依頼達成報告 および菌糸罹患者による市庁舎襲撃の顛末
キナ議員の自宅へと侵入していた特異菌糸罹患者たちへの対処を終え、フィンク新市長の元へと帰還するリーピとケイリー、そして秘書ナービル。
事前の想定においては深夜に起きるのではないかと思われていた罹患者たちの侵入、それが朝早くに既に起きていたのは想定外であったが、何事においても拙速を尊ぶフィンク新市長の判断に従ったのは正解であった。
おかげで、罹患者たちは態勢を整える猶予も無く、無力化されたのだ。あとは依頼の完了報告を済ませれば、この日の仕事は終わりになるかと思われた。
しかし、ことはそう単純に運ばなかった。
「市庁舎建物近辺に、警邏隊員が集まっています。」
ぎちぎちと建ち並んだ公権庁舎ビル群に挟まれ、本来の道幅のわりにせせこましく見える大通りの向こうへと視線を投げ、ナービルが口を開く。
むろん、視力においては人間に劣るはずもない自動人形であるリーピとケイリーも、市庁舎付近で何がしかの異変が起きたのだろう様は認識していた。
「確かに、警邏隊自動人形が多数、さらにはフィリック警邏隊長の姿も確認できます。実働部隊が総出となっているのは現場が重要施設ゆえ、かもしれませんが。」
「既に滅菌剤が散布された痕跡が見えるし、隊員らの動きにも慌ただしさはない。事態は既に収拾がついているものと見える。」
そうは言いつつ、足を速めたナービルに合わせてリーピとケイリーも歩行速度を上げる。
市庁舎で何か事件が起きれば、言うまでもなく市政における重要人物が多数巻き込まれることになる。ゆえにこそ警備も菌糸漏洩対策も厳重に施されているのは周知の事実であるが、その前提を踏まえて実行された襲撃があるとすれば、その規模はかなり大きなものになりかねない。
トロンドと違って生身の人間であることが確実なフィリック隊長が居る時点で、大規模な菌糸漏洩が起きていないだろうことは確実であった。
フィリック警邏隊長は他の警邏隊員たちに指示を出して回っている途中であったが、リーピとケイリーを引き連れたナービルが近寄ってくるのを見て、脚を止めた。
議員秘書ナービルへの応答は、平隊員の自動人形に任せるわけにもいかない。
「市庁舎に御用の方でしょうか。申し訳ございませんが、建物への出入りの際はこの区画を迂回いただくよう願います。現在、現場検証のため警邏隊が封鎖しております。」
「市庁舎自体への出入りは禁じられていない、ということは菌糸漏洩までは発生していないのですね。何が起きたのでしょうか。」
「特異菌糸罹患者による襲撃です。裏庭に出ていた議員らを標的に、警備の手薄となった機会を狙ったものと思われます。実行犯たちは既に無力化されているため、実行に踏み切った判断については推測するほかありませんが。」
そう語るフィリック警邏隊長の背後では、警邏隊員たちが使い切った滅菌剤のタンクを運び出している。
背の低いリーピには人垣の向こう側は見えなかったが、ケイリーの上背であれば現場の様子が覗けた。市庁舎裏庭の一部の地面が変色しており、そこに粘液タイプ滅菌剤を希釈した液体を注いでいる特殊清掃局の作業用自動人形の姿が見えた。
既存菌糸と違い、空中で枯死してしまう特異菌糸。が、水分や養分が固定された土壌であれば比較的長期間の生存が可能である。
襲撃を行った特異菌糸罹患者も、警備人形に取り押さえられながら地中へ自らの菌糸の一部を逃がそうとしたのだろう。いかに地中に潜ったところで、液体として浸透してくる滅菌剤を注がれれば、生きながらえようもないが。
ナービルも現場を覗き込むように背伸びしつつ、最大の懸念について尋ねた。
「被害者は出たのでしょうか。フィンク市長はご無事ですか。」
「フィンク市長は既に執務室内へと移動していたため、襲撃現場には居合わせておられず無事です。現場にいた議員の皆さんにつきましても、警備用自動人形が侵入者へ即座に対処したためお怪我はありません。」
「それにしては、市庁舎内の様子がひっそりとしているのですが。通常通りに職務が行われていれば、もっと大勢の議員や秘書が行動しているはずの時間帯です。」
「……一部の方々は、取り押さえ時の現場を目撃した際、気分を害され、精神的ショックを受けたために医師の診断を受けておられます。」
もちろん問われれば最初から正直に話すつもりであったろうが、フィリック警邏隊長は少し言いづらそうに説明の捕捉を述べた。
普段から荒事を目の当たりにしない人間にとっては、確かに襲撃取り押さえの現場を至近距離で目撃することは、少なからずショックを受ける経験であろう。新市長就任から間もない時期ゆえ、議員としての職務を続行できない状態に陥るのも痛手である。
異変発生を受けて駆け付ける警邏隊には防ぎようのない事態ではあったものの、菌糸罹患者が街へと入り込んでくること自体を予防できていれば、と隊長なりに悔いる思いはあるようだった。
