自主調査:ポームの職場における不審状況
その晩、ポームは昨夜のように添い寝を要求することなく、独りで寝床に入った。
彼女が寝息もなく静かに横たわったのを確認してから、無言のうちにケイリーはリーピと目を合わせ、頷き合う。
もしも、ポームが既に特異菌糸罹患者となり果てており、今も人間であり続けているふりを続けているのならば……睡眠する必要のない状態となっているはずだ。今も、ただ寝ているフリをしているだけの可能性がある。
睡眠が不要であることは、同じく菌糸を活動源とする自動人形も同様である。一晩を徹して、リーピは寝床のポームを観察し続けることを決めていた。願わくば、彼女が人間であると確定する証拠を得るためにも。
リーピにこの場を任せた一方、ケイリーは足音を忍ばせ、そっと玄関を開けて出て行く。硬く絞って閉じた防護傘を、忘れず背負った。
(ポームが復職手続きを進めていた工場は……工業区画に入ってすぐの位置だな。今の物件を紹介してもらう際に、通勤距離の短さを確認した記憶がある。)
今日の夕方、リーピとケイリーがロターク社から帰ってくる前に、短時間に繰り返し十回以上の着信履歴が打刻されていた通話機。
工業区画からリーピ探命事務所へと通話を掛ける可能性のある存在としては靴職人のラーディが居たが、彼女自身からは通話をしていないとの返答を得られた。ならば、残るはポームだけである。
ポームの言としては、無事に工場への復職が決まった嬉しさから繰り返し通話を掛けた、とのことであったが……ポーム本来の性格を鑑みれば、あまりに不自然な行為だ。仕事の労苦に引き戻されることについて、十回以上も通話を試みるほどの喜びを見出すとはとても思えない。
工場で何らかの異常に遭遇したのではないか。ポームは、助けを求めていたのではないか……“まだ人間だった”ときに。
夜間の通行人をほとんど想定していない、疎らな街灯が距離を置いて建ち並ぶ街路の一画にて、ケイリーは足を止めた。
(ここか。ポームが復職した先……造花の製造所。)
いつぞや、チャルラット医院の飾りとなるインテリアを選んだ際、リーピとケイリーも購入したことがある造花と花瓶。
生花と違い、菌類の繁殖する恐れの無い造花は、菌糸汚染の脅威が広まりつつある今になって地味に需要を伸ばしつつある品だ。生花を扱っていたアントンの花屋が今や存在しないことも手伝ってはいたが。
樹脂や布を組み合わせて本物そっくりに作る技術もさることながら、色や形状の取り合わせで美しさを表現することは人間の感性をもってしか出来ることではなく、自動人形に取ってかわられづらい仕事のひとつでもあった。
とはいえ業種としてはそこまで大きな規模にはならず、造花製造所は工業区画の隅に追いやられている。だからこそ、ポームが街外れの雑居ビルから通いやすくもあるのだ。
工場によっては深夜も作業を続けており、今も区画内には遠く響く金属音があちこちから響いてきていたが、流石に造花づくりには深夜作業もなく、閉めきられた作業場には人の気配もない。
(まずは、外部から視認できる範囲で観察するか。)
ケイリーは再び歩き出し、造花製造所の敷地周囲をぐるりと見て回る。作業服を着こんだ彼女は、遠目からは作業用自動人形の一体にしか見えない。
誰も内部に居残っていないのは、確かであるようだった。造花用の素材は蓄えられているだろうが、高値のつく金属製品と違って、わざわざ狙って盗みに入る者もいない。作業員へと給与を渡す日でもなければ、事務所に現金を残してもいないだろう。
「誰も見ていないのなら……少し中を見せてもらう。」
監視している警備員や警備用自動人形が居ないことも確認したケイリーは、作業場入り口の閉じられた門扉を軽く飛び越えて内部に侵入した。
人間の身体能力では想定されていない挙動を為せる自動人形であればこそ、可能な侵入である。侵入行為自体は法に抵触しかねない振る舞いであったが、ポームの身に起きたことを確認する目的をこそ、今のケイリーは優先していた。
異様な状況は、敷地内に入ってすぐ目の当たりにすることとなった。
「荒らされている……流血の痕跡もある。」
どれほどの暗さであっても十分に機能する自動人形の視覚を以て、ケイリーが視認したのは明らかな事件現場であった。
