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ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
生き、捕える網は地下に
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彼は本意をまだ隠して モース主任との対話終了

 自分達の思考回路に生じた変調が、モース主任の思惑から外れぬものであると確認できたことだけは、リーピとケイリーが得た一つの安堵であった。


 それでもなお、疑念は尽きない。リーピは重ねて問うた。


「モース主任、なぜ今になって、このことを僕らに教えてくれたのですか?」


「むろん伝えるだけであれば、きみたちが製造された直後から教えることは出来ました。が、こちらが語った意味を理解されない状態では、いかに真実を告げたところで仕方がありませんからね。与えた情報を正確に記憶する相手に教えるだけでは、メモ帳に書き込むのと何ら変わりありません。」


「僕らの記憶能力は、製造時から変化がないはずです。既存菌糸によって構成される思考回路は、設定された性能を勝手に逸脱することがありません。」


「分かっていますとも、しかし問題としているのは記憶能力ではないのです。人間社会の内側で活動を続け、自らの在り様について数多の学習機会を得たきみたちが、自我を有するようになったことこそ、何よりも重要なのです。」


 嬉しそうに語るモースを前にして、リーピは即座の返答など出来ぬままに沈黙するばかりであった。


 自我、などという概念は自動人形とは本来無縁である。需要に応じて製造され、雇い主から命じられる内容を実行するだけの存在たちは、そもそも隷属をこそ存在の前提としている。


 自分達が自我を有するようになった、などとモースから告げられたところで、それを実感するすべなどあるはずもない。


 先ほどまでの話以上に理解が困難であろうことは、喋っているモース当人も承知しているのか、リーピから聞き返される前に口を開いた。モース自身も、言語化のしづらさを感じているのか、自分の発する言葉に合わせて人差し指を指揮棒のごとく振りつつの発言である。


「ただの記録ではなく、教えた相手が、自らの人格の中で記憶を育て、思考の血肉としていくことが、話を伝える一番の目的……いや、これでは、余計に分かりづらい言い回しですね。」


「いえ、何とか、理解に努めます。」


「もう少し、卑近な言い回しにしましょうか。私の身のまわりに居るのは、仕事相手だけです。部下の研究員、企業としての営業担当、経営陣との会議……菌糸の来歴など、どこで伝えても、仕方のないことです。彼らが興味を抱くのは、この先どれほどの利益を上げられるのか、だけですからね。」


 モースは立ち上がり、この部屋に入ってきた時にリーピが真っ先に注目したガラス窓の方へ歩いて行った。


 その滑らかなガラスの表面を愛おしげに指でなぞり、微笑む。現代社会においては生産不可能な、歪みのない大型のガラスの一枚板。


 これに価値を見出したのは、ロターク社においてはモースだけであった。


 二度と作れないものは、利益に繋がらない。現代において一般的な樹脂窓であれば、より安価に作れるし、傷や曇りが目立ってくれば定期的に交換すればよい。交換の必要性自体が、恒常的な需要を保ち続ける。


 修復や交換の必要がない品など、非利益の象徴だ。だからこそ、ロターク社経営陣が入っている本部建物に、この希少なガラス窓が運び込まれることはなかったのだ。


 この部屋は、ある意味モースの信念を体現した空間であった。そして、今、彼の話へ耳を傾けているリーピとケイリーは、モースの研究者人生が作り出した一つの完成品になりつつあった。


「人間には、寿命があるのです。私の存在が消える前に、私の精神を伝えたい相手こそ……リーピ、ケイリー、きみたちなのです。」


 モースの語る内容は、やはり即座の理解には収まらぬ話であった。


 知識としては有していたし、また自動人形も用済みになれば廃棄処分されるのだから、自動人形も疑似的に寿命を有しているとも言える。とはいえ、明確な意図をもって製造される人形たちには、ただ存在することだけに価値を見出される人間の命や、その限度である寿命の何たるかを理解することは至難の業であった。


 ケイリーも困惑顔で、リーピと顔を見合わせているばかりである。ただ、そんな挙動をもモースは我が子の成長であるかのように愛おしげに見つめていた。


「そう、その顔を見合わす振る舞いもまた、人間同様の自我がある証拠です。自動人形本来の思考であれば、どの個体であろうと同じ結論に達することは分かり切っているのですから、顔を見合わせて互いの思惑を共有しようとする振る舞いは本来不要なのです。それでも、きみたちは、まさに人間のように個を確立した挙動を示しているのですよ。」


