1-5
アンドリオンと共にアリアドネの部屋を探ることになったが、セレネーは気まずさからじっとり額に汗を滲ませていた。流石に女性の、しかも巫女の部屋を勝手に漁るわけにはいかないからと、アンドリオンが燭台を持ってセレネーの後ろから手元を照らしている。
もう少し離れて欲しいのだが、そうすると手元に明かりが届かない。普段からあまり他人と近い距離で接したことのなかったセレネーは、落ち着かない時間が続いて気が休まらなかった。
「どうだ、何か見つかりそうか?」
時折近い距離から掛けられる声に、ひゅっと息を呑んで肩を揺らす。先程からずっと耳先が熱く、一本の蝋燭の明かりしか無いことに安堵した。
「まだ、これといって何も」
「そうか。窓が開けられればもう少し探しやすそうなんだけどな」
首の後ろを掻きながらぼやくアンドリオンの手に合わせて、蝋燭の頼りない光がゆらゆらと揺れる。
「本棚ならあなたも一緒に探せるんじゃない?」
「うーん、そうだな。まあ本棚ならいいか」
セレネーはほっと息を吐き、アリアドネの大きな本棚へと移動した。
「じゃあ、俺は右から探すから、セレネーは左側から頼む」
「えっ? ええ」
突然名前を呼ばれたことで、セレネーは驚き目を丸くした。神殿女の呼び掛けは蔑みの色を含むが、なんの衒いもなく呼ぶ人はいなかった。アリアドネやアレクシスのそれは柔らかく慈愛に満ちているし、侍女は月の巫女様としか呼びかけない。それは護衛官や他の役職者も同じであった。エヴァだけはセレネー様と呼ぶが、なんとも平坦で特別な響きはない。
ややセレネーの方に寄せて蝋燭を持ったアンドリオンは、見えづらそうにしながら本棚の右端を探っている。蝋燭から立ち上る油の匂いが鼻につき、セレネーは落ち着かない気持ちで本棚へ手を伸ばした。
しばらく本を出したりぱらぱらと中を開いてみたりしていると、見た目より少し軽い物を見つけた。首を傾げたセレネーは、何となくそれを耳元で振ってみる。微かにかたかたと何かが揺れるような音が響き、手には小さな振動が伝わってきた。
「どうした?」
アンドリオンに声を掛けられ、セレネーはその本を掲げた。
「何かが入ってるみたい」
「開けてみるか」
セレネーはアンドリオンの持つ蝋燭の火を頼りに、本を開けようと手を掛けた。その瞬間、ゴゴゴと小さく地鳴りの音が響く。思わず本を胸元に抱え、アンドリオンを見上げた。
「落ち着いて、しゃがむんだ」
アンドリオンに従いしゃがみ込もうとした刹那、地面がぐらぐらと揺れ始めた。突然の揺れに戸惑っている内に、アンドリオンに頭を抑えられた。
「そのまま揺れが収まるまでじっとしてろよ。危ないから火を消すが、慌てるな」
セレネーは小さく頷き、本を抱えて蹲った。
早鐘を打つ心臓の音が耳障りで、本を抱えた腕に力が籠もる。どれくらいそうしていたのだろうか。アンドリオンにそっと肩を叩かれ、暗がりの中でゆっくりと顔を上げた。
「収まったみたいだな」
汗ばむ掌で本を抱えたまま、セレネーはこくりと頷き返した。
「近頃多くなったな」
「……そうね。厄災のせいかしら?」
一瞬空気が震え、アンドリオンが立ち上がった。
「今の揺れで誰か様子を見に来るかも知れない。早々に戻ったほうがいいな」
セレネーは薄暗い室内を見回すと、いくつかの本が床に散らばっていた。一つも当たらなかったことを不思議に思うが、アンドリオンが庇ってくれたのだと今更気付いた。礼を言うために顔を上げようとすると、目の前に手を差し出された。
「ほら、立てるか?」
セレネーは驚きに目を瞠り、おずおずと手を伸ばした。なかなか届かない手をぐっと握られ、力強く引き上げられる。
「……ありがとう」
アンドリオンは頷き、すぐにアリアドネの部屋の出口へ足を向けた。小さく扉を開き、そっと回廊を見回す。振り向いてセレネーに合図を送り、扉を大きく開いた。
セレネーは扉を潜り、自分の部屋へ真っ直ぐ進む。部屋の扉の前までくれば、誰かに会っても不自然ではないだろう。そう思ったところで抱えた本が目に入り、あっと小さく声を上げた。
「くくっ」
思わずと言った風に響いた笑い声に、セレネーは声の主を睨んだ。
「悪い悪い、怒るなよ。その本もこの間の麻布に包むか、その下にでも入れておけば大丈夫だろ」
自分の不安を見透かされて、セレネーは思わずムッとした表情を浮かべた。とは言え、これ以上不満を示せば益々子供っぽいと笑われそうだ。
相変わらず口の端に笑みを浮かべたアンドリオンを一度見上げ、開けられた扉を黙って潜り抜けた。
「エヴァが戻ってきたら合図を送るか?」
