市街状況確認およびフィンクからの依頼通達
翌朝の街並みは、いつにも増してひっそりとした空気に満たされていた。
昨晩深夜に警邏隊詰め所から鳴り響いたサイレン、それに伴う工業区画での騒乱、喧噪。直接現場を見に行くことができずとも、大規模な異常が発生したことはほぼ全市民が察知するところとなっていた。
夜が明けて現地の様子を興味本位に見物しに行こうにも、既に工業区画に通ずるあらゆる路地は警邏隊員たちによって封鎖されている。警戒の物々しさのみならず、規制線の向こう側、路地の至る所に転がっている罹患者たちの遺骸の山を見れば、わざわざそれ以上近づこうとする者は居なかった。
惨状を見物しに行こうとする物好き達とは違い、危険な目に身をさらしたくない大多数の市民は尚更のこと外出を厭うようになった。工業区画を襲って多数の菌糸罹患者を出した主犯格が未だ捕縛されていない事実は周知されていなかったが、警邏隊が展開している規模の大きさから危険が遠ざかっていないことは容易に察せたのだ。
昨晩、工業区画内の自宅から探命事務所へと避難してきたラーディもまた、朝になったからといって帰宅しようとはしていない。無論、リーピとケイリーも彼女を帰すべきではないと判断していた。
「現在、ラーディさんの靴工房がある地域も含め、工業区画全地域を警邏隊が鎮圧、隔離し、安全確保と共に残留汚染や罹患者の捜索を続行しているようです。当面の間、お帰り頂くのは困難となるかと。」
「仕方ありません、よね……。私が行方不明になったと思われて、靴工房が荒らされていないか、気になりますけど……。」
「警邏隊は自動人形だけで構成されています。彼らが地区を封鎖している限り、違法な行為や不必要な行為は決して実行されないはずです。」
まだ目元に涙を擦った痕が残っているラーディは、いつもより多少遅い時刻に目を覚まし、ソファの上で身を起こしていた。
リーピとケイリーも、既に朝と呼べる時刻を過ぎている頃であったが、まだ事務所に籠っていた。
ラーディが起きるのを待っていたがため、だけではない。
事務所に毎朝配達される新聞が、今朝は届かないのだ。いつも多少なりと報道内容に偏りのある新聞記事であったが、とはいえこの社会における数少ない情報入手手段であり、人間社会を学ぶ目的で活動を続けているリーピとケイリーも購読料の支払いを絶やしたことは無い。
工業区画全体を巻き込んだ騒乱と、それに伴う封鎖が原因で、印刷所が機能していないためではあるまいかとも推測された。
もう一つ、リーピとケイリーが待っていたのは、通話が復旧することである。今も、リーピは折を見て受話器を上げ、聴覚受容器に当てていたが……しばらく待った後、受話器を降ろした。
「ダメです、通話交換手も出ませんし、呼び出し音も聞こえません。」
「交換手を介さずに通じる、緊急通話線なら機能するかもしれないが……緊急の用件も無しに使用することは許されないな。私たち宛てに通話を試みている顧客の側から通じる可能性も、皆無ではないのだが。」
通話機自体が使えない以上、具体的にどのような障害が発生しているのか、知りようもない。探命事務所から通話を掛けることが出来ずとも、掛かってくる通話を受けることなら出来るかもしれない。
これほどの異常事態となれば、自動人形による手助けを必要とする顧客が居てもおかしくない。
むろん助けを呼ぶような状況に陥っていないに越したことは無いのだが、菌糸通話線網自体に異状が生じている恐れもある。昨晩、ポームからの通話を繋いだ交換手が、明らかな異変の様を聞いたにもかかわらず自主的には警察へ通報しなかったこと等、違和感の種は未だ残っている。
そういった経緯で、リーピとケイリーは通話機の前で待つ続けていたのだが……それでも早朝から今に至るまで、事務所デスクの通話機から呼び出し音が鳴り響くことはなかった。
「やはり、菌糸通話線が本来通りの機能を有していないようです。ここまで待っても尚、通話を受けることが出来ないのであれば、昼からは実際に僕らが歩いて街の状況を見て回るほかありません。」