前述の通り貴重品もなく、だからこそ警備の置かれていない作業場であったが、その内部には乱闘でも起きたかのごとく破壊の痕跡が残されていた。窓や扉はことごとく外れ、そこから覗かれる屋内には整然と並んでいたはずの作業台が乱雑に転がっている。
ケイリーは背負っていた防護傘を手に取り、握り締めた。
事件性があるのは明確であり、それが起きた瞬間に警察に通報されていてもおかしくない状況であったが、今なお放置されているということは周辺に異変は気づかれなかったのだろう。工業区画ということもあり、周囲の作業音に騒動の音が紛れてしまった可能性がある。
作業台や床にはあちこちに血だまりが乾いたと思しき黒ずんだ染みが残り、そこから何かを引きずったような跡も延びていたが、いずれも痕跡は途切れ、負傷した人体や遺骸は残されていない。
「野生動物が暴れたのでなければ、これは特異菌糸罹患者の振る舞いだ。養分源を得るための。」
誰に聞かせるわけでもなかったが、ケイリーは唇だけを動かしているだけのような小声で呟いていた。
いつもならリーピと語り合う内容だが、彼をポームの傍に置いてきた以上、状況から得た情報は独りで整理しなければならない。
そもそも野生動物が、律儀に入り口の門扉を閉じて帰ることはあるまい。食い散らかした後を残さず、ご丁寧に遺体を持ち帰ることも無いだろう。
生存し活動を続けるために多量の養分と水分を必要とする特異菌糸罹患者が、栄養摂取源としての人体を求め、人間を狩った痕跡と見て確実だった。
通報すべき状況であることは確定していたが、ケイリーは可能な限りポームに関する情報の断片でも集めようと、現場へ踏み込んだ。
「出来る限り、残留物には触れないように……。」
自身の動作性で再現し得る限り慎重に、ケイリーは歩を進めていく。足音を忍ばせる必要も、無論あった……この現場に、実行犯である菌糸罹患者が居残っている可能性も皆無ではないのだ。
作業場にて仕事をしていた面々は、遺骸こそ持ち去られているものの、床に多量の黒ずんだ血痕が残されている点を鑑みれば、ほぼ生存の期待はできなかった。襲撃を行った罹患者が騒ぎの拡大を望まぬだろうことからも、彼らはごく短時間のうちに“狩られた”のだろう。
近寄って更に詳細に見てみれば、乾ききって黒ずんだ血だまりの痕跡には、多数の毛髪も混じっていた。
「散乱している毛髪ばかりではない。切りそろえられた髪束が落ちている……頸部を刃物の一振りで切断でもしたのか?」
特異菌糸罹患者は大量の養分を摂取し続けなければ全身の菌糸が枯死してしまうが、そのデメリットを飲んででも生存し続ければ、身体を思うがままに発達させることが出来る。
以前、プロタゴとアリシアが筋肉量を増大させて巨体となっていたように、この襲撃を行った菌糸罹患者も相応の身体発達を為していたのかもしれない。それも鈍重な動きしか出来ぬ巨体ではなく、より俊敏に襲撃を行えるよう、洗練された体躯へと。
それほどの発達を行う猶予を得られる特異菌糸罹患者が何者であるかについては、確定こそ出来ぬものの絞り込むことは不可能ではない。
「特異菌糸罹患者が長期間、生存できる条件が揃っていたのは、やはりあの製剤会社敷地内……レイストス元議員と同様、滅菌部隊が踏み込む前に脱出した罹患者の一員か。」
いっそうケイリーは周囲への警戒を強めたが、この狭い作業場には何者も残っていないようだった。まだ視認していない区画は、作業場に隣接した事務室だけだ。
事務室内を確認するのも、容易であった。その入り口の扉が、強烈な力でこじ開けられていたためだ。
床には扉枠に填まったままのドアが倒れ込んでいた。ひと通り養分源を得た後の菌糸罹患者が入り込んだおかげか、事務室内に限ってはさほど荒らされた跡が無かった。
「通話機だ……ポームは、これを使って、私たちの事務所へ繰り返し通話を掛けたのか。」
防護傘をより強く握り直しつつ、ケイリーは呟く。使用している最中に乱暴に投げ出されたのだろう、半壊した通話機が床に転がっている。
復職が決まった喜びを伝えたくて、繰り返し通話を試みた……などと、とても言える状況ではなかったろうことは、既に明白だった。
ポームは間違いなく、助けを呼んでいた。
「まず通報する先といえば警察だろうが、通じなかったのだろうか?緊急用ではない、一般用の菌糸通話線を通じて探命事務所を呼び出したということだろうか。」
ケイリーは推測を巡らせたが、この場では確証を得られるものではない。
