4-2
「でも、実際地鳴りや揺れが起きてるじゃない。これが厄災の前触れじゃなければ一体何だっていうの?」
セレネーはどこかに綻びがないか、必死に頭を働かせる。
「陽の巫女がその力で厄災の年だけ揺れを起こしているのかも知れんな。もしくは、月の巫女の力を利用して起こしているとも考えられる」
「そんなっ。私はリアに何もされてないわっ」
男はセレネーを見下ろし、鼻を鳴らした。
「だとするなら、数百年置きという周期を奴らが正確に知る術を持っているのだろう。それに合わせて神託を授かったとすれば、疑う者もいない」
「数百年ごとに起こることなら、月の巫女の生贄なんて関係ないじゃない」
「これらはただの仮説だ。何が本当のことかは誰にもわからん。だからこそ、試すのだ。神託を受ける陽の巫女がいなくなった今、実行するにはいい機会だ」
セレネーは懸命に思考を巡らせた。しかし、男の考えを変えるようなものは何も思い浮かばない。焦りばかりが先走り、頭の中に色々なことがぐるぐると回るだけで、余計に混乱しそうだ。
男はセレネーを見下ろしたまま、微かに笑みを浮かべた。
「どうやって助かろうか、必死になって考えているといったところか」
セレネーは男を見上げ、ゴクリと喉を鳴らす。一度乾いた身体に再び汗が滲み、その冷たさに小さく震える。
「何をしたってもう無駄だ。なぜわざわざお前に話したと思っているんだ?」
男は箱から立ち上がり、蝋燭を持ってセレネーに一歩ずつ近付いてくる。
「こんな話をして、お前を解放するわけがなかろう」
蝋燭の光で男の顔がよく見えず、セレネーは目を細めた。
「お前の処遇はもう決まっていることだ。しかし、神殿もお前の不在に気づいて動き始めている。だから、時を見計らっていただけだ」
「し、神殿が気付いているなら、きっと見つけてくれるわ」
男が肩を揺らして笑う。
「たかが月の巫女がいなくなった程度のこと。神殿もそう大っぴらには探すまい。それでも日が高いうちなら見つかるかも知れないが」
男は嵌め殺しの窓を見つめて、目を細めた。
「この部屋からではわかるまいが。もう日も暮れて捜索の手も一旦引いたころだろう。頼りになる明かりは夜空の月くらいだ」
セレネーは唇を噛み締め、男を見上げる。
「生贄を捧げるにはちょうどいい月夜だ。お前と無駄話をして時間を稼いでいたのはそのためだ。夜の暗がりに紛れて移動すれば、見つかることもないだろう」
「私を殺したって、厄災は鎮まらないわ」
「そんなことはどちらでも構わん。陽の巫女が鎮めるのだとしても既にこの世にはいないのだ。贄を捧げても鎮まらないなら、それまでのこと。まあ、どうせ厄災なんて王家の謀りだ。お前の命で厄災が去ったと語り継がれたところで、何の問題も起こるまい」
セレネーは、何を言えばいいのかわからず俯いた。厄災は本当に起こらないのだろうか。けれど、アリアドネもアレクシスも厄災がくることを信じていた。もちろん多くの民も。確かにこの数百年は起きていないのだから、必ずくるとは言えない。けれど、セレネーには疑問が残る。
「あなたの言うように、本当に厄災がこないのなら。なぜ今まで神殿は陽の巫女を受け入れてきたの?」
男は片眉を上げ、愉快そうに唇の端を引き上げた。
「なるほど、少しは頭が回るようだな。確かに王家を追い落とすことに成功したはずが、陽の巫女は受け入れた。最初のうちは民の信仰の問題もあっただろうが、脈々と受け継がれるのはなぜか」
「そうよ。陽の巫女が必要ないなら、代替わりで拒絶することだってできたはずだわ」
男は顎をさすりながら、数回頷く。
「一理あるな。だが、我々の考えはこうだ。神託に本物と偽りのものが混じっていたとしても、陽の巫女の力が本物であることは周知だ」
「それならやっぱりっ」
「さっきも言っただろう。力があることは認める。しかし、厄災を鎮めるほどではないし、そもそも厄災などありはしない。つまり、中途半端なのだ。絶大な力を持っているわけではないが、便利な力ではある。ならば、国の安寧のためにその力を利用するのは理にかなっているだろう」
セレネーは返事に詰まり、唇を噛んだ。どうあってもこの男は、陽の巫女が厄災を鎮めることはできないという考えを変えるつもりはないようだ。それに、セレネーを生贄にするとういことも。どこか男の主張に穴はないかと考えてみるが、セレネーには思いつかない。
「あなたは、私を生贄にすることに意味があると本当に思ってるの?」
「さあな。だが、それで納得する者が多いのも確かだ」
「そんなっ。人の命をそんなことに利用するなんて」
セレネーの悲痛な声を無視するように、男は白けたような顔で見下ろしてきた。
