依頼30:対菌糸罹患者実戦試験 2/3
石柱が立ち並び、そこかしこに廃材が転がっている巨大貯水槽の底を、ケイリーとケイティーは互いにカバーしあえる間合いを保ちつつ、慎重に進んでいた。
上から俯瞰した時には明瞭に認識されなかったが、床のあちこちに積み重ねられ放置されている廃材の山は、想定外の高さとなっていた。大抵はケイリーの身長よりも高く、爪先立っても廃材によって視野が遮られる。無論ながら、脚を掛ければ容易に崩れるだろう廃材を乗り越えることは現実的ではなく、移動面においても障害となっている。
自動人形メーカーであるロターク社では日々大量の産業廃棄物が出るだろうが、菌糸汚染のリスクが高いものが優先的に処理される。ゆえに、汚染リスクのない廃材の類ばかりがここに放置されているのだ。
工場設備が冠水するのを防ぐ際に緊急注水する目的で作られた巨大貯水槽は、晴天続きの近日内では本来の目的通りに使われた痕跡もなく、乾ききった中で多数の廃材を抱えるばかりであった。
その壁面の一端を歩き切り、脚を止めたケイティーはケイリーの肩に手を載せる。
直に触れた掌からの振動で、ケイティーの声は空気に伝播することなくケイリーの聴覚受容器まで伝わってきた。
「現状、罹患者は視認できず。角を曲がり、引き続き壁面に沿って移動する。」
ケイリーは無言のままに頷き返し、先導するケイティーに従って周囲を警戒しつつ移動再開した。
細く硬く絞って畳まれた防護傘を、杖のごとく握り締めているケイリー。重量のある鈍器として、あるいは至近距離で開いて敵に対する視野妨害として活用し得る、扱い慣れた得物だ。
一方で、ケイティーは素手のままである。当然、警備用自動人形として製造された以上、物理的出力はケイリーを上回っているだろう。ケイリーが持てぬほどの重量物もケイティーならば振り回せるだろうが、その際の遠心力や打撃時の衝撃が伝われば関節部の劣化は早まり、損壊のリスクは高まる。純粋な握力や腕力を以て、標的を無力化する方が手っ取り早い。
姿を似せて作られただけに留まらないケイティーは、ケイリーが本来有していない機能をも搭載している。掌で触れた対象に声を伝導させる機能もその一つであり、ケイリーも似たようなことは出来るが喉元を相手に密着させねば実行不可能である。
こちらは地味な機能とはいえ、現状のように敵対存在に自身の居場所を悟らせるべきでなく、あまつさえ会話内容を漏洩させるべきではない状況ではほぼ必須の機能であった。
ケイリーとケイティーが巨大貯水槽内の壁面に沿って移動しているのは、包囲される可能性を極力下げるためである。ただでさえ逃げ場のない地下空間の捜索、視野を遮る廃材が乱雑に置かれた只中を敢えて進む選択は優先的に採るものではない。
同じ空間内に閉じ込められている菌糸罹患者が複数名いることは、前もって知らされてはいなかったが……ケイリーとケイティーは共に、そのことに気付いていた。
手掛かりとなる痕跡が随所で確認できたおかげであり、その新たなものを今まさに発見したケイティーは無言のままに床を指し示す。
(また、サイズの異なる靴跡。これで三人目、すなわち最低でも三名以上の菌糸罹患者が存在するということだ。)
ケイリーはケイティーに向けて頷き返し、腰の滅菌剤注入器をいつでも引き抜けるよう構えながら、さらに慎重に先へと進んでいく。
廃材が投げ込まれる際に外部から持ち込まれた塵埃は、乾ききった貯水槽底部にこびりついている。水が注入されることもなく、また風雨にさらされることもない地下空間では、そこに刻まれた足跡は風化せず残り続ける。
かつて門外不出とされていた特異菌糸を持ち出して新型自動人形を製造し、販売してしまった責を問われた研究員たち。モース主任の手で特異菌糸罹患者となり果てた彼らは、今なお生前の研究員としての容姿を保って行動し続けているようだ。ロターク社研究員に支給される衣服や白衣と同様、靴も統一されているらしく靴底が刻んだ跡は全て共通している。
自動人形の正確な目測をもってすれば、体格ごとに異なるサイズの靴を履いていることは一目瞭然であった。
(だが、今もって菌糸罹患者たちの姿は視認できず、彼らが立てるはずの音も聞こえない。)
