自主依頼遂行 ポームの容態確認
仕事のため工房へと向かったラーディと別れ、ポームの身柄を引き受けたリーピとケイリー。
明らかに心身ともに不調をきたしている彼女であったが、真っ当な医療機関での診察を受けようにも治療費を支払えるあてはない。人命より経済を優先する街の常として、大病院の医師たちは支払い能力の無さそうな患者を引き受けないだろう。
思考回路を働かせた末、リーピとケイリーがポームを連れて行った先はチャルラット医院であった。
「いや、キミらね、金がないから言ぅて、闇医者に縋るのは大間違いやって、前もお伝えしませんでしたっけ?それこそ、マトモな病院で診てもらわんと、文字通りに法外な治療費吹っ掛けられても文句言えへんで。」
ポームを目の前に連れてこられたチャルラットは、眉根に皺を寄せて視線をチラと上げた後、日々追われている書類仕事に戻りながら困惑した声を発した。
依頼者にとって都合の良い死亡診断書を作成することを生業とするチャルラットのもとに、本来の医者らしく患者が運び込まれてくること自体滅多にない。その稀有なケースを担っているのが、正規の病院で診てもらえず困窮している人間を連れてくる、リーピ探命事務所であった。
一応用意した患者用の席にポームをゆっくり座らせているケイリーの傍ら、リーピは喋る。
「チャルラット先生には、ディスティさんをお助けいただいた実績がありますので。現金による支払以外の融通が利く方であると、僕らは認識しております。」
「あん時は、仕事も忙しゅうなってきて、看護師さんのひとりでも雇わなあかんと思ぅてたから引き受けただけですがな。こっちに都合のえぇ話でもないと、人間は首を縦に振らんもんでっせ。」
声色を変えることなく、そして視線を患者に向けることなく、チャルラットは仕事を続行するのみである。
取り付く島もない態度ではあったが、一方で看護師であるディスティはポームの指先がすっかり冷え切っているのに気づいたのか、ブランケットを出してきて彼女の薄い肩にやさしく掛けてやっていた。
「ちょうど今からお湯を沸かしますので、お茶をお持ちしますね。お口に合うかどうかわかりませんが。」
「お構いなく、です……。」
ポームは僅かに腕を持ち上げて指先を横に降り、遠慮の意を示している。今の彼女は、ただそれだけの挙動を取るだけでもやっとの様子であった。
ディスティも細身の体型には違いなかったが、真隣りに並んだポームの方が明確に華奢であった。
上背があるディスティには、体重を支えるだけの筋肉量も充分にある。市長邸宅を追い出された直後は一時的に衰弱していたとはいえ、元々は議員秘書の娘ゆえ食事に困る生活とは無縁であり、チャルラット医師のもとで看護師としての職を得た今は再び健康状態が回復している。
一方で、文字通りに食べていくだけでやっとの生活を続けてきたポームは、ただ痩せているというよりも身体の発達自体が途上のままといった様相であった。成長に必要な栄養の不足がちな時期が、幼少期から長かったためである。
しかし今、ポームが具合悪そうにし続けている一番の元凶は身体面ではなく、精神面にあるのだろうと思われた。唯一の家族であった兄を喪ったのが数日前、今や天涯孤独となった事実が彼女の中で現実味を帯びようとし始めているのだろう。
事情を簡単にしか聞かされていないチャルラットはそこまで詳細な判断材料を得ていなかったが、ポームを蝕んでいるのが身体的な病気ではないだろうことは見抜いていた。
とはいえ、やはりこの患者の治療に取り掛かろうとする意図は彼にない。
「もういっぺん言ぅときますけど、本気で治したいんやったらウチみたいな闇医者に来ぉへんで、ちゃんとした医者に診てもろてください。メンタルの問題やったらなおさら、素人が下手な口出ししたらアカン。心療内科の先生にしっかり話を聞いてもらわんと。」