「情に訴えかけようとしても無駄だ。お前の命一つとパトスの結束なら、後者のほうが断然利がある」
「民から選ばれた月の巫女の命を奪ったなんて知られたら、民はついてこないわ」
「月の巫女自らが民のために命を賭したと伝えれば、さぞ感謝されることだろうな」
セレネーは冷や汗を滲ませ、さらに言葉を続ける。
「厄災は必ず起きる。私を生贄にしたって鎮まらない。あなたたちの嘘なんてすぐに知られることよ」
「ふんっ、厄災なんてくるものか。万が一神託も陽の巫女も偽り無くその役目を果たしていたのだとして、その陽の巫女が既にいないのだ。お前は知らんだろうが、民は混乱し始めているぞ」
「どういうこと?」
「民は陽の巫女が厄災を鎮めると信じている。その陽の巫女が次代を指名せずに死んだ。誰が厄災を鎮めるのだ? これは我らパトスにとって好機だ」
アリアドネの死がなぜパトスの利になるのか。厄災が起きてしまえば、国の存亡の危機ではないか。セレネーには分からず怪訝な表情で男を見上げた。
「わからんといった顔だな。いいか、我々の考えるとおり厄災は陽の巫女の謀であった場合、お前を生贄にして厄災が鎮まったとすればそれでいい。巫女はいなくなり、我らは王家の支配からやっと抜け出せる。もし厄災も陽の巫女の力も、神託も真であった場合。どちらにせよもう陽の巫女はいないのだから、厄災によって国が滅びる。陽の巫女がいない以上、我々にできることはない。それだけのことだ」
アリアドネの生を信じている――否、確信しているセレネーにとってこの考えは受け入れがたい。アリアドネはきっと厄災を鎮めるために、地下神殿に行ったのだ。間近でその力や人となりを見てきたセレネーは、アリアドネが厄災をわざと起こすようには思えない。かといって、それをこの男に説いたところで受け入れることもないだろう。
一体どうすればいいのだろうか。ここでセレネーが命を奪われてしまった場合。もし陽の巫女が月の巫女の力を必要としているなら、厄災を鎮めることもできないかもしれない。そうなればパトスだとかノモスだとか言っている場合ではない。厄災が一体何なのか、セレネーにはわからない。けれど、近頃増えた揺れがその前兆ならば、この国はどうなってしまうのだろう。
「でもっ、神殿は? アレクシス様やノモス派の人たちがいるわっ」
「奴らに何ができるというのだ。陽の巫女の力がそんなに大事なら、なぜ死ぬような事態を招いた? 民には既に種は蒔いてある」
「種って?」
セレネーはごくりと喉を鳴らし、眉を寄せて男を見つめた。
「近頃町のあちこちで、出回っている噂がある。陽の巫女が死んだのは神殿長の力が衰えているせいだとな。今まで陽の巫女が途絶えたことなどないのだから当然だ」
「酷いっ、そんなの大嘘じゃないっ」
「真偽などどうでもいい。民が何を信じるかだ」
セレネーはじっとりと汗の滲む掌を握りしめた。手足の拘束はどうやっても解けそうにない。男を説得することもできない。このまま大人しく生贄にされるわけにはいかないが、今すぐ逃げることもできそうにもない。それなら、諦めて従うふりで隙を狙うしかないだろうか。
「お前の浅はかな考えは、これ以上聞いても無駄なようだ。そろそろ奴らもくるころだろう」
男が扉を振り返り、意味深な笑みを浮かべた。
「奴らって?」
男は何も答えず、扉の向こうをじっと見つめている。すると、微かに近付いてくる足音が聞こえてきた。それは数人のもので、セレネーは思わず身体を震わせた。この男一人でことを起こすはずはないと思っていた。セレネーをここへ連れてきたのは、少なくとも二人の男だ。一体どれだけの人間が関わっているのだろう。セレネーにはノモスやパトスの実態はわからない。
ぎしりと音を立てて出入り口の扉がゆっくり開いていく。扉の隙間から蝋燭の明かりが漏れ、それに続いて男たちが部屋の中へ入ってきた。
「準備は整ったか?」
セレネーと話していた執政官の男が入ってきた人物に問いかけた。
「ああ。あとは月の巫女様の到着を待つばかりだ」
入ってきたのは茶色の肩掛け布をした壮年の男だ。この男もセレネーは知らない。肩掛け布の色からして評議員であることはわかる。それが分かったところでセレネーには為す術もない。評議員の後ろからも数人の男が部屋の中へ入ってくる。各々燭台を手にしているところを見ると、先程男が言っていたとおり外はもう暗いのだろう。
「そろそろ移動の時間だな」
執政官の男が再びセレネーに近寄り、一度外した口枷を再び噛ませる。悔しさが滲んで噛みしめるが、今ここで抵抗しても無駄だと思えた。それより、これからどこかで隙が生まれるのを待つしかない。
部屋を見渡すと、執政官と評議員以外に入ってきた三人は、護衛官の装束だ。護衛官ならセレネーが逃げようとしたところであっという間に捕まるか、悪くすればその場で命を断たれるかも知れない。
