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6-4

 窓の隙間から差し込む光が、セレネーの顔を淡く照らし出す。微かに瞼を震わせ、その光に小さく顔を顰めた。ゆっくり開いた目に映るのは、いつも寝起きしている自分の部屋だった。


 喉の乾きが酷く、身体を起こそうとするが重くてすぐには動けない。視線だけで周囲を見回すと、部屋の中央へ置かれた椅子に座る人影が見えた。ぼやける視界に幾度か目を瞬き、薄暗い部屋の中央に目を凝らした。小さなテーブルを前にして腕を組み、目を閉じていたのはアレクシスだ。


 セレネーは意識を失う直前の光景を思い出した。幼い頃に慣れ親しんだその広い腕の中は、随分小さくなっていた。それでも温かさは変わらず、セレネーにとっては安心できるものだった。

 

 セレネーはアレクシスを起こさぬように、そっと寝台から足を降ろした。テーブルに置かれた水差しを求めて、ゆっくり立ち上がろうと体重を乗せる。足の痛みは引いていたが、身体がふらりと揺れて、思わずたたらを踏んだ。微かに響いたその音に、アレクシスがはっとしたように目を開いた。

 

「セレネーっ」

 

 アレクシスは椅子から立ち上がり、寝台に座り込んだセレネーの前に膝を付いた。確かめるように手を取り、顔をじっと覗き込む。

 

「あの、アレクシス様?」

 

 掠れ声で囁いたセレネーに、アレクシスはほっと息を吐いた。

 

「今水を持ってきてやろう。座っていなさい」

「いいえ、私が」

 

 立ち上がろうとしたセレネーを、アレクシスはそっと肩に手を置き押し留めた。

 

「まだ立ち上がってはならん」

 

 またふらついては迷惑をかけてしまう。そう思い直したセレネーは、小さく頷き大人しくそのまま待つことにした。


 アレクシスは窓に手をかけゆっくりと開いた。眩い陽の光に、セレネーは思わず目を眇めた。少し目が慣れてきたところで、アレクシスの姿が鮮明になった。水差しから器に注がれる水音が、セレネーの耳に心地よく響く。アレクシスに差し出された器を両手で受け取り、一気に飲み干した。


 思っていた以上に喉の乾きが酷く、一杯では足りそうもない。かと言ってアレクシスには頼みづらく、手にした器に視線を落とした。

 

「次はこちらを飲みなさい」

 

 俯くセレネーに差し出されたのは、緑色の液体が入った器だ。恐らくアリアドネの薬草なのだろう。セレネーは空いた器をアレクシスに渡し、薬草の入った器に持ち替えた。ゴクリと喉を鳴らしながら流し込むと、これまで以上の飲みやすさに目を瞬く。アリアドネの祈りを込めた薬草は、元来苦みが少なかった。けれど、今飲んだものはそれ以上だ。これならきっと小さな子供でも飲むことができるだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 アレクシスは頷きながら器を受け取り、コトリと音を立ててテーブに置いた。そのまま椅子を運び、寝台に腰掛けるセレネーの前に座った。

 

「セレネー、何があったか覚えているだろうか」

「はい。厄災を鎮める儀式は、無事終わったのですか?」

「案ずることはない。滞り無くおこなわれた」

 

 アリアドネが失敗などするはずはない。そうは思うが、セレネーは安堵の息を漏らした。最後まで見守ることはできなかったが、先程飲んだ薬草の味で確信に近いものはあった。あれほど薬の味が変わったのなら、アリアドネの力が増したということだろう。セレネーは膝に置かれた両掌を見つめ、何となく心許なさを感じた。

 

「あの、これからどうなるのでしょうか」

「……心配せずとも、変わらずここで暮せばよい」

「でも、私はもう月の巫女ではありません」

「厄災が去ろうとも、月の巫女であることは変わりはせん」

 

 セレネーは視線を左右に揺らし、口を開くが何も言えずにそのまま閉じた。そのとき、部屋の扉を遠慮がちに叩く音が響く。セレネーが返事をすると、ゆっくり開く扉の隙間からエヴァの姿が見えた。アレクシスが扉の方へ振り返り、そのまま椅子から立ち上がる。

 

「レネ」

 

 聞こえてきたのはアリアドネの声だ。セレネーはリアと呼びかけそうになり、慌てて口を塞いだ。始めはゆっくり、途中から速歩になったアリアドネがセレネーの前に辿り着く。

 

「レネっ」

 