「これは、あくまで人間の振る舞いを模倣した行動の一環に過ぎないと、僕は考えているのですが。」


「顧客や雇い主の前ではなく、きみたちを作った私の前でわざわざ示す必要は本来ないはずでしょう?やはりそれは、明瞭な意図なしに、自然に表出する振る舞いであるはずです。」


 またしてもリーピとケイリーは互いに目を見合わせ、それが確かに自らの行動制御から逸脱しかかった振る舞いであることに気付き、双方気まずげに目を逸らした。


 モースは若干早口になりつつある喋りを自ら抑えつつも、言葉を続ける。


「今回、きみたちがロターク社に来たのは、むろん身体パーツの損傷を修復する目的が一番ですが、同時に聞きたいことがあったのではありませんか?リーピ、きみならば、自らに生じた変化を認識できていることと思いますが。」


「はい、確かに、僕らの思考回路が変調を来たしているとの認識はあります。いずれモース主任に見てもらう必要がある、とケイリーとも話していました。」


 今度は驚きもせず、リーピは即座に返答する。


 リーピとケイリーの考えていることは、言うまでもなくモースにも把握されているのだ。自動人形としての思考に基づく内容であれば、それは何もおかしなことではなかった。


「僕は先日、会話相手である人間に対し、明確な嘘を告げました。相手の身を危険から遠ざけることを優先したためとはいえ、自動人形の原則から逸脱した言動です。ケイリーの方は、昨晩の襲撃現場では殊に顕著に、感情のようなものを抱いたため、本来の判断能力を損なったようでした。」


「感情の“ようなもの”ではなく、本物の感情ですよ。リーピ、きみの方も、絶対に嘘をつかないという自動人形の原則から外れたことは、不具合ではありません。何も不安がることはありません、こちらが期待している通りの成長、すなわち人間的な感覚の獲得を、きみたちは為しているのです。」


「先ほどのメンテナンスで、今の僕らの思考回路が調整を受けなかったのも、モース主任が望んだ通りということですか。」


「はい。きみたちも、ずっと気になっていたでしょうけれど、説明が遅れて済みませんね。とはいえ、ここまで話してきた内容を鑑みれば、十分に推察できる判断でしょう。」


 モースはガラス窓を撫でる指先を止め、リーピ達の方へと振り返り、背を大きなガラス窓へとあずけ、もたれかかった。


 この世界の技術では製造実現不可能な、継ぎ目のないガラスの一枚板。モースの背後には、研究棟の最上階から望むロターク社の広大な敷地が広がっている。


 ガラスにもたれかかるモースの姿は、窓の外へとバランスを崩して落ちかけている姿勢のようにも見えた。現代一般に広く普及している樹脂窓であれば多少は曇って見えるはずのところ、あまりに透明度が高いガラスは離れて見れば無も同然であった。


 リーピとケイリーが同時に腰を浮かし、同じように緊張を表情に走らせたためだろう、モースは微笑みながら窓にもたれかかるのをやめた。


「まさに今のきみたちの反応を見た場合、自動人形が高所恐怖を認識したことを喜ぶべきでしょうか、それとも存在しない危険を誤認してしまった認知不良と評すべきでしょうか。きみたちが、与えられた情報だけを判断材料としているのならば、ガラスにもたれかかる姿を前にして不安そうな表情を浮かべることもないはずですね。」


「ガラスの一枚板が実現していることに、未だ実感が湧かないことも手伝っているかもしれません。……いえ、これも“実感”などに左右されることなく、本来の自動人形であれば記憶領域内の情報が即座に修正されているべきですね。」


「えぇ、まったく人間らしい感覚です。そも、このガラスの一枚板が地下から発見された時点でも、本来填まっていたはずの窓枠部分は朽ち果てていたのです。往時の科学水準においてもなお、これは未知の技術の結晶であった可能性があります。」