リーピとケイリーは無言のままにフィリックへと頭を下げ、ナービルに引き連れられて正面入り口へと回り、市庁舎へと入る。本来、自動人形が正面玄関から入ってくることは良い目で見られないが、事態が事態ゆえ見咎められはしなかった。
先ほどナービルは窓越しに建物内の様子を確認していたのだが、実際に市庁舎内へ踏み込んでみれば働いている人数が減っている様は明瞭であった。フィリックからの説明を聞いていなければ、議員らの幾名かが犠牲となったのではあるまいかと思われるほどだった。
人気のない廊下を進みながら、リーピは傍らのケイリーと話す。
「市庁舎を襲撃した特異菌糸罹患者は、やはり製剤会社敷地における滅菌処理措置を逃れた存在でしょうか。レイストス氏が街へと到着する途中で増やした感染者の可能性があります。」
「あるいは、そもそも複数名があの製剤会社から脱出していたのかもしれない。活動拠点を自ら捨ててでも生存の可能性を模索しに向かう判断は、レイストスが唯一の実行者というわけでもあるまい。」
「たしかに、議員たちが集まっているエリアまで警備から疑われずに接近するためには、元議員としての外見を有していた可能性が濃厚です。」
かつて、製剤会社にて本来の従業員たちが菌糸感染で全滅した後、滅菌剤出荷の利益を独占する意図をもって前市長とともに現地へ赴いた議員たち。
土壌に残っていた特異菌糸によって彼らが菌糸罹患者と化した後も議員としての外見や振る舞いを持続させ、感染機会を獲得する手段を増やす発想に至ったのは、レイストスの身体にとりついた特異菌糸だけではなかったのだろう。
市長の執務室へと入れば、フィンク新市長は今朝の状況に輪をかけて忙しそうに、通話機に向かって指示を喋りまくっていた。
先ほどの騒ぎで登庁を控える議員たちが増えたため、通話越しの情報伝達を強いられているのだ。受話器を手放す暇もないのだろう、フィンクはナービルの姿を目にして頷きながら、いつも傍にいる秘書へ対応するよう手招きで指図した。
フィンクが議員である頃からリーピとケイリーとも顔見知りの男性秘書は、直ちにナービルの前へ足早に出てきた。
「キナ議員宅での警備、お疲れ様です。既に警察の方からは連絡をいただきましたが、あらためて完了報告をお聞きします。」
「レイストス元議員および他二名の男性が菌糸罹患者となっており、彼らがキナ議員宅へと既に侵入しておりました。警邏隊との連携で三名の身柄は確保され無力化されました。ついでにアパート管理人も直前に特異菌糸に感染させられており、そちらの滅菌処理も完了しています。」
拘束された菌糸罹患者の顔面部分だけが元の身体から離脱し、跳ねる魚のような動きで逃亡を試みた件については、ナービルは説明を省略した。
そもそも説明相手に状況を理解させるのに手間取る内容であるし、フィンク市長がその過程を知る必要はない。結果的にキナ議員宅での一件が終息したことさえ伝われば良いのだ。
必要最低限の報告は済んだものの、自動人形ではない人間同士のやり取りは何の挨拶もなく切り上げるというわけにもいかない。
自らが情報を得る目的もあるのだろう、ナービルは市庁舎に残っていた人間を気遣う言葉を発した。
「こちらも災難でしたね、警備が無事に対応したとはいえ、市庁舎にも特異菌糸罹患者による襲撃があったそうではないですか。」
「えぇ、ナービルさんの不在を狙ったかのように行われたことも気がかりです。市庁舎の内情が罹患者たちに漏洩したのならば、その経路を探る必要もあります。議員の皆様も、完全に無事というわけでもありませんし。」
「肉体的な損害は無かったものの、精神的なショックを受けられた議員さんもおられた、とのことでしたね。」
やり取りの殆どは、既にリーピとケイリーが得た情報の通りであったが、しかし男性秘書が語った気がかりの内容はこれまで思索に浮かばなかったものであった。
ナービルの不在を狙った襲撃だという推測は、確かに成り立つものではある。キナ議員の自宅アパートに立て籠もった面々が逃亡せず、時間稼ぎに徹する態勢であったのも、市庁舎への襲撃を成功させる囮としての行動だったためと考えられる。
となれば、市庁舎襲撃を行った菌糸罹患者は、三名程度の小規模ではなかったのではあるまいか。
「リーピさん、ケイリーさん、ご協力ありがとうございました。こちらに報酬をお支払いいたします。」
「ありがとうございます。今回、僕らは現場にてナービルさんや警邏隊員さんたちの行動にほぼ付き添っていただけでしたが……。」
「状況次第では危険に直面する依頼でしたので、遠慮なく報酬をお受け取りください。」
男性秘書から分厚い封筒を手渡されたリーピとケイリーは、ナービルに向けても頭を深く下げ、既にこちらには視線を向けていないフィンク市長にも会釈を送り、ようやく退室した。
自動人形本来の思考を割くべき対象は、これから市庁舎内で迷わぬよう出て行き、無事に探命事務所まで帰ることだけである。
