依頼情報通達 フィリック警邏隊長より
ケイティーが護衛として同行し続けてくれることが決まり、さっそくラーディは改めて探命事務所から出かけることを決めた。
彼女の自宅が無事であることは確認できたものの、ライフワークの場である靴工房の確認は出来ていないのだ。
「現金を置いてもいませんし、そこそこのお値段とはいえ靴の材料が保管してあるだけなので、わざわざ侵入しようとする人はいないと思いたいですけれどねぇ……もちろん、揃えればそれなりにお値段が張る工具類もありますけど。」
「万が一の状況には常に留意してください、侵入者と鉢合わせる可能性も考慮し、ケイティーはラーディさんから離れず行動するよう願います。」
「承知しました。」
ラーディとケイティーが連れ立って昼下がりの街へと出かけて行った後、リーピとケイリーは自分達の仕事に戻る。
とはいえ、相変わらず新聞は発刊されず、菌糸通話線も復旧していないため、情報収集の手段はない。事務所の留守を任せたケイティーが仕事として認識していなかった掃除に取り掛かりつつ、リーピとケイリーは言葉を交わした。
「そういえば、まだ市長私邸から依頼報酬の支払いは為されていませんね。伝言のため事務所入り口で待ち続けていたケイティー型自動人形の一体も、オリジナルのケイティーも、何もフィンク市長から受け取っていない様子でしたし。」
「私たちの仕事ぶりが評価されていないがための結果でもない限り、常に確実性を期すフィンク市長のことだから直接の支払い以外行わない、と判断した結果だとは思われる。」
フィンクが依頼報酬を支払うとなれば、いつものごとく封筒を持たされた秘書が事務所に来ることになるのだろうが、今のところ新たな訪問者は居ない。
当然ながら、市長私邸での惨劇は一日やそこらで片付くものでもあるまい。
特異菌糸罹患者レイストスの侵入によって、二名の殉職者……人間ではなかったナービルも含めれば三名……そして多数の重傷者が出たのだ。レイストスの無力化に成功したとはいえ、あまりに代償は重い。
屋敷内に居た使用人や執事たちは、いずれも長年フィンクに付き従ってきた存在とはいえ、自動人形のごとく所有物扱いになるわけではない。フィンクが為すべきは治療への援助のみならず、重傷を負う羽目になった彼らの身元、親元に状況説明し、謝罪することも含まれている。
そういった状況であれば、自動人形たるリーピやケイリー絡みのことが後回しになるのは致し方ないことではあった。
一日掃除しなかっただけで、それなりに積もっている塵埃を箒で集めつつ、リーピは喋る。
「市長のお屋敷が修繕されないままの姿で街の中心にあり続けるというわけにもいかないでしょうし、僕らへの報酬支払いはますます優先度は下がるでしょうね。」
「私たちがロターク社に修繕のため回収されていった件についてはフィンク市長の耳に入っているだろう、雇った自動人形に関しては緊急性が低いとの判断は迷わず下されるはずだ。」
ケイリーは雑巾で入り口扉を拭いている最中であったが、普段あまり聞かない足音が近づいて来るのに気づき、喋りを中断する。
足音を聞くだけで靴を判定できるラーディほどではないものの、人間を凌駕する自動人形の聴覚をもってすれば、足音の識別は容易である。聞き慣れない足音の接近には、瞬時に警戒することがリーピとケイリーの内部では条件づけられていた。
しかし今近付いてきているのは左右の足音が微妙に異なる、即ち完全に均等な体重の掛け方ではない歩き方を鑑みるに、人間の足音である。
歩幅を考慮すればさしたる巨漢ではない、しかし重量感のある足音は装備品を身に着けているためとも思われる。武器を所持している相手である可能性も高いが、足音を全く忍ばせていないのであれば、自動人形を襲撃する意図は薄そうだ。
じっと足音の発生方向を見つめているケイリーの視界に入ってきた人物は、確かに推測通りの存在であった。
彼は濃紺の制服を着こみ、肩からは隊長格を示す短いマントが垂れている。
「フィリック警邏隊長。」
「お掃除の最中でしたか。ちょっとお話、よろしいでしょうか?」
