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ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
不審の探求に覗かれる兆し
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依頼28?:製剤会社敷地内罹患者排除

 現市長がこの敷地内に居るのは既に分かり切ったことではあったが、最も意外であったのは、彼の姿が生前、すなわち特異菌糸に感染する前と寸分たがわぬ容貌を保っていたことである。


 特異菌糸罹患者たちが生存期間を長引かせるほど身体を変容させていくことを思えば、ごく珍しい例であった。


 市長は、声ばかりは生前と相変わらず、甲高く良く響かせて誰かを呼んでいる。


「おい!おーい!」


 何者かを呼びつけるような声。リーピとケイリーは潜めた身を硬くしたが、しかし彼らの存在に気付かれたわけではない。


 市長の身体に宿った特異菌糸が呼び出そうとしていたのは、そこに居るはずの見張りであった。ほどなくして、この人体菜園に隣接する建物から駆け出して来た足音が迫ってくる。


「はい、お呼びですか?」


「お呼びですか、じゃありませんよ。あなたには、この養分備蓄場所の見張りを務めていただいていたはず。なぜ持ち場を離れているのです、ただでさえこの広大な敷地を把握し続けるには頭数が足りないのに。」


「申し訳ありません、ですが液体肥料の管理場所の巡回も疎かに出来ないのです。容器に穴が開いていて知らぬ間に全て漏出していた、などとなっては目も当てられません。」


「そうなれば付近の土壌から養分を吸い取るだけです。それよりも健康状態が変動し得る貯蓄個体のほうに、よほど目を掛けてやるべきでしょう。」


 特異菌糸によって知能を再構築された罹患者たちの常として、市長も相手も物腰柔らかな喋り方となっていた。


 が、やはり生前の宿主の思考回路を模倣しているためか、市長の身体を有している菌糸罹患者は周囲に命令を下す役回りとなっているようだった。市長の生前の姿を保つことは、他の個体の容姿よりもずっと優先されているらしい。


 市長は、耕された土を踏んで養分貯蓄特化個体のひとつに近付き、そのぶよぶよとした表皮を力任せに掴んだ。


「この手段による養分収穫が出来なくなってしまっては、次に我々が摂取できるのは液体肥料のみです。当然、栄養摂取状況はますます厳しくなるのですから、あらためての個体選別を行わねばなりません。そも、我々菌糸にとって、個体という識別はあくまで仮のものでしかありませんが。」


「それは、その通りですが……正直言いますと、こいつらのブクブク肥えて身動きできない姿を、じーっと目の前で見続けるのは、あまりいい気分じゃないんですよ。」


 返答を後回しにしつつ、貯蓄特化個体の表皮を握り締めて絞り出される体液を市長は啜っていた。


 ぶよぶよに肥え太った男の表皮から、まるで乳搾りでもされているかのように噴出してくる体液を、ゴクゴクと壮年の市長が飲んでいる様は、人間の価値観に照らし合わせれば見るに堪えない光景であったろう。


 体液を絞られている間、貯蓄特化個体はもはや正常な感覚も理性も残っていないのか、僅かに一度身体をブルッと震わせただけであった。


 自動人形たるリーピとケイリーでも悪感情の推測が可能なのだから、人間の思考回路を模倣した菌糸感染者はなおさら明確に嫌悪の感情を抱いているようだった。


 視線を背けている男に対し、貯蓄個体の体液を満足するまで飲み終えた市長は、口元をぬぐいながら会話の続きを喋る。


「なぜです?この者たちが貯蔵する養分は、生存に不利な制約を課せられた我々特異菌糸の枷を外しているのです。すなわち皆が生き延びる上で最も貢献している、誇らしい存在ではありませんか。」


「物は言いようですけれどね。ここで座りっぱなしでいると、自分も足が退化して、そのうちこいつらと同じ状態になるんじゃないかと思ってしまいまして。」


「足の退化を気にする必要などないでしょう、あなたの役目は、この場所を見張ることです。むろん、他の者に声が届く位置まで移動する能力が失われては、異変を知らせる際に不便ではありますが、当面の間は視覚と聴覚さえ無事であれば務めは果たせるのですよ。」


 さらさらと言ってのける市長に対し、男はこれ以上の議論が無駄だと感じたのか、返答を行わなかった。あるいは、感情を有する人間同様、気を害したためかもしれないが。


 人間市民たちへの影響力が強い存在であり続けるため、生前の容姿を保持する必要性がある市長の肉体。優先的に養分を与えられる個体は、身体の形状が崩れ変容してしまうことについて拘泥する必要もない。