セレネーは少しだけ考える素振りをするが、すぐに頷いた。
「お願い」
セレネーの返事を聞いて、アンドリオンは「了解」と答えてそっと扉を閉じた。
エヴァが戻ってくるまでに中を確認してしまおうと、書き物机の椅子に座る。机の上に置いた本を、角度を変えながらじっくり眺めた。外から見ると、他の本と違って箱のようなものに収められている。
そもそもこの国では本自体が珍しく、神殿の中でもアリアドネと神殿長の部屋、そして地下にある立入禁止の書庫にしか置かれていない。随分昔に沢山の本が処分されたらしいが、詳しいことはセレネーにはわからない。それらの本も裸のままで、すぐにページを捲れる仕様だ。それがこの本は四角い箱に、背表紙だけが見えるように入れられていた。
首を捻りながら背表紙を下にして、書き物机に向かって上下に振ってみる。カタカタと音を響かせながら、少しずつ本が出てきた。出てきた部分に指をかけてそっと引き出すと、中身も一見すると普通の本だった。
掌の汗を一度服で拭い、本の表紙を開いてみる。特に変わった様子はないが、どんどん飛ばして半ばに届いたところでセレネーは手を止めた。
そこだけ真ん中をくり抜かれ、小さな箱が埋め込まれていた。アリアドネの秘密に触れることに、少しの罪悪感と喜びが同時に押し寄せる。大きく深呼吸をしてから箱を取り出し、そっと中を検めた。
出てきたのは、見たことのない石の付いたペンダントだ。裏を見ると、紋章のようなものが刻まれている。
「この紋章は……」
陽の光に当ててじっくり見ていると、扉を叩く不規則な音が響いてきた。セレネーは一瞬首を傾げるが、慌てて本を引き出しの中に仕舞った。ペンダントは腰に吊るした巾着にそっと隠す。
「よう、エヴァ。月の巫女様なら大人しく部屋にいるぜ」
アンドリオンの声が聞こえ、セレネーはほっと息を吐いた。やはり先程のおかしな音は、アンドリオンの合図だったようだ。今度は規則的な音が響き、返事をすればエヴァが音もなく扉を開いた。
「セレネー様、お変わりありませんか?」
エヴァの言葉にセレネーの心臓が飛び跳ねる。背中を冷たい汗が流れ、視線をそわそわと彷徨わせた。
「……先ほど揺れがありましたが」
「あ、ああっ! そっちのことね」
余り表情を変えないエヴァが、ほんの少し目を見開いた気がするが、セレネーが慌てているせいかもしれない。
「えっと、大丈夫! ここのところ頻繁になってきたし、もう慣れたわ」
「……」
ふとアンドリオンに助けられたことを思い出し、セレネーの頬がほんのり赤く染まる。しかし、ペンダントのことを思い出し、今度は青くなる。
「お顔の色が優れませんが」
ほんの少し怪訝な声音で尋ねたエヴァに、セレネーは首を振って「なんでもないわ、大丈夫」と必死に取り繕った。
どうにか誤魔化せたはずだが、その後もずっと巾着の中のペンダントが気になって仕方ない。とは言え、エヴァの前でそれを出すわけにもいかず、なんとももどかしい気持ちで夜までの時間を過ごした。
ようやく夜になると、「おやすみなさいませ」と丁寧にあいさつをしたエヴァが部屋をあとにする。
出ていくエヴァを見送り、セレネーはほっとため息をこぼした。あれからずっと考えていたのだが、ペンダントの紋章をどこかで見たような気がする。
寝台に横になって目を瞑ると、ふと幼い頃の記憶が頭を掠めた。慌てて寝台から飛び降りて、巾着の中のペンダントを取り出した。見れば見るほどその紋章と似ている気がして、落ち着かない気分になる。
夜に出歩くのは気が引けるが、あそこに行くなら今しかない。昼間は人目があるが、この時間なら暗闇に紛れて辿り着けるはずだ。子供の頃もそうしてアリアドネと忍び込んだのだから。
扉の外にアンドリオンがいても、昼間のように手伝ってくれるかも知れない。そんな淡い期待を抱いて扉をそっと開くと、そこにアンドリオンの姿は無かった。少しだけ気落ちして、なぜ自分がそんな気分になるのか不思議に思い首を傾げた。
気を取り直したセレネーは、今度こそ火口箱と火打ち石を巾着にしまい、蝋燭を片手に回廊に足を踏み出した。途端に扉横の影に気付いてギョッとする。
開いた扉横の壁に寄りかかり、一人の護衛の男が座り込んでいた。腕を組んで微かな寝息を立てている。セレネーは呆れたように見下ろすが、すぐに仕方ないかと思い直した。
そもそもアリアドネのことがなければ、護衛などついていなかったのだ。しかも月の巫女になんて、真面目に役割を果たそうとするのはアンドリオンくらいなものだろう。その考えにムズムズと落ち着かなくなり、振り切るように頭を振った。気持ちを切り替えると、音を立てぬように扉を閉めた。
