ケイリーによる重要情報通達
深夜、唐突な訪問者の声に目を覚ましたラーディの耳には、既に屋外を占めていた豪雨の音も入り込んできた。
自分が眠っている場所が自宅ではなく、リーピから鍵を渡されている探命事務所の休憩室であることを思い出すのに、更に数秒を要したラーディ。
本来の自宅である安アパートの寝床は、慣れた場所とはいえ定期的に得体の知れぬ虫の羽音に悩まされたり、朝起きた腕に壁蝨の噛み跡が赤く点々と残されたりすることも度々ある。そのため、暫くカッシング宅から帰ってこれないリーピ達の代わりに事務所の掃除を担いつつ、清潔な事務所の休憩室を第二の寝室としてラーディは利用していた。
休憩室の扉を隔てて、事務所入り口でのやり取りがくぐもって聞こえてくる。
訪問者に応対しているケイティーは、自身と全く同じ声の持ち主と対話している。すなわち、今訪ねてきたのはケイティーのモデル元となったケイリーだ。
睡眠中のラーディに考慮してか、ケイティーとケイリーは小声で喋っており、事務所内の照明も全て消したままである。自動人形同士であれば、全くの暗闇であっても問題なく視覚は機能する。
それでもラーディが目覚めたのは、光や音といった外的要因とは全く関係のない、人間であればこそ感じ取れる“胸騒ぎ”が異様に強まったためであった。
人間のために以前リーピが準備してくれた仮眠用ベッドからそっと身体を起こし、ラーディは足音を忍ばせて休憩室の外へ耳をそばだてる。
ケイティーの機械的な声も、今は緊迫感を伴って聞こえた。
「では、今夜中に、必要な荷物をまとめ、この街の外へ脱出すべきとのモース主任からの通達を、ラーディにも伝えます。」
「くれぐれも、他の市民には伝えないように頼む。災難に巻き込まれたくないのは誰もが同じだ、噂が広まれば大混乱になる。モース主任本来の意図は、私とリーピに対してのみ、この情報を伝達することだった。」
「理解しています。……ラーディさんも、既に起床されたようです。」
ラーディは出来得る限り音をたてぬように動いていたつもりだったが、自動人形の聴覚受容器をもってすれば難なく聞き取れる物音である。
隠れて話を聞き続ける意味もなくなったラーディは、そっと休憩室の扉を開けて事務所入り口へと視線を向けた。
既に雨を避けるため作業服ジャケットのフードを目深に被っていたケイリーは、ラーディと目があった一瞬だけ会釈をし、降り注ぐ夜の豪雨の中にそそくさと去っていった。
入り口の扉を閉じたケイティーは、ラーディの方へと振り返る。ラーディの護衛を始めたばかりの頃であれば、ケイティーは伝える必要のある事項のみを淡々と語ったことだろう。
しかし、今、ケイティーはラーディの顔を視界に入れた時、暫し口を噤んだ。
よほど色濃く、不安の色がラーディの表情に見いだされたためだろう。機械的な情報伝達よりも、ラーディへの気遣いを優先する思考が、現在のケイティーには構築されていた。
「ご気分がすぐれませんか?ラーディ。不調を感じているのでしたら、私に遠慮なくお伝えください。」
「い、いえ、体調が悪いわけではないんです……さっき、ケイリーさんから何を伝えられたんですか?なんか、その、街から逃げなきゃいけない、とか聞こえたんですけど……?」
ケイティーはつい今しがた閉めたばかりの入り口扉へと聴覚受容器を向け、確認できる限りでは近くに何者の立てる物音もしないことを確認する。
照明を点けながら、休憩室の中へと引き返すようラーディに促しつつ、自分も休憩室内へと入って扉を閉め、顔を近づけるようしゃがみこんで小声で喋り始めた。
「私を製造したロターク社の研究主任、モースからの伝達内容です。現在、雨天により土壌中へ多量の水分が供給されており、地下に潜伏していた特異菌糸が一斉に活性化する恐れがあります。菌糸感染による混乱が増大する前に、今夜中に街から脱出すべきとのことです。」