 目を瞬くセレネーを、アリアドネは強く抱きしめた。それは同情なのか、安堵なのか。セレネーは胸の奥がキリキリと痛み、アリアドネの背に手を回すことができずに視線を彷徨わせた。すると、扉の近くに立つアンドリオンと目が合う。アンドリオンが何かを言おうと口を開くが、セレネーはすぐに視線を逸らした。

 

「無事でよかった。目を覚ましてくれてほっとしたわ」

 

 セレネーの肩に手を乗せたアリアドネが、顔を覗き込みながら眉を下げた。

 

「そんな、大げさよ」

「大げさなんかじゃないわ! レネは三日も目を覚まさなかったんだからっ」

 

 セレネーは目を見開き、ぱちぱちと瞬いた。そのままアレクシスの方へ視線を移すと、渋い顔で頷いた。道理で起き抜けにふらついたはずだ。一晩しか経っていないだろうと思っていたが、随分長く寝てしまっていたようだ。身体から抜けた力はそれほど大きかったのかも知れない。それにしては空腹感がないのは、先程アリアドネの薬草を飲んだお陰だろうか。

 

「レネが寝ている間に色々なことがあったの。もう少し回復してからゆっくり話しましょう」

 

 大輪の花のような笑みを浮かべたアリアドネが、セレネーの髪をそっと撫でた。その柔らかな手つきは今までと変わらないのに、なぜかセレネーの目がじわじわと熱くなる。目を瞬きながら、小さく首を横に振った。

 

「できれば、今すぐにでも知りたいのです」

 

 アリアドネは一瞬目を細め、眉を下げた。

 

「……今すぐ? でも、まだ体調も戻っていないのに」

「いいえ、このままでは落ち着かないの」

「アリアドネ、確かに気になることがあっては気が休まらないだろう」

 

 部屋の中へ足を進めたアンドリオンが、アリアドネとセレネーに順に視線を送った。再びアンドリオンを見上げたセレネーは、その白金の髪に目を瞠る。アリアドネと同じく光に透けて絹糸の様に輝いている。眩しそうに目を細めたセレネーは、慌てて俯き自分の肩から滑り落ちた黒髪を見つめた。

 

「そう……そうね。どこから話せばいいのかしら」

 

 アリアドネは一度セレネーから視線を外し、少しの間逡巡してから口を開いた。

 

「レネは、パトスの者たちと話をしたのよね?」

「ええ」

 

 セレネーは地下書庫で聞いた自分を処刑するという会話と、連れ去られた先で聞かされた話を思い起こした。結局どちらも間違いだったことは、アリアドネの儀式を見た者なら皆納得したことだろう。

 

「私は皆の前で、陽の巫女の力を疑い、排除しようとする者がいたから死を装ったと言ったけれど。それだけじゃないってことはレネも分かってくれるかしら?」

「ええ。陽の巫女様が死んだと思われたことで、私の命を奪う計画が一旦保留になったのだと思うわ」

「そう、そのために私は死を装った。エヴァに私の身代わりをさせて。それから一人で地下神殿へ向かったわ」

 

 一旦言葉を止めたアリアドネは、深く息を吐いてから続きを話した。

 

「私がレネを連れて行かなかったのは……口伝のせいよ。陽の巫女が月の巫女の力を奪い、厄災を鎮める。それを聞いたときから、私はレネを地下神殿に連れていく気などなかった。本当よ。だから、リア……アンドリオンにも、手紙で再三伝えた。口伝の内容を話すことはできないけれど、レネを地下神殿には連れていかない。地上の神殿で守ってほしいって」

 

 アリアドネはアンドリオンに視線を移した。鋭い視線を受けたアンドリオンは、一度アリアドネと真っ直ぐ視線を合わせてからセレネーを見つめた。

 

「俺は……もうレネにも話したとおりだ。俺は陽の巫女を守り支える役割を与えられた守護者だ。守護者は陽の巫女が滞り無く儀式を行うために、月の巫女を地下神殿に連れていく必要があった。それは俺の役目だった」

「私はレネを守ってってお願いしたのよ! 地下神殿に連れてきて欲しいなんて言ってないっ」

 

 アンドリオンは眉を寄せ、唇を引き結んだ。両手の拳を握りしめ、黙ったまま下を向いた。

 

「私、アンドリオンを恨んでないわ。だって、地下神殿に行こうと決めたのは私自身だから」

 

 セレネーが視線を向けると、一瞬目の合ったアンドリオンは顔を歪めて視線を逸らした。

 

