路面冠水に伴う特異菌糸分布域拡大
ロターク社による街の完全封鎖に、フィンク市長が前もって気づき先手を打つことが叶わなかったのは、あながちロターク社滅菌部隊の行動が迅速であったがためばかりではない。
この街中に残留している特異菌糸は、それほど多く生き残っては居まい、との見通しがあったためだ。今までに特異菌糸罹患者が発生した地域では、滅菌剤の散布はむろんのこと、罹患者の所持品の焼却を徹底し、また高価な粘液タイプ滅菌剤の地中浸透処置も例外なく実行していた。
そもそも特異菌糸は水分や養分をかなり多量に摂取しなければ、長くとも数日で枯死してしまう存在のはずである。
「俺の屋敷が襲撃を受けた日から数えても、十分に日にちが経ってる。レイストスの野郎が一歩でも踏んだ地面には根こそぎ滅菌剤を振り撒いたし、それ以降ずっとカラッカラの晴れ続きだった。菌糸どころか、普通の植物まで萎びかけるほどにな。」
フィンクは両手をコートのポケットに突っ込みながら、ぶつくさ言いつつ早足で市庁舎へ戻る道を辿っている。傘は、傍らの秘書によってさしかけられている。
葉をすっかり落とした街路樹の根本にしがみつくようにして盛り上がっている菌糸の塊を視野の端に入れ、皺だらけの顔をますます顰めてフィンクの愚痴は続いた。
「そりゃ奇跡的に生き延びてる菌糸はいるだろうよ、だが即座にこの街全体を封鎖せにゃならんほどだと思うか?地下に隠れるのを止めて、地上に顔を出してきやがったんなら、それこそ対処しやすいってもんだ……おい、すべきことは分かってるな?」
「はい。滅菌処理を実行いたします。」
フィンク市長の身を取り囲んでいる秘書たちの輪、そのさらに外を囲んで追随している警備用自動人形たちの数体が、携行している滅菌剤のボトルを手に街路樹の元へ近寄っていく。
ロターク社から市庁舎へと納入される際、万一に備えて滅菌剤も個体ごとに携行させられているのだ。ボトルに付随する小さな手動ポンプによってノズルから噴出した粘液タイプ滅菌剤は、たちまち目の前にあった菌糸の塊を枯死させていった。
単に水分を奪うだけが主たる効果である粉末タイプ滅菌剤は、この大雨の中では機能しなかったろう。いずれ将来的に街の封鎖が解かれたとしても、雨天が続き、それに伴って菌糸を処分する機会も増えるとなれば、ロターク社から更に多量の粘液タイプ滅菌剤を購入せねばなるまい。
あくまで、追加料金なしのサービスとして警備用自動人形らが装備している滅菌剤であったが、今の状況では十分すぎる宣伝効果を発揮していた。
「まさか、やつら、それが狙いか……?俺らの街を隔離し、外部から物資が入ってこない状況で、ロターク社の助けなしでは菌糸汚染がいかに脅威となるか、存分に俺たちに知らしめるつもりか?」
むろんそれは、フィンクが個人的に大企業に対して抱いている不信感によって助長された憶測に過ぎない。
とはいえ、フィンクの懐疑心を納得させる点を鑑みれば、妙に辻褄の合う憶測ではあった。
「連中、他の製剤会社がぶっ潰れた割に、自分たちの販売する粘液タイプ滅菌剤の売り上げが思ったほど伸びない状況にシビレを切らしたんじゃねぇのか。そりゃそうだ、こっちとしてはクソ高い新品を購入する前に、これまでストックしてきた粉末タイプ滅菌剤をまず使い切るのが先だ。んで今、粉末タイプが機能しない豪雨続きなのをいいことに奴らは、市長である俺がロターク社に泣きついてくるのを悠然と待ってやがる……そうは思わんか?」
「お言葉ですが、不確定要素である天候を企業戦略に組み込むことや、彼らとしても並ならぬリソース消耗を強いられる街封鎖実行に至ることについては、十分な要因を見出せないかと。」
フィンクから話を振られた秘書は、先ほどから徐々に強まっている風で傘が裏返らぬよう、傘を両手でしっかりと支えながらも冷静に返答した。
