市政転換の顛末 およびポームへの見舞い
リーピとケイリーが街への帰還をようやく果たしたのは、出発から二日後の深夜であった。
徒歩での移動を伴う一連の調査依頼遂行としては長時間だったが、しかし政情を動かすにはあまりに短い期間で、フィンク議員はすっかり自分が新市長にのし上がるためのお膳立てを済ませていた。
全ての議員および秘書らを自勢力に引きこんでいたのは言うまでもない。そもそも、製剤会社の製造ラインを占拠しに向かった旧市長一派が特異菌糸の感染で壊滅しているのだから、街に居残っていたフィンク議員が最大派閥を形成するのは必然の流れである。
二日ぶりに帰ってきた事務所に異変が無いことを確認したリーピとケイリーは、長距離移動を終えた新規身体パーツの状態を確認しながら一夜を明かす。
翌朝配達された新聞の一面記事においては、早くも前市長が菌糸感染により逝去した旨が大々的に報じられ、報道陣の前で会見を開いたフィンク議員の姿も印刷されていた。
「居並んでいる若手議員たちや秘書らも一様に、悲しげな表情を浮かべている写真が掲載されていますね。会見の間、全員が一切表情を変えないでいることは人間には困難でしょうから、報道に用いられる写真は意図して選別された可能性が高いです。」
「ことによっては、フィンク議員が自ら写真技師の元へ出向き、現像部屋にて写真乾板を一枚一枚確認したのかもしれないな。」
新聞記事をめくりながらウロウロと立ち歩いているリーピの推測に、事務机の拭き掃除をしているケイリーが答えている。
日課としている事務所内の掃除は、以前よりも念入りに細部まで行うようになっていた。ひとたび漏洩事故が起きれば特異菌糸が思わぬところから侵入してくると知れた今、通話機周辺やデスクの引き出しの中を定期的に確認することの意味は大きかった。
例によって、自動人形の認知能力を以て新聞記事の内容を数秒で読み込み終えたリーピは、ケイリーと掃除の役目を交代しつつ喋る。
「この記者会見の模様を報道させることは、すなわち新たに市長になることの確定しているフィンク議員が、自らの派閥が既に固まっている様を世間に知らしめる意図も大きいのでしょうね。」
「前市長を義父にもつキナ議員をしっかりフィンク自身の隣席に座らせ、他の中堅議員たちも軒並み列席させている。まるで舞台役者のお披露目のようだな。会見の席からは多少離れているが、秘書たちも補佐という体で視野内に収まる位置に立たされているし……。」
ケイリーはそこまで口にした後、しばし黙り込んで新聞に掲載された画像を覗き込んだ。
大量に刷られる刊行物の例にもれず、細部は印刷がつぶれて形状が判別しづらい状態となっていた。しかしケイリーは、画像の隅で小さく写っている秘書たちの中に見覚えのある存在が紛れていることに気付いたのである。
声が途切れたケイリーへチラと上目遣いの一瞥を向けつつ、デスクを消毒液で念入りに拭きながらリーピは尋ねる。
「どうしました?記事内容に、なにか気になる点がありましたか?」
「いや、この写真の秘書たちにまじって、ナービルの姿があるんだ。リーピは気づかなかったのか?」
報道内容だけを手早く読み取っていたリーピは、そこまで認識を得ていなかった。
リーピはあらためてケイリーから突き出された記事へと視線を向け、確かにナービルの姿を記事の画像の中に認めた。
「本当ですね。顔立ちの細部まで確認できるほど鮮明な画像ではありませんが、この体型、そしてオーダーメイドスーツのデザインからもナービルさんであると判断できます。」
「菌糸汚染の恐れがあったためとはいえ、二日前まで留置所に入れられていた人間が、すでに新市長の側近となっているのか。」
ナービルは、旧市長一派の議員秘書である。
彼女を議員として雇っていたのは、レイストス議員。前市長の息子であり、すなわちキナ議員の夫である。レイストス議員は現在、製剤会社敷地内にて前市長や他の議員同様に特異菌糸罹患者となっており、既に人間としては実質的な死を迎えている。
製剤会社での滅菌剤生産による利益を得ようとして踏み込んだ者たちがことごとく特異菌糸に感染した敷地内から、唯一脱出を果たしたのがナービルであった。
