依頼33:元執事への生活介助 1/3
旧市長邸の元執事が現在住んでいるのは、今は解体された旧市長邸跡地から程近い、高級住宅街の外れである。
前市長に近しい要人らが居を構える街区なだけあって、繁華街や下町の喧騒とは無縁の閑静な区域であったが、同時に寂れつつある気配もあった。ガリティス前市長からフィンク現市長へと市政の中心が移った影響が、ごく直接的にあらわれているのだ。
元執事の自宅も、狭いものの小洒落た庭園を備えてはいたが、植え込みの木々は葉の端々が色褪せ、枯れかけていた。念入りな手入れをする人間も居ないのだろう、玄関前のタイルの隙間からは雑草の芽が顔を覗かせている。
リーピとケイリーが到着した時、その庭先に出された椅子には若い女性が腰掛けていた。彼女は、近づいてきた二体の自動人形が訪問者であると認めるや、恐る恐る席を立って口を開いた。
「……あの、もしかして、市役所から派遣された方ですか?」
「市役所から警邏隊へと伝達された内容に基づき依頼を承りました、リーピ探命事務所です。こちらの住宅にお住まいの、旧市長邸に勤めていらっしゃった元執事さんが助けを必要としているとのことで、僕らが来させていただきました。」
「あぁ、よかった、よかった……!もう私一人で、ずっと、どうしようかと……!」
女性は安堵の声を上げ、今しがた腰を浮かしたばかりの椅子に再びへたり込んだ。
顔立ちはまだ若く、また前市長が使用人として取りたてただけあって相応の美貌は備えていたが、先行きに不安しかない状況で肉親でもない老人の世話を続けてきた結果、彼女の目元には明確な疲れが刻まれていた。
心身ともに限界近くなっていた一方で、長らく世話になっている恩人を寝たきりの状態で見捨てるには良心の呵責に耐えかね、強烈な板挟みを独り抱え続けていたのだろう。
ケイリーが家周辺に不審な状況がないか見回っている一方で、リーピは椅子に座り込んでいる女性に話しかける。
「つきましては、元執事さんの現在の容態や介助状況の引継ぎを行わせていただきたいのです。あなたが、今までずっと元執事さんを看ていらっしゃった方ですね?」
「はい、私は執事さんと共に……もう解体されましたけど、前の市長さんのお屋敷で使用人をしておりました者です。」
「差し支えなければ、お名前をお伺いしても?僕のことはリーピとお呼びください。あちらが僕の相棒であるケイリーです。」
「あ……どうもご丁寧にすみません、私の名はアンブランです。」
疲れ果てた様子で椅子に座り込んでいたアンブランだったが、流石に元市長邸の使用人らしく、名乗る際には改めて席を立って一礼した。しかし足元は多少ふらつき、靴は長らく磨かれていない。ラーディからの影響で、リーピにも相手の靴を見る癖が学習されていた。
アンブランは、そのまま再び庭先の椅子に腰を下ろす。元執事が今も寝たきりになっている家の中には、戻りたがっていなかった。
「すみませんが、引き継ぎの話はこの場所で構いませんか?わざわざ来ていただいたのに外で立たせたままだなんて、申し訳ないです。」
「自動人形に申し訳なさなど感じる必要はありませんよ。あなたの心労を思えば、宅内へ戻り難く感じるだろうことも理解できます。」
視線を上げたアンブランの目の中には、少し意外そうな色が浮かんでいた。自動人形に、自分の感情面を汲み取られることなど、予測していなかったのだろう。
とはいえ元より自動人形と関わること自体が少なかった彼女は、リーピの思考回路の特異性にまで気づくことはなく、伝達すべき事項をそのまま話し始めた。
「元執事さんの認知能力は全く低下していません、あくまでご高齢であるためと、持病のために身体面が弱っておられるのです。こちらの質問には、市長邸にお勤めだった時と同じく明瞭に答えられるので、分からないことは尋ねれば大抵は解決するはずです。」
「その点は安心しました、僕らのことをお忘れになっていたらと思うと、少し寂しいものですから。」
今度は明確に“寂しい”という感情をリーピが語ったため、アンブランは一瞬戸惑ったような表情で喋りを止めた。
が、今も家の中に独りで寝かせている元執事をこれ以上放置できないとの思いが優先され、語るべきことをすぐに続ける。
「ご自身の状態への理解も十分ですので、ほぼ全ての介助行為への拒否はなさいません。ですが、私個人の力不足のため、入浴の介助はお医者様の往診があるときだけに限られていました。身体の清拭で代替して済ませることが大半だったので、出来れば二日に一度は入浴をさせてあげられるでしょうか。」
「問題ありません。僕らは介助行為の実行も想定して製造されています。元執事さんのことですから、身だしなみが整えられないことは好ましく感じられないでしょう。」
「体力が十分に回復されている時は、長時間かかりますが自力で椅子へと移られることもあります。極力止めることなく、転倒なさらないよう細心の注意をもって介助をお願いします。体力が無い時は他者に頼るしかなくとも、食事や排泄などは出来るだけ寝たきりの状態では行いたくない様子ですので。」
その傾向も、元執事らしい思いとしてリーピには理解できた。
語っている間も、アンブランは定期的に口を閉じ、視線を家へと向け、聞き耳も立てていた。介助すべき相手から離れている間も、その様子を窺う癖が染みついている様子だった。