「状況次第では、工業区画の中でも被害が薄いエリアは規制が解かれているかもしれないからな。ラーディは、安全が確保されるまで外出を控えるべきだろうが。」
「ですね、お許しいただけるなら、私はもうしばらくここで休ませてもらえればと……どうにも、身体も気持ちも、しゃんとしなくて、ですね。」
ケイリーに返答するラーディの声は、確かに弱々しかった。
とても仕事が出来る状態ではないことは明らかであった。昨夜、ポームが菌糸罹患者になり果てていた事実を伝えられた際の哀惜は、まだ癒えるに程遠い。
彼女がまだ食事を摂っていないことも関係あったろうが、ポームに渡すはずだった完成品の靴をいれた紙箱が目の前のテーブルに置かれたままであることも、ラーディの心を沈める一因となっているようだった。
その紙箱をケイリーはそっと抱え、ラーディに告げる。
「これは、私たちの事務所内で保管しておこうか。受け取り手のいない商品だが、ずっとラーディが所持し続けるのも負担だろう。」
「……お願いします。」
ラーディは弱々しく頷いた。
視界に入れるたびに、喪失の悲哀を記憶から掘り起こすであろう物品は、一時的にでも遠ざけるべきだとケイリーも自動人形ながらに判断していた。
一方で、リーピは聴覚受容器にて屋外の足音を拾っていた。
物騒な事件が起きたばかりで人通りの疎らな街路ゆえ、磨き上げられた革靴の硬い音は容易に察知できた。
聴覚においては自動人形が人間を大きく凌駕していたが、その足音が事務所へと階段を上ってくる頃にはラーディもまた気づいたらしい。
靴作り一筋に生きてきたラーディらしい気づき方でもあった。
「わっ……すごい上等な靴の音、しますね。私の手作りなんかじゃない、高級な老舗ブランドの、中でもオーダーメイドの一品じゃないでしょうか?え、どうしましょ、すごい偉い人がお越しなんじゃないですかね、私なんかがソファでくつろいでたら、邪魔者扱いされませんかね?」
「フィンク市長おつきの秘書さんです。僕が応対します。」
独特過ぎる判断基準ながら来訪者の地位を察して、ソファから半分腰を浮かし、寝乱れていた髪を手櫛で必死に整えているラーディ。
束の間とはいえ沈んでいた気持ちを一旦忘れることが出来ただろうが、どうにも小心な彼女にとって心休まる時間は得難いものであった。
落ち着くようラーディをソファに座り直させる役目をケイリーに任せ、来訪者に先んじて扉を開け、挨拶の言葉をかけるリーピ。
靴音での判断に誤りはなく、そこにいたのは確かにフィンク市長の側近たる秘書の男であった。
「ようこそお越しくださいました、今朝がたから通話機が機能していないため、フィンク市長からお手紙が来る頃かと考えておりましたところです。」
「事務所にて待機し続けていただいたようで、有難く存じます。他の用件が無ければ、こちらに持参いたしました依頼内容に応じていただければ幸いです。」
秘書の男は封書を差し出し、いつも通りその場でリーピが便箋を開けて読むのを待った。相手からの返答を可能な限り早く得るためだ。
フィンク市長から依頼が来るだろうことは想定できていたものの、その内容は少々意外なものとなっていた。書面は常通り、フィンクの雑な走り書きにてごく短くまとめられている。
〈護衛連中の話を聞いてやってくれ。思い当たる節があれば、俺のところまで報告しろ。〉
まるで、後ろ暗いところがないかと相手を詰問するような文面となってしまっていたが、むろんリーピもケイリーもフィンクに対して隠さねばならぬことなどない。
端的に本題のみを述べているのは良いとして、さすがに短すぎる文面の意図を汲み取りかねてリーピは秘書の男へ問うた。
「なぜフィンク市長ではなく、護衛の方たちをお相手する依頼となっているのでしょうか?」
「言うまでもなく現状のフィンク市長は多忙の極致にあります。現在も、昨夜から未明にかけての工業区画における混乱、その事態収拾に奔走しております。しかしあなた方に依頼したいのは、その手伝いではありません。昨晩遅く、フィンク市長の私邸へと菌糸罹患者による襲撃が行われた一件についての究明です。」
それはリーピとケイリーにとって初耳であった。
