか、最も懲らしめたかった五十嵐がいないんじゃ張り合いがない。明智君と違って、警部補君に何の思い入れもないから、弔い合戦に全く興味がないし。
そこで、ふと、本日の戦利品を思い出した。今の阿部君は、田中太郎の家から奪った札束を数えたくてうずうずしているのだろう。もしくは、一人で持ち帰った阿部君ママが独り占めしないかやきもきだな。阿部君ママはお金に困っていないどころか、むしろ余裕がある方だけど。お金はあって困るものではないというのが、人間の根底にあるからな。
どうしようか。阿部君だけを離脱させるのも一つの手だな。今となっては、何をしでかすか分からない五十嵐を相手に油断していると、思いがけない事故やケガをしかねない。本人もだけど周囲も危険だ。よし、阿部君、帰っていいぞ。
いや、だめだ。明智君が五十嵐を叩きのめさないとは限らないのだ。怒り狂った明智君を、私と小林の二人でとめられるかと言えば、はっきり言って、自信を持って、自信がないと言わせてもらおう。だけど、阿部君を含めた3人がかりというか、阿部君一人で明智君を止めることはできる。阿部君には、いてもらわないといけないようだ。
ただ、どうすれば、阿部君が前向きに捜査に取り組んでくれるのだろうか。あれだけの大金を手に入れた後では、お金で釣るのは不可能だし。『推理ショー』も「実録、ひまわり警視の本格取り調べで犯人が完落ち』も、今さら意味がない。五十嵐で犯人確定だからな。私たちが捕まえた時点で、最低でも公務執行妨害の現行犯逮捕が成立するだろうし。
ああー! 阿部君好みの楽しげな仕事が残ってるじゃないか。それは、犯人確保だ。明智君と私で五十嵐を逃げられないようにして、阿部君が手錠をかける。決め台詞の「お前には黙秘権がある。そして、今からお前が話す内容はすべて証拠として扱われる」とか何とかにオリジナルでいろいろ付け足したものを、阿部君が嬉々として話している様が目に浮かんだ。阿部君、いや、ひまわり警視、犯人確保だぞ!