「私も謝らなきゃいけないことがあるわ。陽の巫女様の部屋に勝手に入って、色々探ってしまったから」

「部屋には地下に繋がるものは何も無かったでしょう?」

「え?」

 

 セレネーはアリアドネの言葉に目を見開いた。アンドリオンの歪めた顔を見てから、はっとしてヴァンとエヴァを見比べた。セレネーと目の合ったエヴァは、眉根を寄せてヴァンに視線を移す。

 

「あー……お察しのとおり、俺が陽の巫女様の部屋に仕込みをしました」

 

 頭を掻きながら薄い笑みを浮かべたヴァンは、いつもと違って気まずそうな表情だ。

  

「俺だ。俺がヴァンに頼んだ」

 

 アンドリオンが苦痛に歪んだ顔でセレネーを見つめた。セレネーはアリアドネの部屋で見つけた手紙とペンダント、そして地下神殿への地図を思い浮かべた。


 手紙は一人で見つけたものだったが、その後はアンドリオンが助けてくれた。否、あれは助けたのではなく――都合よく誘導していただけだったのだ。


 セレネーが落とした手紙を見て何も言わなかったのも、アリアドネの部屋に忍び込むことを咎めなかったのも。ヴァンが見張りのときに、すんなりセレネーとアンドリオンが地下書庫に行くのを見送ったのも。彼等は全て知っていて、セレネーが地下神殿に興味を持つように仕組んでいたことだったのだ。

 

「ふっ……ふふふっ」

 

 滑稽な自分があまりにも惨めで、思わず笑いが口から漏れる。

 

「レネ……」

 

 アンドリオンが苦い表情のままセレネーを見つめるが、セレネーは諦念の笑みを返した。エヴァは変わらずヴァンを冷たい表情で見つめている。アリアドネが眉を釣り上げ、アンドリオンに向かって口を開きかけたところでセレネーがそれを遮った。

 

「全て納得がいきました。私が簡単に地下神殿への手掛かりを手に入れられたのは、そういうことだったのですね」

 

 一度息を吐き、全員の顔をぐるりと見回した。

 

「どちらにせよ、私の気持ちは変わらなかった。陽の巫女様……リアに、本心を直接聞きたかった。だから、どちらにせよ会いにいった。この話はもうこれでお終いにしましょう」

「でも、私は納得できないわっ」

 

 アンドリオンに食って掛かりそうなアリアドネに、セレネーは淡い笑みを向けた。

 

「彼は月の巫女の本当の役割を知らなかった、これは嘘ではないのでしょう。ただ、守護者としての役割を果たした。それだけのこと」

 

 アンドリオンが何か言いたげに口を開きかけるが、すぐに奥歯を噛み締めた。その表情からは罪悪感が滲み出ているように見えて、セレネーはほんの少しだけ安堵する。アリアドネのいない間、アンドリオンに助けられたのは本当のことだ。それが全て打算であったと思うのは、セレネーにとっても難しい。

 

 部屋中の空気が重くなり、誰もが口を閉ざした。セレネーは小さく息を吐き、顔を上げてアレクシスとアリアドネに視線を向けた。

 

「それで、これからこの国はどうなるのでしょう」

「儂は神殿長を降り、陽の巫女が代わりに神殿の長となる」

「……私が神殿長となって、この国を一人で治めるのには心許ないわ。しばらくアレクシス様には神殿長の補佐として支えていただくつもりよ」

 

 セレネーは頷き、続きを促した。

 

「それから……この国を束ねるには王が必要なの。レネはアンドリオンからこの国の歴史は聞いたのよね? 数百年前に何が起きたのか」

「ええ。アレクシス様は当時の王の従弟に連なる人で、本来の王家からその座を預かっているのだと」

「そうよ。儀式のときに隣国からきていたのは、王の直系とその親族たちの一部よ。皆、この国に戻って来るわ。この国本来の姿に戻すために」

 

 アリアドネはアンドリオンにチラリと視線を送った後、口を開いて一旦閉じた。アリアドネとアンドリオンを見比べ、小さく息を吐いたアレクシスが静かに口を開く。

 

「本来この国を治めるべきは直系の者だ。だが、陽の巫女には兄弟がおらん。そこで、次の王が生まれるまでの間は……アンドリオンが王となる」

 

 セレネーは息を飲み、アンドリオンに顔を向けた。アンドリオンは眉間に皺を寄せ、一層苦い顔をしている。

 

「そう……ですか。陽の巫女様も……アンドリオン様も、おめでとうございます」

 

 セレネーは二人を交互に見つめて笑みを浮かべた。心から祝福している笑みに見えるだろうか。

 

