明智君の決意
トラゾウと入れ替わりに、小林がやって来た。頭には包帯を巻いている。はっきり言って痛々しい。それでも医師からの許可は下りたのだろう。少なくとも絶対安静ではないのだから、私は止めもしないし休めとも言わない。心配も同情もしない。いつも通りに接するだけだ。小林も役に立つ自信があるから、捜査を続けるのだ。
「リーダーさん、油断してすいません」
「終わったことだ。それよりも、何か分かったか?」
「はい。容疑者3人のうち、田中奈々と太郎丸はいましたが、五十嵐がいません」
「そうか。犯人は五十嵐で決まりだろう。バカな奴だ。逃げ切れると思っているのだろうか。盗難事件だけだったなら、『神のゲンコツ』があったのだから、単なる田中太郎の勘違いで済んだものを。しかし、どうしてだ? どうして、そこまでして『神のゲンコツ』を……」
「それは、願いが一つだけ叶うというのを知ったからだと思います」
「願い?」
「はい」
「そんなものは、眉唾ものじゃないのか?」
「普通は信じないでしょうね」
「だったら……」
「信じるに足る理由というか、実例を目にしたのでしょう。田中太郎があまりに躍起になって探しているから、ちょっとした暇つぶしにネットか何かで調べたのかもしれません。半強制的にここに連れてきたとはいえ、好きなものを好きなだけ持ってきていいことになっていたので。ただ待機しているだけなので、本当に暇ですし」
「それでも、小林が『神のゲンコツ』を持っていたことなんて知らないだろ」
「想像ですけど、田中奈々から聞いたのでしょう。それぞれに個室を割り当ててますけど、携帯電話でいくらでも話せますからね。田中奈々に悪意はなかったと思いますけど。まさか五十嵐が警察官から強奪するなんて普通は考えないので、なんともなしに会話の流れで話してしまったのでしょう」
容疑者たちを隔離した主な目的は、田中太郎の自作自演の可能性を見極めるためだった。表向きは。怪盗のミッションをやりやすくするためだなんて、間違っても言えない。『神のゲンコツ』も見つかっていたから、事件にできるようなものでもなかったし。だから、容疑者3人が2人もしくは3人で口裏を合わせようが知ったことではない、と思っていたが。我々怪盗団にも責任があるのかもな。なんとしてでも五十嵐を捕まえてやる。警部補君のためにも。
「あれ? どうして警部補君は襲われたんだ。『神のゲンコツ』は小林が持っていたことも、田中奈々から聞き出したはずだろ。警部補君と小林を間違ったとは……いくらなんでもないな」
「そ、それは……オブラートに包んで言わせてもらうと、五十嵐が警部補君に良い印象を持ってなかったんだと思われます」
「安楽椅子探偵をずっと演じていたのが、気楽すぎて鼻についたのか? 分からなくもないが、それはお門違いというものだろ」
「いえ、それならオブラートに包むまでもなかったんですけど。じゃあ、率直に言わせてもらうと、五十嵐は警部補君に殺意を持ってました。本気度までは分かりかねましたけど。それでも、警察官を襲うなんて……」
「『神のゲンコツ』への執着心がそうさせたのかもな。だけど、分からない。警部補君に殺意を持つ者が、この世にいるなんて。バカで役立たずで怠け者で目障りで空気を読めないしイラつくしムカつくしどうしようもない奴だけど、どこか憎めないところも無きにしもあらずなんだぞ」
「そ、そうですね……。あと、警部補君は、知ってのとおり、人懐っこいじゃないですか」
「ああ、そういう面もあったな。それで?」
「それで、その人懐っこさから、気さくに五十嵐に話しかけたんです。満面の笑顔で『明智君の誕生日ケーキを作ってくれないか』と。冗談ぽく『作ってくれるなら、取り調べで便宜を図ってあげるよ』と付け加えて」
「お気楽な警部補君が、いっちょ前に取り引きをしてきたのが、よっぽど頭にきたのだな。半強制的に軟禁状態にされて沸点が低かったのもあるのだろう」
「いえいえ、それは、まだ始まりで。すかさず、警部補君に対して、五十嵐が『なんで俺が犬なんかのために手を煩わせないといけないんだっ!』と言い放ったんです。すると、警部補君が烈火の如く怒り狂ってしまって。といっても、手は出さなかったですよ、もちろん。『お前みたいな差別主義者がいるから、たくさんの生き物たちがいわれのない不幸に襲われるんだっ! 明智君の爪の垢をもりもり食べやがれ!』と、怒りか素なのか、斬新で豪快なことわざまで言い放ったんです。あんな警部補君を初めて見ましたよ。結局、五十嵐には手を出さなかったけど、怒り狂って壁に穴を開けましたから。それで、五十嵐が、みんなの前で漏らしてしまったんです」
