市長との問答 および菌糸繁殖害の激化
豪雨の音は、樹脂窓を通して多少遮られているものの、依然として部屋の静寂を遠慮なしに埋め続けている。
フィンク市長が言葉を発さなければ、リーピも次の言葉を待つばかりである。ケイリーも、カッシングも、そして市長の秘書たちも静寂を敢えて破ろうとする者は居ない。
しばらくの後、小さく長い溜息を吐き終えるついでのように、フィンクはようやく言葉を発した。
「せめて、お前らが今でもロターク社と連絡できるってんなら、食糧やら医療物資やらを、あの隔壁の向こうから投げ入れてくれるように頼むことも出来たんだろうが……。」
「申し訳ございません、幾度も述べておりますように、僕らはロターク社と情報交換する手段を有していません。」
フィンクはソファの背もたれに体重を預けるのを止め、上半身を起こし、自分の膝の上に肘を掛ける恰好になっていた。
が、彼は視線を常にリーピの表情に向け、観察を続けているのだった。自動人形の顔面パーツは、設定された表情を示すばかりであって、いくら観察しても読み取れる情報に限りはあるはずであった……本来は。
人間らしい行動の模倣を経て、人間に近しい思考や感情のようなものまで習得したリーピに対しては、表情の観察も有効手段になるとフィンクは理解していた。
「情報交換する手段が、全く無い、ってことは無ぇんじゃねぇのか?お前ら自動人形は原則として嘘は吐かねぇ、が、真実を黙っておく程度のことは学習してんだろ?俺は気づいてるぞ。」
「繰り返しとなりますが、現状におきましては、ロターク社ならびにロターク社に属する存在へ連絡を取る手段は存在しません。」
「条件付きの断定に切り替えやがったな?言っておくが、今朝この住宅街にロターク社の菌糸動力車が乗り込んできてたのは、ウチの秘書が確認してる。これまた、まだ朝の暗いうちのことだ……お前ら宛てに、本社からの遣いが来てたんじゃねぇのか?今後も、ちょくちょく連絡しに来る手筈だったりしてな?」
フィンクは極力余裕を示せるような言葉を選んではいたが、その詰問の語調はますます強まっていた。
その矢面に立っているのは自動人形であるリーピだったが、同席しているカッシングが体調を崩さぬかとケイリーは常に老人の顔色を窺い続けていた。
カッシングは元執事として相応しく振る舞い、表情を動かすことなく同席し続けていたが、市長がドスの効いた声で質問を畳みかけ、詰め寄ってくる姿を目の前にして、全く心的ストレスを抱かずにいられるわけでもない。
この質疑応答の場を一刻も早く済ませて老人の精神面での負担を抑えるため、そしてむろんフィンク市長に余計な疑念を抱かせぬよう、リーピは返答に時間を置かなかった。
「ロターク社から遣いの自動人形が、菌糸動力車に乗ってここに来たのは事実です。彼らの用件は、街が完全に封鎖される前に、ロターク本社へ帰還するよう僕らに伝えることでした。」
「……お前らが今ここにいるってことは、そいつを断ったのか。」
「はい。僕らは現在、カッシングさんの介助依頼を引き受けております。これを中断して街を立ち去れば、カッシングさんの生活維持は非常に困難となると判断しました。」
喋っているリーピの傍らで、ソファに腰掛けているカッシングが僅かに顔を動かして視線を泳がせる。
むろん、昨夜を通して起きた出来事について睡眠中のカッシングは知る由もない。街の封鎖を事前に知らされてなお脱出しない、その決断をリーピとケイリーが下したとカッシングは今初めて知らされたのだ。
そもそも自動人形ゆえに身の安全など考慮せずともよい存在であったはずだが、リーピやケイリー相手にあまりにも人間らしいやり取りを続けてきたカッシングには、自分のために若者が未来や自由を犠牲としたかのような錯覚が生じたのであった。
さておき、今リーピとやり取りしているのはフィンク市長である。フィンクにとって、重要な情報は別であった。
「ってことは、街が封鎖される直前に、お前らはそれを知ってたってことじゃねぇか。なぜ俺のところに……市庁舎に、伝えに来なかった?」
