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5-1

「本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。エヴァの持ってきてくれた薬のお陰で、もう殆ど痛みもないわ」

 

 アンドリオンの足が回復してから歩き出した二人は、先程から同じような会話を繰り返していた。アンドリオンはエヴァに言われたことが気になるようで、セレネーの足の様子をしきりに聞いてくる。アリアドネの加護付きの薬は効果てきめんで、しばらく痛みは出ないだろう。しかし、完全に回復したわけではない。とりあえずの処置なので、本来なら休めなければならないのだが――もう抱き上げられるのはご免だ。

 

 セレネーは呑気な会話を続けているようでいて、心の中はもやもやとしていた。先程下り立った場所が地下迷宮の入り口だったようだが、アンドリオンは地図を手にしていない。それどころか、松明や蝋燭すら持っていない。通路のずっと先は真っ暗なのに、二人が進めば道に光が灯る。淡い光は道標のように一緒に移動して、分かれ道にも困らない。


 不思議に思うが、アンドリオンに聞いてもいいのか分からずどうでもいい話ばかりしている。以前尋ねたことは、今は言えないと答えを貰うことはできなかった。今聞いたらどうだろうか。それを聞いて、自分は一体どう思うのだろうか。


 アリアドネとエヴァ、アンドリオンとヴァン。王家の直系であるアリアドネと三人が近しい関係なら、セレネーが親しく話せるような人たちではない。エヴァもヴァンもセレネーを尊重するように話してくれていたが、本当はそんな必要はないのかも知れない。知らないのは怖い――けれど、知るのだって勇気がいるのだ。

 

「無理はするなよ。少しでも痛かったら教えてくれ」

「わかった。ちゃんと言うから、先を急ぎましょう」

 

 アンドリオンはセレネーをじっと見下ろし、なにか言いたげに口を開きかけるがそのまま前を向いた。セレネーはそっと後ろを振り返り、元きた道の暗さに背中がぞくりとする。前方にも同じ距離から先には漆黒の闇が広がり、何があるのか全く見えない。


 下りてすぐの場所は土だったが、そこから先は石造りになっていた。地面の石畳はごつごつとしているが、歩きにくいわけではない。左右の天井には、透明な石が嵌め込まれている。先程から歩く度に光っているその石は、何でできているのか想像もつかない。

 

 セレネーは、以前読んだ本の一節を思い起こした。――地下迷宮は直系の者しかその道を知らず、導かれた者以外は通ることができない。つまりこの道を迷いなく進めるということは、直系の者か導かれた者とういことだ。セレネーは当然直系ではないどころか、なんの繋がりもない。では、アンドリオンはどうか。もしアンドリオンから離れたら、この光はどうなるのだろう。セレネーを導くために明かりは灯るのだろうか。考えてみても、自分にその資格があると言える自信はない。

 

 アンドリオンが石に導かれるまま道を曲がる。ジャリジャリと響くのは二人の足音だけで、生き物の気配はない。ひんやりとした空気は少し肌寒く、セレネーは小さく身震いした。

 

「具合は悪くないか?」

「ええ、大丈夫」

 

 気遣うように振り返るアンドリオンに、セレネーはしっかり頷いて返す。しばらく進むと壁にぶつかり、先へ進む道が途切れた。

 

「行き止まり?」

「……いや、紋章の石が近くにあるはずだ」

 

 なぜアンドリオンがそんなことを知っているのだろうか。セレネーは何も気付かぬ振りで、辺りを見回し目当ての印を探す。しばらく周辺を探っていると、アンドリオンが声を上げた。

 

「あった、こっちだ」

 

 汚れた手を払い、アンドリオンの方へゆっくり進む。足首の痛みは引いているが、ずっと足元が頼りない。それはセレネーが進む道を迷っているからに他ならない。

 

「これを見つけてどうするの?」

「こうするんだ」

 

 アンドリオンが紋章に掌を当て、ぐっと押し込む。この迷宮の入口に入ったときと同じ様に、ゴゴゴと重い石が動くような音が響いた。同時に地面が揺れ、セレネーは思わず膝に力を込めた。厄災のせいで起きる揺れのようで、全身にじわりと汗が滲む。石壁からパラパラと音を立てて落ちる砂に、慌てて周囲を見回した。

 

「レネ、崩れたりしないから落ち着くんだ」

 

 背中を軽くニ度叩かれ、セレネーはアンドリオンを見上げた。心配そうに見下ろす瞳に、セレネーの肩の力が自然と抜ける。

 

 壁のあった先には、さらに前へ続く道が現れた。先程までと同じ距離だけ石が光って、先を指し示している。アンドリオンはセレネーを見下ろし、小さく頷いてから足を進めた。セレネーはその後に続き、アンドリオンの背中を見つめる。

 

 アンドリオンが現れてから、幾度も助けられた。初めて会ったのは祭壇の間だ。アリアドネの遺体を偽物だと、叫ぼうとしたセレネーの口を塞いだのがアンドリオンだった。あのまま騒ぎを大きくすれば、パトス派にいい口実を与えるところだったかも知れない。