当然ながら、菌糸罹患者たちは意図して身を潜めているためだ。
モースが彼らにどれほどの情報を与えているのかは定かでなかったが……少なくとも、菌糸罹患者となって目覚めた時点で彼らは、この巨大な地下貯水槽に居たことだけは間違いない。脱走したり、他の人間に感染を広げたりする可能性が皆無の状況でこそ、存在を許される者たちだ。
脱出路の見当たらない、ただ廃材だけがあちこちに積み重ねられた異様な地下空間。気づけばこんな場所に放り込まれていたとなれば、自分達の置かれた状況を瞬時に理解できる者など、そうそう居ないだろう。
そんな時に上から梯子を使って降りてきた存在が居るのなら、説明を求めて接触を試み、現状への困惑と混乱を伝え、ここから出してもらうよう説得する……そんな発想に至ってもおかしくはない。むろん、敵意も示さぬように。
しかし菌糸罹患者は、ある程度は生前の人間の記憶を模倣できる存在である。
己が菌糸罹患者であると露呈した時点で、人間から遠ざけられ、滅菌対象として処分されることも、知っている。
ケイリーとケイティー、自動人形である彼女らが投入された時点で、すなわち菌糸罹患者達の処分が目的となっていると解することは十分に可能なのだ。
(彼らが姿を隠し続ける意図は、私たちに発見されずやり過ごすためか……あるいは、奇襲して自力脱出の道を見出すためか?)
判断材料が足らず、明確な正答を見出し得ない項目についても思考を続けているケイリー。
リーピと共に、人間との対話を前提として製造されたがためである。不安に駆られた人間から話しかけられた際に円滑な応答が可能となるよう、自動人形本来の思考においては切り捨てられる内容にも思考を割く傾向を有していた。
一方で、純粋に菌糸罹患者への対処に投入される想定で製造されたケイティーは、認知能力をより鋭敏に周囲へと働かせることが出来ていた。
彼女は背後のケイリーに停止するよう掌を向けて伝え、前方に積み上げられた廃材の陰を無言で指さした。
(そこに、隠れているのか……?)
ごちゃごちゃと絡み合った鉄線や歪んだ鉄骨の隙間、砕かれた瓦礫の破片に紛れ、肌色の表皮が僅かに見える。
血の気が失せつつある肌色は、菌糸罹患者の身体特有のものだ。人間と違って体温を発さない菌糸罹患者は、じっと動かずにいれば無生物と存在感が変わらない。
とはいえ、その存在は瓦礫の山奥深くに埋没しているのではなく、軽い破片ばかりが上から乗せられているような状態である。
ゆえに、隠蔽は不完全だったのだ。思い込みや錯視に左右されない自動人形の視覚は、誤魔化されない。
(気付かずに接近してきた者へと即座に襲い掛かれるよう、あの状態で待ち構えているということか。)
もはや、菌糸罹患者が奇襲を準備していることはほぼ確定したも同然だったが、ケイティーは手振りで引き返すようケイリーへ伝え、彼女自身も前方を注視したまま後退を始めた。
菌糸罹患者は養分摂取量次第では筋肉量を異様に増大させることも可能ではあるが、この地下空間ではさして潤沢な栄養源など得られないだろう。すなわち自動人形の出力に抗し得るほどの膂力を彼らが得る手段はない。
瓦礫の山に埋没する形で待ち構えた菌糸罹患者が仮に奇襲に成功したとしても、自動人形の外殻を多少損傷させたのみで振りほどかれ、あっさりと無力化されてしまうだろう。
ということは、単体による奇襲が本命ではない。連動して自動人形らを包囲するよう、同時に複数の菌糸罹患者が襲撃してくる可能性が高い……ケイティーはそう推測し、ケイリーもまた同じ思考に至った。
(我々の背後に、複数名が接近している。)
その推測は正確だった。
ケイリーたちが引き返し始めた動きに多少遅れ、慌ててこの場から離れていく足音が複数聞こえる。一応は足音を極力控えようとはしているらしいものの、想定外の事態に算を乱し、ばらばらに逃げていく様は明確に聞き取れた。
ケイティーとケイリーは顔を見合わせて頷き合い、予備動作なしに移動速度を急加速し、最も近くに聞こえた足音の主へ追いついた。
「あ……。」
瓦礫の山の死角へと逃げ込もうとしていたその者は、薄汚れた白衣を羽織り、地味な色味のシャツとズボンを身に着けた小柄な男である。足には先ほど確認された靴跡と一致するサイズの靴も履いており、顔を見れば鼻には長年にわたって眼鏡を載せ続けた痕が残っていた。