「ポームさんが支払い困難な診断料を請求される可能性については、解決していません。ところで、チャルラット先生は今、ポームさんを一目見て精神面に問題を抱えていると判断されました。先生も正式な医師免許をお持ちの“ちゃんとした医者”であることには違いないのですから、助言だけでもいただけないでしょうか。」
「……ホンマに人の隙を見逃さんと突いてきよる、可愛げのない人形やで……。」
引き下がる様子の無いリーピをギロリと睨み、チャルラットはペンを置いて患者の方へと向き直った。
ようやく正面に相対したチャルラットの視線に射すくめられ、ポームは項垂れるように目を逸らす。裏社会の人間たちを相手に仕事してきた闇医者の険しい表情は、怯え抜きに直視できるものではない。
剣呑な顔つきを浮かべている当のチャルラットはといえば、精神的に憔悴しきった少女を前にしてますます頼みを拒むことが難しくなったようであった。
「リーピ探命事務所さんには何度か世話になってますけど、毎回ちゃんと報酬はお支払いして、今んところ貸し借り無しのはずですやろ。今回、この娘が治療費を支払えへんとなったら、見返りはどないしてもらえますんや。」
「ポームさんは自宅で家族の菌糸感染発覚により、特殊清掃局が滅菌剤を散布、自宅への出入りが不可能な状態となっています。彼女が代替の住居を申請する手続きのサポート、すなわち菌糸汚染被害者遺族に対する保障を手厚く行うことを、次期市長となるフィンク議員は市民の生活保護アピールに利用する予定です。」
「新市長になるお方にとって、ポームさんみたいな遺族は格好の宣伝材料っちゅう話でんな。」
「さすがにチャルラット先生の存在を表沙汰には出来ませんが、ポームさんをお助けした旨を伝えればフィンク新市長からの覚えは良くなるはずです。前市長の体制がそのまま引き継がれる可能性が低い現状、グレーゾーンで活動しているチャルラット先生にとっても悪い話ではないと思います。」
「そらそやけど……その言い方、気ぃ悪いんとちゃいますか。」
理詰めで協力を迫ってくるリーピのことは相変わらず睨みつつも、チャルラットの意思はほぼ揺らぎきっていた。
諦めたような表情で聴診器を首にかけ、ふだんほぼ使うことのない医療用ライトを点灯させ、視線を逸らし続けているポームを驚かさぬよう徐に椅子を寄せ、彼女の手首に指を置いて脈拍を取り始める。
「先に言ぅときますけど、俺は体の不調については診れても、心療については専門外ですからね。ちゃんとした代金で支払われへん分、確実に治る期待はせんといてくださいよ。」
「お引き受けいただき感謝いたします。」
医療用ライトを近づけてポームの瞼を確認しているチャルラットに対し、リーピは頭を下げて礼を言った。
ここで診てもらうことがポームの精神状態を改善することにどれほどの効果があるのか、精神という領域を持ち得ない自動人形には分かる筈もない。
ただ、対話し、気遣ってくれる相手に人間を得られることが有用ではないかとの推測は立っていたし、それはあながち外れではないようだった。
ほどなくして、チャルラットは口を開いた。
「だいぶ栄養状態悪いな……ポームさん、朝食は?食べてはらへんのとちゃいます?」
「はい……何も、喉を通らなくて……。」
「そんな日もあるやろうけど、流石に気力が無いと、気ぃも持ち直しようがありませんやろ。ディスティさん、お茶沸かすんやったら、お菓子も持ってきたげて。」
給湯室からは、湯沸かし器の点火に用いた着火剤の匂いが漂っていたが、間もなく茶葉が広がる甘い香りが流れ始め、菓子とティーポットをトレイに載せたディスティが出てきた。
さすがに旧市長邸宅にて使用人をしていただけのことはあり、茶を淹れて客をもてなすディスティの手際は淀みない。
「どうぞ、つい先日、売れ残りで安くなっている茶葉を見かけたもので、まとめて買い込んだところなんです。本来は高級茶なんですが、下町では手間のかかる飲み方が好まれないようでして。こちらのガトーセックも遠慮なくお召し上がりください、たくさんあるので。」
