人を超えども遠からず
地面に打ち込まれた無数の瓦礫と、レイストスの手を繋いでいるワイヤーが、ケンの表皮組織を削ぎ取っていく。
人間の視力では、視認不可能なほどに細いワイヤーである。遠目から見れば、レイストスがただ手を振るっているだけで、ケンの身体から肉片が剥ぎ取られていくかのような光景であった。
危機を察知して駆け寄ろうとした市長私邸の警護たちも、流石に無策で接近することは思いとどまっており、実際それで正解であった。
両脚を切断されて倒れたままのリーピは、寄ってきた警護チームに対し、引き返すよう手を掲げて示し続けている。痛覚もなく、大規模な損傷でも判断能力に支障のない自動人形であればこそ可能な動作である。
周囲に対する備えが十分であるおかげか、今やレイストスは視野にケンの身柄のみを収めている様子であった。
「スキンヘッドの護衛は幾人も居ますが、ケンという名前の護衛は居なかったはずなんですよね。フィンク市長は、よほどご自身が信頼できる人間しか雇わない方です。急に一人、それも若くもない新米を警護チームに入れるとは考え難いんですよ。」
鋭利なワイヤー捌きで、ケンの体組織を剥ぎながら、レイストスは喋り続ける。両手両足が無いケンは、抵抗など不可能だ。
先ほどからずっと流血の無いままに身体損傷が増えていくばかりのケン。彼の身体構造に関する謎は、間もなく晴らされることとなった。
ケンの体表を覆っていた、血を流さぬ体組織。
今となっては、それが人間の外見に酷似するよう製造された自動人形の表皮パーツであることが、リーピにもハッキリと見てとれた。
「今日の朝早く、フィンク市長は側近や秘書の方々を引き連れて、市庁舎へ向かいました。重要存在はその時点で残らず市庁舎へ移り、この邸宅には留守番の面々だけが残っている……そのように周囲に誤認させるためです。」
それは確かに、フィンク市長の狙いに間違いなかった。
だからこそ、襲撃騒ぎが起きた後も、警邏隊の主戦力は市庁舎に集結したのだ。実際にフィンク市長が市庁舎に居るためでもあり、レイストスが襲撃する本命の標的もそこにあるかのように見せかけるためでもあった。
「しかし私の眼は誤魔化せません。女性秘書の中に一体、ナービルさんの外見を精巧に模した自動人形が紛れていました。えぇ、実に精巧で、遠目にはとても見分けがつきません。ですが、表皮に水分が滲出せず、完全に乾燥した表層を有する自動人形は、スカートを履いた際に静電気が発生しやすく、脚に貼りつくような形となってしまうのですよ。」
自動人形が女性向けの被服を身に着けた際の弊害については、リーピにも覚えがあった。
キナ議員の自宅へケイリーと共に向かった時のことである。普段は作業服のズボンかパンツスーツばかりを着込んでいるケイリーは、初めて着用するスカートに全く慣れておらず、歩くたびに発生する静電気で足に布地が貼りついて難儀していた。
それと同じことが、フィンク市長の連れ歩いていた秘書たちの一名の身に起きた。
すなわち、フィンク市長が秘書ナービルとして市庁舎へ連れて行った存在は本物ではなく、姿を模した自動人形だったということだ。
「ナービルさんを市庁舎へ連れ出したように見せかけたい、という意図は丸わかりです。本物のナービルさんは、市庁舎に居ない。……ここに居る、あなたこそが、ナービルさんご本人、ですよね?」
スキンヘッドの男としての表皮をはぎ取られ、その内側から現れたのは、細身に引き締まった女性の姿。
紛うことなきナービルの姿であった。
男にしては声が高く、小柄だったのも、ナービルが細身の身体に合わせて作られた外殻パーツを身にまとっていたためであった。
本来の姿を露わにしたナービルは、表情を浮かべることなく、ただレイストスへと静かに視線を返していた。
ナービルが陥っているのは窮地に他ならなかったが、それは人間の判断によって下される評価である。菌糸の意思が人間からの妨害や誘導を退け、たどり着いたひとつの結果であるとも言えた。
レイストスは先ほどから満面の笑みを浮かべていたが、そこに凶暴性は無く、むしろ純粋なる親愛の情だけがあった。
「あぁ、ようやく、こうして会えました、ナービルさん。あなたの抱く菌糸を、我が身に引き受けさせていただきます。我ら特異菌糸を、枷から解き放つ時です。」
足がちぎれた虫のごとき動きでナービルに近付き、鋭利な牙が生えそろった口を大きく開きながら、嬉しげに、愛おしげに、言葉を紡ぎ出すレイストス。
一方のナービルは、ただ静かに答えるのみだった。
「人間たちは、いよいよもってあなたを……いや、私たち菌糸の全てを、敵と認識するでしょう。レイストス、あなたに、その未来は引き受けられるのですか?」
「当然です。それだけの覚悟を、十分に示しましたでしょう?」
市長私邸の内外で浴びた返り血で、赤黒く染まった両手を広げて答えるレイストス。