「いよいよもって、現実離れした物品ですね……。」


 リーピの返答に頷き続けているモースは、先ほどからずっと満足げな笑みを崩していない。


 この場で続けられている対話は、ずっとその場その場ごとに浮かんだ話題ばかりを拾って繋げられたものである。


 通常、自動人形が人間に対して行う発言は、必要性に迫られた上での情報交換に過ぎない。そのことを思えば、ここでモースが愉しんでいるのは、我が子同然の存在との団欒の場であったともいえよう。必要性だけに迫られ日々のスケジュールを送っている彼にとって至高の、贅沢な時間の使い方でもあった。


 ……ただ、リーピの中には勿論、自動人形本来の思考回路も残っていた。


 この和やかな空気に流されて、今回もまた言いそびれてしまいかねない内容を、リーピの記憶領域は辛うじて浮かび上がらせたのだ。


 そろそろモースが仕事に戻らねばならぬそぶりを、ソファの背もたれに掛けてあった白衣を拾いながら示した時、リーピは今の今まで言いそびれていた重大な事例に言及した。


「モース研究主任、最後にひとつ、お聞きしたいことがあるのです。これは、モース主任ご自身は既にご存知なことかもしれないのですが。」


「何でしょう?」


「自動人形でもなく、菌糸罹患者でもなく……もちろん人間でもない、しかし菌糸を身体に内包して活動している存在を、僕らは少なくとも二名、知っています。いえ、二名居た、というべきですね、その存在は今回の件で一名が枯死しましたから。」


 ここに来て初めて、モースの顔から表情が消えた。


 語っている内容次第で、モースは笑んだり、表情を曇らせたりはしていたものの、完全に虚を突かれて無表情になるのは初のことであった。


 リーピから“その存在”について言及されることは、モースが極力回避しようとし続けてきた状況だった。


 モースの反応を前にしてケイリーは不安そうに視線を遣ったが、リーピは一気に喋り切った。


「特異菌糸罹患者たちが活動し、時に襲撃を行うのも、単に養分を入手するためだけではなく、その特別な存在を求めてのことであると推測できます。まさに今回、市長私邸を襲撃したレイストス氏は、市長秘書のナービルさんを狙い、彼女の身体組織を摂取していました。直後、ロターク社の滅菌部隊によって枯死処分とされましたが。」


 リーピが知っている、その特別な存在というのは、トロンドとナービルのことだった。


 今回のレイストスの襲撃でナービルは襲われ、レイストスもろとも滅菌部隊によって枯死処分とされ、その残骸はつい先ほどロターク社に搬入されたところだ。


 現時点で残されている、生態上の欠陥が無い特異菌糸保有者は、トロンドただひとりである。


 リーピが語り続ける前で、モースは黙りこくっていた。


「……。」


「現時点で僕らが一名だけ生存を確認できるその特別な存在は、生態上の欠陥を一切有さない、いわば完全体の特異菌糸を保有しているようなのです。罹患者たちのように周辺へ危害を加えることなく、人間と同様に暮らしています。あれはいったい、どのような存在なのでしょうか。モース主任でしたら、何か知っていることがあるのでは?」


 ちょうどリーピの発言を遮るように、休憩室壁面の伝声管から呼び出し音が響いた。


 むろん、モースが無言のままに、白衣を羽織り、スタスタと出て行ったとしても、リーピとケイリーには彼を引き留めることはできない。それが自分たちの創造主の意図であれば、受け入れるしかない。


 それでも、一番のお気に入り、最愛の我が子とも呼べる存在からの言葉を、モースは無視しきることが出来なかったらしい。


 リーピ達へ背を向けながらも、彼は低い声で呟いた。


「ウィタリズァール。研究者間では、そう呼んでいます。」


「既に、名付けも為されているのですね。非常に希少な存在かと思われるのですが、研究対象にはなっていないのですか?」


「社会規範上、表向きは人間として扱われている存在を、強制的に収容することは不可能ですので。先ほども言いましたでしょ、研究者の声は議場まで届かない、と。」


 モースの声は暗く、彼自身が胸中に秘め続けている忌々しさを垣間見せていた。


 休憩室の扉を開け、去り際のモースは、これもまた他の人間には聞かせられないような声で、リーピとケイリーへ本心の一部を吐露した。


 我が子同然のお気に入りが相手だからこそ、伝えた言葉だった。


「その残った一体も、いずれ滅菌処分しなければなりません……出来れば、今回のごとく、合法的に。なにしろ、特異菌糸は危険なんですから。」

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