彼が元研究員であること、そして今は特異菌糸に感染し人間ではなくなってしまっていることは、ほぼ確実であった。身体能力にはやはり劣っているためか、急に接近してきた自動人形の動きには反応しきれず、すんでの所で逃れ損ねケイティーに襟首を掴まれてしまっている。
生前も同様の性格だったのだろう、すっかり怯え切った様子を作りながら、その小柄な菌糸罹患者は震え声を発する。
「ひ……ひゃあっ!?あ、あなたたちは、誰ですか!?ぼっ、僕は、目が覚めたらこんな場所にいきなり放り出されていて、何が何だかワケが分からないままなんですけど!」
「あなたに状況説明を要求してはいません。」
慌てている割に、やたらとまとまった内容を発言している菌糸罹患者。動揺している点についてはほぼ演技ではなさそうだが、捕縛された際に言い逃れるためのセリフは前もって用意していたものと思われた。
ケイティーは無機質な声で返答しつつ、まるで玩具の人形でも扱うように相手の身体を持ち上げたまま、顔面をこちらに向けさせた。
満足に抵抗も出来ず手足をばたつかせている相手の口腔内が、完全に血の通っていない灰色になっていることを確認した後、ホルスターから取り出した滅菌剤注入器を相手の首元に突き立てた。
「ひっ……あ……ぁ゛……。」
数秒もかからず、罹患者を一体処理したケイティー。
彼女に捉えられた菌糸罹患者は、せめて時間稼ぎにしかならずとも、多少なりと会話を行える想定を抱いていたのだろう。
まさかノータイムで滅菌剤を注入されるとは思っていなかったのか、驚きで彼の大きく見開かれた目は、乾燥してボロボロに剥離していく表皮に囲まれつつ焦点と色を消していった。
とはいえ、周囲に控えていた菌糸罹患者たちも現状を静観してはいない。
「ケイティー!他の罹患者が!」
鋭い声を上げて、ケイリーは細く畳まれたままの防護傘を両手で握り、物陰から飛び出してきた人影に全力でスイングを叩きつけた。
人影、と表現した通り、その存在は人間と同じ姿ではあったが……重い金属の芯を有する防護傘を自動人形の全力で叩きつけられれば、容易く胴体が陥没していた。
引き裂かれたシャツの下から見える挫創面からは、人体と同様である骨格の一部こそ覗いていたが、出血は無く、既に菌糸に置き換えられた灰色の組織ばかりが内臓のあったはずの位置から零れていた。
「がぁあっ!?」
派手に身体を損壊させられた菌糸罹患者が叫ぶ。
全身の組織が菌糸に置き換わっている彼らには痛覚など備わっていないはずだ。
が、生前の感覚が残っているがため、大規模な創傷を実感すれば自ずと苦悶の声が迸るのだろうか。あるいは、単に胴体を急激に圧迫させられたため、肺に残っていた空気が押し出され声帯を震わせたのみにすぎないのか。
ケイティーの側にも二名の菌糸罹患者が迫ってきていたが、片方に対してケイティーは先ほど無力化した罹患者の身体を剛速球のごとく投げつけ、文字通りに吹き飛ばす。
「んやろぉぁッ!!」
しかし、同時に距離を詰めてきていた片割れが、思いっきり振りかぶった細長い廃材……おそらくは金属製の配管と思われるものを勢いよくケイティーの顔面に振り下ろした。
ゴシャッ、と嫌な音が響き、ケイティーは右目の付近が陥没する。僅かながら、首も歪んだ。
「ケイティー!?」
思わず叫んだケイリーの声は、自動人形が本来持ち得ないはずの感情を伴ったがごとく、悲痛に響く。
とはいえ、ケイティーは元より警備用途を想定して製造された自動人形である。
頭部パーツの表面を陥没させられる程度の損傷は、通常動作を続行するうえで想定内だ。
「ケイリー、あなたは周囲を警戒してください。更なる敵対存在の早期発見を。」
僅かに傾いだ首と、一部が陥没した頭部のまま、ケイティーはずっと変わっていない声色でケイリーに淡々と返答するのみ。
ケイティーの処理能力をもってすれば、現時点で認識している菌糸罹患者への対処が確定しているも同然だった。
人間らしい感覚の残滓が思考内に存在する、菌糸罹患者の方に油断があった。本来、人間であれば即座に昏倒していてもおかしくない損傷を与えたのだから、その相手が冷静に対処を続けること自体、想定から外れていた。
