表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/6

第04話 二度目の約束

月曜日の放課後、奏音は茜とシールを買いに行った。


文化祭アルバム用だと言って、猫のシールと花のシールをいくつも選んだらしい。夜になってから、奏音はその写真を送ってきた。


『どれ貼るか迷う』

『彰はどれがいいと思う?』


俺はスマホの画面をしばらく見つめていた。


土曜日の写真は残っている。

文化祭の忘れ物を取り戻せた感じ、と奏音は言った。けれど、その日に俺たちが付き合ったことは残らなかった。


写真の中の奏音は笑っていた。俺の隣で、少し照れたように笑っていた。

それでも奏音は、その時の言葉を覚えていない。

返信を打てないままでいると、茜からメッセージが届いた。


『今、奏音と別れた』

『普通だった』


少し間を置いて、もう一通。


『ごめん』


俺はすぐに返した。


『茜のせいじゃない』


既読がついた。けれど、返事はなかった。

そのまま十分ほど画面を見ていると、今度は茜からの着信が来た。


「出ると思わなかった」


電話の向こうの茜は、ひどく疲れた声をしていた。


「奏音は?」

「家に帰った。たぶん、今ごろシール広げてる」


茜は少し笑った。その笑い方は、もう笑い方だけを真似しているみたいだった。


「今日、ずっとアルバムの話してたよ。土曜日の写真、入れるんだって」

「そうか」

「彰との写真、すごくいいって」


俺は何も返せなかった。


「でも、付き合ったことは覚えてない」


茜は自分で言って、自分で息を止めた。


「私、何したんだろうね。奏音にあんなこと言って、それでも残らなくて」

「何を言ったんだよ」

「聞かないでって言ったでしょ」

「けど!」

「聞いたら、彰はたぶん私を止めるよ」


茜の声は震えていた。それでも、言葉だけははっきりしていた。


「だから、聞かないで」


俺は壁にもたれた。部屋の電気はつけていない。スマホの光だけが、手の中で白く浮いていた。


「次は俺から言おうと思う」


俺がそう言うと、電話の向こうが静かになった。


「今度は俺から奏音に告白する」

「うん」


茜は驚かなかった。たぶん、同じことを考えていた。


「でも、同じじゃ残らないよ」

「ああ」

「私がやったくらいじゃ足りなかった」


茜はそこで、一度息を吸った。


「次は、二人でやるしかないんだよね?」


その言葉が、やけに心に残った。

まるで呪いのように染み込んでいく。


「そうだな」

「ごめん、私が不甲斐ないから……」


茜の声は小さかった。


「謝るなって……」

「でも、奏音が忘れたまま笑ってるのを見るの、もう嫌なんだよ」


俺はスマホを握り直した。


「茜……」

「なに?」

「ありがとう」


茜は何も言わなかった。

ただ、スマホの先ですすり泣くような音だけが聞こえてくる。

俺はそれを聞かないふりをした。


「頑張るから……」


茜はそれだけ言って通話を切った。



火曜日、俺は奏音を誘った。


放課後、駅前の公園で少し話したいと言うと、奏音は少しだけ目を丸くした。けれどすぐに笑った。


「また写真撮る?」

「違う」

「じゃあ、真面目な話?」

「そうかもな」


奏音は少し緊張した顔をした。でも、嫌そうではなかった。


茜はその日、何も言わなかった。教室で目が合った時に一度だけ小さく頷いた、それだけだった。


夕方の公園は、土曜日よりも人が少なかった。ベンチの前に落ち葉がいくつか転がっていて、風が吹くたびに乾いた音を立てる。


奏音は俺の隣に座り、膝の上で両手を重ねていた。


「で、話ってなに?」

「奏音」


名前を呼ぶと、奏音は少し背筋を伸ばした。


「俺は、奏音が好きだ」


言葉にした瞬間、前にも同じことを言ったはずなのに、初めて言うみたいに喉が痛くなった。


奏音は黙っていた。目を見開いて、俺を見ている。


「幼なじみとしてじゃなくて、一人の女の子として奏音のことが好きだ」


土曜日と同じような言葉だった。でも、奏音にとっては初めて聞く言葉だった。

しばらくして、奏音の顔がゆっくり赤くなった。


「……え、待って」

「待たない」

「待ってよ、心の準備ってものがあるでしょ!」


奏音は両手で顔を隠しそうになって、途中でやめた。指の隙間からこちらを見る。


「ほんとに?」

