依頼33:元執事への生活介助 3/3
リーピが買い物袋を抱えたまま、商業区画の外れにある雑居ビルの一室を訪れたのは昼下がりのことである。
そこはチャルラット医院が位置している部屋であった。
医師免許を有しながらも表立っての仕事は引き受けていない闇医師チャルラットは、定期的に活動拠点を切り替える生活を続けていたが、今は拠点候補を一周し終えたのだろう。リーピ達が初めてチャルラットと面会した場所に戻ってきていた。
無論、初めて来たときとは異なり、現在は看護師として働いているディスティもリーピを出迎える。
「暫くですね、リーピさん。以前は……確か、フィンク市長のお屋敷で少し顔を合わせた時以来ですか。」
「はい。ディスティさんも、チャルラット先生も、お変わりないようで何よりです。」
確かに両名とも変わりなく仕事を続けているのは事実であったが、ディスティの方は看護師として働き始めた時点と比べれば、数多の労苦を飲み込んだ容姿に……良く言えば大人びた顔立ちになっていた。
“変わりなく”という挨拶は、ここ数日の出来事によって急激に価値が重くなっていた。
もちろん先日の市長私邸にて殉職した面々のことも記憶に新しかったが、特にディスティにとっては年の近い友人だったポームが菌糸感染の犠牲となったことは、まだ哀惜の念が晴れるには近すぎる出来事であった。
以前会った時には互いに仕事時間中だったこともあって口には出さなかった件を、今なおリーピは言及せずにいるわけにいかなかった。
「ディスティさん、既にご存知でしょうか……ポームさんのことです。」
「話は警邏隊の方から聞いています。リーピさん達が気づいた時には、既に菌糸罹患者になっていた、と。」
ディスティの声色は当然のことながら暗かったが、ポームの一番身近にいたはずのリーピを批難するような響きは無かった。
あの現場に駆け付けた警邏隊員から情報はもたらされたのだろう。無機質無感情な自動人形隊員が語ったからこそ、何らの脚色のない事実としてディスティは事情を知ることが出来たのだ。
誰に謝っても仕方のないことではあったが、リーピは頭を垂れて言葉を続けた。
「ポームさんが特異菌糸に感染した……いや、感染させられたのは、復職の手続きを行っていた工場の事務所でのことだと推測されます。あの時点で工業区画は罹患者レイストス氏による襲撃を受けており、その一連の被害に入る形でポームさんも犠牲となったものと考えられます。」
「流石に、彼女の職場まで、リーピさんとケイリーさんが同行するわけにもいきません、よね。」
「同時刻、僕らはロターク本社敷地へ赴き、研究主任の要請に従い依頼をこなしていました。ポームさんから助けを求められたとしても、応じられなかったのは事実です。」
リーピが語る内容を、ディスティは黙って聞くばかりであった。
自動人形は感情を持たず、ただ事実を語るのみ。ディスティもそのことは充分に認識できているからこそ、どれほどリーピが淡々とした語りで済ませても不満の色などなく聞き続けているのだ。部屋の奥ではチャルラットも黙ったまま、いつものごとく書類作成を続けているペンの音のみが聞こえている。
とはいえこれだけでは、あまりに物足りない事後報告であることには違いなかった。リーピは語れる限りの内容のために言葉を続け、ここに来て初めて謝罪すべき項目を見出した。
「そういった経緯ゆえ、ポームさんの言葉は僕らも直接聞く機会は無いままだったのですが、彼女の記憶を受け継いだ存在……即ち、ポームさんの身体に感染し、彼女の脳内に思考回路を構築した菌糸罹患者がそれを伝えてくれました。ディスティさんへお伝えするのが遅れてしまい、すみません。」
「いえ、私はあくまで彼女の知り合いのひとりに過ぎませんし……しかし菌糸罹患者は、人間を敵視する存在ばかりではないのですか。」
「菌糸罹患者は、ある程度は宿主たる人間の生前の性質を受け継ぎます。行動力が飛び抜けた個体が時おり現れるのも、元となった人間の性質ゆえです。生前のポームさんは、あれほど恵まれぬ生い立ちながら、他者や社会に悪感情を向けることなく、自分に為せる仕事に就いて真面目に暮らしておられました。」
