一時帰還 新規依頼内容確認
買い物袋を提げたリーピが帰ってきた時、ケイリーはカッシングの手を引いてトイレから出てきたところであった。
排泄介助を終えたところなのだろう、富裕層向けの愛玩用自動人形として製造されただけはあり、ケイリーもリーピ同様に老人の行動補助はよどみなく行える。
ケイリーに手を支えられながら一歩一歩ゆっくりと廊下を進んでくるカッシングは、玄関扉を閉めているリーピへ歩きながらも余裕をもって話しかけてきた。
「おかえりなさい、お買い物をしてきてくれたのですね。代金は後で私の貯金からお出ししますよ。」
「お構いなく、今はお足元に気をつけてください。」
リーピからの言にカッシングは頷き、背中にケイリーの手を添えられながら寝室へと戻っていく。
食材の類を消費するのはむろん自動人形ではなく人間だけであり、そういう意味でも買い出しに掛かった代金をカッシングの貯金から出すのは理に適う話であったが、それが無理な話であることもリーピは理解している。
リビングの脇、かつて小さな書斎のように使われていただろう本棚に囲まれた読書机の上には、使い込まれた男物の長財布が置かれている。
アンブランがカッシングの介助を行っていた時から放り出されていたと思われる、その財布の中にはいくばくかの小銭が残されているだけであった。カッシングの私物を売り払う以外で彼の私財を遣うすべは無く、だからこそアンブランはバイトで稼いだ金をカッシングの生活費につぎ込もうとしていたのだ。
……買い物にかかった金額は、カッシングの貯金から出せるはずがない状態であることを、彼本人に対しリーピは黙っておくことにした。
自動人形として積極的に嘘を吐くことは、先日ラーディに対して一言の虚偽を返した以外に行っていなかったリーピだが、真実を秘匿する振る舞いについては実行を阻害する要素など無かった。
リーピが買ってきたものを保管し終え、買い物袋を畳んでいると、カッシングをベッドへ寝かせおえたケイリーがダイニングへ戻ってくる。
お互い自動人形でありながら、まるで人間のごとく、相手の振る舞いから状況を察せるようになっていた。ケイリーはさっそくリーピへ問いかける。
「新しい仕事でも依頼されたのか?リーピ。想定していたよりも帰りが遅かったが……事務所の方に、フィンク市長からの遣いでも来ていたのか。」
「いえ、探命事務所では誰の訪問もありませんでした。ラーディさんとケイティーも、靴工房での仕事再開に専念しているようです。しかし新たな依頼を受けてきたのは事実です、チャルラット先生からお話をいただきました。」
「チャルラットから?……カッシングのかかりつけ医のもとへは行かなかったのか?」
「最初はそちらに行きましたが、元々カッシングさんを診ていらっしゃったお医者様には、もはやカッシングさんを担当し続ける意思が無いご様子でしたので。」
リーピは、カッシングが受けている医療の現状を、チャルラット医院で受けた説明も交えてケイリーに伝える。
常に往診を必要とするカッシングは、頻繁に医師からの診察を受けられないこと。それが故に、老衰による死亡であったとしても、医師による処置が不十分であったことが死因だと判断されかねないこと。菌糸感染の元凶たる前市長の下で働いていたカッシングの経歴ゆえ、相応の労力を払うだけのリターンが医師側には期待され難いこと。
人命より経済が優先されるこの街では、経歴に傷がつくことを忌避するような医師からの助けは期待できないだろうことを、今聞かされたケイリーも理解するのに時間は要さなかった。
「それで、闇医師であるチャルラットに話を持っていったのか。当然ながら彼も、積極的に厄介ごとを抱え込むはずはないよな。」
「僕が訪問しに行った際も、常通り死亡診断書を作成するお仕事でご多忙の様子でした。ですので、チャルラット先生のご負担を軽減し得る仕事を僕らがこなすことで、カッシングさんの診察を引き受けるだけの時間を確保していただく運びとなったのです。」
言いながら、リーピはチャルラット医院で受け取ってきた書類の束をケイリーへ手渡す。
ケイリーもまた自動人形の読み込み速度を以て書類の文面を短時間で読み終え、間を置かずリーピへ返答する。