むろん、ほぼ唯一の報道手段である新聞が配達されていないのだから、昨晩起きた出来事の全てを知ることは不可能である。
昨晩の工業区画での大規模な乱闘の裏で、現市長の自宅が菌糸罹患者に襲撃されていたのだ。
「そのような一大事が起きていたのですね。工業区画から逃れてきた罹患者たちの集団が、フィンク邸にまで及んだのですか?」
「いえ、彼らではありません。襲撃を行った菌糸罹患者は一名、身体を大掛かりに変異させた個体でした。」
「……警邏隊の大部隊が工業区画へと出動した後のことですか?」
「はい。」
リーピが述べた推測を、秘書の男は即座に肯じた。
あれだけの混乱を工業区画に巻き起こした元凶、身体が大幅に変異し強化された菌糸罹患者。遭遇したケイリーが逃亡したのち、警邏隊の前にも姿を現していない主犯であったが、昨夜の混乱のさなかに何もしていないわけではなかったのだ。
市内で最も厳重に警備されている市長邸宅に対し、単独での襲撃を実行できる個体となれば、奴を除いて他に居ない。
警邏隊の主戦力が展開しているエリアを避け、代わりに警備が手薄となっている要所を突くように襲撃する。以前も似たような手段が用いられたあたり、それは菌糸罹患者たちの常套手段となっているのかもしれない。
確かに、新市長となったフィンクを脅かすには絶好のタイミングではあったろう。リーピは重ねて尋ねた。
「現在フィンク市長がお変わりなく執務を続けておられるということは、その襲撃は無事に撃退されたのですね。」
「たしかに、襲撃してきた菌糸罹患者は撃退されはしました。しかし元凶の捕縛や排除には至らず、迎撃にあたった護衛が一名殉職したこともまた事実です。」
「……それは、僕らではなく、警察に捜査を依頼すべき件ではありませんか?」
リーピは至極真っ当な意見を述べたが、秘書の男は首を横に振った。
菌糸罹患者に襲われ、一人が亡くなったというのは事件に他ならないが、フィンク邸においては一般とは全く異なる状況となっている。
「警察の正式な捜査となると、フィンク市長の私邸に捜査隊を迎え入れることになります。捜査が続く限り長期間の封鎖を余儀なくされ、市長の職務に支障をきたします。また、捜査中に判明した事実を、警察組織が外部と即座に共有することはありません。結果、市長護衛のひとりを殉職させた元凶の特定は遅れてしまいます。」
「本来の手続きを踏むことなく、可能な限り速やかに襲撃を行った罹患者を特定したい、ということですね。」
リーピからの確認の言葉に、秘書の男は深く頷き返した。
殉職した護衛の敵討ちを念頭に置いても、常に拙速を尊ぶフィンク市長のみならず、この依頼を持ってきた秘書自身も可能な限り早期の決着を望んでいるようだった。
秘書と護衛では仕事内容はむろん、仕事を行う場面もまるで異なる。
とはいえ、自分が信頼した相手を長く雇い続けるフィンク市長の下では否応なしに距離感は近くあり続ける。殉職した一名の護衛のことも、むろんこの秘書はよく知っていただろう。
いつも通り、人間であることを疑いたくなるほどに無表情を貫いている秘書の眼の奥に、怨嗟の火が僅かに揺らめいたようにも見えた。
「状況は理解いたしました。ご依頼をお引き受けいたします。只今よりフィンク邸へと向かい、護衛の方たちとの情報共有を行います。」
「通話網が機能していない今、ご足労をおかけいたします。自分は直ちに市庁舎へ向かわねばなりませんが、フィンク市長の私邸にはリーピさんとケイリーさんへ依頼を行う旨を既に伝えておりますので気兼ねなく訪問いただけます。」
そもそもリーピとケイリーは、以前の依頼でも既にフィンクの護衛達と顔見知りとなっている。今ごろは相当に気を張りつめて警戒しているだろう彼らも、リーピとケイリーならば歓迎してくれるだろう。
用件を伝え終えた秘書は、来た時と同様に硬い靴音を響かせながら帰っていった。
あの時知り合った護衛達の中で、いったい誰が犠牲となったのか……リーピはあまり推測を働かせたくはなかった。
ケイリーからは、別種の心配を向けられた。
「リーピ、依頼を引き受けても問題ないのか?モース主任に思考回路を見てもらう必要がある、とも考えていたんだろう。」
