カッシング氏への介助任務 および市長への応対
昨晩の騒動を知らぬままに目覚めてきたカッシングは、むろんこの街自体が外部から封鎖されている事実を知らぬままである。
ケイリーに手を支えられながら、ゆっくりゆっくりと歩を進めてリビングの椅子へと移動してきた老人にとって、昨日の朝との違いは激しく窓を叩き続ける雨粒、そしてすっかり葉を落としてしまった庭木だけであった。
「これまた、随分な大雨ですな。昨夜から、ずっと降り通しで?」
「あぁ、私とリーピが認識する限り、雨が途切れた瞬間は一度もない。」
「自動人形さんがおっしゃるなら、そりゃ確実なことです。あぁ、あんまり激しく雨に打たれるものだから、木の葉がすっかり散らされてしまった。」
睡眠や休息を必要とせず、原則的には嘘もつかない自動人形の性質を理解しているカッシングは、ケイリーからの明瞭な返答内容だけを聞き入れ、頷きながらテーブル上に手を伸ばす。
老人の毎朝の習慣である茶は既に淹れられ、湯気の立つカップがテーブル上にはあったのだが、カッシングが手に取ろうとした物はここになかった。
「今朝の新聞は?まだ、配達が再開されておらんのですかな?」
「庭先の片付けと見回りついでに、リーピが見に行ったはずだが……。」
ケイリーの言葉に応じるようなタイミングで、玄関扉を開けてリーピが戻ってくる。
頭からすっぽりと作業服のフードを被っている少年型の自動人形は、遠目には小柄な作業用自動人形に見える。フードからしたたる雨粒を玄関口でざっと振るい、濡れた作業服の上着をハンガーに掛けながらリーピは返答した。
自動人形の聴覚をもってすれば、リーピは雨が降りしきる屋外からであっても、屋内でのカッシングとケイリーのやり取りを聞き取れているのだ。
「本日も、新聞の発刊は確認できません。工業区画での騒動以降、印刷設備の復旧の見通しが立っていないようですね。」
「新聞を断たれてしまっては報道機関の面々も困るでしょうに、優先的に復旧へと着手しようとはせんものですかな。ま、この歳になると、日々の事件やら政局やらに心を騒がされずに済むのも、有難いものですがね。」
「このところ報道記者の姿もあまり見かけません、菌糸感染による被害の増大に、彼らも活動を自粛しているのかもしれません。」
むろんリーピが語ったのは実際に抱いた推測の一部ではあったが、より可能性の高い推測については敢えてカッシングに示そうとはしていなかった。
一般人よりは耳聡い記者たちが、昨晩からのロターク社の大々的な動きをいっさい察知できないとも思えない。いよいよ、特異菌糸の巣窟となりかねないこの街が封鎖されると知れば、行動制約を厭う報道機関の大半は既に街を捨てて脱出したはずだ。
次々に菌糸感染や罹患者騒ぎの起こるこの街は特ダネの宝庫ではあったが、この社会で唯一の報道手段である新聞が売れぬ状況に居残る理由はない。
印刷設備は直されぬまま、配達担当の人員も今後はほぼ確保できまい。街の外に出ていって緊急事態を声高に喧伝し、無関係な不特定多数の好奇心を満たしているほうが、よほど利益につながる……報道陣は一様に、そう判断を下したのだ。
必然的に当事者たる住民たちはますます情報を得られなくなったわけであるが、カッシングの生活介助を担当するリーピとケイリーにとって、それは好意的な要素であった。
「もうしばらくお待ちください、じきにトーストが焼き上がります。」
「おや、前にお教えした通り、焼き目をつける前に温めるひと手間を、忘れておられませんな。」
「まだ、試行錯誤の途上です。僕ら自動人形では、人間か抱く食感の好ましさを原理的には理解できませんので。」
「じっくりで構いませんとも。」
カッシングは穏やかに笑みながら茶をすすり、大雨の音に満たされつつもゆったりとした朝の時間を過ごしている。
街中の特異菌糸が全て枯死処分とされ、菌糸感染の根絶が確認されるまで、この街は封鎖され続けるという事実に、老人は触れずにいられるのだ。
いつ解決するとも知れない封鎖は、まだ若者にとっては将来的な希望を見出せぬでもない状況であったが、老い先短い人間にとっては、実質無期限の行動制限も同然だ。
どちらにせよ、老化ゆえにほぼ家から出ることの出来ないカッシングには変わらぬ話かもしれないが、それでも街全体の状況が逼迫していくとの情報を、老人に敢えて伝える選択はリーピもケイリーも避け続けていた。
が、そのような配慮とは無縁の人物とも、リーピとケイリーは繋がりを有している。
焼き上がったトーストをリーピが皿に載せ、カッシングのもとへ持って行こうとした矢先に、複数名の足音をリーピもケイリーも察知した。
