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ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
生き、捕える網は地下に
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警邏隊への情報伝達 およびポームへの質疑

 ケイリーは自分の身体パーツが実現できる限りの速度で、夜の街路を走っていた。関節部の摩耗などを気にしていられる状況ではない。


 先ほど工業区画にて遭遇した菌糸罹患者は、これまでになく“狩り”に特化した発達を為していた。


 純粋に筋力を増大させる方向に身体を発達させた菌糸罹患者は以前にも居たが、そのぶん増大した体重のために動きは鈍重となりがちであった。しかし、身体部位ごとの筋肉量の配分、その最適解を罹患者たちは想定以上の短期間で見出していたらしい。


 手足の長さは人間の倍ほどになり、純粋な歩幅の大きさゆえ走行速度は上がっており、なおかつ逃走する対象を捕らえることも容易であろう。筋力とリーチを兼ね備えた腕をもってすれば、素手の状態での殴打も十分な脅威だというに、あの菌糸罹患者は長大な刃渡りの肉切り包丁を手にしていた。


 防護傘をひとつ使い捨てて彼の視野を妨害する策が成就し、また疲労することのない自動人形であればこそケイリーは逃走が叶ったものの……あの菌糸罹患者に狙われれば人間は抵抗も逃げも出来ず、まず助からないだろう。


「上質な栄養源となる人体を、自力で狩り続けられるとなれば……今までの罹患者のように、短期間で枯死に至ることもない。早急な対処が必要だ。」


 ケイリーが向かう先は、無論ながら警邏隊詰め所である。


 確認しようのないことではあったが、まだ自身が追跡されている可能性を思えば、探命事務所やリーピの待っているポーム宅へと向かうことなど出来ようはずもなかった。


 むろん、今まさにポームと同じ室内で夜を過ごしているリーピのことが案じられるのも事実である。もはやポームが特異菌糸に感染させられていることは確定していた。彼女は復職が決まった作業場で、あの菌糸罹患者と遭遇しているのだ。


 養分として食われることなく帰ってきたということは、感染拡大の手段に選ばれたものと確実視される。元より栄養失調気味の、あまりに小柄すぎる肉体ゆえ、生存に必要な養分量も抑えられると見られたのだろう。


「リーピへの警告も急がなければ。事情を伝えれば、こちらへの応援も得られるだろうか。」


 ケイリーほどではないとはいえ、リーピも自動人形ゆえ相応に身体能力は備えている。


 が、菌糸罹患者が往々にして想定以上の膂力を発揮することを思い返せば、いかにポームが華奢な体格とはいえリーピが彼女とふたりきりの状況でいることは危険であった。


 背後に警戒しつつも、最短距離となるルートをとって警邏隊詰め所へと到着したケイリー。


 人間であれば息せき切った状態であったろうが、むろん疲労することのない自動人形が息を荒くすることはない。とはいえ、平常であれば発揮することのない速力で駆けこんできたケイリーに対し、入り口の歩哨に立っていた警備用自動人形は直ちに制止した。


 ケイリーが自動人形であればこそ、猛スピードで走り込んできても不審者として想定されることはなく、必要あっての行動であると警備からは円滑に判断されたのだ。


「そこで停止してください。緊急の用件でしょうか。」


「工業区画における造花の製造所にて、凶器を手にした菌糸罹患者と遭遇した。遺体は視認していないが大量に流血の痕跡があり、複数名の人間が犠牲となっている可能性がある。さらにもう一体、現場で特異菌糸に感染した人物の行き先も把握している。」


「直ちに指揮系統へ報告します、しばらくお待ちください。」


 自動人形同士の情報伝達はごく速やかであり、警備用自動人形が口にした“しばらくお待ちください”の文言もさして待たされる懸念とは無縁である。


 時間帯は深夜であったが、睡眠の必要がない自動人形に昼夜の差など職務遂行を左右する要因たり得ない。そして、それは人間……ということになっているはずの警邏隊員トロンドにとっても同様であった。