 が、現状の貯蓄特化個体が枯死した場合、この場の見張り役がその役目を引き継がされるだろうことは明白だった。


 本体が菌糸であるのだから、どのような肉体の形状をしていようとも生存できさえすれば良い、という理屈は一応通る。それでも、人体の原形が崩れていった状態でなお生きている姿を好ましくないと感じる情は、菌糸罹患者の内にも芽生えるのだった。


 さほど相手の事情を慮るつもりもない市長であったが、不意に視線を会話相手の背後の暗闇へと向ける。


「……うん?今、何か動きませんでした?そこの、排水溝の内部です。」


「さぁ、分かりません。動いている様子は、見えませんが……。」


 市長の視線を辿り、自分の背後を振り返った男は目を凝らすも、排水溝の中に潜む何者かの存在は確認できない。


 だが、確かに溝の内側に何か、泥や砂礫ではない、形を持った存在があることは確かであった。暗所でも利く菌糸罹患者の視覚をもってしても、正体は明瞭ではない。


「野生動物かもしれませんが、警戒すべきでしょうか。今のところ、巡回から侵入事案の報告は為されていませんが。」


「見張り担当の面々を信頼しないわけではありませんが、彼らは先日、菌糸に罹患していない一名の脱走を許した実績があります。侵入者に気づいていない可能性が全くないとは言い切れません、あなたが確認して来てください。」


「私が、ですか?」


「当然でしょう、仮に野生動物だとしたら、噛みつかれる恐れがあります。私はこの体を損傷させるわけにいきません。市長の姿を保って街に帰らなければ、市民たちへの影響力は期待できないのですよ。」


 その判断は合理的であり、身体が損傷しても構わない個体に異変の確認をさせるという判断も間違いではなかった。


 だが、市長が……正しく表現すれば、市長の身体に感染した特異菌糸が……もっと臆病であれば、これから起きる出来事は回避できるはずであった。


 まだ明確な緊急性が見いだされておらずとも、ほんの僅かでも不審な状況に気づいたのならば、大声を張り上げて周囲に事態を知らせ、助けを呼びながら逃げるべきだったのだ。


 大袈裟な騒ぎを起こすことを無様だと感じ、ひとかどの人物である市長として威厳を保ち振舞おうとする。そんな生前の思考回路を模倣する特異菌糸であるがゆえに、大きな隙を晒すこととなった。


 自分が命令した通りに行動する部下の背中を見やり、高級スーツのジャケットに手を突っ込んでゆったりと立つ彼の背後に、回り込む小柄な影。


 万一の侵入に備えて遮蔽物や障害物がことごとく片付けられた敷地入り口とは異なり、元々緑地帯として植物の手入れを行うために造られたこの場所は、用具箱や貯水槽など、身を潜めるに適した遮蔽物に事欠かなかった。


 市長から命令された通りに排水溝を覗き込んだ男は、声を上げる。


「あー、野生動物でも、侵入者でもありませんでした、作業服の上着が脱ぎ捨てられていただけです。いや、しかし、こんな作業服、ウチで使っていましたっけ……?」


 見慣れない、灰色の迷彩柄の作業服を掴んで持ち上げ、男は市長の方を振り返る。


 彼の視線の先で、市長は膝をガクリとつき、そのまま前へと倒れ伏した。地に伏し、見る間に肉体が枯死していき、乾ききった砂人形のように崩れていく市長。


 倒れた市長を見下ろし、闇に溶け込むように、小柄な少年型の自動人形が立っている。


「誰だっ……?」


 異常事態であることを認識した時点では、既に遅かった。


 不審な少年型自動人形の元へ駆け寄ろうとした彼は、強い衝撃を後頭部に受けて前のめりに倒された。脱ぎ捨てられていた作業服の主、すなわちケイリーが死角となっていた塀の角から飛び出し、背後から飛び掛かったのである。


 ケイリーは瞬時に男を組み伏せながら、相手の首筋に滅菌剤を注入した。


 筋力を補強された自動人形の万力のごとき腕で、声を出せぬように口を封じられながらも、男は形ばかりの抵抗を試みる。が、滅菌剤が注入された箇所からの細胞枯死は異様な速度で進行していた。


