依頼29:キナ議員宅への菌糸罹患者侵入対処 3/3
一時は荒事に巻き込まれる想定もしていたリーピとケイリーだったが、今はひしゃげた玄関扉の外側で、室内から漏れてくる声々を聞くのみである。
「対象を確保。滅菌剤の散布開始。切除された体組織も見逃さず、滅菌せよ。」
樹脂窓を叩き割って室内へ突入した警邏隊自動人形らの無機質な声にまじって、キナ議員の部屋に立て籠もっていた特異菌糸罹患者たちの叫びが響く。
「離せぇっ!進化の道も無い、人形ども!」
「お前ら、このままじゃ菌糸は道具扱いのままだ!分かってんのか!」
突入してきた自動人形らに組み伏せられて床に押し付けられたのだろう、罹患者たちの喚き声は多少くぐもっていた。
彼らの言動は、これまでリーピ達が会ってきた特異菌糸罹患者たちの示す態度とは多少異なっていた。
既に養分が尽きかけて枯死しかかっている状態で遭遇したことが多かったのもあるが、今までの罹患者たちは殆どが理性的で穏やかな反応を示していたのだ。
おそらく、特異菌糸たちが自己存在について模索を行う段階が過ぎ去りつつあるのだろう。彼らが生存を続ける目的が明瞭となった今、より“目的”的な振る舞いが表出しつつあるのだ。
歪んだ扉の隙間から僅かに覗ける程度のリーピ達からは、詳細な室内の様子は窺えなかったが、圧搾空気の噴出音と共に舞い散った白粉が室内を埋め尽くした様は見えた。
警邏隊に続いて突入した特殊清掃局の自動人形が、滅菌剤を噴霧したのだ。
「白粉タイプの滅菌剤、なおも使われているのですね。かつて不良品が出荷されたうえ、今や製剤会社からの出荷は完全に止まっているはずですが。」
「それでも、生産停止以前の備蓄は残っているのだろう。ロターク社から粘液タイプ滅菌剤を購入する前に、在庫を使いきれとの指示が為されたのかもしれない。」
リーピとケイリーは、まるで好奇心を持つ人間のように顔を寄せ合い、騒動の現場を見物しに来た姉弟のように、扉の隙間を覗き込んで喋り合っていた。
遅れてアパート内の階段を上がってきた警邏隊員を率いていたのは、トロンドであった。
既に制圧されたとはいえ、特異菌糸罹患者が一時的に自由行動していた建物内。菌糸汚染の危険性が高いエリアでありながら、人間であるはずのトロンドが生身で入り込んでいることは、ナービルと同じ理由でもはや不思議ではないように思われた。
ナービルがここにいることはトロンドにも伝わっていたらしく、彼女は軽く会釈だけを送って喋り始めた。
「リーピさん、ケイリーさんも、こちらにいらっしゃったのですね。フィンク新市長があなた方にも手伝いを言いつけたと聞いて心配しておりましたが、直接的な脅威に遭遇せず済んだようで何よりです。」
「おかげさまで、僕らはこの場を見守るだけの仕事で済みました。一応、滅菌剤の噴霧を受けるべきでしょうか。」
「えぇ、建物出口に清掃局の自動人形が待機しておりますので、退出時には滅菌処理を受けてください。それから、ナービルさん。ご協力ありがとうございます。あなたも、市庁舎に戻る前に滅菌剤の噴霧を受けてください。お着換えの手間をかけてしまい、申し訳ございません。」
相変わらず端的な物言いが板についているトロンドは、ナービルにも必要な文言だけを淡々と伝える。ナービルが金属扉をひしゃげさせた跡については、何も違和感を抱かない様子であった。
むしろ、その点を気にしているのはナービル自身だった。彼女は衝撃で大きく歪んでいる金属扉を指さし、尋ねる。
「室内の罹患者たちへの陽動として、玄関扉を破損させてしまいました。これは器物損壊にあたるでしょうか。」
「捜査執行に伴う破損として処理されますので、ご心配ありません。いずれにせよ、この玄関に築かれたバリケードともども、扉も撤去します。拘束した面々の身柄を搬出する際には、この扉を通って出るしかありませんし。」
ごく当たり前のことながら、無力化した特異菌糸罹患者の身柄を、上階のベランダ側から搬出するには専用の機材が必要となる。突入した隊員たちは特殊な装備を用いず、ただ梯子をよじ登って入り込んだのみである。遺骸とはいえ、貴重な捜査資料をまさか投げ落とすわけにもいかない。
重量のある家具を撤去するのにはそれなりに時間がかかりそうであったが、早くも室内からは家具を移動させる音が聞こえていた。家具の破損については既に考慮されていないのだろう、時間短縮を重視しての少々乱雑な扱いとなっている。
ナービルはリーピとケイリーに視線を向け、口を開く。
「では、私たちはフィンク市長の元へ戻ります。想定より遥かに早く結果報告出来ますが、キナ議員に対しては夫であるレイストス氏の逝去と、新居を探す必要性についてお伝えせねばなりません。」
「それこそ、菌糸漏洩被害者への住宅保障制度を活用する機会です。一般市民も市議会議員も平等に扱われるとのアピールに繋がるでしょう。」
判断としては正確でありながら、キナ議員への配慮を少々欠いたリーピの返答を聞き流しつつ、ナービルは階段を下りて一階のエントランスへと向かう。
管理人室の窓口はすでに枠ごと撤去され、噴霧された滅菌剤の粉末で真っ白になっていた。当然ながら、あの若い管理人の男の身柄は拘束され搬出された後であり、管理人室はもぬけの殻である。