大雨の音に紛れながらも足音を聞き取れたのは自動人形だからこそだったが、複数名の硬い靴音がバシャバシャと路面の雨水をも蹴散らしながら、無遠慮にずかずかと近づいて大きくなってくる。複数の男が、足早に歩いて来ているのは間違いなかった。
間もなく、カッシングも訪問者の気配に気づいた。
「お客様ですかな?ここら一帯は、議員さんや秘書さんのご自宅もあるので、ウチではないかもしれませんが。」
「いえ、おそらくは、この家に向かってきています……僕が応対します。」
靴職人ラーディからの影響もあり、靴音の特徴から訪問者をおおよそ推測できるようになっていたリーピ。
自分たち目当ての訪問者であろう、とほぼ確信をもって開けた玄関扉の向こうには、果たしてフィンク市長が居た。彼の引き連れている面々の数も、リーピが足音から推測した通りだ。護衛を務めているのは、ロターク社から購入したケイティー型警備用自動人形たちである。
フィンク市長の方も、呼び鈴を鳴らす前に自動人形から接近を察知されることは想定内だったらしく、彼は驚きもせず片手を軽く上げて挨拶の代わりとした。
「俺が直々に来たってことで察してもらえるかとは思うが、お前らに話がある。ケイリー嬢ちゃんも居るか?」
「はい、ケイリーも居ります。」
「ついでに、前市長の元執事も、だろ?芳しい香りから察するに、朝食の真っ最中のようだな。アポ無しでお邪魔しちまうのは悪い、家に踏み込んでもらいたくないなら、ちっとばかし軒先を貸してもらうことになるが。」
そうは言ったものの、元執事の老人が客を雨降る屋外に立たせっぱなしとすることなど決して出来ないだろう、と充分に予測した上でのフィンクの発言であった。
既に、リーピが開いた玄関扉ごしに来訪者が何者であるか見てとっていたカッシングは、ひと齧りしただけのトーストを皿の上に戻し、それを片付けるようケイリーに指示して自ら椅子から立ち上がっていた。
ケイリーは、朝食の皿に蓋をしてキッチンへと持っていき、急いでカッシングの手を支え、彼の歩行を補助する。
どこへ向かおうとしているのかは、言われずとも分かっていた。
「クローゼットに向かう、のだな。」
「えぇ、市長のお越しとなれば、くつろいだ部屋着でお迎えするわけにいきません。」
逐一具体的な指示を出されずとも、今のケイリーは人間の意図を掴む能力を十分に有している。カッシングをクローゼット前の椅子に座らせ、今となっては一張羅である執事服へと着替えさせ始めた。
リーピもまた、老人が望んでいる処置を既に理解しており、フィンク市長とその取り巻き連中を家の中へ迎え入れていた。
「どうぞおあがりください、コートをお預かりします、そちらのソファでおくつろぎください。」
「いや、流石に全員分のコートを掛ける場所は無ぇだろ、全員が腰掛けるだけの席もな。秘書連中は立たせておくし、人形共は外に待機させる。前の市長の時からずっとそういう扱いだ、元執事の爺さんも気遣い無用だ。」
秘書の一人が警備用自動人形らに立ち位置を指示する声が、玄関の扉越しに聞こえている。一方の屋内には年配寄りの秘書らがずらりと並び、彼らを背後にしてフィンクは応接用のソファにどっかと腰を下ろす。
できれば、リーピはフィンクが持ってきたであろう本題を、カッシングの戻ってくる前に済ませたかったのだが……ケイリーに手伝われながらのカッシングの着替えは想定以上に短時間で済み、フィンクが座ると同時に執事姿で戻ってきていた。
仕事着を身に纏えば、やはり若返る心持ちとなるのか、背筋がしゃんと伸びているカッシング。とはいえ、恭しく頭を下げる一礼は、傍らからケイリーに身体を支えられながらであった。
「ようこそお越しいただきました、フィンク市長。ご多忙を縫っての訪問に感謝いたしますと共に、就任以降の無沙汰をお詫び申し上げます。」
「いやいや、俺のほうこそ、食事中に邪魔してスマンな。まぁどうか座ってくれ、なんて客の側が言うセリフじゃねぇが、年長者を立たせっぱなしじゃ腰を落ち着けていられん。」
口先でそう言っているフィンクは、形だけ腰を浮かすような姿勢を示しているばかりであったが、カッシングを立たせっぱなしにすべきでないのは事実だった。
食事を中断し、立ち上がって別室へ急ぎ、全身の服を着替え、急ぎ足で戻り、歓迎の口上を述べる……と、介助が必要な老人にしては体力消耗の激しい行動を連続で行ったのだ。フィンク市長に向かい合う席に腰を落ち着けたカッシングは、暫く呼吸を整えるだけで精一杯の様子であった。