思えばポームの人生は、あまりに大きく社会によって翻弄されっぱなしであった。
ポームの母親は工場に雇われた格安自動人形の菌糸漏洩事故で、父親は菌糸漏洩に対抗するための滅菌剤生産ラインにて発生した粉塵被害に因る肺気腫によって死んでいる。企業からの補償もないまま、ポームがどうにか就労できる年齢になった矢先、今度はポームの兄が旧市長邸の解体現場にて菌糸に感染して亡くなった。
これほどの犠牲を出しながら菌糸技術への依存を止められない人間社会そのものへ憎悪を向けてもおかしくないほどの経験をしていながら、なおも一市民としての労働へ真面目に勤しんでいたポームは殊に稀有な存在に違いなかった。
そのポーム自身が遂に菌糸に感染してしまった後……ポームの人格を大幅に受け継いだ罹患者が、生前のポームが遺したメッセージを律儀に持参していたのも、今となってはリーピには納得のいく挙動であった。
「ポームさんの身体に宿った菌糸罹患者は、ポームさんが最期に書きつけたメモを僕に見せてくれました。そのメモ用紙自体は菌糸汚染源になり得るため、僕がポームさんの身体に滅菌剤を注入した後、現地にて滅菌焼却処理が為されましたが。」
「……どういう内容が書いてあったのか、覚えていますか?」
「僕やディスティさん宛ての内容は、ありませんでした。自分が生きて帰ってきても、本来の人間としての自分ではないこと、工業区画で働いている面々も多数が菌糸罹患者になっていること……その情報を外部に伝達する内容だけでした。限られた時間の中で、最後まで他者の役に立つことをポームさんは優先されたのです。」
ディスティは眉根に皺を深く寄せ、口を固く結び、視線を逸らした。まさに遣り切れぬ思いを抱いたのだ……と、傍らでその表情を見たリーピも、自動人形ながら理解した。
間違いなく人間の中では尊敬されるべき人格、および判断力を備えていたポームが、菌糸感染を前にしてはあっさりと犠牲者になり果てたのだ。闇医者チャルラットのもとで看護師として働いているディスティには、より唾棄すべき人間の存在を知る機会も数限りなくあるだけに、この事実は尚のこと遣る瀬無いものだろう。
リーピとディスティの会話が途切れて室内に沈黙が流れている間、チャルラットの仕事場からのペンの音も途切れていた。
各々が抱く思いは軽からねど、ポームに対して出来ることは今さら何もない。
天涯孤独の身だったポームには遺族もなく、あの日リーピから滅菌剤を注入されて処分され、焼却された彼女の身柄は今ごろ他の犠牲者の遺灰と一緒くたに地中に埋められている。埋葬という体裁だけは取りつつも、遺体を処分し感染の拡大を防ぐ処置は可能な限り効率よく行われた。
数少ない知り合いにリーピが彼女の最期についての情報を伝えた今、それ以上やれることは無く、何とももどかしい状態であった。
自動人形の思考回路をもってしては何らの意味も見出せぬ所作、祈りというものはこういうときに求められる行為なのだ。
ペン先が紙上を走る音が再開する。仕事の手を一旦止めていたチャルラットが、リーピの語りを聞き終えて仕事へ戻ったのだ。
沈んだ空気を切り替えるように、ディスティは口調を改めて口を開いた。
「ところで、本日リーピさんがお越しになった理由をまだお聞きしていませんでしたね。」
「本題に入るのが遅れてしまい済みません。実は、またしてもチャルラット先生のお力を借りたい状況になっているのです。怪我人や病人ではないのですが、恒常的に医師に診てもらうべきご高齢の方の生活を、現在僕らはお助けしているのです。」
「ええと……そういった方は、大抵の場合、かかりつけ医がおられるのではありませんか?」
ディスティは、仕事場のチャルラットの方をチラと振り返りつつリーピへ返答する。
あえて言及はしなかったものの、持病もちの老人が通う医院として、このチャルラット医院はあまりに相応しくない場であるとの意図もディスティの挙動には含まれていた。