「なるほど。逆恨みのようなものか。案外、五十嵐のような奴は、そういう辱めが最も堪えるんだろうな。だけど、本当に壁に穴を?」
「はい。あっ、でも大丈夫です。『後できちんと弁償するから、警視長には黙っておいてよー』と言ってました。そこは、警部補君らしかったですね」
私と明智君が思わせぶりに見つめると、警視長は分かりやすく耳に手を当ててくれた。警部補君、感謝しろよ。こんな大きな貸しなんだから、100回くらいは八つ当たりをしても我慢するんだぞ。
「うん? なんだい、明智君?」
明智君が、私のズボンの裾を引っ張ってから、阿部君に向かって「ワンワワンワオンワワンワン」と話しかけた。阿部君がすぐさま通訳してくれる。
「何か五十嵐の匂いのついた物を持ってきて、と」
五十嵐が使っていた病室に私が行こうとすると、小林が何も言わず走り出した。頭にケガをしてるんだからと言わせる隙もない。いや、これでいいのだ。普段通りに扱うと決めたのだから、私は小林に託す。
小林を待つ間に、明智君に大事な話をしておくか。明智君はいたって冷静に見えるが、五十嵐を捕らえたならどうするだろうか。少なくとも、警部補君が食らった以上の暴力を与えるだろう。明智君と警部補君の仲を考えたら、まず間違いない。明智君は人間の法律では裁かれないし。だけど、警部補君が悲しむ。
警部補君、またしても感謝するんだぞ。
「明智君、五十嵐を捕まえても、絶対に手を出してはいけないよ」
「……」
「明智君っ!」
「……」
「警部補君は手を出さなかった。あいつがどれだけ耐えたかを理解しておくれ」
「ワ……ン……」
よし、明智君は大丈夫だ。といっても、偶発的な事故に見せかけて軽い暴力は振るうだろう。全治1週間までの範囲で留めるんだぞ、明智君。
まだ時間はあるから、阿部君にも大事な話をしておくか。五十嵐に暴力を振るわないように、ではない。阿部君と警部補君はそこまで仲が良いわけではないから、その心配はない。例えそうでも、阿部君は人間の法律で裁かれるのだから、自重してくれる。大事な話とは、『神のゲンコツ』がマッサージチェアーに至った経緯の答え合わせだ。太郎丸の日記から想像は容易だからな。
「阿部君、太郎丸の日記から大方推測はできているだろ?」
「えっ! いきなり、なんですか?」
「この『神のゲンコツ』盗難事件は、第二幕に入ってしまったようなものだろ? だったら、第一幕の金庫からマッサージチェアーに至るまでに答えを出して、けじめをつけておくべきだと思うんだよ」
「あー、確かに。では、聞いてあげるので、発表してみてください」
「いや、阿部君の考えを聞いてみたい。この前の事件では、私が先に話したのだから、今回は阿部君からでいいんじゃないか?」
「何を言ってるんですか。前回、それで事件が解決したのなら、験を担いで、今回もリーダーから話せばいいんですよ」
「推理に、験担ぎも何もない。いや、むしろ、験担ぎなんて非論理的なことを重要視していたら、論理的に犯人にたどり着けなくなる恐れもあるぞ」
「うー、リーダーのくせに……。あっ、そうだ。私は警視で、リーダーは巡査なんですよ。巡査が警視に逆らってもいいんですか? 言葉遣いも、ちょっと違うような」
「あ、阿部君、なんて卑怯なんだ……。あっ、そうだ。ひまわり警視、警視の鮮やかな推理を聞かせてください。明智君警視は、自ら先頭に立って、これから五十嵐を追い込もうとしています。明智君警視がそこまでやってくれても、五十嵐はしらを切るかもしれないです。そんな時に、ひまわり警視の論理的な推理で追い込んで、自白に追い込みましょう」
「自白させるためには、暴力という伝家の宝刀がありますよ」
「だめだっ! 警部補君は、暴力を嫌っているんだ。警部補君をがっかりさせないためにも、正当防衛以外の暴力は絶対に許さない。阿部君、今回だけでいい。警部補君の意思を尊重してくれないか? 私と明智君のお願いだ」
「分かりましたよ。その代わり、事件が解決した暁には、豪華なパーティーですからね。なにせ、資金が豊富にあるんだから」
「えっ! いや、それとこれとは……」
「はい、決まりー!」