この事務室のデスク傍に転がっていた通話機は、既に通話線を切られている。ポームが立て籠もっているこの場所へ、扉をこじ開けて入ってきた菌糸罹患者が即座に切断したためだろう、ちょうど通話線が切られた位置のデスク上に大きな切り傷が残されていた。
ケイリーは事務室のデスクを回り込み、引き出しが並んでいる側を視認した。事務室内に居る時に外部で騒ぎが起きたとなれば、最も隠れやすい位置はデスクの下だ。
ここに、ポームが何らかを残していないかとケイリーは推察したのだが……さすがに、何も残されていなかった。
「被害者が咄嗟に残すようなメッセージを、わざわざ襲撃者が見逃すはずもないか。」
デスクの引き出しを一つ一つ開いて内部を確認しようか、ともケイリーは行動の候補を抱いたが、それは思いとどまった。この後、警察の捜査が入ることを鑑みれば、現場のものを極力動かすべきではない。
現状のポームが既に人間ではなくなっている証拠ばかりを目にする羽目となったが、ともあれ今は現場を去り、その足で通報に向かわねばならない。
来た時と同様、不用意に残留物を踏まぬよう細心の注意を払って足を運びつつも、ケイリーは未だ晴れぬ違和感の正体、その一つに思い至った。
「通話機を使えていたということは、仮に警察には通じなかったとしても……通話交換手には状況が伝わっていたはずじゃないか。なぜそれでも警察にこの件が把握されていないんだ?」
菌糸通話線を用いた通話網は、通話を掛けたい先の番号を通話交換手へと伝えることで、求める相手へと接続される。
仮に、この作業場から出ている緊急用通話線が事前に切られていて警察への通報が不可能となっていたとしても、一般用の通話線が生きていたからこそリーピ探命事務所へと呼び出しを掛けることが可能だったのだ。
その通話を繋いだ交換手は、何も異常を察しなかったのだろうか?ポームが直接、交換手に助けを求めることはなかったのか?
「おかしい……通話交換手がいかに多忙であろうと、異様な発信があったことを記録していないというのも不自然すぎる。私たちが発信先について質問した際も『工業区画からの発信番号だった』と、まるで誘導するような言い方だけを……。」
直後、ケイリーは背後を振り返った。
そう行動するべきだと判断する、明確な要因は無かった。ただ、急激に鋭敏となった感覚が、危機を認識させたというべき状態であった。
自動人形に備わっていないはずの、勘が働いたかのようだった。
「誰だ!?」
鋭い声を発しながら、後ろへと飛び退くケイリー。
「あぁもう、どうして気づいたんですか。」
彼女の背を追うように、男の不自然に慇懃な声が返事した。
ケイリーの頸部があった位置を、風切り音とともに大振りな刃が通り抜けていた。
空気だけを切り裂いた、その切っ先だけは汚れが拭われていたものの、切れ味に関わらない位置は血肉で汚れていた。
刃を振るったその存在は、絶好の機会を逃したことをいかにも残念そうに、しかし何故か口元には愉しげなニヤ付きを浮かべ、ケイリーを見下ろしていた。
ケイリーの側からは、見上げなければ相手と目が合わない。
「特異菌糸罹患者か……!」
「いいえ僕は人間です、との言い分は通りませんかね、この容姿では。」
その男は、人間であった時の倍近くは身長が伸びていただろう。手足も身長に伴って伸び、おそらく下町の店舗から拝借してきたのだろう巨大な肉切り包丁を、骨ばった手で握り締めていた。
むろん、着ている服は彼の身体の変容に対応できるサイズでもなく、おそらく生前は高級感のあるスーツであったはずのそれは、寸詰まりの半袖半ズボンのごとき状態となり果てている。ジャケットもシャツも黒色かと見えたが、実際には返り血が染みついて乾いた後の色だろう。
しかし異臭は殆ど無かった。養分源となるものを悉く吸収する菌糸の働きゆえか、付着した雑菌が繁殖できる余地すら残っていないのだろう。
全体的に末端部がひょろりと伸びた身体は、蟷螂のようなシルエットとなっていた。
その恰好で無邪気さすら思わせる笑みを湛え、まるでチャンバラごっこでもするかのように刃物を振りかざしている男の振る舞いは、ごく不気味なものであった。
相対しているケイリーも、手に握り締めているのはいつも携行している防護傘である。
畳んだ傘を構えているケイリーを見下ろし、ますます男は悦に入ったように笑みを強めた。