しかし、未だ明確な結論を見出せていない項目は残っていた。リーピは口を開く。
「特異菌糸罹患者による襲撃現場に居合わせ、警備用自動人形による対処を目の当たりにして精神的ショックを受けた議員さん達が居るという話でした。が、そもそも議員の皆さんは怒号の飛び交う議会で舌戦を繰り広げるのがお仕事ですし、多少の出来事で動揺することなどないと思われるのですが。」
「それもそうだが、言葉ではなく肉体的な暴力を目の当たりにすることには流石に慣れていないのではないか……。」
返答するケイリーの言葉は、間もなく途切れた。
口を噤んだ彼女の視線の先を追って、リーピもまたケイリーが注視している対象に気づいた。
ケイリーが見つめる先には裏庭に面した部屋があった。襲撃現場に隣接する区画ゆえ、警邏隊が通行を規制している区画であったが、その室内から今しがた運び出されたのは菌糸罹患者の残骸であった。
滅菌剤の噴霧を受けて既に枯死しているのは当然のことであったが、もはや原形を残さぬほど細切れとなっていたのは予測できなかった。
正確には、尋常ならざる衝撃で叩きつけられ、身体の大半の組織が圧壊したような状態であった。頭蓋骨や上腕骨など、辛うじて原形を残している部位だけが引きちぎれているのだ。
大半の組織が罹患後に菌糸へと置き換わっていたおかげで流血はほぼ無かったが、損壊して露出した体内からは血の色が抜けきっておらず、余計に損傷部位を生々しく示していた。
「あれは、警備用自動人形が対処した結果でしょう。」
「人間と同じ姿をした存在が、目の前であのように破壊される現場を目撃すれば、確かに大半の人間は少なからず精神的瑕疵を見出すだろうな。」
リーピとケイリーが喋り合っている前で、警邏隊員たちは原形を残さぬ肉塊に上から滅菌剤を改めて降りかけ、死体袋に詰めてきっちりと口を閉じ、運び出していく。
彼らを見送った後、裏庭に面した部屋を覗き込んだリーピは、部屋そのものが激しく損傷していることにも気づいた。
悉くの窓が破壊され、頑丈に作られているはずの壁面にも大きくヒビが入っている。
襲撃を行った菌糸罹患者の何体かが、窓から室内へと凄まじい速度で投げ込まれたのだろう。裏庭に集まっていた議員たちが、飛び散る罹患者たちの残骸を浴びずに済むように、警備用自動人形は屋外で対象を破砕せぬよう判断したのだ。
「……もしかすると、侵入者の対処にあたった警備用自動人形は、重装タイプかもしれません。」
「ロターク本社の警備を行っているような個体、か。」
警備に自動人形が起用されることは珍しいことではないが、大抵は警邏隊員たち同様、狭い屋内でも挙動が阻害されぬよう小柄に作られている。細身の器であっても、最大限の出力と耐久性を実現できるよう、改良が重ねられてきているのだ。
一方、身体サイズの制約を完全に無視できるとなれば、桁違いの出力を発揮できるのも必然である。
重装タイプの警備用自動人形は、歩行時に踏みつける舗装路面を陥没させないギリギリの重量内に、搭載できる限りの動力菌糸および装甲が詰め込まれている。体躯は見上げるほどの大きさとなり、通常のドア枠はくぐれず、建物内に突入する際は強引に壁面を破壊することが前提となる。
「複数体の罹患者による襲撃現場を目撃した警備用自動人形が、即座の無力化が必須であると判断したのであれば、最大出力で罹患者の身体を破壊すべきとの結論に至ったのは自然です。」
「裏庭の、一部色が変わっていた地表も、その痕跡か。他の措置が間に合わないと判断した結果、接近してきた罹患者を即座に踏みつぶしたのだろう。」
リーピとケイリーは、それを実行した警備用自動人形がどのようなモデルなのか、市庁舎から出ていきつつも周囲に姿を探したが、現場に残っているのは通常モデルの自動人形ばかりであった。
複数の特異菌糸罹患者を直接無力化したとなれば、パーツの汚染状態も無視できないだろう。今ごろはロターク社へと一旦回収され、身体パーツの清掃およびメンテナンスを受けているものと思われた。
今もなお現場での指揮を続けているフィリック警邏隊長の表情が緊張しっぱなしであるのを見つつ、リーピは口を開いた。
「ともあれ、特異菌糸罹患者による被害が発生しなかったのは何よりです。」
「自動人形による警備にも信頼がおかれると良いのだが。」
与えられた任務が確実に遂行されたことには違いないものの、罹患者無力化の現場を目の当たりにした人間の感じ方は、自動人形であるリーピとケイリーには推測できなかった。
至近距離で、人間と全く変わらぬ姿をした菌糸罹患者が、あっけなく吹き飛ばされてバラバラになり、あるいは踏みつけられて地面のシミになる光景。もしも何かの拍子で、真っ当な人間である自分までも菌糸罹患者と誤認されれば、極めて無残な死に様を味わう羽目になる。
人間の生活を守るため、人体を易々と破壊し得る凶器が身近に置かれていることが、明確に認識された一件に違いなかった。