まあ、いいか。田中太郎からたくさんの札束を手に入れるのに成功したのだから、どのみち祝勝会は開催されたのだ。それに、今回は阿部君ママも参加するだろう。上手くいけば、阿部君ママが阿部君の横暴を諭してくれるかもしれない。悪く出れば、阿部君と阿部君ママの二人がかりの説教だけど……。
最悪を想定しておくか。儚い希望を持っていると、余計に辛く感じるからな。しかし、どうして酔っ払うと説教をしたくなるのだろうか。祝勝会なのだから素直に楽しめばいいものを。考えるだけ無駄だったな。理不尽が普段から染み付いている阿部君一家のことなんて。
ちょうど小林が戻ってきたことだし、阿部君の推理は、明智君が五十嵐を追跡しているのを追跡しながら聞かせてもらうか。明智君に任せておけば間違いはないのだから、どうせ私たちは手持ち無沙汰だ。いい暇つぶしになるというものだな。
しかし、小林にしては時間がかかったな。五十嵐の野郎は追われるのを承知して痕跡を残さないようにしていたのだろうか。もしそうなら、明智君だけでは五十嵐にたどり着けないぞ。街中にある監視カメラのデータを洗うのを覚悟しておかないとだめかもしれない。時間がかかってしまう。阿部君が、飽きるか祝勝会が待ちきれなくなって暴れだしかねない。絶体絶命だ。
いや、神が私を見捨てるはずがないじゃないか。小林は手に何か持っていた。汚い物を持つかのように、親指と人差し指でつまみ、さらに少しでも体から離すようにしている。時間がかかったのは、素手で持ちたくなくて、何かマジックハンドかトングのようなものを探していたのかもしれないな。それは見つからなかったようだけど、五十嵐の置き土産はあったようだ。よし、阿部君が飽きる前に五十嵐を確保してやる。
「小林、それは何だ?」
「五十嵐のズボンです。ゴミ箱に捨ててありました。漏らしたから、もう履く気にならなかったんでしょうね。パンツもありましたが、ズボンで良かったですよね?」
「あ、明智君、返事をしなさい」
「…………」
「明智君は否定をしなかったから、ズボンで正解だったと思うぞ。でも、もし、パンツを持ってきていたら、小林も緊急手術だったかもな。脅しとか冗談ではないぞ。それよりも時間が惜しい。早く明智君に嗅がせてあげろ」
「は、はい。では、明智君、あっ、明智君警視、いえ、名犬あけっちー、お願いします」
明智君は動かない。動けないのかもしれない。むりやり押すのは、私の身に危険が及ぶ。しかし、時間が。私は訴えるように阿部君を見た。祝勝会が待ち遠しい阿部君は、すぐさま行動に移す。
まずは、私を明智君の背後に誘導して、「お前は壁だ」と暗示にかけるように耳打ちした。これで明智君は下がれなくなった。次に、明智君の鼻っ面に五十嵐のズボンを持っていくように、小林に耳打ちだ。小林が恩人の阿部君の命令に背くはずがない。阿部君は仁王立ちで監視しているのだから、明智君が力づくで逃げられるはずもない。それに、この案を出したのは、当の明智君なのだ。ハンカチか何かをイメージしていただろうけど。
私は壁に徹していたので、明智君の勇気を知らない。気づけば、明智君は涙目でえずいていた。明智君、五十嵐に対して全治1週間までなら寛容しようと思っていたけど、全治1ヶ月くらいなら黙認しようじゃないか。
私はすぐさま、五十嵐のズボンを捨ててくるように小林に命令した。小林は頭のケガも忘れ猛ダッシュだ。病院内なので、忍者並みに静かに走る。
小林が戻ってくるまで、私は明智君の背中を優しくさすってあげた。阿部君は、何やらブツブツ独り言だ。おそらく、『神のゲンコツ』が金庫からマッサージチェアーに至った経緯を考えているのだろう。そっとしておくか。
小林が戻ってきた頃には、明智君は完全に回復していた。いや、回復どころか、やる気に満ち溢れていると言った方がいいだろう。五十嵐よ、例え地の果てにいようとも、私たちからは逃げられない。明智君を先頭に、小林が続き、その後を私と阿部君が続いて病院を出発した。警視長は、警部補君を見守るのと残された田中奈々及び太郎丸監視のために、病院に残った。トラゾウは、主に入院している子どもたちを安心させてあげるために、病院に残った。
警視長とトラゾウがいれば、この病院でこれ以上は事件は起こらない。そして、直接は何もできないかもしれないが、警部補君の手術だって必ず成功するはず。そう思わせる二人だ。なので、私たちは安心して捜査に取り組める。