脱出後、この街まで帰ってきたナービルが異常事態を知らせ、リーピとケイリーが実際に調査しに向かう流れとなった。その後の調査結果は昨日、ロターク社にてフィンク議員へと通話で伝えたとおりである。リーピ達が調査に向かっている間、ナービル自身が特異菌糸に感染していないかと留置所にて経過観察が行われていた。
が、ナービルは罹患者ではないと確定し、早くも今日になって無事に秘書として復職を果たしたのだろう。
「フィンク議員は出自を問わず、優秀と見た人物を自らの側近としているのですね。前市長に近しい人間をことごとく傘下へ引き込んだ、とアピールすることがフィンク議員の主な狙いなのかもしれません。」
「あるいは、護衛のためかもしれない。罹患者や自動人形ではなく、生身の人間であるはずながら、ナービルの身体能力は異様に高い。直接確認してはいないが、製剤会社から街までの長距離を休憩も食事も無しで、徒歩で踏破しているんだからな。」
「その点については、僕も気になり続けています。先日の調査出発前、情報収集のため僕らがナービルさんに直接会った際も、彼女は全く疲労した様子を示していませんでした。」
リーピの言葉に、ケイリーは頷き返す。
無補給での長距離移動のみならず、そもそもの製剤会社敷地からの脱出についても並の人間では不可能であろうと思われた。
もはや滅菌剤の出荷を行う想定がない現在の製剤会社は、よじ登ることがほぼ不可能な高壁に囲まれ、見張りを務める菌糸罹患者たちが敷地内を巡回し、当然ながら門はすべて閉じられ出入りも監視されている状態だったのだ。
リーピ達は菌糸罹患者たちを枯死させる粘液タイプの滅菌剤注入器を所持していたが、そんな便利な物を現地で調達できるはずもない。製剤会社敷地内に残っているのは、不良品の粉末滅菌剤ばかりだ。そも、特異菌糸罹患者たちは敷地を占拠した時点で、率先して滅菌剤を廃棄しているだろう。
見張りを無力化することも叶わないとなれば、監視の隙を突ける僅かな時間で一気に壁を乗り越える他にないと思われた。
「物理的な制約のみを考慮するのであれば、出入り口を経由しない脱出は不可能ではなかったのかもしれません。ナービルさんの身長の三倍はある高さの塀でしたが、建物と塀が接近している位置であれば、向かい合った壁面を交互に蹴るようにして駆け上がることも出来なくはありません。」
「簡単に言うが、それは相当に訓練を積んだ人間でなければ難しいだろう。プロ並みに体を鍛えるための時間を、議員秘書が得られるとも思えない。鍛えるまでもなく、相応の身体能力を備えているのなら話は別だろうが。」
「それこそ、警邏隊員のトロンドさんのように、ですね。」
ここでリーピがトロンドについて言及したのは、ナービルと容姿や雰囲気が似通っていたとの記憶が残っていたためである。
小柄な体つきの女性で、満足な補給も休憩もなしに活動を続けられ、口を開けば伝達必要な用件のみを淡々と喋り、そして異様に身体機能が高い。
以前、貧困地区の簡易宿泊所にて、特異菌糸罹患者となり果てたアリシアを蹴り飛ばした際にトロンドの能力は存分に披露されていた。跳びあがって直上の天井に手をつき、姿勢と角度を一瞬で整えてからアリシアの首元目掛けて蹴りを叩きこんでいたのだ。
あれは、人間サイズの蚤か蛙でも急に現れたかのごとき挙動であった。
そんなトロンドと違い、現時点でナービルの姿は留置所の鉄格子越しに座っているところしか確認できていなかったが……既に多数の秘書を抱えているフィンク議員が、新たに秘書を増やす理由に乏しいことは間違いなかった。
読み終えた新聞を畳みつつ、ケイリーは言葉を付け足す。
「まぁ、ナービルも人間の価値観に照らし合わせれば、顔立ちが整っていると評価されるだろう造形だ。外見もまた人間の判断を左右し得る要素であることを鑑みれば、単にフィンク議員が個人的にナービルを気に入っただけ、とも考えられるがな。」
「フィンク議員であれば、有り得ない話ではありません。」
前市長の菌糸感染発覚に起因する混乱を抜け目なく利用し、新市長の座を手中に収めたフィンク議員。