確かにチャルラットは正規の医師免許を有していたが、それはあくまで死亡診断書を作成する仕事を専門とするためである。事件性を隠したい依頼者から仕事を引き受け、事故死や病死として処理するうえで都合の良い死亡診断書をでっちあげる。
ゆえにこそチャルラットは闇医者であり、医師免許を保持し続けて居られるのも権力者から有用な存在と認められ、お目こぼしを受けているが為に過ぎない。現に先日の市長私邸における護衛の殉職においても、警察が自分の邸宅に入り込んでくるのを防ぐためフィンク市長はチャルラットを呼び寄せ事故死として処理させていた。
むろん医師としての知識はチャルラットは有しているものの、診察など普段から滅多なことでは引き受けない。リーピの話は耳に入っているのだろう、書類仕事を続けながらもチャルラットの眉根には既に面倒臭さを示す皺が深々と寄っていた。
チャルラットの思いを代弁するようにディスティは言葉を続ける。
「確かにチャルラット先生は医師ではありますが、リーピさんもご存知の通り、診断書の作成を主たる業務とされています。それに医院を構える場所も定期的に移動しておりますので、ご高齢の方の通院には全くもって適さないと思われます。」
「僕らが介助しております方は高齢による身体能力低下のため、通院は元より非現実的な選択です。往診していただくお医者様が必要なのです。」
「であれば、ますますもってチャルラット先生の担当は不可能です……。」
ディスティに申し訳なさそうな顔をさせてしまっている現状に、リーピは“心苦しさ”という人間の感情を初めて理解したようであった。確かに無茶を言っているのはリーピの方なのだから。
とはいえ、ここに至るまでの経緯……すなわち、本来はカッシングのかかりつけ医であった医者たちの元をリーピが訪れ、彼らとのやり取りを行った経緯もまた、チャルラットに頼る以外の選択肢を排除せざるを得ないものではあった。
リーピは事情を語り始める。
「僕とケイリーが現在、生活介助を行っている方の名前はカッシング、旧市長邸にて執事を務めておられた方です。確かにカッシングさんにはかかりつけ医がおられましたが、現在はどのお医者様も担当を渋っておられるのです。」
「それは……何故です?」
「現状のカッシングさんの身体が弱っているのは加齢によるためであり、疾病によるものではないため……というのが、僕が受けた説明内容です。」
「えっ……?ですが、ご高齢で持病もあるのならば、お医者様の診断はいよいよ欠かせないはずでは。」
リーピがディスティの疑問へ答える前に、チャルラットがギィッと椅子を軋ませて立ち上がる。
話を聞いていたチャルラットが口出ししようとしているのだ、とディスティは察して彼の方へと向き直る。それなりに長期間、看護師として勤め続けてきたディスティの察しは正確であり、チャルラットは既にこちらに向かって口を開いていた。
「前の市長さんの身の回り世話してはった執事さん、っちゅうことはかかりつけの医者も偉い先生ばっかりでっしゃろ。そら、偉い人なら偉くなるほど、自分が診てた患者を死なせたっちゅう経歴なんか嫌うに決まってますがな。」
「ですけど、それこそ高齢の患者さんなら、死因が老衰となるのは必然のことです。医師の経歴に傷がつくような扱いにはならないように思うのですが。」
「その辺も微妙な問題なんですねん。診ていた患者の死因が老衰か、それとも医療過誤か、一旦揉めはじめたら法廷まで持ち込まんと決着つきませんねや。大抵、医者も暇やあらへんから、いっぺん遺族が声上げたら和解金支払わされる羽目になるんですけどね。」
人命よりも経済が優先される街は、寿命尽きる時まで金次第である。
むろん、訴訟を起こすだけの余裕が無い一般市民層には無縁の話であるが、富裕層相手に仕事をする医師としては死活問題であった。仮に法廷で潔白が証明されたとしても、ひとたび医療過誤の疑いで訴訟を起こされたという事実が生じれば、それは大なり小なり経歴への瑕疵になる。