 一応は人間用の仮眠室に居たトロンドであったが、やはり眠ってなどいなかったのか、髪も乱れず目にも充血のない、普段通りの状態で詰め所奥からつかつかと歩いて姿を現した。


 上がってきた簡単な報告を聞いただけで状況の切迫は充分に察せたのだろう、トロンドは警備増員のため連れ出してきた自動人形隊員らに詰め所入り口を固めるよう指示している。通報者を追跡し、襲撃者が現れる可能性にも備えているのだ。


 俄かに慌ただしくなった詰め所入り口の配備を確認した後、トロンドはケイリーを手招いた。


「迅速な報告に感謝します、ケイリーさん。出動規模を確定させるため、詳しい話をお聞かせ願えますか?」


「工業区画に出現した菌糸罹患者は、積極的に人体を狩って養分摂取を行っていると思われる。大規模な身体発達を遂げ、生前の倍近い手足の長さが特徴的な外見であり、筋力増大と同時に俊敏な動作を実現している。現場に残留していた血だまりに多量の頭髪が混じっていることから、犠牲者は凶器によって頸部を切断されたと推測される。」


「全隊員に非常呼集を掛ける必要がありますね。あなたは現場への案内をお願いします。人間であれば通報者の安全を確保するところですが、あなたは自動人形ですので悪しからず。」


「了承した。」


 ケイリーが頷いている前で、トロンドは詰め所建物の入り口脇にあるハンドルを回し始めた。と同時に、詰め所内に高く鋭い音が鳴り響き始める。


 これは、回転する円盤上に等間隔で開けられた穴へ空気を吹き付けることで音を発するサイレンである。


 菌糸技術に頼らず機械的構造によって大きな音を発生させるサイレンは、非常時にも確実に動作する点で有用だ。とはいえ、音を鳴らすための円盤と、送風用タービンを同時に手動で動かさねばならない。幾枚もの歯車を組み合わせた非常に重いハンドルは、人間の力では僅かに動かすだけでも難儀する代物であった。


 トロンドはそれを難なくクルクルと回し、発生したサイレンの音に応じて、詰め所中で待機していた警邏隊員自動人形たちが慌ただしく行動を開始する物音が満ち始めた。


 サイレンの鋭い音が止むのを待ちわびつつ、ケイリーは更にもう一つの懸念をもトロンドに伝える。


「それからもう一件、私とリーピが現在同居している人物、ポームに関してなんだが……彼女は今日の夕方、その菌糸罹患者と遭遇しているはずながら無傷で帰還している。ポームもまた菌糸罹患者になってしまっている可能性が高い。」


「ポームさんは今、リーピさんと一緒に居られるのですか?」


「……何事も無ければ、そのはずだ。私が今夜、あの家から出た時には、ポームは既に就寝していた。睡眠を必要としない菌糸罹患者であれば、寝たふりということになるだろう……私が不在の内に、彼女がリーピを破壊するような真似をしていなければいいんだが。」


「そちらにも、警邏隊員を向かわせましょう。ただし、脅威度の高い件への対処が優先です。リーピさんのことが心配でしょうけれど、ケイリーさんは工業区画の現場まで我々を案内してください。」


 有無を言わせぬ調子でトロンドから告げられれば、ケイリーには拒否することなど出来ない。殊に合理的な判断に基づいた指示であれば、なおさら自動人形は拒む判断を下しえない。


 現場への突入準備のため一旦詰め所奥へと下がっていったトロンド。


 今さらながら詰め所内にはほとんど照明が点いておらず、暗かった。自動人形なら問題なく活動できるが、人間であれば満足な視野を確保できぬのではないかと思われる光量だ。この状態でも足早に歩き回っているトロンドが人間ではない可能性など、もはやほぼ確定しているも同然であった。 