 アリアドネの手紙を隠す方法を教えてくれたり、地下書庫でも救われた。あのときなぜ隠し部屋にいたのか、なぜその部屋を知っていたのか。それもまだ聞けていない。言いつけを守らず部屋に戻ったセレネーを見つけて、リオンと呼べとからかってきた。王家の紋章を見ても、驚きもしなかった。今は詳しく話せないと言っていたが、ではいつ話すのか。エリスとリュディアに嫌がらせをされたときには、焦ったように駆けつけて。セレネーにとって居心地の悪さを感じる黒髪を美しいと言ってくれた。

 

 思い返す度にその時の情景が思い浮かび、セレネーの脳裏を通り過ぎる。悪戯をしかけるような顔も、心配そうに見つめる瞳も、呆れたようでいて温かな温もりを感じる空気も。それを全て疑うのはもう無理なのかも知れない。けれど、信じてもし間違っていたら。ズキズキと胸の奥に鈍い痛みが響き、セレネーは唇を強く噛み締めた。

 

 先の見えない道はまだ続き、どこまで進めば終わりがくるのかわからない。アンドリオンには見当がついているのだろうか。アリアドネも、この道を一人進んだのだろう。たった一人で歩いたのかも知れないと思えば、自分はまだアンドリオンがいるだけマシだと思えた。


 けれど、進んだ先にいるであろうアリアドネは、セレネーを見てどんな顔をするのだろうか。アリアドネ、エヴァ、アンドリオン。それぞれの視線を恐れる自分は、一体どうしたいのだろう。この永遠とも思われる長い迷宮の道を進む中で、その答えを見つけることはできるだろうか。

 

 また分かれ道に差し掛かり、アンドリオンは迷わず右の道へ進む。淡い石の光に照らされた道は、セレネーの通ってきた決められた道筋のようだ。先が明るいかはわからない。でも、そこを進むしかない。今はその先に目的地があるとわかっているが、セレネーの場合は違う。どちらの道を選べば正解なのかも分からず、それでも選ばなければならない。一方を選べば一方からは失望されるのかもしれない。胸の奥がジリジリと焦げ付きそうで、小さく溜息を零した。

 

「……ねえ」

「どうした?」

 

 セレネーはアンドリオンを見上げながら、速まる鼓動にごくりと喉を鳴らした。

 

「さっきから、どうして迷わず進んでるの」

 

 微かに声が震え、息が詰まりそうになる。自分が何を選ぶべきか、まずはアンドリオンから聞けることを聞くしかない。今日は疑問に答えてくれるだろうか。知りたいけれど、知りたくない。相反する気持ちに板挟みにされ、身体を圧し潰されそうだ。

 

「……地下迷宮は、資格ある者に道を示す」

「資格ある者?」

 

 アンドリオンが少し迷いつつも答えたことで、セレネーは一歩前に出る。ずっと後ろを歩いていたが、少し前に進んだことでアンドリオンの横顔が見えた。

 

「そうだ。レネは、紋章の本を読んだんだよな?」

「ええ、そうね」

「何が書いてあった?」

 

 セレネーは本の内容を改めて思い起こした。

 

「この国の誰もが知る歴史と、二つの紋章について」

「地下迷宮については?」

「……直系の者しかその道を知らず、導かれた者以外は通ることができない、と書いてあったわ」

 

 アンドリオンは少し首を傾げながら、顎に手を当てた。

 

「あの本は、前回の厄災で陽の巫女だっと人のものだからな。あの当時ならそうだが、今は少しだけ違う」

「どういうこと?」

「詳しい話はもう少し進んでからにするが……この道を知ってるのは直系の者だけではない」

 

 セレネーは逸る気持ちで横に並び、アンドリオンを見上げた。

 

「じゃあ、誰が知ってるの?」

「そうだな、正確に言えば知ってるのとも少し違うか。ここを進む資格のある者に、どう進めばいいか伝えられてるってことだ」

「リアやリオンはその資格があるってこと?」

「まあ、そうだな。だが、レネも資格を持ってる」

 

 セレネーは目を見開き思わず立ち止まった。

 

「私……も? 資格を持ってる?」

「そうだ」

 

 少し先を歩いていたアンドリオンが、セレネーを振り返る。

 

「試しに俺の前を歩いてみればいい。レネが歩いても石は光るはずだ」

 

 セレネーは訝しげにアンドリオンを見上げた。本当に自分が先に歩いても石は光るのだろうか。もし光らなければ、セレネーは招かれざる者ということだ。心臓の音がより大きくなり、耳元に響いてくる。指の先は冷たくなり、微かに震えた。

 

「言っただろ? 月の巫女も陽の巫女と共に大切な存在だって」

 

 セレネーは祭壇の間で初めて会ったアンドリオンの言葉を思い出す。

 

『ここの奴らはあまり分かってないみたいだが……月の巫女も陽の巫女も、大切な巫女であることに変わりはない』

 

 確かにそう言っていた。それは、月の巫女に何か役割があることを知っていたからなのだろうか。セレネーはカラカラに渇いて張り付きそうな喉から息を吐き、思い切ってアンドリオンを追い越した。