「嘘で言うことじゃないだろ」

「それ、なんか前にも聞いた気がする」


俺は息を止めた。

奏音は自分で言って、不思議そうに首を傾げる。


「変だね。初めてなのに」

「……そうか」

「うん。でも、嬉しい」


奏音は膝の上の手を握りしめた。


「私も、彰のこと好き」


その声は小さかった。けれど、土曜日よりも少しだけ迷いがなかった。


「たぶん、ずっと好きだったんだと思う。土曜日に写真撮った時も、なんか変な感じしてた。嬉しいのに、どこか足りないみたいな」


奏音は自分の言葉を探すように、視線を落とした。


「だからさ、今言われてやっぱりって思った」


やっぱり。その言葉だけが、胸に刺さった。


「付き合ってくれるか」


俺がそう聞くと、奏音は一瞬だけ固まった。それから、小さく頷いた。


「うん」


声が震えていた。でも、笑っていた。



その週、奏音は幸せそうだった。


朝、通学路で会うと少し照れた顔をしていた。

教室では今まで通りに話そうとして、時々失敗していたし、茜にはすぐに話していた。


「聞いて、茜!彰に告白された」


奏音は声を抑えようとして、ほとんど抑えられていなかった。茜はちゃんと驚いた顔をした。それから、ちゃんと嬉しそうに笑った。


「よかったね」

「うん」


奏音は頷いた。


「でもなんか変なの。前からこうだった気もするし、初めてな気もする」

「幼なじみだしね、距離感はあんまり変わらないのかも?」

「なるほど、確かにそうかも」


茜は奏音の髪を軽く整えた。その手つきは優しかった。

俺は見ていられなくて、視線を外した。


水曜日、奏音は一緒に帰ろうと言った。

木曜日、手を繋ぐかどうかで迷って、結局袖を掴んだ。

金曜日には、人通りの少ない道で指先だけを絡めてきた。


「ちょっと慣れてきた」

「何に?」

「彰と付き合ってること」


奏音はそう言って笑った。


「まだ三日だろ?」

「もう三日だよ」


奏音は嬉しそうに指を揺らした。繋いだ手が、少しだけ強くなる。


それを見るたびに、俺は日曜日のことを考えていた。


……日曜日。

俺と茜が決めた日。

奏音の中に、この一週間を残すために、俺たちが何かを壊す日。

土曜日の夜、茜からメッセージが届いた。


『明日、三人で会おう』


それだけだった。俺はしばらく画面を見つめてから、返した。


『分かった』


すぐに既読がついた。


『逃げないでね』


その文字を見て、手が止まった。


逃げたいと思っていた。奏音とこのまま一週間を終わらせて、何もせずに月曜日を待ちたいと思っていた。

もしかしたら残るかもしれない。

自分でもありえないと思っている希望に、縋りたくなる。


でも、先週は消えた。

茜が何をしたかは知らないけど、傷つけても残らなかった。


逃げられないことは、もう分かっていた。



日曜日、奏音は少しだけおしゃれをして来た。淡い色のカーディガンを着て、髪には新しい小さなピンを留めている。猫ではなかった。丸い花の形だった。


「茜も来るんだよね?」


奏音は嬉しそうに聞いた。


「ああ」

「三人で会うの、なんか久しぶりな気がする」

「そうか?」

「付き合ってからは初めてじゃない?」


奏音は自分で言って、少し照れた。


「変な感じ。茜に見られるの、ちょっと恥ずかしい」


その声に、何も返せなかった。


待ち合わせ場所の駅前に、茜は先に来ていた。奏音を見つけると、いつものように手を振った。奏音も手を振り返す。


「茜、お待たせ」

「ううん」

「今日どうする? カフェ行く? 写真のシールも見たいし」


奏音は楽しそうに予定を並べる。茜はそれを聞きながら、何度か頷いた。


それから、俺を見た。


ここで言うのか。もう少し後にするのか。俺は分からなかった。

茜が先に口を開いた。


「奏音、少し話していい?」


奏音は笑ったまま首を傾げた。


「なに、二人して真面目な顔して。怖いんだけど」


茜は笑わなかった。俺も笑えなかった。


駅前の広場から少し離れた場所に、小さなベンチがあった。三人でそこまで歩く間、奏音は何度か俺たちを見比べた。不安そうというより、状況が分からない顔だった。


ベンチの前で、茜は立ち止まった。


「奏音、あのね」

「うん」

「ごめん」


奏音の表情が少しだけ固まった。


「え?なにが?」


茜は一度、俺を見た。

俺は頷いた。

頷いてしまった。


茜は奏音へ向き直る。