彼は、自身が欲する物や人を手の届く範囲に置かずにはいられない、いわば成功者となりたがる人種に違いなかった。
拭き掃除に使っていた雑巾を絞って流し台脇に干し、あらためて郵便受けに何も入っていないことを確認したリーピはケイリーに告げる。
「僕らが留守にしていた間も新たに入った依頼は無さそうです。今日は休みがてら、ポームさんの様子を見に行ってみましょうか。」
「たしかポームは、ラーディが住んでいるアパートの部屋に泊めてもらっていたんだったな。」
幼少の頃すでに菌糸感染によって親を亡くし、つい先日に兄までも市長邸宅の解体現場における感染で喪い、自宅にも滅菌剤の散布が行われた結果、帰れなくなっていたポーム。
ポームの兄が確かに菌糸罹患者となっていることをリーピ達が確認している間、知り合いのよしみで彼女の身を預かっていたのが靴職人のラーディである。
例によって初対面の相手との距離感があまり自然ではないラーディであったが、ポームと打ち解けるのは思いのほか早かった。ポームが帰宅できなくなったことを聞いた際、ラーディは自分の部屋に泊まるよう快く提案したのである。
「菌糸感染の発覚および滅菌剤散布により帰宅不可能となった市民に対し、行政が本来の対応を実行していれば今ごろ代替の住居が用意されているはずではあるのです。」
「ポーム自身も申請を試みているだろうが、あまりに煩雑な手続きゆえに書類を揃えること自体が困難だろう。一緒に過ごすうえでは精神的な支えを大いに期待できるラーディも、市役所への申請については力になれなさそうだ。」
「菌糸感染者の遺族に対する保障についてはフィンク議員から好意的な反応を戴いておりますし、僕らがポームさんの助けとなれることは多そうです。」
喋り合いながら、リーピとケイリーは探命事務所を出発し、ラーディの工房がある工業地区へと向かった。
依頼の通知が舞い込んでくるのを待たずとも、住民たちと共に人間のごとく暮らしているからこそ、自主的に仕事を見出して現地を訪れることが出来る。
命令された行動だけを忠実に実現するという自動人形の原理から、リーピとケイリーは確かに脱しつつあった。
―――――
ラーディの靴工房がまだ開いていなかったため、リーピとケイリーはラーディの住居がある工業地区団地へと行先を変えた。
住まいから仕事場まではさほど離れてもおらず経路はほぼ一本道であり、既にラーディが家を出発しているとしても行き違いになることはないだろう。
周囲の小さな工場からも作業音が響き始めているのを聞きながら、リーピは言った。
「いつも通りならばラーディさんも工房に居る頃なのですが、何かあったのでしょうか。緊急事態でなければ良いのですが。」
「騒ぎが起きている様子はないが、少し急ごうか。私たちで解決できる問題かもしれない。」
ケイリーの言葉に頷き、リーピも共に足を速める。
古びた団地の狭い階段を上がり、ラーディの部屋前まで到着した両名は、中へ呼びかける前に少し待って聴覚を働かせた。
物音は聞こえてくる。さらに、ラーディとポームが会話している声も。緊迫した様子はないが、しかしラーディが仕事へ出るのを遅らせるに足る理由があることに違いはない様子だ。
呼び鈴の無いドアをリーピはノックし、扉越しに声を掛けた。
「おはようございます、リーピ探命事務所です。ラーディさんはご在宅ですか?」
「えっ、どなた……あ、リーピさんですかぁ。ちょっとお待ちを!」
ほどなく、バタバタと駆け寄ってくる足音ののち、解錠された玄関扉が開かれた。
ラーディは既に仕事着へと着替えていた。工房に向かおうとした矢先、足を止めるべき出来事があったのだろう。ポームは部屋の奥、玄関口からそのまま見えるダイニングテーブルの傍らに座っていた。
慌てていると言葉がとっ散らかりがちなラーディの性格を鑑み、リーピは先んじて口を開く。
「他の依頼がひと段落しましたので、ラーディさんとポームさんの様子を見に来させていただきました次第です。ラーディさんが工房におられませんでしたので、こちらのお宅にお邪魔させていただきました。何か、問題がおありでしょうか?」