 トロンドと入れ替わるように、重装型の警備用自動人形がノシノシと出てくる。その暴力性に下された市議たちからの不評ゆえに市庁舎の警備を外されたのち、この個体は警邏隊へと配属されていたらしい。


 戦闘力を詰め込んだ重量のため一歩ごとに軽い地響きを起こす重装警備自動人形は、詰め所内の床面タイルをかなり踏み割っていそうではあったが、さておき出動時の心強さは他と比肩すべくもない。


 現状の警邏隊の総力をもってあたれば、あの菌糸罹患者と遭遇した際の不安要素は皆無であった。


 ……解決していないのは、リーピの身の安全確保だった。


 いや、リーピは自動人形なのだから、破損しても修理すれば元通りになる。ポームの身体能力がそれを可能とするか否かはさておき、仮に修復不能なまでにリーピが破壊されたとしても、モースはきっとお気に入りの自動人形を製造しなおすだろう。


 それでも、ケイリーはリーピの身を案じずにはいられなかった。早くも装備品を身に着けおえたのだろう、指揮すべき部隊が揃っているのを確認しながら再び詰め所入り口まで出てきたトロンドへ問い直した。


「リーピのところには、何名の警邏隊員を向かわせる予定だ?」


「規定に則り、二名です。明確な脅威対象への対応に人員を割いている上、この詰め所や警察本部建物の警備をも手薄にするわけにいきませんので。ケイリーさん、現場への案内を開始していただけますか?」


「……わかった。」


 既に覆らぬ決定事項だけを淡々とトロンドから告げられ、ケイリーは僅かに声色を低めて返答し頷いた。


 たしかに、感染から間もない、ごく華奢な少女の姿をした罹患者を取り押さえるだけであれば、二名の警邏隊員で十分だろう。トロンドが下したのは、あくまでも合理的な判断であった。


―――――


 深夜の街区を遠くから響き渡ってきたサイレンの音で、寝床のポームは眼を開けた。


 眠りから覚めたのではなく、ただ閉じていただけの眼を開いたのみだ。


 よほどのことでもなければ鳴ることのないサイレンの音の何たるかを、生前のポームの記憶をいくら参照しても知りようはずがない。むろん“今の”ポームも、相当する知識を有さない。


 だが、非常事態が発覚したのだろうことは、十分に推測できた。あの菌糸罹患者が為した惨状が、警察の知る所となったのだろう。


 その現場から、かすり傷ひとつ負わず、何事も無かったかのように帰還した自分に疑いの目が向けられることも、ほとんど必然であった。


 まもなく、ここにも警察からの捜査員が来るだろう。


「リーピくん、聞こえてますか?」


 ポームが発した声には、思いがけぬほど近くから返答が与えられた。


「はい。やはり、起きていらっしゃいましたね。」


 寝床のポームの顔を覗き込むように、リーピは枕元に座っていた。


 ポームが就寝する時には少し離れた位置に座っていたはずだったが、リーピはほぼ音を立てぬまま間近まで寄り、ポームの観察を続けていたのだ。


 既に、ポームの身に起きた真相について、リーピが気付いていることは明らかであった。


「今の音、何でしょうか。」


 それでも、ポームは人間のふりをし続けた。


 菌糸罹患者としての立場を優先するなら、ここに警邏隊員がやってくる前に脱出すべきであり、リーピと会話を続けることは全く時間の無駄である。


 いや、そもそも今日の夕方の時点で、この部屋に帰ってこずともよかったのだ。それこそ「ラーディさんの家に泊まる」とでも口実を作れば、リーピに監視される状況にも陥らず、さらには人間であるラーディへと感染拡大させることも可能だった。