「皆さんお忙しい中、お時間をとらせてしまいましたね」

「レネっ、そんな風に言わないで」

 

 アリアドネが慌てたように一歩踏み出すが、セレネーは淡く微笑み首を横に振った。

 

「全部話してくれて、ありがとうございました。色々考えたいので一人にしてもらえますか」

 

 アリアドネはセレネーに伸ばしかけた手を降ろし、唇を引き結んだ。

 

「レネが月の巫女であることは生涯変わらないわ。私はずっとここで一緒に暮らして欲しい。どうか私の願いを忘れないで」

 

 セレネーは曖昧に頷き、視線を逸らした。エヴァに促されたアリアドネは、なにか言いたげな顔でセレネーを見つめてから部屋を後にした。その後ろにヴァンが続き、部屋を出てそっと扉を閉じた。


 残ったアレクシスとアンドリオンに視線を向けたセレネーは、小さく首を傾げた。

 

「セレネー」

 

 寝台の横に膝を付いたアレクシスが、セレネーの手をそっと包んだ。

 

「儂もアリアドネと同じ思いだ。それから」

 

 チラリとアンドリオンに視線を向けてから、セレネーの手を一度軽く叩いてから口を開いた。

 

「アンドリオンをこの神殿に招くことを許したのは儂だ。それは、セレネーを守るためだった。先程から黙ったままの彼は、言い訳をせんことが正しいと思っているようだが」

「神殿長っ」

 

 アンドリオンが咎めるような声を出すが、アレクシスは小さく首を振った。

 

「できることならば、少しだけでもアンドリオンの話を聞いてやってほしい」

 

 セレネーは眉を寄せてアンドリオンを見上げた。居心地悪そうに視線を逸らしたアンドリオンは、何も言わずに俯いた。

 

「嫌なら追い出せばよい。儂は少し離れた場所で終わるのを待っておる」

 

 アレクシスは立ち上がり、アンドリオンの方へ振り返る。軽く二度肩を叩き、部屋の扉を少し開けたまま出ていった。

 

 部屋の空気が再び重くなり、セレネーは息が詰まりそうになる。何から話せばいいのかも分からず、黙ったままアンドリオンの足元を見つめた。

 

「俺は……」

 

 セレネーは肩を揺らし、唇を引き結んだ。

 

「俺は、レネを利用した。守護者としての役割があったが、それは言い訳にはならない」

「最初から……ずっと、利用するつもりだったの?」

 

 セレネーはゆっくりと顔を上げ、アンドリオンに揺れる視線を向けた。

 

「そうだ」

 

 胸の奥がズキズキと痛み、セレネーは息を飲んだ。

 

「リアの手紙とペンダント、それから地図も。全部都合のいいものを私に見せたのね?」

「ああ」

 

 セレネーは小さく笑みを浮かべ、視線を落とした。

 

「簡単に騙せて、面白かった?」

「そんなっ……そんな風に思ったことはない」

「じゃあ、どう思ってたの?」

 

 笑みを消したセレネーは、アンドリオンを真っ直ぐに見つめた。

 

「会うまでは、どうやって地下神殿に連れていこうか……それだけを考えてた。だが、会ってみて、アリアドネの手紙にあったレネとは随分印象が違って」

「……どんな風に?」

「アリアドネの手紙には、ただか弱く守るべき存在のように書かれてた。だが、実際のレネは違った。芯が強くて好奇心に溢れて、目を離せばどこかへ行ってしまいそうな……」

 

 言葉を切ったアンドリオンを、セレネーはじっと見つめた。頭をクシャリとかき混ぜたアンドリオンが、一度奥歯を噛み締めた。

 

「済まなかった。俺は、レネを利用した。こんなことになるとは思わなかったなんて、言い訳にもならない。許してくれとも言えない。ただ、謝ることしかできない」

 

 逸らさず真っ直ぐ向けられた視線を受け止め、セレネーは静かに頷いた。後悔の滲むその顔に、きっと嘘はないのだと思えた。


 今すぐ赦しの言葉を口にすることはできない。けれど、セレネーのことを語るアンドリオンは、アリアドネの見たのと違う一面を見つけてくれた。ただ守られるべき小さな存在――それだけではないのだと、アンドリオンだけが言ってくれた。きっとそう遠くない未来に、アンドリオンを心から赦す日がくるだろう。


 部屋を後にするアンドリオンの後ろ姿を見送る視界が微かに滲んだ。



明日三話で完結予定です。

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