「もちろん。」
歩み寄ってくるフィリックに、ケイリーは即答している。
今の短い言葉のやり取りは、かなり人間的ではあった。掃除の途中であることは見れば分かるが、作業に手一杯な様子ではないことも十分に見てとれるため、警察の仕事を優先してもらいたい、との意図をフィリックは示し、ケイリーはリーピに確認を取るまでもなく承諾したのだ。
相変わらずのフィリックの美貌に視線が釘付けとなっているケイリーが、思考段階をいくばくか省略したことも否めはしないが。
ここ数日で立て続けに起きた大掛かりな事件の対処に当たった結果ゆえか、フィリックの目元や眉根には小さく皺が寄り、疲労による充血が眼球には浮かんでいた。それがむしろ、フィリックの容貌に新たな魅力を添え、翳りを湛えた面立ちの美男子としていたのだ。
事務所内にフィリック警邏隊長を案内してきたケイリーが、ずっとフィリックの顔面に見惚れている様にはリーピも気づいた。思えば、初めてフィリックを見た時から、ケイリーには自動人形に備わるはずのない感情が萌芽しつつあったのだろう。
さておき、リーピは探命事務所の代表として、警邏隊長に応対する責務があった。
「ようこそ探命事務所へお越しくださいました、フィリック警邏隊長。大変にお忙しいところだと思われますが、わざわざご足労いただいたのは、いかなるご用件でしょうか。」
「いや、自分も、トロンドから休憩するよう強いられて、外の空気を吸いがてら来させていただいた次第ですので……といっても、世間話をしに来たわけではなく、あなた方への要請があることは事実です。」
他人から休養を促されない限り、フィリックが働きづめになってしまうだろうことは想像に容易い。こういった点でも、人間に命令できるはずがない自動人形とは異なる役目をトロンドが担っているのだろう。
それでも、何もせずにいることに耐えられないフィリックは、せめてリーピとケイリーへの伝達を買って出たのだ。菌糸通話網が復旧していない今、直接会いに行く以外に情報伝達のすべはない。
リーピは聞き返す。
「もしかすると、昨夜の市長私邸襲撃に関して、でしょうか。僕らもあの現場におりましたが、まだ市長側からは何も連絡がないのです。」
「フィンク市長は現在、被害状況の確認および状況収拾に奔走しておられます。あなた方への連絡は、相当に後回しとなるでしょう。自分が今お伝えしたいのは、それとは別件です。正式な通報によるものではないため、警邏隊が直に対処できない一件があるのです。」
そもそも現状の警邏隊は、菌糸罹患者の襲撃によって生じた被害への対処で手いっぱいだろうから、市井における些細な事案など構ってはいられまい。正式に通報という形で受けた件でもないとなれば、なおさら顧みられはしないだろう。
そういった件を記憶し、意識に留めておけるのは人間であるフィリックならではの振る舞いだった。
「フィンク現市長ではなく、ガリティス前市長のお屋敷におられた、執事さんを覚えておいででしょうか。前市長の邸宅はとっくに解体され、現在は空き地となってしまっていますけれど。」
「はい、あの執事さんには、僕らも幾度かお会いしました。前市長の孫娘であるプルスさんが菌糸に感染していた一件を最後に、その後お目にかかる機会はありませんでしたが。」
旧市長邸の執事とは、前市長ガリティスから孫娘の遊び相手として依頼を受けた日に知り合い、その後も旧市長邸での仕事のたびにリーピとケイリーは彼と顔を合わせた。
当初の印象は気難しい老執事といったところだったが、それは彼の生来の生真面目さによるものであった。
かつて市長邸の使用人として働いていたディスティを気遣ったり、実の親以上にプルスの身を案じたり、旧市長邸内部で菌糸感染が発生していると察知した際には屋敷の使用人たちに暇を与え、居場所のない者には住居を世話することまでした老爺である。
執事としての立場に相応しく気が回り、義理堅い人間に違いなかった。解体前の旧市長邸が菌糸汚染により立ち入れなくなった後も、庭番小屋で過ごしつつ、身なりは乱すことの無かった潔癖な人間でもあった。
