依頼33:元執事への生活介助 2/3
客人に振る舞う流儀にしたがって淹れたものの、自動人形であるリーピとケイリーには飲みようがなかった茶を、代わりに自らゆったりと飲み終えた元執事の老人。
身体が衰えて介助が必要になった後も、飲食物を無駄にして廃棄したり、食器を洗わぬまま放っておくことは出来ない性が染みついていたのだろう。ポット内に残っている茶葉の処理や、使った茶碗の洗浄をケイリーが担うと進言するまで、彼は椅子から立ち上がろうとはしなかった。
リーピに手を支えられながら、ゆっくりゆっくりと歩を進めてベッドルームへ戻りすがら、老人はふと思い出したように呟いた。
「そういえば、今の今まで、私の名をお伝えしてはおりませんでしたね。これだけ幾度もお会いしているというのに、我ながらなんと礼に欠いたことか。」
「自動人形相手なのですから、何のお構いもなく。それに、執事さんとお呼びさえすれば事足りたのも事実です。」
「しかし、私はもはや執事ではありません。何者でもない老人……私の名前はカッシング。今後は、そうお呼びください。」
健常者なら数歩で辿り着くベッドルームに、小刻みな歩幅でようやくたどり着いたカッシング。彼はリーピに身体を支えられながら、慎重にベッド脇へ腰を下ろす。
少年の体格で作られたリーピであったが、それでも人間よりは物理的な出力の高い自動人形ゆえ、並の成人と同格の力で介助行為に携わることが出来る。ベッドに横たわる前に一息ついているカッシングの傍ら、リーピはベッドルーム内を見回して室内状況を確認していた。
直前まで介助を担っていたアンブランからの引き継ぎは行ったとはいえ、口頭のみならず現場を視認して初めて気づけることも多い。
ベッドルームの隅に車椅子が用意されていることに気付いたリーピは、カッシングの息がある程度整うのを待ってから尋ねた。
「車椅子の用意もあったのですね。介助者が居る場合、普段は車椅子での移動をすべきでしょうか。」
「勿論、私が速やかに移動すべきであれば、そうなりますが……極力、私みずからの足で歩かせていただけるでしょうか。今しがたのごとく、時間はかかりますが、人らしく暮らしたいのです。」
「承りました。」
足腰の弱っている老人が、時間をかけ、体力も消耗してまで、自分の足で歩行する行為は、合理性の観点だけで評価すればいかにも非効率的な選択である。車椅子に座らせた状態を保ち、必要に応じて速やかに移動するほうが、よほど効率がいい。
しかし、完全に歩けなくなっているわけでもないのなら、そしてこの場所が自宅であるのなら、自分の意思と体力をもって行動したいとカッシングは望んでいるのだ。
合理性だけでは評価できない人間らしい判断を、リーピは自動人形だからといって理解できないわけではなかった。まさに物品そのものとして搬送される扱いを幾度も経験した今となっては、歩行は単なる移動ではなく意思の表れでもあると理解できた。
体力がある程度回復するのを待ってから、リーピはカッシングの背中を支えつつ両足を持ち上げ、静かに仰臥の体勢へと移す。
まだ洗濯の必要が無いことを確認しながらシーツを掛け、静かな眼差しで天井を見つめているカッシングへとリーピは問うた。
「何かお要りようの物はございますでしょうか。退屈しのぎに、書籍などお持ちしましょうか。」
「あぁいえ、気にせんでもらって構いません。本は読みたくても、すぐに目が霞んでしまいますのでな。」
寝床で横たわっているカッシングは、これから後、食事や排泄の用でもない限り、天井を見つめているだけの時間が延々と続く。
それは余りに無為な時間の過ごし方ではあるまいかとリーピはつい考えてしまっており、加齢によって視覚の衰えや疲れも増していく人間の性質にまで認識が及んでいなかった。
当のカッシングは、別段に退屈しているわけでもないらしい。
