記載内容確認:ポームの書き遺し
自動人形に似つかわしからぬ遅々たる動作で、畳まれた紙片を開いていくリーピ。沈黙の中、今ここに居るポーム……の肉体に宿った特異菌糸の意思は……じっとリーピの動作を見つめている。
硬く畳まれていた紙片の表面には、くっきりと折り目が残り、一部にはポームの爪が食い込んだ跡も確認できた。
特異菌糸に感染させられる直前のポームが、どれほど強く、このメッセージを書いた紙片を握り込んでいたのかを如実に伝える痕跡であった。
紙片は、ようやく開かれた。
あまりの恐怖に震え、乱れ、怯え切った、支離滅裂ながらも明瞭な生への懇願が、そこにはあった。
〈たすけて通じない 警察に通じない
あんなに皆が叫んでるのに 誰も助けに来ない
この周りの工場 ぜんぶアイツの仲間なのかも
これを見た人 すぐに警察呼んで
わたしは 事務室にいます〉
文面の冒頭は、特に乱雑な字で殴り書かれていた。
内容から鑑みるに、この手紙をブロックなどの固形物に包み、敷地外へと投擲して助けを呼ぶ意図で書かれたのだろう。通話機で呼んでも警察に通じず、それ以外で唯一信頼のおける探命事務所からも応答がない、という状況に至って発想したアナログな最終手段であった。
先ほど現場に向かったケイリーと違い、リーピはポームの仕事場内部を詳細に見る機会を得ていなかった。そのため、なぜ手紙を外へ投げ出して助けを呼ぶ手段が実行されず、最後の最後までポームが所持し続けていたのか判断し得ない。
生前の彼女に代わり、その謎に答えられるのはポームの身体に宿った菌糸だけであった。
「あの作業場の事務室、窓が無いんですよね。重要な書類とか、給料日近くなれば現金を入れる金庫とかもありますし、泥棒が入って来づらいようになってるんです。これが書かれた時、まさに工場の方々が襲われていまして……その真っただ中、作業場へと出ていく扉以外に、出入り口は無いんです。」
「そうだったのですね。もとより助けを呼ぶ機会を見出せない状況に、ポームさんは陥っていたのですか。」
自動人形であるリーピが淡々と返答するのと比べれば、この特異菌糸によって動いているポームの方がよほど痛ましげな表情を浮かべていた。
自分が宿った肉体の、生前の記憶をある程度なら知ることの出来る菌糸罹患者。現場の状況を思い返すと同時に、その時まだ人間だったポームが抱いた絶望も記憶の中から掘り起こされたのだろう。
リーピは再び紙面へと視線を落とし、文面の続きを読む。
急ぐ理由がひとつ失われたためか急激に字は小さくなり、同時に線の震えが目立つようになっていった。
〈リーピくんとケイリーさんなら 気づいてくれますか
私が家に帰ってきても それはもう私じゃありません
この紙 ポケットの奥に入れておきます
私が生きて出られたら 捨てるけれど
たぶん無理〉
リーピは顔を上げ、今なお寝床にて座り続けているポームの姿をした罹患者へと尋ねる。
「あなたが、僕に対して『リーピくん』という呼び方を選んだのは、ここに書いてあったためですか。」
「はい。まさか、一度も実際に呼んだことのない言い方を、手紙に書いているとは思いもしませんでした。彼女、平時は遠慮した呼び方を選んでいたけれど、内心ではリーピさんのこと、愛しく思ってたんでしょうかね。」
「自動人形に遠慮など不要だ、と幾度もお伝えしていたのですけれど……。」
言いながら、リーピは更にポームの言い遺しを読み続ける。
今目の前にいる、菌糸罹患者になり果てたポームがそれを阻止しなかったのは奇妙なことであった。
より重大な内容が、その先にあったためだ。
〈着替えを洗うときに ポケットの中も見ますよね
この手紙みつけたら すぐに通報してください
工業区画のほとんど 奴らの仲間です〉
文面はそこで途切れていた。きっと、閉じこもっていた事務室の扉が開かれようとするのに気づき、人間だった時のポームは紙片を小さく折り畳んだのだろう。
リーピは再び視線を上げ、ポームを見た。
その視線には、この情報をリーピが知り得た今、彼女が攻撃的な行動に移らないかとの警戒も含まれていたのだが……やはり、今ここに居るポームは穏やかに座り続けているだけであった。