旧市長邸跡地が空き地のまま野ざらしとなり、市政が新市長フィンクの手に渡って以降、リーピもケイリーも彼の消息については知らなかった。
彼のことについて語るフィリックの表情は、ここ数日の疲れのためばかりではなかったろう、暗いものであった。
「旧市長邸の元執事さんは現在、おひとりで暮らしておられるのですが、体調が芳しくないとの話が市役所に届いているのです。」
「その情報提供を行ったのは、誰ですか?独り暮らしの方の体調を知る機会は、他人には得難いでしょう。」
「同じくかつて旧市長邸で働いていた、元使用人さんです。旧市長邸が解体された後、使用人たちはほぼ全員が各々の実家や故郷に帰りましたが、帰る場所のなかった一名だけは執事さんの自宅に居候という形で過ごしていたようです。」
その話は、リーピとケイリーも知っている。
前市長の孫娘プルスが菌糸に感染していることを確認した調査依頼にて、執事自らが一人の使用人に自宅の部屋を与えたと語っていた。前市長の身の回りの世話をしていたのは若い女性の使用人ばかりであり、急に放り出して野宿を強いるわけにもいかないと執事は判断したのだ。
住居を貸してくれた恩義もあってか、旧市長邸が解体された後に体調を崩した元執事の看病を、元使用人は厭わず続けていたものと思われる。
とはいえ、感情と無縁でいられない人間にとっては、延々と続けられる生活でもない。
市役所の窓口に寄せられた相談は、市民の日常と触れる機会の多い警邏隊にも伝わってきたのだろう。フィリックは件の内情についても、それなりに知っていた。
「相談に来た元使用人さん自身、かなり精神的に憔悴した状態だったとのことです。看病の甲斐もなく、また医院での治療を受けても元執事さんの体調は快方に向かうことがない、そんな日々を続けた結果だと思われます。」
「きちんとお医者様に診てもらってはいるのですね。」
「それも、ほぼ寝たきりになってしまった元執事さんのため、治療費が割高となる往診にしか頼れません。元執事さんの貯蓄も無尽蔵にあるわけではありません。元使用人さんはバイトを続けてどうにか収入を得ていたようですが、そのお金を元執事さんの治療費につぎ込むことは、元執事さん自身が制止したとのことです。」
元使用人の振る舞いは恩義に基づくものであったが、元執事の判断も彼らしいものではあった。
老い先短い自分が、まだ先の長い、若い元使用人を金銭的にも時間的にも束縛するわけにはいかない、と考えるのは必然だったろう。このままの関係を続ければ、本来は他人であるはずの老人の最期を看取った元使用人の手元にいくばくも残らない、そんな結果に行き着いてしまう。
また、元使用人の胸中にもじわじわと変化があったろう。恩義ある相手だという認識は消えぬまでも、寝たきりの老人の世話をし続けることは心身ともに重労働だ。入浴や排泄の世話までせねばならぬのだから。
何より、旧市長邸で働いていた他の使用人たちはさっさと実家に帰っており、無視しきれぬ義理で繋がれた自分だけが難局を抱え込んでいる……成り行きとはいえ理不尽な状況には違いなかった。
「元使用人さんは、既に街の外に新たな賃貸物件を借り、そちらへの引っ越し手続きも済ませています。現在は、ご自身に代わって元執事さんの世話が出来る方を探しておられます。」
「状況は理解しました。直ちに、僕とケイリーが元執事さんの介助へと向かいます。元使用人さんとは、どちらで引き継ぎ等のお話ができるでしょうか?」
「そう仰ってもらえると、警邏隊としても有難いです。元執事さんの自宅へ向かえば、すぐにお話が出来るはずです。」
話をまとめたリーピがソファから立ち上がる前に、ケイリーは既に作業服のジャケットを着こんでいた。
リーピも即座に現場へ向かいたいところであったが、今は靴工房の様子を見に行っているラーディと護衛のケイティーに書置きを残すことを忘れるべきではなかった。またしても、連絡無しに事務所を空けることになるのだ。
書置き、という連絡手段が存在することも、ケイティーにはついでに教えることになるだろう。