「この、赤インクの線で強調されている、『業務中の作業用自動人形による菌糸漏洩事例一覧』という文書を確保してこい、というのがチャルラットからの依頼内容と見ていいんだな。」
「はい。こちらの書面にある通り、工業区画内にある金属加工工場の敷地内、金庫に保管されている文書です。本来ならば工場の方が管理を担当すべきものですが、先日の大規模菌糸感染の影響で多数の罹患者が発生し、現在は従業員もおらず警邏隊による行動規制が為されています。」
「現時点では、まだ滅菌剤の散布によって菌糸汚染の除去が進められている段階だろうが……感染リスクが皆無になったと判断されれば、警察の捜査部隊が入って現場の物品の回収が始まるだろう。そうなる前に、件の文書を確保する必要があるということか。」
目標地点と標的が明確に示された依頼内容ゆえ、自動人形たるリーピとケイリーは行動を迷う必要が無い。自動人形との付き合いが長いチャルラットは、的確に必要最低限の情報を渡したのだ。
必要最低限の情報の中に“なぜ回収する必要があるのか”という理由説明は含まれていなかった。とはいえ、リーピには凡そ察しがついている。
「状況の推測は可能です。製造業においては程度の差こそあれ自動人形による労働補助が欠かせません。しかし、高価な純正品自動人形を導入できるのは大企業に限られ、中小企業や工場では安価な格安自動人形を導入する他にないのです。格安自動人形は破損時に菌糸漏洩を引き起こすリスクが格段に高く、伴って従業員が感染被害を受けることも多かったはずです。」
「だが、工場側が導入した格安自動人形に起因する健康被害を認めれば、菌糸に感染した従業員の遺族に対して莫大な補償額を支払う羽目になる。その事実を隠し、あくまで従業員個人の健康問題が死因であるとの死亡診断書をチャルラットが作成する……という事例は幾度も生じているのだろうな。」
「ですが、自動人形の破損で被害が生じたという事実そのものを完全に抹消してしまっては、今度は工場側が格安自動人形の販売業者へ賠償請求することが出来なくなります。それゆえ、外部には硬く秘匿する形ではありつつも、工場内で生じた菌糸漏洩事例については文書の形で記録せざるを得なかったのでしょう。工場管理者が消え、警邏隊が工場敷地をおさえている今、警察にその文書が回収されればひと騒ぎ起きるでしょうね。」
これまで、工場の従業員が自動人形の破損事故と時を同じくして死亡したとしても、それは偶然タイミングが重なっただけで、医師の診断によって“正式に”個人の健康状態の悪化による死亡と結論付けられてきたのだ。
そのほぼ全てにチャルラットは死亡診断書作成を通じ関わっているのだろう。
だからこそ、工場内に実際の菌糸漏洩事故による被害内容が記録された文書が存在することも、彼は知っているのだ。
雇用側による補償逃れが明るみに出れば、闇医師として活動してきたチャルラットのみならず、その闇医師の活動を黙認し、時には積極的に利用していたフィンク市長の立場も危ぶまれる。
工業区画で大規模菌糸感染が発生した後となっては、どれほどの遺族が生き残っているかは定かではないが、それでも声をあげずにいられぬ人間は少なくあるまい。
むろん、警察が証拠を回収した後にそのリストが明るみに出ぬよう、働きかける手段をチャルラットは有しているのだろうが、それを実行するには相応の労力、時には相手に握らせる現金も必要となるだろう。
依頼の通り、秘密裏にリーピが目標物を回収してくれば、穏便に済む事態には違いなかった。ケイリーは書類をリーピに返しつつ、問う。
「やるのか?」
「はい。チャルラット先生にはたびたびお世話になっておりますし、カッシングさんを定期的に診ていただく医師が必要であるのも事実です。」
「企業や工場を相手に泣き寝入りしている遺族の存在を思えば、好ましくはない依頼だな。」
「その認識は僕の中にもあります。ですが、混乱の収拾がつこうとする過程で、更なる問題が発覚しては、この街に住まう方々の日常が取り戻されるのは更に遅れてしまいます。フィンク市長も、チャルラット先生も、現状必要とされる存在には違いありません。」