後で役に立つかはわからないが、男たちの顔を覚えようと視線を順に巡らせた。一人ずつ顔を確認していると、四人の後ろに立っている護衛官に視線が釘付けになる。
セレネーは思わず目を見開き、声を出しそうになってぐっと堪えた。その男は、セレネーと視線を合わせて片目を閉じた。口元には楽しげな笑みを浮かべている。初めて会ったときと全く同じ仕草に、セレネーは眉を寄せた。その男は、ヴァンだ。
アンドリオンとメーニャ――月について話していた。あれは、やはりセレネーのことだったのだろうか。だとすれば、二人ともパトス派なのかも知れない。セレネーの脳裏には去っていくアンドリオンの後ろ姿が過ぎり、胸の奥に鈍い痛みを感じた。もしアンドリオンもパトスなのだとしたら、なぜアレクシスがアンドリオンをセレネーに付けたのだろうか。アレクシスも騙されていたのだろうか。
考えても答えは出ない。セレネーの頭の中は絶望と混乱が入り乱れ、内臓がぎゅっと縮こまるような思いだ。もう一度ヴァンを見上げると、軽薄そうな笑みを浮かべている。他の男達は厳しい顔をしているのに、一人だけ対照的な様がいっそ不気味だ。
「神殿の動きはどうだ?」
執政官の男が護衛官の男たちに問いかけた。
「日暮れまでは目立たぬように捜索していました。それも日没で一旦中止になり、明朝から再開となっています」
護衛官一人が答え、執政官の男が満足そうに頷いた。
「それなら、そろそろ移動してもいいな」
評議員の男が執政官からセレネーに視線を寄越し、口の端を上げる。
「そうだな。誰か巫女様を運んで差し上げろ」
セレネーは後ろに下がろうとするが、壁が邪魔してそれ以上動くことはできない。口の中がカラカラに乾き、張り付くような不快感に眉を顰めた。
「足枷外して歩いて貰ったら? どうせ女一人じゃ逃げられやしないだろうし」
ヴァンの言葉に他の護衛官たちが焦ったような表情を浮かべる。
「おいっ、お前! 口の利き方に気をつけろっ」
ヴァンは口をへの字にして肩を竦めた。面倒そうに「はいはい」と適当な返事を返している。セレネーはその様子に目を見開き、何度か瞬きをした。こんなときでも軽薄な態度のヴァンに、呆れていいのか感心すればいいのかわからない。
「で、足枷はどうします?」
執政官の男に向かってヴァンが軽い調子で問いかけた。男は少しの間考えてから、小さく頷いた。
「そうだな、どうせ逃げることもできんだろう。外して歩かせればいい」
ヴァンは男に返事をしてからセレネーに近付いてくる。
「足をこっちに出してもらえる?」
敵にしては随分優しい口調に、セレネーは戸惑い視線を彷徨わせた。ヴァンの後ろでは、四人が何かを話し始めた。ヴァンはセレネーと視線を合わせて、小さく頷いた。セレネーは戸惑いつつも、ゆっくり両足を前に出す。ヴァンが持っていた燭台を床に置き、ナイフで足枷を切った。階段から落ちたときに痛めた足首が腫れ、ズキンズキンと痛みが響く。ヴァンは足首の様子を見て眉を顰め、腰元のポーチから布を取り出した。
「固定するけど応急処置だから」
セレネーはその言葉に目を瞬いた。応急処置ということは、後で手当をするつもりがあるということだろうか。小さく囁かれたその声は、後ろの男たちの耳には届いてない。セレネーが不用意に返事をすれば、面倒なことになるかもしれない。ヴァンはセレネーの足を器用に固定し、布の端を結んだ。終わってからもしばらく顔をしかめて足首を見つめている。
「巫女様は歩けそうもないね」
徐ろに立ち上がったヴァンが、後ろの男たちに声を掛けた。
「どういうことだ?」
「足首を酷く痛めてる。この分じゃ逃げるどころか祭壇への移動も無理だな」
ヴァンの言葉に男たちがセレネーの方を覗き込んだ。執政官の男が眉を寄せ、護衛官の一人に視線を向けた。
「背負子でも持ってきてお前が運べ。逃がすなよ」
「この足じゃ走れませんって」
肩を竦めたヴァンが、セレネーの手枷を前に結び直す。心なしか前より緩い気がするが、セレネーの思い違いだろうか。それに固定された足首は、先程よりも痛みが楽になっていた。きっと頑張れば短い距離なら走れるくらいには。ヴァンの目的が分からず安心はできないが、ほんの少しだけ希望が見えたようにも思える。
背負子に載せられたセレネーは、ふらふらと揺れる自分の足を見下ろした。揺れで多少痛む足首は、連れてこられたときのほど脈打ってはいない。一人後ろを向いたセレネーには、ヴァの姿がよく見える。最後尾を歩くこの男が一体何を考えているのかはわからない。けれど、足首に巻かれた布にほんの少し勇気づけられたような気がした。