「この齢になると、今までの自分を顧みるだけでも、存外に忙しいものです。慌ただしく仕事をしていた頃、しっかり呑み込まないまま放っておいた、あれやこれやを考え直していれば、一日がすぐに終わってしまいます。」
「あれやこれや、というのは……?」
「あれやこれやは、あれやこれや、です。」
執事として働いていた時も、今も、何を答えるにしても明瞭な物言いを崩していなかったカッシングは、ここにきて初めて曖昧な表現をリーピに返した。
無論リーピは敢えて聞き返しはしなかった。人間を相手するのが仕事の愛玩用自動人形として、人間が言いよどむ内容について質問するべきではないと判断することは可能であった。
だが何よりも、ガリティス前市長の下で働き続けてきた老執事が見知った内容は、あらいざらい話せるものばかりではない、いわば墓場まで持っていく話も少なくないだろうと推測できたためでもある。それに、市長の息子夫婦、そして市長の孫娘プルスが辿った末路についても、今さら掘り返すのは無粋だ……リーピにはそこまで判断出来た。
おそらく喋るだけでも体力を費やしたろうカッシングの手の届く位置に卓上鈴を置き、リーピは静かに退室する。
ダイニングに戻れば、家の中の状態をあらかた確認し終えたケイリーが待っていた。
「掃除は行き届いている。食材や調味料はあまり残っていなかったが、アンブランが普段からカッシングのために作っていた料理のレシピメモは置かれていた。浴室やトイレの備品は買い足されており、替えの男性用下着もすぐ取り出せる場所に準備されている。」
「アンブランさんのこまめな性格のおかげでもあるでしょうが、彼女自身がいつでも他の介助者へ引き継げる備えを整えていた結果でもあるでしょうね。」
リーピも、ケイリーがダイニングテーブル上で広げたメモ帳へ視線を向ける。
旧市長邸にて働いていた使用人らしく、整った字体でカッシングへ与える食事についての詳細や注意点が詳細に記載されていた。リーピとケイリーがここに来ることが決定されてからの時間では、とても書けるはずのない分量である。
恩人を見捨てて逃げるわけにも行かない状況で、自分の代わりを務めてくれる相手を求める、アンブランの助けを呼ぶ声そのものが書きつけられたメモでもあった。
「ともあれ、僕らであれば二名で役目を分担してカッシングさんの介助にあたれます。まずは僕が食材等の買い出しへ優先的に向かいます、この近辺の食料品店や日用品店の時間帯ごとの品揃えや価格帯、立地などを把握しておくべきです。」
「私は掃除ついでにこの家の中の整理を続ける、アンブランひとりでは行き届かなかった箇所も多いだろう。」
リーピもケイリーも、どこか生き生きとした様子で今回の仕事には臨んでいた。
むろん両名は自動人形なのだから、行動選択や実行のパフォーマンスが、物理的ではない要因から影響を受けるはずもない。
だが、先日までの依頼の数々……特異菌糸罹患者に組みついて滅菌剤を注入し枯死処分としたり、罹患者による襲撃に伴う血みどろの乱闘現場に居合わせたりする仕事内容を思い返せば……この静かな住宅の中で、老人の介助に専念する仕事の方が、愛玩用自動人形としての本質によほど近かった。
何よりも、この依頼を引き受けたことで、老いたカッシング、困窮したアンブランの二名を助けることに繋がる事実を鑑みれば、俄然、人間で言うところの気力にあたる感覚が湧いてくるようでもあった。
とはいえ、依頼受諾を急いだがために、不明瞭となっている点が残されてはいる。
「買い出しに費やす金額は、当面は僕らの手持ちから出すことになりますが、カッシングさんの介助依頼についてはどなたから報酬を受け取ることになるのでしょうか。」
「うちの探命事務所に話を持ってきたのがフィリック警邏隊長なのだから、フィリックが支払うことになる……のだろう。」