「……おいしい……。」
今朝のラーディ宅では、水分が抜けきって布の切れ端のごとき状態となったパンを食べられずにいたポーム。
しかし、今ディスティが出した焼菓子には食欲を刺激されたのか、今朝がたから何も食事を受け付けなかった口にそれらを運んでいた。味覚とは無縁の自動人形であるリーピとケイリーにも、これらの焼菓子の質の高さは明瞭に認識できた。
既に仕事机に向かってペンを手に取っていたチャルラットも菓子の一枚を齧り、想像をはるかに超える上質さに目を丸くしている。
「ちょっと、ディスティさん、これ、おいくらで買いこんだんですか?その辺の駄菓子とは比べ物になりませんやろ。」
「まとめ買いして、パン一切れよりも安い額でした。そもそも最高級の焼き菓子は、僅かなヒビ割れでもあったら廃棄されるものです。パティスリーのオーブン脇のゴミ箱に投げ込まれていたそれらを、下町の業者が買い付け、紙袋に押し込んでまとめ売りしているんですよ。」
「そんなお得な店、下町にあったんかいな……。」
「他の安売りの品に紛れているので、同じ値段で並んでいると価値に気付かれづらいのでしょうね。」
富裕層の生活を知っているディスティであればこそ、気づける値打ち品であった。
そして、品質の違いがそのままに人間の幸福度に直結することを示しているのが、ポームの振る舞いでもあった。
作り損じでなければ今ごろは上流階級のティータイムで供されていただろう高級菓子は、サクサクと軽い歯ざわりでありつつ、粉っぽさで喉を詰まらせることもなく、食欲をすっかり取り戻したポームの頬は血の気を示していた。
さらに、在庫処分でなければたった一杯で労働者が一日に稼ぐ額を優に超えるであろう高級茶を飲み干し、喉の奥から爽やかに抜けていく香りを味わい、ポームはようやく人心地ついた様子であった。
先ほどまで焦点のあっていなかったポームの目に生気が戻ってきた様を見ながら、チャルラットは言う。
「これは、俺やのぅてディスティさんが治療費を受け取らなあきませんな。」
「いえ、私は安売りされていたお茶とお菓子を出しただけですので……ポームさんが元気を取り戻したようで、何よりです。」
ディスティはそう言いつつ、ポームの顔に視線を向ける。
確かに頬は紅潮しているものの、ポームの表情がすっかり晴れ切っているわけではないことは明瞭だった。病状の根源は精神にある。
むろんディスティも治療については素人そのものであったが、ポームの肉体が話の受け応え出来るほどの余裕を取り戻したことは大きな前進であった。
そして今、チャルラット医師や医院に依頼を持ち込む客と違い、自身と近しい年齢の少女を前にして、ディスティ自身の好奇心もまた十分に高まっていた。
「ポームさんの心を晴らすお役に立てるかどうかはわかりませんけれど、私の話、お聞かせしましょうか。さっきチャルラット先生がちらっと仰ってましたけど、私もこないだ家族を喪ったばかりなんですよ。」
「ディスティさんも……ですか?」
「えぇ、今はチャルラット先生やリーピさん、ケイリーさんとも知りあえましたけれどね。そう言っちゃうと、私の方が遥かにマシだって思えるかもですけど。」
たしかにディスティが経験したことは不幸に違いなかったが、保ちたくなかった関係性を断ち、自らが望まぬ人生から脱したという点ではマシと言えるのかもしれない。
場所を応接用ソファへと移し、傍らに並んで腰かけたディスティへ、関心と共に視線を向けるポーム。
ラーディからポームを預かった手前、この場の成り行きをリーピとケイリーも余さず観察し続けている。と同時に、ディスティに関する情報の抜けを補う機会も見出していた。人間で言うところの「気になる」という感情に近しい状態だった。
リーピとケイリーが知っているのはディスティが市長邸宅から追い出された以降のことであり、彼女が市長邸の使用人として預けられるに至った経緯はまだ聞かされていなかった。