確かに、雨天時の菌糸対処において粉末タイプ滅菌剤が無力であることは、ロターク社が何も手を下さずとも現場が明白に実感することになる事実である。街ひとつを完全封鎖するなどという大それた計画も実行する必要は無く、ただ手を拱いて静観していればいずれ粘液タイプ滅菌剤の大量発注が来るだろう。
ロターク社滅菌部隊が今回の街封鎖を行ったのは、豪雨による大量の水分供給を起因として、大規模な特異菌糸の繁茂が発生すると確信していたために他ならないのだ。
しかし、長年フィンクの傍らで働き続けていた秘書は、市長が敢えて無理のある憶測を聞かせる相手を求めたのだろうという心境にも理解を及ばせていた。
「……さておき、彼らが大それた行動を起こしたのは、ロターク社製品の売り上げが伸びる予測とは無縁ではないかもしれません。」
「だろ?少なくとも今の俺たちは、ロターク社謹製のお人形さんたちに仕事してもらわねば、無事に市庁舎まで帰りつけるかすら怪しい……おい、前から綿みてぇな塊が流れてきてんぞ。」
フィンク市長がそう言いながら指さしたのは、やはり菌糸の塊である。湧き出して来た地面からもちぎれて離れ、路面を薄く覆っている雨水に乗って綿埃のごとく移動しているのだ。
むろん、市長を取り巻いている警備用自動人形たちは直ちに菌糸の塊の元へ向かい、粘液タイプ滅菌剤の噴霧を行う。いかに水分が豊富であろうとも確実な効果を発揮する滅菌剤を浴びせられ、その場で菌糸の塊は枯死して形が崩れながら雨に流されていった。
と、また前方から新たな綿の塊……すなわち特異菌糸の塊が流れてくる。
今度は多少大きく、ふんわりと盛り上がったそれは人間の膝程度の高さにまで達していた。さすがにそれなりの重量があるのか、完璧には雨水に浮き切らず舗装路面にちょくちょく引っかかって止まっている。
むろん、警備用自動人形たちは命令を待つまでもなく、フィンク市長らの進行方向に存在する特異菌糸の塊へ滅菌剤を吹きかけに行く。
その先はといえば、更に大きく成長した菌糸の塊が三つ、四つ……。
「おいちょっと待て、ありゃ何だ。完全に道が塞がれてねぇか?」
「そのように……見えます。」
ますます強まる雨足で白く煙る路面へと目を凝らし、フィンク市長も、彼を取り巻く秘書らも、進行方向に見えてきた異様な光景にようやく気が付いた。
これまでちょびちょびとちぎれて流れてきた菌糸の塊、その本体とも言うべき巨大に成長した菌糸の山が、道をすっかり塞いでいたのである。
ふわふわとした白い綿のような外観にはまるで威圧感などないが、人間の身体に直に触れれば即座に侵入してくる危険な菌糸であることに違いはない。巨大な菌糸の塊が生じているすぐ傍には、かつて花屋のあった土地、店舗建物が解体されて以降は買い手がつかぬままであった空き地が存在した。
フィンクは悪態をつきながら踵を返す。
「金融屋でも何でもさっさと入れて、建物を載せとけっつっただろうが、野ざらしの地面を残しやがって。さすがにあの量の菌糸は、人形共が持ってる滅菌剤じゃ足りねぇだろ。」
「はい、おそらくは。あの地点を迂回します、警備用自動人形は対処すべき菌糸の処置を済ませ、市長の護衛を続行。」
秘書はフィンクからの言葉に頷きながら、周囲を固めている警備用自動人形たちにも指示を出す。
相変わらず強まる風雨の中で傘は差し続けられていたが、流石に別の秘書が用意していたレインコートを取り出し、傘の下のフィンク市長に頭から羽織らせた。
……その判断が、悲劇を僅かに凌いだ。
「飛来物に警戒!」
警備用自動人形の一体が、設定されている最大のボリュームで声を発する。
頭からレインコートのフードを被っている最中だったフィンク市長には、風上を振り返る猶予はなかったが……咄嗟に警戒の発された方向を見たひとりの秘書の顔面に、真っ白な塊がまとわりついた。
言うまでもなく、特異菌糸の塊である。
強まった風でちぎれ飛んだ菌糸の綿は、まるで市長一行を狙う砲弾でもあるかのごとく、無数に空中を飛来していた。
「市長!姿勢を低く!」
「わかってんだよ!」