「それから、褥瘡への対処として、定期的に体位の変更の手伝いを行ってください。これもご自身で為さることもありますが、寝返りに体力を使った日は起き上がれなくなるご様子ですので……それから、口にする料理は誤嚥を防ぐため、刻んだ食材や飲料にはとろみをつけることも徹底してください。ですが、見た目上は極力、健常者向けにして、お粥一椀で済ませるようなことは避けてください。」
「了解しました。アンブランさん、これまでずっと細やかな気遣いを続けてきたのですね。以前に介助のお仕事をなさっておられたのですか?」
「いえ、独学です……市役所には繰り返し状況を伝えていたのですが、行政によるサービス提供は申請が通るまで時間がかかり審査も厳しく、民間のサービスは親族ではない私には申し込めず……でも、寝込んでいる執事さんを置いて出て行ったら、私はあまりにも恩知らずになってしまいますし……。」
個人で抱え込んだが最後、解決の糸口が見えることのない苦境であった。
自分はそもそも赤の他人なのだから、と早々に立ち去れるような人間には無縁だろうが、忘れ去るには大きすぎる元執事への恩義がアンブランにはあったのだ。
少なくとも、元執事の寿命が来るまでの間に行政の介助サービス提供が決定されることは無かったろう。現市長との関連が無く、前市長のもとで働いていた人間が対象ともなれば、なおさらである。
あらためて、リーピはアンブランの目へと真っすぐ視線を向けて、告げた。
「元執事さんの介助は、今後は僕らにお任せください。僕ら本来の製造目的に含まれるお仕事です、アンブランさんは何の懸念もなく、僕らに状況を委ねて頂いて構いません。」
「……お願いいたします……。」
再びアンブランは立ち上がり、リーピにこの住宅の鍵を渡し、周囲の見回りを終えて戻ってきたケイリーに向けても頭を下げた。
次いで、彼女が戻りたがっていなかった元執事の自宅に向け、より深々と頭を下げる。アンブランにとっては心身ともに苦痛を味わい続けた現場であり、と同時に長らく世話になった恩人の居所でもあった。
寝たきりの元執事がどの窓から庭を眺めているのか、アンブランには分かっているのだろう。長めのお辞儀を済ませた彼女は、ようやっとこの敷地を出て行った。
疲れが抜けきっていない、しかしついに個人としての自由を取り戻してどこか軽やかなアンブランの足取りを見送りつつ、リーピもケイリーも今回の依頼が久々に引き受けたことを好ましく思える内容だと実感していた。
「ここと同様の状況は、町全体で見れば他にも存在し得るでしょうが、しかし僕らの顔見知りをお助けできる機会が得られたのは幸いです。」
「他者に危害が加えられる現場ではない、私たちが本来期待されたのと同じ目的であれば、存分に働ける。」
人間には危険な現場で仕事することも自動人形に相応しい役割ではあったが、元より愛玩用自動人形として製造されたリーピとケイリーにとっては、住宅内での介助こそ本業の一部である。
先ほどアンブランから渡された鍵で玄関扉を開けたリーピは、すぐに想定外の匂いが漂ってくることに気付いた。排泄物や老廃物の臭いを想定していただけに、それはあまりに予想外である。
人間よりは嗅覚に於いて劣る自動人形でも、明瞭に認識できる匂い。それは、今しがた湯を注がれたばかりの茶葉の香りであった。
リーピ達を出迎える直前のアンブランが、元執事のために茶を淹れたのかとも思われたが、だとすれば先ほどまでの会話時間を経て、そろそろ茶は冷め始める頃であるはずだ。
転倒を防ぐためだろう、極端に物が片付けられて殺風景な廊下を足早にリーピとケイリーは通り抜け、匂いの元と思われる部屋へ踏み込む。
そこはこじんまりとしたダイニングであり、老いた元執事が傍らの椅子に腰かけ、震える手で湯のポットをそっとコースター上に置いたところであった。
彼はリーピとケイリーへ視線を向け、数多の皺に囲まれた目を細め、以前よりもだいぶ弱々しくなった声を発した。
「ようこそ、いらっしゃいました。久々のお客人のお越しに、お茶の用意が間に合ってよかった。」
「いえ、自分たちは自動人形ですので、お茶をいただくわけにも……お久しぶりです、ほぼ寝たきりとお聞きしておりましたが、今日はお元気のご様子ですね。」
リーピからの言葉に、老人は少しうつむき、沈黙した。
言葉に詰まっているのではなく、次の言葉を発する前に舌と唇を湿らせるため、時間が掛かっているのであった。
「いえ、見ての通り、寝間着からは着替えられませんでして。この足腰では、クローゼットが遠くて、ですね。お恥ずかしい限りです。」
「お出迎えには感謝いたします、どうか身体を楽になさってください。ケイリー、せっかくですので……。」
「分かっている。」
自動人形であるリーピとケイリーには飲み食いは不要であったが、両名は共に用意された席に着き、形だけでも茶の注がれた椀を取って口をつけた。
老人は目を細めて、ようやっと口元に満足げな笑みを浮かべた。
彼が執事として屋敷への来賓を出迎えていたのは、たかだか数週間前の頃の事だったはずだが、以前会った時から幾年も経過したかのごとく、その口元にも無数の皺が増えていた。
元執事を急激に老いさせたものが何であるか、リーピとケイリーは分かっていた。
旧市長一派が製剤会社敷地における特異菌糸感染によって壊滅、遺された面々も菌糸罹患者となって喪われ、さらに旧市長邸も解体され、市政の中心もフィンク新市長へと移る……その激変が、あまりに多くのものを元執事の人生から奪っていったのだ。