「童心に帰りますねぇ、こうしていると。傘で戦いごっこなんてした日には、親から叱られました。傘の骨が歪むから、って。子供が怪我する恐れよりも、傘の心配が先かよ、と感じたものですけど。」
「それはお前の記憶ではないだろう、お前が宿ったその身体が、生前に刻んだ記憶だ。」
「無粋な事を仰いますね。やっぱり自動人形さん相手では、世間話も出来ませんか。ここの事務室で、あなた方に助けを呼んでらした少女は、お喋りのすえ、僕らの仲間になることを同意してくれたというのに。」
むろん、ケイリーはこれ以上相手と対話する必要性を見出していなかった。
この菌糸罹患者が、ここを襲撃した実行犯であることはほぼ間違いない。ポームは彼に追い詰められ、身体を切り裂かれて養分として摂取されるか、菌糸に感染させられ仲間になるかの二択を迫られたのだろう。
通話交換手が、彼と共謀していたか否かは定かではないが……少なくとも、ポームが助けを求めていた相手がここに来るよう誘導されたことを、この菌糸罹患者が知っていたことも明白だ。
ケイリーがひと通り現場を見て回り、帰還する矢先の警戒が緩む瞬間を狙って、その頸を刈ろうとしたのだ。
返答なしに、防護傘を振り上げたケイリーを前にして、菌糸罹患者の男は笑む。
「その位置で、傘を振り回してもダメですよ。届かないでしょう。」
確かに、ひょろりと伸びた腕に、その腕とほぼ同じ長さの刃渡りを有する刃物の方が、間合いにおいてはずっと有利だ。
が、この菌糸罹患者に、自動人形を相手取る経験が無かったのは、ケイリーの利に働いた。
全力の勢いで腕を振り下ろすケイリー。
腕を振り終える時には、既にケイリーの手には防護傘は握られていない。
「あっ……たた。」
一拍遅れて、男は自分の顔面に飛んできた傘の先端が突き刺さっていることに気付く。
痛覚のない罹患者ながら、反射的に痛みを感じたかのような声を発してしまうのは生前からの癖らしい。ちょうど右目の下あたりに、傘の先端が食い込んでいた。
彼も即座に反撃の刃を突き出した。
「助けを呼ばれては面倒なので。」
腕も足も人間の倍ほどの長さとなっているため、一歩踏み込んで腕を突き出すだけで相当な間合いを詰められる。
が、それはケイリーに易々と回避された。
それも当然のことで、彼の顔面に刺さった傘がバサッと開き、完全に視野を覆い隠していたため、標的の姿を全く視認できなくなっていたのだ。
「うわっ、見えなっ。」
顔面の骨格に深々と突き刺さり、返しの棘が食い込んでいる傘の先端はそうそう容易に抜けない。
ごく太い金属製の防護傘は総重量もかなりのものであり、間もなく菌糸罹患者の男はひょろ長く伸びた首を俯け、地面につけざるを得なくなった。
「こんな重いもの、よくまぁ、これほど勢いよく投げつけられますね……!」
ようやっと感情らしい感情を声ににじませながら、無理やり顔面から傘の先端を引き抜く男。
返しの棘が食い込んでいた組織が剥離したことで顔面の損壊は酷いものとなったが、除去を急いだのは彼にとっては正解であった。突き刺さった先端部からは粘液が……ロターク社謹製の滅菌剤が滲出しはじめていたのだ。
突き刺さったままに任せていては、その場で彼は枯死させられていたことだろう。
「ちょっと、人形さん?あれ、どこ行きました?」
即座にケイリーへと反撃を行うつもりだったのだろうが、再び視野を取り戻した彼の前には、もはやケイリーの姿は無かった。
菌糸罹患者はひょろ長く伸びた手足を、まるで四脚歩行の獣のごとく用いて迅速に移動し、壁面も虫の様に這いあがり、作業場の屋根にまで上って周囲を見回す。
が、既にケイリーは逃亡した後のようだった。
自動人形らしく、情報を持ち帰り然るべき機関へと持ち込むことを優先した行動であった。
菌糸罹患者の発達させた機動力をもってすれば、そして顔に刺さり開いた防護傘による視野の妨害さえなければ、ケイリーを捉えることは不可能ではなかったろうが……今回は自動人形の判断力が上回った結果となった。
「傘をわざわざ置いていくなんて……また遊びに来てくれる口実だってのなら、ロマンチックなんですけれどね。」
誰に聞かせるわけでもない冗談を呟き、彼は屋根伝いに手足を食い込ませながらカサカサと移動して姿をくらました。
自身の為したこと、自身の存在が情報として漏洩したとなれば、相応の立ち回りに切り替える必要があった。