 

 震えそうになる膝に力を込め、アンドリオンより一歩先に足を出す。まだ石は光らない。そのままニ歩。まだ光は伸びていかない。深呼吸をして、更に一歩ニ歩と進むと、途端に道が淡い光に包まれた。足を速めてそのまま進むと、変わらぬ距離で光も進む。思わず小走りになり、アンドリオンに呼び止められた。

 

「そんなに急いで進むと痛みをぶり返すぞ」

 

 セレネーは立ち止まって振り返る。その勢いでチュニックの裾がふわりと広がる。上気した頬で目を輝かせ、まるで宝物を見つけた幼子のようだ。

 

「ねえ、光ったわっ!」

 

 アンドリオンは目を見開き、一瞬後に破顔した。

 

「そうだな」

 

 少し眩しそうに目を細め柔らかな笑みを浮かべたアンドリオンに、セレネーの顔は一層熱くなる。両手で頬を抑えるが、すぐに収まるはずもない。

 

「子供みたいって思ってる?」

 

 ゆっくり足を進めて追いついたアンドリオンを、セレネーは恨めしそうに見上げた。

 

「誰だって新しい発見は、面白くてはしゃぎたくなるもんだ」

「でも、ここに入ったときのリオンは普通だったわ」

 

 アンドリオンは笑みを複雑なものに変えて、首の後ろを掻いた。セレネーは目を瞬き見上げるが、光る石を見たくてくるりと向きを変える。今度はゆっくり歩き出し、進む毎に淡く灯っていく光を見つめた。

 

 自分にも進む資格がある。この道を進んでいいのだと言われた気がして心が浮き立つ。そのまましばらく歩くうちに、徐々に頭の芯が冷えてくる。よく考えて見れば、ここを通る資格があることと、自分がその道を選んだことは違うのだ。踏み出す足も重くなり、徐々に遅れてアンドリオンの少し後ろを歩く。

 

「疲れたのか?」

 

 歩調を合わせたアンドリオンが、セレネーの足を気にしながら尋ねてきた。

 

「いいえ、そうじゃないわ」

 

 アンドリオンは少し間を置いて口を開いた。

 

「もう少し歩くと休める場所があるはずだ。そこまで行けそうか?」

「ええ、まだ歩けるわ」

 

 セレネーはしっかり頷き、前を見つめた。アンドリオンは地下迷宮の構造を知っているのだろうか。今がどこで、地下神殿がどこにあるのか、全て把握しているのかも知れない。先程のように尋ねたら、今までの疑問全部に答えてくれるのだろうか。先の道を進むかどうかは、その答えを聞いてから決めても遅くはないのだろうか。

 

 もし進むことに決めるなら、このまま二人でアリアドネに会いにいけばいい。けれど、もし進むことをやめたなら。自分はこのまま一人来た道を引き返すことになるのだろうか。


 戻った先はどうなっているのだろう。エヴァとヴァンは無事だろうか。集まってきた中には、ノモス派の人間もいたのだろう。一体どれだけの人数が味方で、どちらのほうが優勢だったのだろうか。アンドリオンに抱き上げられてその場を離れたセレネーには、どうなったのかはわからない。せっかくエヴァとヴァンが逃がしてくれたのに、戻ってまたパトスに捕まってしまったら。王家の祭壇を思い出し、内臓が縮こまるような思いだ。

 

 歩き進める道が徐々に広くなり、淡く灯る石で照らされた先に少し開けた場所が見えてきた。光る石の数が増え、浮かび上がった先にはいくつかの大きな石が置かれている。人が休めるように設えられたかのようなその場所に、セレネーはゆっくり視線を巡らせた。

 

「ここで少し休憩だ」

 

 アンドリオンはセレネーの高さに合いそうな石の前に足を進めた。軽く手で払い、腰のポーチから布を取り出す。さっと石の上に布を広げ、セレネーに座るように促した。

 

「ありがとう」

 

 セレネーは布の上に腰掛け、ほっと息を吐いた。こんな風に丁寧な扱いをしてくれるのは、エヴァとアンドリオンくらいのものだ。

 

「ほら、水分もとっておけ」

 

 差し出された革袋とアンドリオンを見比べる。自分が先に貰っていいのだろうか。手を伸ばすのを躊躇していると、革袋が目の前まで迫ってくる。

 

「遠慮せずに飲んでおけ。まだしばらく歩くからな」

 

 セレネーはおずおずと革袋に手を伸ばし、礼を言って中身を煽った。こんな風に気遣われることに慣れず、胸の奥がなんだかくすぐったい。一口、また一口と飲み下し、自分の喉が渇いていたことに今頃気付いた。


 革袋をアンドリオンに返したセレネーは、同じように煽るアンドリオンを見るともなしに見つめた。詳しい話をすると言っていたが、それはこの場所でなのだろうか。ここが分かれ道になるかも知れない。先へ進むのか、それともセレネーだけ戻るのか。冷たくなる指先を擦り合わせ、セレネーはアンドリオンに聞くべきことを考え始めた。

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