「そもそも私、父と母から世話された覚えがあんまりないんです。幼い頃から、市長さんの屋敷に預けられて、子供でも出来る簡単な手伝いをやらされていましたから。」
「小さい頃からお金を稼いでいた、ってことですか?」
「いえ、幼い子供に出来る手伝いなんて、大した内容じゃありません。両親の狙いは、私を市長邸宅で働かせることを出来る限り早い段階で決定し、街の権力者と繋がる手段にすることでした。」
それは、今は既に解体された旧市長邸宅にて、働かされていた他の使用人たちにも共通する経緯であったろう。
唯一の男性である老執事を除けば、女性ばかりが揃っていた市長邸宅の使用人。選考された基準は公にはされていないものの、議員や秘書らが市長から気に入られようとして差し出した娘たちばかりであった。
街一番の屋敷での生活は、権力に縋りつく親たちの意思の末端として振舞うも同然の日々だったのだ。
「あわよくば、私を市長の息子さんと結婚させようとでも思っていたのか、まだ学生だった彼の部屋への給仕を任されることも多かったんです。けど、両親の誤算は、私が思いのほか不愛想だったことですね。」
「そう……ですか?ディスティさん、今すごく親切にしてくれてますけれど……。」
「今は、私がやりたいことをやっていますから。でもあの頃は、命令されたことをただやってるだけで、生活に面白みもなかったもので。お前は目つきが悪い、ってよく言われました。」
確かに、狡猾な議員秘書であった両親から受け継いだのだろう、切れ長で白目がちなディスティの眼は、冷徹そうな印象に大いに寄与している。
今でこそチャルラット医院にやってくる顧客を相手することを続け、また自身の顔つきに合わせた化粧にも慣れて不愛想さは薄れているものの、自分の見られ方にさしたる自覚のない子供時代はさぞ見事な仏頂面であったろう。
それでもポームは不思議そうであった。曲がりなりにも富裕な家系に生まれたディスティの育ちの良さが、微々たる欠点を塗りつぶしてありあまるものと見えた。貧困街で生き続けていれば、人間性を備えているか否かすら怪しいほどに目つきの悪い人間など嫌というほど見かけるものだった。
ディスティはポームのポカンとした表情を前にして、居ずまいを正しながら言った。
「ごめんなさい、私の身の上話ばかり聞かされても、反応に困りますよね。今のポームさんの助けになるかどうかも、怪しいですし……。」
「いえ、聞かせてください。これだけ色々とお話してくれる人に会ったの、初めてなんです。」
話している内容こそ愉快なものでないにせよ、これまで生活を維持するだけで必死だったポームが、こうして高級な茶の香りを嗅ぎながら悠々とお喋りを楽しんでいられる時間など、とても得られなかったのも当然であった。
昨日までラーディが一応喋り相手の役を担ってはいたのだが……靴職人一筋で暮らしてきたラーディが、自分の専門分野以外のこととなれば途端に口下手となるのは既にリーピ達も知っている通りである。
不愛想だとは評されつつも、市長邸宅にて時には貴賓を相手取り応対する仕事を担っていたディスティは、間を持たせる会話能力に大いに長けていた。
ましてや、今のように品の良さなど一切気にしなくていい場ともなれば、より饒舌にもなるものだった。
「じゃあ……そうですね、市長の息子さんの結婚相手が決まったとたん、屋敷の使用人たちのスカート丈が一斉に長くなった話とか、聞きます?特に、自分は脈ありだと思い込んでた方々の態度、あまりに露骨に変わり過ぎてちょっと引くほどだったんですよ。」
「えー、気になる。じっくり聞かせてください。」
ようやく目が輝き始めたポームに対し、語るディスティも表情は生き生きし始めていた。
自らの扱われ方、歩んできた人生について愚痴る相手を初めて得たという点については、ディスティもまた同様であった。
我を苛む運命へ、せめて舌尖をもって刺し返す機会こそ、人間には必要なのだった。