少なからずあくどい手法を用いぬでもないフィンク市長とて、この最も慌ただしい時期に退陣を求められたとしても、代わりに立てる存在は居ない。
闇医師チャルラットも、仕事内容次第では本気で困窮している一市民のために働くことも少なくない。以前には、高齢となった義理の親を介護させられていた女性のため、事件性や介護放棄の可能性を皆無とする死亡診断書を作成していた。
リーピの返答を聞かされ、ケイリーは少し間をおいてから頷いた。本来の自動人形には生じるはずのない、僅かな惑いを感じさせる間であった。
「分かった。だが、私とリーピの両方が現場に向かうわけにもいかない。」
「当然です。カッシングさんを放って出ていくわけには……。」
リーピの発言は、またもカッシングの弱々しい咳き込みで途切れた。
しゃがれきった喉を通り抜ける、渇いて弱々しい呼気。本来感情を持たぬはずのリーピとケイリーが、足どりを慌てさせるに十分な響きである。
……それに、今しがたまで続けていた会話は、あまりカッシングに聞かれるべきでもない内容だ。彼の診察を行う医師を得るために、道義上好ましからざる仕事に手を出すも同然なのだから。
二重の意味で懸念を抱えながら、リーピとケイリーは寝室を覗き込んだが……カッシングはやはり、目を閉じたまま、薄く寝息を立てていた。
ケイリーは、老人の喉元に顔を近づけ、呼吸音に異変が無いことを確認してリーピへと頷く。
カッシングを起こさぬよう足音を忍ばせ退室し、二体の自動人形は共にリビングルームへと戻ってきた。
「……ですので、今回の依頼は僕ひとりで向かいます。ケイリーは引き続き、カッシングさんの介助をお願いします。あなたなら、万一の場合はカッシングさんの身体を抱きかかえて運搬することが可能でしょう。」
「その通りだが、リーピは大丈夫なのか?襲撃を行う菌糸罹患者は現時点で確認される限りは死滅したはずだが、しかし工業区画は警邏隊の封鎖下にある。忍び込む際のリスクは皆無ではないぞ。」
ケイリーの心配は、リーピが規制区画に侵入するところを警邏隊に発見されること、のみならず規制されているが故にほぼ無人となった地区特有の危険にも向けられていた。
菌糸罹患者による襲撃という明確な脅威が無くとも、愛玩用自動人形が単独行動することには恒常的にリスクが付きまとう。
純正品の作業用自動人形すら、大企業でしか導入できないほどの高級品なのだ。動作や会話性能に優れ、更に外見も整えられた愛玩用自動人形は、一体でも手に入れれば途轍もない高額で売り捌ける。それこそ、一介の労働者が一生で稼ぎきれぬほどの金額だ。
むろんリーピとて自動人形の常として、人間よりも膂力には優れているが、しかし例えば大柄な男が複数人で掛かれば、さすがに小柄なリーピは拘束されかねない。
不安げな表情を浮かべているケイリーの顔面パーツに向けて、リーピは淡々と返答した。
「問題はありません、僕も自衛手段は有しています。それに、敢えて危険な状況に身を置くような選択もしません。」
言いながら、リーピは作業服のホルスターに薬剤の注入器を差し込んでいく。
ロターク社で以前渡された、粘液タイプ滅菌剤の充填された注入器だ。菌糸罹患者にその薬剤を打てば即座の枯死処分が可能である。人体に打った時の反応は、未だ実践されていないが……劇薬である以上、無事では済まないだろう。
リーピが備えている“自衛手段”の何たるかを理解しつつ、ケイリーは告げた。
「出来れば、誰にも見つからずに帰って来てくれよ。ようやく色々と難題が片付きそうな矢先なんだ、これ以上の心配事は増やさないように頼む。」
「分かっています、その前提で今回の依頼はお引き受けしたのですから。」
常通り、感情のない眼差しとともに答えるリーピ。感情が無いのは、自動人形ゆえ当たり前のことである。
だが、今のケイリーには、リーピが敢えて自動人形らしく、機械的に振舞っているようにも思われた。
今回の依頼内容を思えば、余計な思いを抱くことなく指示を忠実に実行する自動人形でありつづけたほうが、よほど気が楽であることは間違いなかった。