「えぇーと、そんな、問題ってほどのことでは……いや、やっぱり、しっかりと問題発生かも、です。その、ポームさんが急に元気なくなっちゃいまして。熱は無さそうですし、普通に受け答えも出来るんですけど、何も食べられずにじっとしてるんです。」
ラーディからの報告を聞き、リーピとケイリーは目を見合わせ、そして今も視界内に入っているポームへと視線を向けた。
確かに、ポームは椅子に腰かけ、意識ははっきりと保ってはいたが、気怠げな様子に見えた。背を丸めて頬杖をつき、櫛で梳ききれていない前髪が無造作に額へかかっている。
リーピとケイリーは人間の身体を診ることについては無論専門外ではあったが、しかし仕事に出かけられないままのラーディを放っておくわけにはいかない。
「僕とケイリーが、お部屋に入らせていただいてもよろしいでしょうか。ポームさんからも直接話をお聞きしたいのです。」
「えぇどうぞどうぞ、散らかってますし、四人も入ると流石に狭い部屋ですけど。」
室内が散らかっているとは言っても、これまでラーディが独り暮らしを続けてきた部屋であり、そもそも靴作り以外に興味も趣味もないラーディの性格もあって、置かれている物はごく少ない。
テーブルの上には、普段食事しながら目を通して研究しているのだろう、有名ブランドの靴の広告が折り畳まれて積まれている。それ以外には、ポームの前に置かれた皿に、乏しいジャムが塗られたパンの切れ端があるばかりだった。
動く気力を完全に失った様子のポームであったが、流石に予想外の来客、リーピとケイリーが入ってきたことで僅かに顔をあげた。
「あ……ケイリーさん……リーピさんも……。もしかして、ラーディさんを、あんまり心配させちゃったから……?」
「いえ、僕らの自主的な行動です。本日僕らは他に依頼がありませんでしたので、ちょっとラーディさん宅に様子を覗きに来たところです。ポームさん、お体の具合はいかがですか?食事を摂れない様子とラーディさんからはお聞きしましたが。」
リーピの言葉が、ポームの耳に入っていくまで数秒を要したようであった。
身体機能のみならず、思考能力も冴えないままであるらしい。いつもの調子で一気に喋り過ぎた、とリーピはこの場での発言方針を変更する必要性を認識した。
しばらく言葉をまとめる余白を要したのち、ポームはようやくゆっくりと返事する。
「すみません……今朝から何も、喉を通らなくなって……せっかくラーディさんが、私のために朝食を用意してくれたのに……すみません、これは私のわがままですね……。」
「いやいや気になさらないでくださいよぉ、こういうときに“自分が悪い”って考えちゃうのが一番よくないって聞きましたよぉ。私も質素な食事しか用意できないもんですから、食欲ないときにパッサパサのパンなんて飲み込めないのは、そりゃ分かりますとも。」
返答しながらもラーディは、現時点で自分に出来ることを探し、水の入ったコップを持ってくる。
この家には、他に飲み物など無かった。乾ききったパンの切れ端に、たまに副菜がつき、それを水で流し込んで仕事に出ていくというストイックな生活を続けてきたラーディは、今さらながらに人を気遣う難しさを実感しているようだった。
一方、喋るポームの口腔内を覗き込み、血色が完全には失われていないことを確認していたリーピは、ケイリーと頷き合って口を開く。
「少なくとも、菌糸汚染の恐れはありません。ポームさんは、異なる理由で体調不良に陥っているおそれがあります。」
「菌糸汚染ではないからといって、放っておいていいわけではない。状態が悪化する前に、医師の診断を受けることを推奨する。」
「……それは……できません。診察代も、薬代も、払えないので……。」
ポームの声だけが、静まった部屋の中に弱々しく響いた。現実的な問題は、弱っている時にこそ重くつきまとう。
ラーディは口を開きかけたが、もしもポームが治療に大金のかかる難病を患っていた場合、自分が治療費を肩代わりできる目処はたたない。そも、そんな推測が当たっていてほしくはないが。
このまま、仕事に出かけられないラーディが途方に暮れることにならぬよう、リーピとケイリーは実行しやすい順に頼れそうな先を当たっていく他になかった。