とはいえ今回の件、元執事カッシングを診ることについては状況が少々違っている。リーピはディスティに代わってチャルラットへ問うた。
「しかし、カッシングさんには、ご家族がおられるという話も聞きません。遺族から訴訟を起こされる懸念とは無縁の様にも思われます。」
「ほな、余計に偉い医者先生は触りたくないですやろな。せめて話し合える遺族がおるんやったらまだしも、ただ自分が診ていた人間の身柄を火葬場に送るわけでっしゃろ。金払いの目処が立たん患者をなおざりにしたんやと謗られても、遺族がおらん以上はどうとも言い返されへん。」
「そうは言っても、相応に経験を積んだベテラン医師でしょうし、日々患者さんのために奮闘している姿を周囲に見せていれば、そんな陰口なんて生じる余地は……。」
チャルラットに対しディスティはそう言い返しかけて、ハタと口を噤んだ。
カッシングは高齢による身体機能の低下のため、通院できる状態にない。担当している医師は往診に赴く必要があり、ベテランの医師となれば他にも患者を幾名も診ているがため、ますますカッシング個人にかけられる時間は減っていく。
処置が不十分であった、と自分のポストを狙う同僚や後輩の医師に指摘されても、担当医師には満足に反論できる材料が揃いづらいだろうことは想像に難くなかった。
医師の立場が抱える苦悩を知り尽くしているチャルラットは、更に言葉を続ける。
「極めつけは、その元執事さんの立場ですやろな。今の市長さんとは特に関係のぅて、前の市長さんの下で働いてはった方やっちゅうことになったら、損得勘定抜きに担当はできませんやろ。」
「現状、続発している菌糸罹患者による事件を収集するため尽力しておられるのがフィンク現市長で、この事態の元凶となったガリティス前市長の後始末をさせられている……という一般認識が浸透していますからね。」
「もちろん、自分かて勘弁させてもろてえぇですか?闇医者やったら文句言わず引き受ける、っちゅうワケにもいきませんねん。どんだけ金を積まれても、分身して働けるわけやありませんし。」
チャルラットはリーピへジロリと視線を向けながら、ここまで一息に喋り切った発言を一旦締めくくる。
むろん、リーピも自らの提案を即座に撤回する気はない。
「チャルラット先生がご多忙であることは、僕も承知しております。先生のお手伝いになるご依頼があれば、カッシングさんを診察していただくことを対価にお引き受けいたします。」
「……ホンマに、勉強熱心な人形さんやな。出来ひん、っちゅう返答が来たらそのまま首を縦に振るんが普通の人形やろうに。食い下がって取引することまで、人間から学習したんかいな。」
いったん部屋の奥へと戻り、書類が山積みとなったデスクの上を漁っていたチャルラット。
戻ってきた彼の手には、一束の書類が携えられている。彼はそれをリーピへ差し出し、少し声音を低くしながら告げた。
「こないだ、菌糸感染のせいで、えらい人が減ってしもた工業区画、ありますやろ。まだ警邏隊が封鎖してるところも残ってますけど……そん中に、ちょっと回収してきてもらいたい物がありますねん。」
「話しぶりを窺うに、警察には察知されるべきではない依頼でしょうか。」
「そう判断しはったんやったら、こちらからは何とも言いませんで。いや、警察が既に現場を洗った後で、今回の標的も回収されてしもぅてたら、それきりですけどね。静かに持ち帰って来てもろたら、有難いですし、ついでに現市長さんも喜びはる……そういうもんですねん。」
語っているチャルラットから書類の束を受け取り、リーピは自動人形特有の読み込み速度で文字列に視線を走らせ、短時間で全文を読み込む。
記載されていたのは、ある金属加工工場の敷地図、その事務所に設置された金庫の暗証番号……そして、内部に保管されている名簿や日誌のリスト。その一つに、チャルラットは赤いインクで線を引いていた。
『業務中の作業用自動人形による菌糸漏洩事例一覧』と、その赤インクで印をつけられた標的は記されていた。