リーピは問いかける。
「あなたたち菌糸罹患者の立場としては、この情報は秘匿されるべきものではありませんか?」
「そうかもしれませんけど、私、あんまり実感ないんですよ。今の自分が菌糸罹患者だ……っていう。演技とかじゃなくて、まだ今でも自分が人間のまま、『ポーム』という名前の女の子なんじゃないかって感じてるんです。」
ポームが語る内容に、虚偽は無さそうだった。
生前の人間の記憶を、不完全とはいえ引き継ぎ、人間を模倣して行動する特異菌糸罹患者。
むろん特異菌糸の意図が主となって行動方針を決定するわけだが、それでも生前の神経系を模倣して脳内に菌糸が思考回路を構築する以上、記憶のみならず性格面も、人間だった時のものがある程度引き継がれる。
以前遭遇したプロタゴとアリシアのように、生前利己的だった人間は、菌糸罹患者となり果てた後も自身の欲求を最優先として活動を行う。今回、工業区画にて襲撃を行った菌糸罹患者も似たり寄ったりだろう。
一方で、苦境の中で生きながらも、他者への遠慮を捨てきれないままであったポームは……菌糸に感染した後も、工業区画での深刻な状況が早期に発覚する可能性を潰しきることも出来なかったのだ。
天涯孤独となった後、ようやく得られた安寧への思い入れが、あまりに強く残っていたのだろう。
「正直、迷ってました。菌糸罹患者としての務めを優先すべきか、ポームのことを大切に思ってくれていた方々のために動くべきか。まぁその、結局、決めきれなくて。リーピさんとケイリーさんが全く気付かなかったら、それでいいとも思ってたんです。」
「探命事務所に幾度もの通話履歴が残されていた時点で、何らかの異常が発生した可能性には既に気づいていました。ですが、こうして確証を得られたのは、あなたがこの手紙を処分せず持ち帰ってきたおかげです。」
そう言いながらリーピは読み終えた手紙を置き、腰のホルスターから滅菌剤注入器を一本、抜き取った。
今の今まで処置を遅らせたこと自体が、非合理的な判断なのだ。
これ以上、菌糸罹患者となっていることが明確な存在を放置すべきではない。早急に、滅菌剤を対象へ注入し、枯死処分とすべきである。ただでさえ、ケイリーが今まさに向かっている工業区画では、より大規模な菌糸感染が発生している恐れがあるのだ、通報を急ぐべきだ。
そんなリーピの挙動を前にして、彼が何をしようとしているのか予測できないわけではなかったろうが、ポームはその行動を阻止しようとも、また逃亡しようともしなかった。
ただ彼女は、自分の中に残っている記憶の残滓を探るように首を傾げ、ポンと掌を打って口を開いた。
「あ、そうだ。私の記憶の隅に残ってたんですけど、人間だった時の私が手紙に書ききれなかった内容が、あるんです。」
「何ですか?」
「靴職人のラーディさんに、私のために作ってくれている靴、もう受け取れないって伝えてください。たしか、以前にサイズとデザインを決めて仮製作していただいて、その後オーダーメイドの靴を作っていただく話になってたんですよね?」
「……その記憶の内容は正確です。確かに、お伝えしておきます。」
リーピは滅菌剤注入器の針先からカバーを取り除きつつ、返答した。
またも、ラーディは親しくなった相手を喪うこととなる。彼女の胸中を慮れば、容易く受け入れられる報告ではなかろう。そも、工業区画全体が感染の危機に陥っている以上、ラーディ自身の安全確保の方が急がれるのだが。
針先を突き立てられようとしているポームは、確かに寝床に座ったままではあったが、なぜか両腕を小さく広げ、リーピの身体を迎え入れるような仕草を示している。
自動人形であるリーピとしては、明確な妨害でもない限り、相手がどのような振る舞いをとっていようとも関係なく滅菌剤を注入しさえすればよかったのだが……彼女の意図を問わずにいられなかった。
「どうされました?」
「いえ、もう、これ以上は人様に迷惑を掛けられないので、私を滅菌処分していただいていいんですけど……私がリーピくんを抱きしめたまま、やってもらってもいいですか?」