 力を加えた腕の内部で、骨格がひとりでにボキリと折れたのである。


 見る間に真っ白く枯れていく顔面を排水溝の縁に叩きつけられ、まるで乾いた紙粘土のごとくあっさりと男の顔面は砕け散った。




 こうして、リーピとケイリーは想定外の戦果を挙げた。


 特異菌糸に感染した市長と、その側近を無力化することに成功したのである。


 倒れ伏して見る間に枯れ果てていく市長の身体の傍に伏せ、周囲の様子を窺いながらリーピは口を開く。


「……騒ぎは、起きていませんね。この状況に気付かれれば、僕らの脱出は絶望的です。」


「この現場を目撃している者は居ない。だがあまり時間をかけては、正門の見張りが居ないことに気付かれかねない。残された優先事項を片付けよう。」


 ケイリーの言にリーピは頷き、倒れ伏した市長の首筋から使用済みの滅菌剤注入器を引き抜き、携行ポーチに仕舞う。ロターク社のロゴは消してあるとはいえ、出処を追跡されかねない器具を現場に残すわけにはいかない。


 代わりに未使用の注入器を取り出し、針先のカバーを外しながら貯蓄特化個体へと近づく。


 生前の人間としての姿など見る影もなく、そのぶよぶよに膨れ上がった肉塊の表面にリーピは針を突きたて、粘液滅菌剤を一気に注入した。


「ヒュゥァァァ……」


 細く、息を吸い込むような音と共に、養分を吸いあげて膨れ上がっていた肉塊は、その場で溶解するように形が崩れていく。


 肥大していた身体細胞が死滅していくにつれ、体内深部の肺が圧迫から解放されていくのだろう。菌糸罹患者が生存する上では必要のない呼吸ながら、今際の一息を求めるような喉鳴りであった。


 ケイリーもリーピと同様、新品の滅菌剤注入器を手に、並んでいる他の養分貯蓄特化個体を枯死させていった。


 大量の養分と水分を体内に蓄えていた貯蓄個体たちは、他の菌糸罹患者と最期の様相が大いに異なっていた。乾燥による枯死よりも、細胞膜の破壊による身体構造の崩壊が先に来るのだ。


 皮膚が破れ、内部の結合組織が剥離していき、続いて保持しきれなくなった体液が崩壊した体組織とともにドロドロと流れ去っていく。分解に時間がかかる内部骨格が最後に現れ、極端な体型変化によって折れ曲がった形状を外気に曝していた。


 この場の全ての菌糸罹患者が無力化されたのを確認し、リーピは口を開く。


「水分を奪うプロセスを主とする粉末タイプの滅菌剤では、こうも迅速な処理は不可能だったでしょう。粘液タイプの滅菌剤を潤沢に用意いただいたモース研究主任に感謝ですね。」 


「あぁ……だが、リーピ、一旦動きを止めて、聞いてくれるか。私たちは、どうしてこんなリスキーな手段をとったんだ?私自身も、すっかり本来の目標認識が薄れていたが。」


 ケイリーから言われ、リーピは一瞬思考機能が停止したようだった。


 直後、リーピ本来の思考回路が再構築されたようであったが……人間に当てはめれば“憑き物が落ちた”かのような反応だった。


 もとは、敷地内の状況確認だけが調査目的だったはずである。


 製剤会社敷地内が完全に菌糸罹患者たちで占拠されていると確認できたのなら、リーピとケイリーは街に戻ってそれを報告しさえすればいい。健常者が残留している恐れを鑑みることなく、後ほど滅菌部隊が突入して制圧できる。


 さらに現市長が菌糸罹患者になり果てていることさえ確証が得られれば、今のように枯死に至らしめずとも、あの街で待つフィンク議員は現市長の実質的な逝去を周知したうえで何の気兼ねも無く新市長の座に就くことが出来る。


 調査担当のリーピとケイリーが実力行使に出るのは、あくまでやむを得ぬ事態においてのみにとどめるはずだった。


 結論を出しきれぬ問題だと判断したリーピは、速やかに現時点で優先されるべき行動指針を示した。


「まだ引き返せる状況であるうちに、この場を撤収しましょう。」


「……そうだな。私たち自身の思考回路、どこかおかしい。」


 ケイリーは先ほど脱いだ作業服の上着を今一度着込みながら、リーピを連れて排水溝を戻り始めた。


 放置していれば菌糸感染を意図的に拡大させようと画策する存在を、多少の強硬手段を取ってでも排除しようとする思考に至った先ほどの自分達は、まるで己自身ではない別の意思によって操られていたかのように思われた。


 むろん、菌糸が直接繋がっているわけでもない状態で、外部から伝わる意思があろうはずもない。


 が、対象が特異菌糸罹患者だったとはいえ……明確に人間の姿をした存在を、自動人形みずからの意思で、積極的に襲い、生命活動を停止させたことは事実であった。


 菌糸罹患者を拘束したことこそあれど、その命を奪う最終処理を、誰からの命令にもよらずリーピとケイリーが実行したのは初のことだった。

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