集合住宅は、その一室だけで異変が起きたのならばまだしも、このように誰しもの目につく共用部で事故の痕跡が生じると、その物件全体の価値が下がってしまう。特等市民ばかりが住まう高級アパートとなれば、価値の下落幅も文字通り桁違いだろう。
そんな人間の主観を察せないリーピとケイリーは、ただ純粋に警邏隊員や特殊清掃局員らの対処の早さだけを評価していた。
「机や椅子、棚、管理人が持ち込んでいた私物も含めて雑然とした管理人室でしたが、隅々まで隙なく滅菌剤が吹きつけられていますね。」
「粘液タイプ滅菌剤に移行する日も近いだろうが、粉末タイプ滅菌剤の扱いについては習熟しきっていると言って良いだろうな。」
目にした光景に対する文言は自動人形相応でありながら、人間のごとく不必要な雑談を定期的に交わしているリーピとケイリー。傍で聞いているナービルは、今さらながらこの二体の自動人形に奇妙さを覚えていた。
それもこれも、人間の行動を模倣する機会を優先的に認識する、奇妙な行動原理をリーピとケイリーが獲得しているがためであった。
エントランスから路上へと出る所には、警邏隊員らが既に規制線を張っており、見張りに立っている警邏隊自動人形がナービル達の顔を見て規制用ロープを持ち上げた。
「どうぞ、お通りを。あちらの特殊清掃自動人形のもとで、滅菌剤の噴霧を受けてください。」
「ありがとうございます。」
ナービルは会釈がてら頭を下げて規制線をくぐり、リーピとケイリーもそれに続く。
……が、その瞬間、アパートの上階から騒動が聞こえた。
むろん、現場にいるのは警邏隊の自動人形たちばかりであり、感情を持たない彼らが慌てることはない。しかし、事の緊急性は、彼らが発した声量の大きさが示していた。
「対象の一部が逃走!路上展開している隊員が対処せよ!」
おそらく、先ほど突入後に散布された滅菌剤の効果が不十分だったのだろう。以前、懸念されていた不良品の滅菌剤が、よりにもよってここで使用されたのだ。
しかし“対象の一部が”という表現が適切かどうか、同じ自動人形であるリーピとケイリーには判断しかねるところであった。自動人形が言い間違えたり、不正確な表現を発したりすることは無いはずだ。
直後、その表現が文字通りの意味である様を、この場に居合わせた全員が目にすることとなる。
現場となったアパートの一室、その窓から勢いよく飛び出してきたのは、人の顔面だった。滅菌剤の白粉にまみれていることも手伝って、血の気の無い顔がアパートの上階から路面へと降ってくる。
「なぜ顔面だけが……?」
ようやくナービルが、これを目にした全員が思うことを口にすると同時に、その顔面は舗装された路上にビシャリと叩きつけられる。
現場に突入していた警邏隊の自動人形たちが、遺体を意図的に破損させたり、ましてや一部を現場の外へ投げ捨てるはずはない。菌糸罹患者の顔面だけが窓から飛び出してきた理由は、間もなく明らかとなった。
その顔面は、辛うじて潰れず機能している片方の眼球をぎょろりと動かし、元々表情筋だったはずの筋繊維を痙攣させながら収縮させたのち、一気に全体を伸ばした勢いで、跳ねた。
あたかも陸上に打ち上げられた魚のごとく、勢いよく跳ねて移動している。
まさに“対象の一部が逃走”したのだ。
彼が……と呼ぶのが相応しいか否か、その姿では判断しかねたが、ともあれ男の顔面ではあった……それが向かっていく先は、下水道に繋がっている側溝だった。
下水道内へと逃げ込めば、少なくともあの現場で拘束されたり、路上でひからびたりする末路は避けられる。その意図を明確に宿した動きを、顔面だけの存在は実行していたのだ。
「あの状態で、随意的な行動が出来るのか……?」
さすがのナービルも、あまりに想定外の存在を前にして、僅かの時間ながら呆気に取られていた。
その一方で、即座に対象の動きを止めに向かったのは、やはり感情とは無縁の自動人形だった。
足早に駆け寄っていったケイリーは、その顔面が再び跳ねる直前に躊躇なく踏みつける。
「なるほど、視覚受容器を備えた部位だけで離脱すれば、拘束を逃れて短時間ながら移動目標を視認しつつ行動可能というわけか。身体分化の結論としては評価できるが、これが生き延びてしまっては、特異菌糸感染のリスクが更に広がってしまう。」
「筋力増強や、養分貯蓄など、様々な分野に特化した菌糸罹患者の形態を見てきましたが、今回は逃走に特化した形態ということですか。やはり、菌糸罹患者の無力化が必要な状況に際しては粘液タイプの滅菌剤を注入すべきです。粉末タイプ滅菌剤は不良品が含まれていることもあり、効果の信頼性は低いです。」
そんなことを喋りながら、リーピがケイリーの足元にしゃがみ込み、ホルスターから取り出した滅菌剤注入器をケイリーが踏みつけている罹患者の顔面に突き刺した。
人体と同容積の菌糸をごく短時間で全滅させてしまう効果の滅菌剤をもってすれば、顔面のみの組織を枯死させることなど一瞬で済む。
最後のあがきか、路上を這いずっていた顔面はひときわ大きく痙攣した後、内部から菌糸組織が崩壊し、液体同様の状態となって形が流れ崩れていった。
間もなく駆け寄ってきた警邏隊の自動人形らが現場を更に隔離し、リーピとケイリーの身体にも念入りに滅菌剤を吹きかけ始めるまで、ナービルは現場から距離を置いて見つめるばかりであった。
生態上の欠陥を有する特異菌糸たちの、いかなる姿になっても生き延びようとする、執念、熱にあてられたかのような心持ちであった。