「こ、今夜中に、ですか!?そんなに急いで行かなきゃならない、ほどの状況なんですか……?」
「はい。感染被害自体を正確に予測することは困難ですが、感染の外部拡大を阻止するため街の封鎖は確実に行われます。その実行が、早ければ明日の朝になるとの通達なのです。」
「で、でも、モースさん、でしたっけ……その方が、この街の市長さんから、確かに街を封鎖するって話を聞いたんですか?」
「封鎖実行の判断を下すのは、市長ではありません。ロターク社による実行です。モース主任みずから予告したということは、封鎖予測が外れる可能性は限りなく低いです。」
ケイティーから伝えられる言葉は確かにラーディの耳に入ってきているはずではあったが、その内容は理解の歯車にかみ合うことなく、上滑りしていくばかりであった。
普段のラーディであれば、自身の頭の回転が情報量に追いつかないことを自覚しており、ケイティーの発言を次々と促すことなどしなかったろう。その発想が出て来ぬほどに、ラーディは静かかつ極度の混乱状態にあった。
自動人形本来の挙動に従うならばケイティーは必要な情報伝達を終えた今、ラーディからの次なる指示を待機するばかりである。
とはいえ、目を白黒させて口をパクパクさせているラーディの様を前にして、ケイティーは自主的に助言を口にするという行動を選択した。ラーディの性格面を、これまでの付き合いで既にケイティーは理解していた。
「引っ越し準備を行う時間的猶予が無い問題につきましては、私が可能な限り荷物を運搬することである程度解消できます。私はケイリーを筋力面で増強したケイティー型自動人形のプロトタイプであり、私本体重量の五倍程度であれば動作に制約なく搬送可能です。只今よりラーディの自宅および工房へ向かい、重要物品の梱包を開始いたしましょうか?」
「え、あ、いや、ちょっ、ちょっと、待ってください、急すぎる話で、いろいろと、心の段取りがついてなくて、ですね。私が街の外に出ていって、それでこの街が封鎖されるってことは、戻ってこれない、ってわけで……それから先、私、どうすれば……?」
「ラーディの有する靴製作の技術力であれば、移転先でも需要は見いだせるはずです。自営業のみを続けてこられたため書面とした際には客観的価値を見出され難い職歴かもしれませんが、ロターク社純正生産の最新型自動人形である私を護衛として引き連れている事実が、あなたの社会的信用を大幅に引き上げる効果も見込めます。」
少々場違いにも感じるケイティーの助言であったが、内容自体はあながち的外れでもなかった。
非正規に組み立てられた格安自動人形でもなく、最低限の機能しか有さない作業用自動人形でもない。ロターク本社にて生産され、愛玩用としての外見も備えたハイエンドモデルの警備用自動人形は、現時点で最高額の自動人形であることに違いない。
そんな存在を連れ歩いていることは、この社会では、どれほどの肩書きが記された名刺よりも強力なカードになり得る身分証明に違いなかった。
ケイティーを随行させて不動産屋へ向かえば、望む物件への入居もスムーズだろう。実際の収入がどうあれ、ロターク社から最新モデルの自動人形を獲得できる人物が只者であるはずがないのだから。まさにケイティーは物理的にも社会的にも、ラーディの身を守るに相応しい存在であった。
ただ、ラーディが人間的に抱えている懸念を理解しようとする面においては、未だ学習の途上にあった。
「お客さん……の、靴。」
「はい?」
「そ、そうです、今、製作途中の靴、まだお客さん二名から頂いた注文、出来上がってないんです。」
大手のメーカーとは違い、片手で数えられる程度の注文しか入ってこないラーディの靴工房。だからこそ、一足一足の靴を丹精込めて仕上げられるのがラーディの仕事であった。