セレネーが向かうのは、立入禁止の地下書庫だ。中には過去の記録が記された貴重な本が収められているのらしいが、そこに立ち入りが許される者は限られている。神殿長や国を治めるための役職につく上層の者だけだ。
そんな場所に、普通なら立ち入ることは出来ない。しかし、アリアドネは秘密の通路を知っていた。それがなぜなのか、今となっては聞くことも叶わない。
回廊を進み、誰にも見つからないようにそっと一階へ下りる。足音を立てないように気を付けながら、秘密の通路を探し始めた。幼い日の記憶を振り返る。一階の突き当たりにある壁の一部をそっと押したはずだ。記憶通りに胸の高さの壁を押すが、何も起こらない。とくとくと鳴り響く心臓の音を、誰かに聞かれやしないかと冷や冷やする。焦りで手に汗が滲むが、諦めることもできない。
目を閉じ幼い頃の記憶を辿ったセレネーは、思わずあっと声を漏らしそうになる。慌てて口を塞ぎ、その場に膝を付いた。子供の頃に胸のあたりなら、今は自分の膝の高さだ。そう考えると、壁が開いても狭くて通れないかも知れない。不安が過るが試してみるより他にない。意を決して膝辺りの壁を押すと、三箇所目でカタリと音を立てて一部が動いた。
真っ暗な壁の中を覗き込むと、大人一人通れる広さのようだ。暗い回廊の奥で目立たないとはいえ、見つからないとも限らない。セレネーはゴクリと喉を鳴らし、壁の中へと滑り込んだ。
中に入ると慌てて蝋燭に火を灯そうとするが中々上手くいかない。ようやく火が付くと、音を立てないように壁を塞いだ。なんとも要領の悪い自分に、肩を落としてため息を吐く。何をしてもアリアドネのように起用にはできない。書庫に向かうことも少しだけ怖くなり、足が重く感じる。それでも腰の巾着にそっと触れ、頼りない足取りで秘密の通路の先へと進んだ。
暗い通路をしばらく歩くと、道が途絶えて行き止まりになった。記憶を辿ってそっと膝辺りの壁を押せば、かすかな音を立てて動き出す。入ったときと同じように這いつくばって外に出ると、地下書庫の手前の扉に辿り着いた。外側の扉には鍵がかかっているが、ここは内側の扉なので鍵はない。なんとか辿り着けたことにほっと胸を撫で下ろし、開いた壁をそっと元に戻した。
一度胸の前でぎゅっと拳を握り、決意を固めて扉の取っ手を握りしめる。そのままゆっくり押し開けると、カビ臭さと埃に眉を顰めた。腰の巾着から布を取り出し、口元に当てる。昔もこんなに酷い匂いだったのだろうか。あの頃はアリアドネとのちょっとした冒険が楽しくて、気にならなかっただけなのかも知れない。
セレネーは手にした蝋燭を掲げ、書庫の中を照らした。ちらちらと揺れる炎に照らされた本は、どれも古い時代のものばかりだ。この中のどの本にあの紋章が載っていたのか、さっぱり思い出せない。
きっと抜け道と同じであまり高い場所にあった本ではなかったはずだ。セレネーはそう考えて、膝より下の位置にある本から探すことにした。
蝋燭一本の明かりでは、広くはない書庫であっても全てを照らすことは出来ない。どれほど時間が過ぎたかもわからず、セレネーは少しの焦りを感じる。空を見ることも叶わない地下では時間の経過がわからず、逸る気持ちでその感覚も鈍る。一箇所探すのにどの程度の時間を使っているのだろうか。とにかくできる限りの本を確かめるしかない。
記憶にあった本の色も厚みも今では思い出すことが出来ない。アリアドネはどうやってあれを見つけたのだろうか。迷うこと無く手にしていたような気がするが、それがなぜかもわからない。しっかり特徴を覚えていなかった自分の拙さにため息を落とした。
そのまましばらく探し続けていると、少し離れた場所から微かな物音が響いてきた。セレネーはぴたりと動きを止め、音の正体を探る。
カチャカチャと鍵を開けるような音が響き、心臓がどくりと大きく跳ねた。セレネーが通った扉のひとつ先にある、鍵付きの扉を誰かが開けたのだ。微かに男の話し声が響き、思わず蝋燭の火を吹き消した。白い煙が一筋立ち上り、油の匂いが立ち込めた。
徐々に話し声が大きくなってくる。きょろきょろと辺りを見回すが、隠れる場所は見当たらない。全身に汗が吹き出し、カタカタと身体が勝手に震え始めた。息が苦しくなり、無意味にはくはくと口を開いたり閉じたりを繰り返す。そのとき、扉のすぐ前で足音が止まった。
取っ手がかカタリと音を立てる。もうだめだ――セレネーはぎゅっと目を閉じた。