ケイティーは殴りかかってきた罹患者の腕を自動人形の握力で掴むと同時に、相手の胴体から僅かに引き抜いた。完全に腕部を胴体から引きちぎるほどではなく、ただ関節から外すには十分な動きであった。
ギョッ、と元人間の体から出るとは思えぬ音が相手の肩から響き、同時に菌糸罹患者はまたも喪失したはずの痛覚に襲われたようであった。
「嘘だろ!?お、ぁ゛ぁ゛……!」
彼は吃驚の声を上げたが最後、乾いた木の洞を通り抜ける風のような音を喉から鳴らし、床に倒れ伏した。
その喉元には、最初にケイティーが菌糸罹患者へと突き刺した滅菌剤注入器が刺さっている。充填されていた薬剤の殆どを使用した後ではあったが、この粘液タイプ滅菌剤の強烈な効果をもってすれば、注射針内にて僅かに残留している量でも十分である。
ケイリーは即座にしゃがみ込み、先ほど自分が胴体に挫創を与えた罹患者、そして今しがた倒れた罹患者に対し、新しい滅菌剤注入器を使用した。最初に無力化した者の身体を投げつけられ、身動きが取れていない罹患者のことも忘れずケイティーが向かい、こちらにも滅菌剤を注入している。
見る間に彼らの全身が枯死していくのを視認し、さらに追加で菌糸罹患者が現れないことを確かめた後、先ほど瓦礫の中に埋もれて見えていた肌色の正体をもケイリーは見にいく。
「こいつは、動いていない……既に菌糸が枯死した者の身体を、囮として埋めていたのか。」
菌糸罹患者の全員が生き延びるほどの養分を、この地下貯水槽では確保できなかったためだろう。
瓦礫に埋もれていた存在は、確かに待ち伏せのために使われる囮には違いなかったが、既に枯死して動けなくなっていた菌糸罹患者の一体であった。完全には隠さず、敢えて表皮の肌色が瓦礫の隙間から覗いて見えるように設置されていたのだ。
これが生存しているのか否か、瓦礫の中から掘り起こして確認しようとしていたら、背後から複数名の菌糸罹患者による奇襲が行われたのだろう。
現時点で想定可能な脅威が無いことを確認し終え、ようやくケイリーはケイティーのもとへと戻り、声をかけた。
「大丈夫、か?かなりのダメージが頭部に入ったように見えたが。」
「問題ありません。損壊したのは顔面パーツの表皮部分のみ、内部構造も外殻も無傷です。」
「首が僅かに傾いたままだぞ。」
「頸部関節部に、歪みが生じたようです。このモデルの改良点として、モース研究主任にお伝えします。」
ケイティーは変わらず、陥没した顔面のまま淡々と喋り続けていた。
同じく感情を有さないはずの自動人形でありながら、ケイリーが気遣わしげな表情を浮かべ続けているのとは対照的であった。そういった思考が可能であるのは、帰りを待つ人間を有しているがためでもあったろう。
自動人形だけであれば、パーツを交換する必要性だけを見出して済む損傷。
が、今のケイリーの思考内には、もしも自分が損壊した姿で帰れば、ポームを心配させてしまうだろうとの推測があった。損傷を受けたのが自分でなくとも、それを心配する感情を理解できるようになったのは、新品の自動人形との大きな違いであった。
いちおう、ケイティーの思考内にも先輩自動人形であるケイリーを模倣する学習機能があったためか、彼女の側からも気遣うような発言があった。
「あなたも先ほど、菌糸罹患者に対し大出力での物理打撃を加えていましたが、腕部に過度の負荷がかかっていませんか?」
「私が武器として用いた防護傘は、重心が手元に近くなるよう設計されている。遠心力も抑えられるため、最大出力で振り回しても私の身体パーツ構造への負荷は想定内だ。」
「それは良かったです。」
ケイティーからの形だけの労いを受け取りつつ、ケイリーは地面に倒れ伏している菌糸罹患者らの残骸を見下ろし、そして自らの手を見つめた。
菌糸罹患者の遺骸は、既に身体を構成している菌糸が枯死してボロボロになってしまっているが、それでも胴体が半ばまで抉れた残骸の有様は、ケイリーの腕部が出力した打撃が相当な威力であったことを示している。
この暴力を為したのと同じ手で、今朝のケイリーはポームのために朝食を作っていたのだった。