現時点で抱えている注文がたった二件であったとしても、ラーディにとってはかけがえのない仕事なのだ。
「甲革の仕上げにヤスリがけをする段階まで来てるのが一件……もう一件は明日、仮製作の靴を試着してもらう段取りになってるんです。少なくとも、明日のお昼前には私、工房にいなきゃ……。」
「ラーディ、明日の昼前ともなれば、既に街の封鎖は完了しています。土壌中で活性化した特異菌糸の活動も本格化し、混乱状態のため顧客の方々も工房を訪問出来ない可能性もあります。」
「でっ、でも、初めてオーダーメイドで注文された靴、すごく、楽しみにされていて。何も伝えず、謝りもせず、私が去っていたら、どう思われることか……。」
「……書置きを残されてはいかがでしょうか。」
ケイティーの提案は、つい先日自身が学んだばかりの手段であった。
リーピとケイリーが探命事務所にてケイティーと合流する間もないまま、カッシングの家へ介助依頼に向かった際、事務所のテーブル上にメッセージの紙が残されていた。
直接の会話や、菌糸通話線の利用が不可能な状況でも、ごくアナログな手段で意思伝達を行える、人間としてはごく当たり前の手段をケイティーはその時初めて学んだのだ。
むろん人間であるラーディも書置きという手段を知らないわけではなかったが、思考が片付いていない状態では至らない発想である。
……それに、まだ現実味をもって呑み込めていない“自分が今夜中に街を離れる”という行動を、いよいよ現実に実行するものとして開始すること自体から、ラーディの意識は遠かった。
ぼぅっとして、ただ休憩室の椅子に座り込んでいるばかりのラーディの前に、ケイティーは事務所内から筆記具とメモ用紙を揃えて出す。
あくまでケイティーは動作の補助を行ったに過ぎないのだが、ラーディは自分が為すべきこととして急かされたようにも感じていた。
「注文されたお客様へ、靴の完成および納品の見込みが不明となる旨、お伝えする文面を私からも提案しましょうか?」
「……いっ、いえ、いいです、それは、自分で、出来ますので……。」
「では、私はラーディの自宅および工房へと向かい、移転先で仕事を円滑に再会できるよう、あなたの仕事風景を拝見した際の記憶を頼りに重要物品の選別および回収を行います。鍵をお預かりします。可能な限り速やかに事務所に戻ってきますので、不足があれば書置きを持って向かう際にお申し付けください。」
スラスラとケイティーは言葉を連ね、ラーディの手から鍵を預かり、そのまま豪雨の屋外へと出て行った。
深夜の雨の音が扉で遮られた後、ガチャリと入り口を施錠する音が聞こえる。すぐに戻るとはいえ、短時間でもケイティーを単独で残してしまう以上はセキュリティー面を疎かに出来ないという判断なのだろう。図らずも、ラーディは自動人形によって行動を制限される形となっていた。
静まり返った事務所の中、薄暗い照明の下でラーディは暫く呆然としていた。
自分の意思とは全く関係なく、周囲の状況がみるみる動いていき、身近な誰が悪いわけでもなく、気がつけば望まぬ状況に置かれている……自分の意思表示が明確に出来ず、そも自らの意思を固めるのに時間がかかってしまうラーディが、とみに幼いころ経験した空気と同じだった。
「大人になったら、知らない内に治ってると、思ったんだけどな……やっぱり私、自分がどうしたいのか、急には決められないんだ。」
子供の頃であれば、そのままべそをかきはじめ、周囲から面倒臭そうな視線を向けられるのが常であった。
とはいえ、他にすべ無しと判断した以上、今はペンを手に取り、靴を注文した顧客に対する謝罪文を書き始める程度には、ラーディは大人になってはいた。
大人になっても無力を実感せずにいられないのが現実であると、既に知っていた。