傘をさしかけていた秘書は、自らの身も傘の影に隠しつつ、喚く市長の身体をすっぽりとレインコートで包み込むように膝をつかせる。
小さな菌糸の綿の塊が、つい先ほどフードを被ったばかりのフィンク市長の後頭部を軽く撫でて、そのまま風に流れていった。
バシャバシャと急ぎ足で近寄ってくる警備用自動人形たちが、風上に並んで即席の壁を作る。滅菌剤ボトルからノズルをこちらに向けて近づいてきた人形に対し、秘書は告げた。
「市長の被っているフードに滅菌剤の散布を!つい先ほど、僅かながら菌糸が触れました!市長、そのまま動かないでください!」
「分かってる、っつってるだろ!いや、俺よりも、さっき顔面に菌糸が直撃した奴はどうした!?」
自動人形から滅菌剤を浴びせられながら、フィンク市長は怒鳴るように返答する。もとより完全に防水加工が為されている市長用のレインコートは、菌糸や滅菌剤が内部へしみ込んでくる心配も不要である。
フィンクの問いに対して、すぐさまの返答は得られなかった。
むろん、傘をさしかけている秘書は、先ほど顔面に菌糸がまとわりついた、すぐ隣にいた秘書を確認したが……その様子を説明する前に、彼は言葉を失っていた。
苛立つフィンクは、フードからポタポタと垂れてくる滅菌剤を煩わしげに振るいながら質問を繰り返す。
「どうしたんだ、って聞いてんだよ!無事なのか!?」
「いえ、彼は……助かりません。」
ようやっと、絞り出すような声で秘書が答えた時、フィンクもレインコートのフードをようやく持ち上げ、視線をあげてその現場を見た。
顔面にしがみつく菌糸の塊を引き剥がす間もなく地面に倒れた秘書は、そのまま小さく全身を痙攣させていた。脳にかなり近い位置で菌糸が付着し体内に侵入したためだろう、身体機能に先んじて思考回路が菌糸に乗っ取られているのだ。
自動人形たちは当然ながら動揺せず、状況の理解を遅らせることもない。
「対象の拘束。三体必要。」
「滅菌処理開始。」
手足を不自然にバタつかせながら起き上がろうとしている秘書を、数体がかりで地面に押さえつけ、上から滅菌剤を吹き付ける。顔面を覆っていた菌糸が死滅した後は、秘書の口をこじ開け、口腔内にも容赦なく滅菌剤を注ぎ込む。
懸命に起き上がろうともがいていた秘書“だった存在”は、マトモに活動を開始する猶予もなく、警備用自動人形の力に抗えるべくもなく、朽ち果てていった。
大粒の雨に打たれているため、その死に顔は穏やかではない。
中途半端に菌糸への置き換えが進んでいた顔面の表情筋は、結合組織も不安定であり、雨粒に打たれるごとに表皮の細胞が剥がれ落ちていく。その内側から露わとなった骨格もまた、菌糸によって侵入され脆くなった状態であり、雨滴に打たれる衝撃だけで見る間にひびが入り、割れていく。
見る間に、顔面から首筋に掛けてのみ、細胞が腐り落ちたかのごとく欠損した遺体が出来上がった。
もはや人間でなくなった存在に対しては、自動人形は行動の制約もないのだろう。
まだ菌糸によって侵されていなかった体の部位に対しても、警備用自動人形たちは滅菌剤の注入を行いはじめた。自動人形の握力をもってすれば、人間の皮膚をつまみ、軽く力を入れて引き裂くだけで身体内部を露出させる穴を開けられる。
さすがのフィンク市長も呆然と現場の様子を見守っていたが、ハタと我に返ったように声をあげる。
「……おい、おい!ちょっと待った、俺はそいつの遺族にどう説明すりゃいいんだ?顔面も無ぇ、身体もあっちこっち裂かれたあげく、薬品を流し込まれた状態の遺体を見せなきゃならねぇのか?」
「現状におきましては、葬儀の手筈を整えている余裕はありません。この遺体の滅菌処分は、現地にて完遂します。市長、そして秘書の皆様は、市庁舎への帰還を優先してください。」
警備用自動人形が口にしたのは機械的な返答であったが、その内容は正確に違いなかった。
今となっては押し黙ったままの秘書は、市長の身体と傘を抱える手に力をこめながら、無言のままに市庁舎へ戻る別の道へと足を進めるしかなかった。