「それは少々、心苦しい話ですね。自動人形たる僕ら本来の判断基準であれば、誰からであろうと報酬が支払われれば構わないところではありますが、しかし警邏隊長さんは状況を見過ごせないからこそ率先して伝えに来られた立場です。」
本来、介助の手助けが必要な状況を把握していたのは市役所であり、公的機関による執行が即時に決定出来ないことが明白だった以上、民間に依頼する立場にあったのは担当部署の役人であるはずだ。
役所から直接事務所に赴けば、市から探命事務所への正式な依頼という形も必然的に成立するだろうが、役人はその手間も出費も惜しんだものと思われる。困窮する現場を警邏隊長が見過ごせない性格であることも、見越されていたのだろう。
依頼料を請求すればフィリック警邏隊長は嫌な顔ひとつせず支払うだろうが、今のリーピとケイリーには別の手立てを講じる判断の余地があった。
「幸いながら、僕らにはフィンク現市長との軽からぬ関係性があります。先日の、市長私邸における警護手伝いについても報酬は未だ受け取っていないことですし。」
「フィンクは少なくとも他者に借りを作らぬ人間だ、自動人形が相手であっても支払いの遅れについては何らかの埋め合わせを用意することだろう。今回の件についても、便宜を図ってもらえるか頼めるはずだ。」
ほとんど断言するようにケイリーは言ったが、リーピも同意であった。
リーピとケイリーとフィンクとの関係性に留まる話だけではない。前市長の下で働いていた人間が、弱り切ったまま放っておかれたとなればますます現市長として捨て置けはしないだろう。
まだ議員だった時期から、その存在感を以て市役所勤めの役人たちを動かしてきたフィンク。現在、市長となった彼が直に命令を下せば、さすがに怠惰な公務員も腰を上げざるをえまい。
「買い出しに向かう道すがら、探命事務所の方にも一旦戻ってみます。ラーディとケイティーがずっと留守番をしてくれているとも限りませんし、フィンク市長からの遣いが来ておられるかもしれま……。」
玄関へと向かいながら語っていたリーピは、ハタと喋りを中断した。
ケイリーも、リーピが口を閉じた理由は分かった。寝室から、カッシングの弱々しい咳き込みが聞こえたのだ。
人間であれば血相を変えているだろう勢いで、足早に寝室へ向かうリーピとケイリー。
だが、当のカッシングは、先ほどリーピが見た時と変わらぬ姿勢のまま、仰向けに眠っているだけであった。
静かに眠りに落ちた後、喉の奥に唾液が流れて気管に入りかけたのだろう。リーピがカッシングの喉元に聴覚受容器を近づけて確認しても、今は穏やかな寝息が続くだけであった。
カッシングを起こしてしまわぬよう、今度はそっと足音を忍ばせて寝室から出ていくリーピとケイリー。
「……今回は良かったのですが、人間は唾液や痰などが喉の奥に発生するため、呼吸器の機能が低下した際はそれが窒息の原因となる恐れもあるのです。」
「留守番の間、定期的にカッシングの呼吸が続いているか確認を続けなければな。アンブランは、たった一人で働き、帰って来てからの家事に加え、こうした就寝中の心配まで続けていたのか……あれほど疲れるのも道理だ。」
「緊急時、診てもらうお医者様との連携も、日常の準備に劣らず優先的に行わねばなりませんね。たしか、先ほどのメモの中に、かかりつけ医の連絡先も書いてあったはずです。」
リーピは改めてダイニングテーブル上のメモ帳をめくり、カッシングを普段診ている医師に関する情報を記憶する。
高齢のカッシングは通院出来るのならば大幅に診察代は免除されるはずであったが、ほぼ寝たきりとなった今、体調不良の際は往診に頼らざるを得まい。そうなれば、料金の負担額は当然ながら増すだろう。
休息や睡眠や飲食が不必要な自動人形でなければ、高額な報酬が確約されてもいない状態でこの状況を引き受けることなど出来ないのも当然の話であった。