「私と彰、付き合うことになった」


奏音の笑顔が止まった。


最初に茜を見た。次に俺を見た。それから、もう一度茜を見た。


「……え?」


その声は、思っていたより小さかった。


「何……それ……」


茜は唇を噛んだ。それでも、目は逸らさなかった。


「奏音、ごめんね」

「だって、彰と私……」


奏音はそこで言葉を止めた。自分で言ったことを、確かめるように俺を見る。


「付き合ってる、よね?」


俺は頷かなかった。


「彰?」


奏音の声が震える。俺は、喉の奥に詰まったものを押し込んだ。

なにか言おうと思えば思うほど言葉が出なくなる。

結局俺は何も言うことができなかった。


奏音はしばらく何も言わなかった。駅前の音だけが、遠くから聞こえていた。

バスのアナウンス。信号の電子音。誰かの笑い声。


「いつから?」


奏音が聞いた。

茜は答えなかった。俺も答えられなかった。

奏音は小さく笑った。冗談だと思いたい時の笑い方だった。


「私だけ、知らなかったんだ……」


その言葉が、一番刺さった。


茜の指が震えている。

俺はそれを見た。

それなのに、奏音の方へ手を伸ばしかけ……。


「そういうの、やめて!」


俺たちを見つめる奏音は泣いてはいなかった。

泣くより先に、感情が追いついていない顔だった。


「私、ちゃんと好きって言ったじゃん。彰も好きって言ったじゃん。今週、ずっと嬉しかったのに」


そこで声が崩れた。


「なんで、そんなことできるの!」


誰も答えなかった。


答えられる理由なんて、奏音に言えるはずがなかった。


奏音は鞄の紐を握りしめた。新しい花のピンが、夕方の光を受けて小さく光っている。

奏音はそのピンを外すと地面に叩きつけた。


「……帰る」

「奏音……」


茜が名前を呼んだ。奏音は振り返らなかった。


「呼ばないで」


その一言で、茜の顔が歪んだ。


奏音はそのまま駅へ向かった。

人混みに紛れる直前、一度だけ立ち止まり、でも振り返らずそのまま人混みの中に消えていった。


俺と茜は、その場に残された。

しばらく、どちらも動けなかった。


先に崩れたのは茜だった。ベンチに座り込んで、両手で顔を覆う。


「……言った」


小さな声だった。


「言っちゃった」


俺は隣に立っていた。何か言うべきだった。でも、何を言っても嘘になる気がした。


「茜」


名前を呼ぶと、茜は顔を覆ったまま、小さく首を振った。


「慰めないで」

「……分かった」

「でも、そこにいて……」


その言葉に、胸の奥が重くなる。


俺は何も言わず、茜の隣に座った。

茜は泣かなかった。

まるで、泣く資格なんてないとでも言わんばかりに、泣くことを拒否していた。

それでも俺の服を掴む手は強く握りしめられ、小さく震えていた。


奏音を泣かせたかもしれない。

奏音を壊したかもしれない。

それなのに、俺たちは二人で同じベンチに座っている。


そのことが、もう取り返しのつかないものに思えた。



夜、家に帰っても眠れなかった。奏音から連絡はなかった。茜からもなかった。


スマホを見て、画面を消しては点けるを繰り返すが、通知はない。


十一時を過ぎた頃、茜からメッセージが届いた。


『奏音から連絡来た?』

『来てない』


既読はすぐについた。


『こっちも来てない。来なかったらどうしよう』


それだけだった。


俺はベッドに座ったまま、暗い部屋の中でスマホを握っていた。

奏音が今日のことを覚えていたらどうなるのかを考えた。

月曜日の朝、奏音が俺たちを見て、今日と同じ顔をするところを考えた。

それが怖かった。


――頼むから忘れてくれ。


自然とそう思っている自分が、それ以上に怖かった。


日付が変わって、しばらく経った。眠れないまま、スマホの画面だけを見ていた。


一時を少し過ぎた頃、通知が届いた。


奏音からだった。


『明日の朝も迎えに行くね』

『大好きだよ。おやすみ』


俺は画面を見たまま、動けなかった。


残った。


安堵した自分が嫌になって、吐き気がしてきた。




あとがき


ここまで読んでいただきありがとうございます。

続きも読んでいただけたら嬉しいです。


読後に何か残るものがありましたら、リアクションやコメントで反応をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