「申し訳ございません、警邏隊には伝えましたので、それで十分と判断しました。先述の通り、僕はカッシング氏の介助を行わねばならず、また情報を得た時点から街の完全封鎖までいくばくの時間的猶予もありませんでした。」
フィンク市長が次に用意しているであろう尋問の手札を、リーピは先んじて見切って返答した。
それは自分たちが警邏隊に対してのみ、街の封鎖予定について通達し、市長には伝えなかった……という事実に対する疑念である。
正確にはリーピではなくケイリーによる判断であり、また実行したのは明け方近くではなく日付が変わる前の昨晩深夜のことであったため、虚偽が含まれる返答内容ではあった。
単にロターク社製の自動人形であるというだけで導かれた憶測ならば、市長じきじきにここまで来ないだろう。リーピないしケイリーによって情報提供が為された、との確定情報を警邏隊長フィリックから引き出せたからこそ、フィンク市長自ら尋問しに来たのだとリーピは既に推測を組み立てていた。
リーピの思考回路内部では、この場で為すべき応答の方向性も明らかであった。
現状の自分たちはロターク社との繋がりを有しておらず、大半が自動人形で構成されている警邏隊もまた内通者ではない、とフィンク市長へ明確に示すことだ。リーピはフィンクからの返答を待たず、言葉を続けた。
「警邏隊も僕らからの情報提供を受けてただちに、街の治安維持を目的とした迅速な配備を最優先として活動したものと思われます。おかげで、唐突な街封鎖による市民の混乱は最小限に抑えられています。」
「……んで、市長は市長の仕事にさっさと戻りやがれ、ってか?」
「恐れながら、僕らの立場からはそうお願いする他にありません。市長の立場であれば一般市民や自動人形とは違い、街の封鎖を行っている滅菌部隊が提案に聞く耳を持つ可能性は高いでしょう。封鎖自体は解かれずとも、物資や情報の融通について交渉する余地はあるかもしれません。」
リーピはすらすらと言い切った。
フィンク市長は尚もじっとリーピの表情を見つめていたが、今度こそ自動人形らしくリーピの表情に揺らぎの無いことを見てとったのだろう。
小さく溜息を吐いた後、フィンクはソファから立ち上がった。カッシングが慌てて立ち上がろうとして膝を震わせているのを手で制し“老人は無理するな”とばかりに口元にだけ笑みを示しながら、つかつかと玄関口へ向かう。
既に市長のコートをハンガーから外して掲げている秘書の前へまで行く、その数歩の内に言葉をまとめたのだろう。
コートを羽織りながら、フィンクはリーピとケイリーへ視線を遣りながら念を押した。
「俺を出し抜いてロターク社が先に動くようなことがもう一度あれば、真っ先にお前らが疑われるものと思っておけ。モースの野郎が、一番の自信作としてお前らを可愛がっていたことも、俺は知っている。」
「モース研究主任とも、僕らは現状連絡を取れません。この街で暮らしている以上、協力できる範囲内であれば市長のお力になりたく存じます。」
「……フン、お前らが新品の人形なら、その言葉も嘘を疑わずに済んだんだろうがな。」
吐き捨てるように告げ、フィンクは秘書らを引き連れて家から出て行った。家の外で待機させられていた護衛の自動人形たちも、足並みをそろえてカッシングの自宅から離れていく。
静かになった家の中に、変わらず窓越しの雨音が響き続けている。
フィンク一行を見送り終えたリーピが部屋の中に戻ってくれば、カッシングはソファの背もたれにグッタリと体重を預けていた。
彼の額に手を当てて温度を測っているケイリーに対し、リーピは鋭く尋ねる。
「カッシングさんの容態は?」
「体温に急激な変化はない。」
「あぁ、ご心配には及びません。すこし気を張っていたため、部屋着に着替える前に、身体を休めさせていただいているだけです。このようにくつろいだ格好、お客人の前ではお見せできませんからね。」
カッシングは皺の寄って痩せさらばえた枝のごとき手を振って、リーピの案じるような視線に微笑みを返す。