「何のためでしょうか。」
「私の記憶が、求めてるみたいです。リーピくんを抱いたときが、ようやく安心して眠れた、唯一の記憶だったようでして。」
リーピは返答しなかったが、ポームからの申し出を拒まぬ意思を、ただ彼女に身を寄せることで示した。
ポームの両腕が、リーピの狭い肩幅を包み込むように回される。
自身の身体を拘束させるなど、処分対象であるはずの菌糸罹患者に本来許すべき振る舞いではない。この場を警邏隊自動人形に目撃されれば、暴行現場であると判断され早急に菌糸罹患者の無力化措置が取られるだろう。
しかし、ポームがこめてくる力はあくまで和やかで、最期に味わえる安堵を噛みしめるかのようにゆったりとした抱きしめ方であった。
ポームに抱きしめられながら、リーピもまた極力穏やかに……あくまで、自動人形が判断し得る模倣としての穏やかさであったが……既に血色を失い、白磁のごとく美しいポームの首筋に、滅菌剤を注入する針を刺しこんだ。
「こんな優しい人こそ、ずっと生きててほしいです。」
リーピの耳元に囁かれた声が、ポームの振る舞いを模倣する菌糸罹患者が最後に発した言葉であった。
見る間に乾燥してひび割れていくポームの表皮を確認しつつ、その剥離片が極力寝床を汚さぬよう、そっと彼女の身体を横たえるリーピ。
乾燥して萎んでいきながらも、彼女は穏やかな眠りの中にあるようだった。
「自動人形は人ではありませんし、また生きてもいませんよ。」
リーピは機械的な声で答えた。
返答を受け取るはずもない状態の相手に対して返答するというのは、その実のところ非合理的な行動選択であった。
雑居ビルの階段を上がってくる足音。玄関扉がノックされ、警邏隊自動人形らの声が響く。
「夜分遅くに失礼いたします、警邏隊です。こちらの部屋で菌糸罹患者が発生しているとの情報を受け、訪問させていただきました。」
彼らがその文言を喋り終わると同時に、リーピは玄関扉を開く。
照明を点けず真っ暗な部屋であったが、同じ自動人形ならば十分に室内を視認できるだろう。背後の寝床の上、すでに枯死している罹患者の遺骸を指し示しながらリーピは伝えた。
「出動お疲れ様です。菌糸罹患者の存在を確定しましたため、僕が滅菌剤を使用し枯死処分といたしました。特異菌糸であるため空気感染の恐れはありませんが、現場の隔離と滅菌処理をお願いします。」
「早急な対処に感謝いたします。直ちに特殊清掃局へと伝えます。あなたも現場に残り、事情聴取と全身の滅菌処理を待ってください。」
「その指示には従いますが、もう一つ、至急お伝えすべき件があります。」
そこまで言ってから、リーピは一旦口を噤んだ。
重大な内容を伝えるために、自身が選ぶべき表現を再度推敲する間を必要としたためであるが、作業用自動人形ならばいざ知らず、会話に特化しているリーピの思考回路であれば無用の振る舞いであるはずだった。
文言の組み立てを考慮すれば、さして複雑でもない情報伝達。それでも内容の重大さゆえ、話し始めるためにいったん口を落ち着けなければならないのは、模倣対象である人間の振る舞いが随分とリーピの身に染みついている証であった。
短時間の無言を続けるリーピを、警邏隊自動人形たちは不具合を起こした自動人形でも見るかのようにじっと待っていた。
「……伝えるべき件とは、何でしょう?」
「工業区画に存在する複数の工場で、菌糸罹患者が発生している可能性があります。本日の夕方、発生した罹患者の襲撃時、現場周辺では助けを呼ぶ声に誰も反応しなかったとの情報があります。先ほど警邏隊詰め所から緊急呼集のサイレンが聞こえましたが、彼らが急行した現場のみならず、その周辺にも警戒すべきです。」
「情報提供に感謝します。」
警邏隊員の自動人形たちは、リーピへの返答もそこそこに。すぐさま雑居ビルの階段を駆け下りていった。
たった二体での出動ゆえ、特殊清掃局への通報と警邏隊本部への伝達、その両方を至急同時に行わねばならないとなれば、この場に隊員を残しておける余裕などあるはずもなかった。