 だが、ポームはリーピと対話する時間を求めていた。それは生前、強く染みついた執着が、菌糸に置き換わった思考回路内にも残されていたためかもしれない。


 リーピは淡白な返答を述べる。


「あの音は、警邏隊詰め所から発される非常呼集のサイレンです。脅威度の高い取り締まり対象が、逃走または活動中である際に発されます。」


 それは単なる解説であり、相手からの応答を前提とする発言ではなかった。


 しばらく無言が続き、その沈黙の時間をポームは実に歯痒く感じた。


 こうしてリーピと話せる時間は、ほどなく断たれるのだ。自分が人間のふりをし続け、リーピが演技に気づいていない振る舞いを続けても、もうじきやってくる警邏隊員によって玄関扉がノックされる。


「リーピくん、私が寝てなかったことが意外じゃないみたいに、さっき言ってましたよね。どうして、そう思ったんですか?」


 ゆえに、早々にポームは自ら、リーピに真相へ踏み込ませるよう誘導した。


 自動人形は、明確な質問に対しては相応の答えを用意する他にない。これ以外の手段を、どうしてもポームは取れなかった。


 リーピは、自動人形らしからぬ間を置いてから、口調遅く答える。


「……就寝しているはずのあなたが呼吸をいっさい行わず、先ほど発話を開始する際にはじめて息を吸い込んだことが、確認できたためです。生存に呼吸を必要とせず、声帯を震わせるためにのみ呼気を用いるのは、菌糸罹患者の特徴そのものです。菌糸罹患者は、睡眠を必要としません。」


「リーピくんがそこまで言うのなら、私が人間じゃないこと、確定しちゃってますね。……正解です、私は菌糸罹患者です。」


「僕が言ったから、確定したのではありませんよ。全く言及せずとも、覆しようのない事実でした。」


 相変わらず事実のみを述べているリーピであったが、彼の声色に本来抱かれぬはずの悲痛な響きが聞き取れたかのように感じ、ポームは今初めて視線をリーピの顔に向ける。


 むろん、ただでさえ表情変化に乏しいリーピの顔に、自動人形が持ち得ない感情が現れているはずもなかった。


 それにしても、先ほどからリーピの行動は合理性を欠いていた。菌糸罹患者であることが確定していたのなら、ここで言及されるに至る前に、それこそポームが寝ているふりを続けている内に滅菌剤を注入し、枯死処分としてしまうのが確実だというのに。


 ポームが寝床から上体を起こし、リーピの方に向き直って座っても、彼は作業服腰部のホルスターに常に幾本も差し込んでいる滅菌剤注入器へと手を伸ばそうとすらしていなかった。


 ポームは……正確に表現すれば、ポームの身体に宿った特異菌糸は……自分もまた、リーピと共に居られる時間が失われるのを惜しんでいることに気付いていた。


「えっと、リーピくん?」


「その呼称も、あなたが本来のポームさんではないことの判断材料の一端となっています。彼女は、僕のことを『リーピさん』と、多少距離を置いて呼んでいました。『リーピくん』とは一度も口にしていませんでした。」


「……私も、どっちを使うか迷ったんですけどね。思考回路に残されてた記憶と、この書き遺しの内容とで、食い違ってるものですから。」


 ポームは、小さくきつく折り畳まれた紙片を、寝間着のポケットから取り出した。


 あの現場から持ち帰ってきた唯一の物であり、入浴を行う際も先んじて着替えのポケットに押し込んで、見つからぬようにも、捨てぬようにもし続けていたのだ。


「私が、いや、えっと、その“人間だったときの”私が、最期に書いたものだと思うんです。服のポケットに押し込まれてまして……菌糸罹患者としてはさっさと捨てるべきだったんでしょうけど、どうしても捨てられないんですよ、この体を使ってる限り。」


「拝見します。」


 ポームから受け取った紙片を、リーピは破らぬよう丁寧に開いていく。消灯したままの室内は真っ暗であったが、自動人形も菌糸罹患者も活動には光量など必要としない。


 それでも、畳まれた紙片を開くリーピの挙動は、遅々としていた。内容の確認を遅らせる必要性は無いはずであったが、自身に動作を急がせることも出来なかった。


 これが単なる情報の入手プロセスではないことを、リーピは理解していたのだ。

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