すぐさまカッシングが体調に異変を来たすようなことはなくとも、秘書をぞろぞろと引き連れ押しかけてきて、リーピへの尋問をまくしたてた市長の存在が、老人に相当な気疲れを引き起こさせたことは間違いなかった。
応対は殆どリーピが行ったとはいえ、ずっと市長や秘書らの視野内で姿勢を正し続けていたカッシングは急激に老け込んだかのようであった。
台所からコップに水を一杯汲んできたケイリーは、それを老人に差し出しながら告げる。
「締め付けの緩い服に着替えねばならないが、その前に一服つくべきだ。飲めるか?別の容器に移したほうがいいか?」
「いえ、結構です、着替えに向かうのを先にいたしましょう。この執事服の恰好で、それも応接ソファの上で、水をこぼすわけにはいきませんからな。」
カッシングの震える手には、コップを把持するだけの握力も残っていない様子であった。
むろんケイリーはコップを彼の口元に添えて飲ませるつもりではあったのだが、その扱いを受けることを是とするカッシングではない。あくまで、飲食は自分の手で為すことに彼はこだわっていた。
ケイリーが腕を支え、カッシングがごく小さな一歩をゆっくり繰り返しながらクローゼットへと立ち去った後、リーピは市長一行が出て行った後片づけをする。
フィンク市長がコートを掛けたハンガーの下は特に雨雫が垂れて濡れていたが、それなりに雨粒を払い落としてから入ってきた秘書たちの歩いた痕も、ぐっしょりと床が濡れていた。
「雨の勢いは、全く衰えていないようですね……。」
リーピは、本来の自動人形には不要な独り言をつぶやきながら、窓の外へ視線を向ける。
その途端、彼の動きは一瞬固まった。これまた、感情によって行動が左右されるはずのない自動人形には、本来あり得ない挙動である。
リーピの視線の先、半ば曇った樹脂窓の向こう側には、雨に打たれる庭先の路面が見えている。
朝がたは枯れた樹木の根本にだけ湧き出ていただけの菌糸が、今は舗装されていたはずの路面を覆い尽くしていた。まるで大量の綿を何者かがちぎってばら撒いているかのように、流れる雨水の表を続々と菌糸の塊が流れていく。
豊富な水と養分を泥水から吸って、繁殖した菌糸の塊がいよいよ一点に留まることなく、生きたまま路面を水とともに流れだし、我が物顔で占拠しているのだ。
生身の人間が触れれば、即座に罹患者になり果ててしまう。
「……市長一行は、無事に帰れているのでしょうか……?いや、今は、この場所を守ることに専念しなければ。」
床を拭くために雑巾を取り出しかけていたリーピであったが、それを元に戻し、ゴミ出し用にストックしてあった樹脂袋を幾枚も取り出す。
流し台にはキッチン内にある限りの鍋を並べ、水道の蛇口をひねって水を溜め始める。自動人形には無縁の話だが、上水道が機能しなくなってはカッシングの生存確率は一気に下がる。それに、水害に乗じて浄水施設に菌糸が流入することになれば、いよいよもって安全な飲み水を得ることは絶望的になる。
リーピは樹脂袋の中にも水を詰め、それを玄関扉や窓の下部の隙間に並べ始めた。
ケイリーも物音を聞きつけたのか戻ってきた。カッシングがようやくクローゼット前の椅子に辿り着いて、着替え前に息を整えようと腰掛けたところなのだろう。
怪訝な表情のケイリーであったが、問いかける言葉は途中で疑念の色を薄めた。
「何をやっているんだ、リーピ?」
「ケイリー、あなたも手伝ってください。想定以上の規模で、菌糸の繁茂が進んでいます。」
既にケイリーも窓外の光景を目に入れたのだろう、彼女もまた樹脂袋内を水で満たし、浸水の恐れがある箇所に運ぶ作業を開始した。
身体を大きく動かすことが叶わないカッシングを守るためには、この場に籠る他にすべは無い。
とはいえもはや健康体であっても、人間である以上は生存がごく困難な環境で街は満たされていた。
これまでは地下に潜み、人間の身体に侵入する好機をじっと窺っていた、特異菌糸の塊。それが大量に供給された水分をもって爆発的に繁茂し、路上の冠水と共に流れて無作為に街の住民を襲っていたのだ。