しかしフィンクの方は老人が息を整えるのを待っているつもりもない。家主による出迎えの体裁が済んだと見るや、すぐさまリーピとケイリーに向かって口を開いた。
「俺が来た理由、お前らなら察しがついてるか?」
「……はい。ロターク社による、街封鎖の件ですね。」
まだ呼吸を整えているカッシングが、更に呼吸を乱すようなことが無いかと慎重に観察しつつも、フィンク市長が居座る時間を極力短くするためリーピは極力明瞭に答える。
ケイリーがチラと横目で視線を投げかけてきたが、これはリーピの判断に異を唱えるためではなく、カッシングの状態確認は自分が引き受けよう、との意思表示である。
フィンク市長が、ロターク社製品である自分達へ明確な疑義を向けている現状、リーピには余計なことに思考を割いている猶予などなかった。
「話が早くて助かる。んじゃ、俺が考えてることも察せるとは思うが……お前ら、ロターク社に、どれだけの情報を流した?」
「僕らからロターク社へと情報を伝えることはありません。少なくとも、菌糸通話線網が機能しなくなって以降、ロターク社との連絡手段はありません。」
一点に専念できる状態のリーピは、フィンク市長へ返す答えも全て明瞭かつ即座であった。
とはいえフィンク市長も易々とは引き下がらない。彼は市長としての立場のみならず、人間として生き続ける上での危機感も抱いていたのだから。
「その言葉を俺も信じたいが、どうにも疑念は消えねぇんだ。この街は、だだっ広い平原の真ん中に建ってるわけじゃない。多少なりと地形の起伏はあるし、それを古くから立ち並んでる家並みが埋めている。」
「はい、街の外縁部は空き家や倉庫区画、耕作放棄地などが広がり、区画整理されていない地域の常として道も不規則な広がり方をしています。」
「よく知ってるじゃねぇか。さて、そんな地元の人間しか知らないような裏路地、抜け道まで、今朝になってロターク社が見逃さず封鎖してやがるんだ。あの忌々しい、急ごしらえの隔壁も、きっちり地形に沿って設置できるように準備済みときた。」
「ロターク社の保有する資産を考慮すれば、それを実現するだけの資材投入は現実的です。」
「あぁそうだろうよ、だが俺が知りたいのは『この街の地形情報を、誰がロターク社に流したのか?』だ。思えばお前ら、どこの屋敷に住み込むでもなく、随分長いこと自由に街中を歩き回ってたようだが……。」
「確かに僕らは自主的に街中での活動を行っていましたが、顧客からの依頼達成が主目的であり、街の外縁部を隅々まで調べる猶予はありませんでした。地形情報の取得につきましても、ロターク社独自の情報収集部隊が活動した結果と思われます。」
畳みかけてくるフィンク市長に対し、リーピは即答を続けていたが、とはいえ彼が話せる内容も推測の域を出ないものばかりであることは否めなかった。
フィンク市長を納得させるには程遠い状況である、と傍らに立つケイリーも、ソファで呼吸を落ち着かせようとしているカッシングも認識しているらしい。リーピは、両名の視線がずっと脇から向けられ続けているのを感じていた。
当のフィンクも、現状では満足な結論を得られないと判断はしたのか、少し語調を抑えて口を開いた。
「ま、誰が情報を流したにしても、街が強制封鎖されちまった事実には変わりは無ぇ。俺が知りたいのは、今後も、街の中から情報がロターク社に漏れ続けるのかどうか、ってところだ。」
「僕らの認識する範囲内では、街の内外で情報交換を行うことは出来ません。封鎖に用いられている障壁は物理的にも越えることが不可能であり、また菌糸通話線も機能していないためです。」
「だよな……クソッ、分かるか?自動人形さんよ。今の状況がどんだけヤバいか、一番理解してる立場の人間の気持ちを。俺たちの街は、物資面だけじゃねぇ、情報面でも孤立してんだぞ。報道記者どももこぞって居なくなってやがる、外の連中が『この街は生存者無し』と記事を書けば、それを否定する奴もいないんだ。」
ここに来て初めて、フィンクは彼の本音に近い所から喋った。いつになく早口で、多少なりと錯綜しかけた文言になっているところからも、彼の余裕が擦り減っているのは明白であった。
街の外部へ助けを求めるどころか、生存者が居ると伝える手段すらない現状。
ロターク社は世間からの批難を恐れず、人間、菌糸を問わず市街から生命が消え果てるまで、封じ込めを続けることが可能なのだ。
むろんフィンク自身が生き延びたいとの思いが核心であろうが、市長として街の住民を生き延びさせねばならぬという責務が重圧となっているのも事実だった。