「この街にモース研究主任がいらっしゃってすぐ会える、というのなら僕のメンテナンスを優先させていただきますが、そういうわけにもいきません。今まさに僕らのお手伝いを必要とされている状況があるのですから、即座に依頼へと赴くまでです。」
リーピはいつも通り理路整然と自身の判断を語った。
とはいえ、ある意味それは人間で言うところの“気を取り直した”かのような振る舞いであった。
むろん、明確に依頼を引き受ける意思を表明した以上、今さら決断を覆すわけにもいかない。リーピとケイリーは揃って出かける支度を済ませたが、今なおソファの上でどこか呆然とした様子のラーディへ声をかけることは忘れなかった。
「ラーディさん、先ほど起きてから何も召し上がっておられないようですが、空腹でしたらこちらの戸棚に保存食を用意しております。以前、僕らの事務所に人間が滞在する設備が無いことを指摘された後、緊急時に備えていろいろと準備しておいたのです。」
「流石に風呂場を作るまでには至っていないが、給湯室の隣に簡易トイレも増設してある。ラーディを監禁状態とするわけにはいかないから外から施錠はしないが、安全が確保されない内は出来る限り外出を避けてくれ。現状、例の罹患者がいつどこで出現するとも知れない。」
「はい、私も、今はおでかけしたい気分じゃありませんし……あ、筆記用具、お借りしてもいいでしょうか。」
リーピとケイリーからの助言に頷きつつ、ラーディは自宅から持ち出してきた数少ない品のひとつ、スケッチブックを開いている。
彼女が靴のデザイン案を描き溜めているスケッチブックであったが、まだ幾枚か白紙のページが残っていた。惜別の念や不安を抱え続けて何もせずにいるよりは、自分の仕事を僅かでも進めているほうが気晴らしになるのだろう。
ケイリーはデスクの上からソファ前のテーブルへと筆記具立てを運んでやりつつ、さらに忠告を重ねた。
「もしも通話機が唐突に復旧して呼び出し音が鳴ったとしても、出ないでくれ。昨晩から、どうも菌糸通話線網がおかしい。私たち自動人形が不在で、人間であるラーディが独りきりであることを確認されたが最後、この事務所に罹患者が来る恐れがある。」
「ですね……とはいえもともと、私、通話越しに喋るの苦手ですので、自分の仕事ならまだしも、他所様の事務所の通話機に勝手に応答したりはしませんから、ご安心を。」
ラーディは相槌を打っていたが、ケイリーは尚も心配そうに通話機を持ち上げ、内部に本来無いはずの特異菌糸が侵入していないか、重量を確かめていた。
リーピもまた、事務所の窓や扉の戸締りが十分か、緩んでいるところは無いかとこまめに確認しながらラーディへ早口で告げる。
「僕らが通話を試みることもございませんので、気兼ねなく通話呼び出しは無視して下さい。通常の訪問者についても同様です、ここが無人であるように静かにしていただければ構いません。万が一、侵入を試みる存在が現れれば、その時は通話機の緊急通報を使用してください。交換手を介さず警邏隊へと通じやすいはずです。そして通報の成否にかかわらず、こちらの備品室へ立て籠もってください。内部には滅菌剤の注入器がいくつか保管されているので、最終手段として用いることも想定に入れておいてください。」
「え、あ、はい、えっと、その備品室?ですね、そこに滅菌剤もあるんですね……?」
「リーピ、そんなに一気に喋っても話が入ってこないだろう。ともかく、万が一の際は身を守ることを第一に考えてくれ、ラーディ。お前の身に危険が及ぶ状況になる前に、私たちも可能な限り早めに帰るつもりだ。」
リーピを窘めながらも、ケイリーも少々念入りが過ぎるように言葉を重ねていた。
依頼元へラーディを連れて行くわけにもいかない以上、リーピもケイリーも帰ってくるまで彼女が確実に無事であるとの保障は得られない。ポームの時と同様、帰ってきたら既にラーディが菌糸罹患者となっているなどという可能性は、出来得る限り遠ざけておきたかった。
言葉選びこそ機械的とはいえ、それは自動人形の割に随分と心配性な振る舞いであった。