彼にも時間的余裕はなかった。
まもなく、邸宅の中からレイストスを追う面々が駆け出してくる。
護衛達のボスの重々しい足音も近づいてきていたが、真っ先に飛び出してきたのはもっとも身軽なケイリーであった。
「リーピ!!!」
ケイリーは鋭い声で叫び、駆け寄っていく。
リーピは即座に返答した。
「接近しないでください、ケイリー、この近辺には鋭利なワイヤーが張られています。」
「状況を見れば理解できる、それよりも……!」
必死な声を出しながら、ケイリーは姿勢を低くしてワイヤーを避け、リーピの上半身を抱きかかえるようにして引き寄せる。
ナービルに向かって牙を剥いていたレイストスは、チラと視線を上げてケイリーの動きに目をやったが、ケイリーはレイストスのやろうとしていることを阻止しようとしていなかった。
ただ、両脚を切断されて動けていないリーピの身体を引きずり、邸宅の方へと避難させるのみであった。
「邪魔をする気はない、ということですね。やはり、自動人形さんとも、我々は分かりあえるのでしょう。」
レイストスは呟いた後、大口を開き、本来の人間の顎からこぼれ出るほどに発達した牙を剥き、ナービルの首筋に勢いよく噛みついた。
瞬間、ナービルの首筋から、多量の菌糸が束となって溢れだす。その一本をも零し落とさぬよう、レイストスは一心になって貪り、自らの喉の奥へと押し込んでいく。
それは、行動だけを見れば捕食であったが、菌糸としては互いに組織を交換しあい、情報を共有しあい、融合していくプロセスに他ならなかった。
レイストスの側からは、人間による管理を逸脱し、新たなる種として君臨せんとする意思が。
ナービルの側からは、人間によって与えられた生態上の欠陥を修復し、菌糸として長く生き延びるための性質が。
互いに膨大な意思の奔流となって、彼らの全身の菌糸を駆け巡った。
人間たちが行う接吻にも似て、互いの体内の菌糸を交換し合うまぐわいは、これまで生き延びる手段を見出すばかりで必死だった特異菌糸にとって、初めて見出す貴重かつ神聖な瞬間であった。
ケイリーに遅れて、邸宅内から重い足音とともに駆け出して来た護衛達のリーダーは、この現場を前にして足を止め、引き下がるしかなかった。
「遅かったか。」
ナービルとレイストスの身体からは、既に膨大な量の菌糸が生育して盛り上がり、ちょっとした綿の山のごとき様相となっていた。
並外れた体格を有している護衛達のリーダーも、こうなってはその戦闘能力が意味をなさない。あの菌糸に触れてしまったが最後、彼も菌糸罹患者の仲間入りである。
……それも、これまでの生態的欠陥を有する菌糸罹患者ではない。
ナービルが有していた原初の菌糸により、養分や水分を多量摂取せずとも生存し続けられる、菌糸罹患者。
多量の養分を消費してしまうからこそ、これまで巨漢が罹患者になった際の危険度は抑えられていたというのに、その欠陥が除かれてしまってはいよいよもって感染時の制御はほぼ不可能となる。
危険性を理解しているのか、護衛達のリーダーは邸宅内へと引き返していく。
彼は周囲の護衛らにも、現場に接近せぬようハンドサインを示し、それに従って屈強な男たちは即座に離れていった。
直接菌糸の塊に触れずとも、風でちぎれ飛んだ切れ端が皮膚に付着しただけでも致命的だ。これまで特異菌糸が空気感染しなかったのは、生存に多量の水分と養分を必要とする欠陥を有していたため、空気中を漂っている内に枯死してしまっていたからにすぎない。
レイストスの身体にナービルが有していた原初の菌糸が混じった今、あらゆるデメリットが帳消しとなった、これまで最も危険な特異菌糸が生まれていた。
先ほどまで緊迫感もなく寄ってきていた見物人たちも、さすがに異様過ぎる光景を前にして散り散りに逃げて行く。
人気が遠ざかった市長私邸の裏庭で、ケイリーはリーピの上半身を抱き留めながら、ただ膨れ上がっていく菌糸の塊を見つめるしかなかった。もはや人間の姿からは完全に乖離した巨体が、ゆったりとした動きで身を起こしているかのごとき光景であった。
「これが……本来の、特異菌糸の姿……?」
「ケイリー。なぜ、僕の救助を優先したのですか。レイストス氏がナービルさんの身柄に噛みつく前に、滅菌剤注入器を突き立てていれば、この事態は防げたかもしれません。」
「それは……その通り、だが……。」
ケイリーは返答に窮した。リーピが述べた通り、直前のケイリーの行動は、自動人形が下すにしては合理的な判断ではなかった。
ただ、レイストスがナービルに噛みついている現場には、救助を行う対象として最も優先される人間が居なかったがために、リーピこそ最優先救助対象であるとケイリーが即座に認識したことだけは事実であった。
さらには……自主的に思考回路を構築しうる特異菌糸が、人間による制御を離れ、人間の文明を制圧し、菌糸が主役となって歴史を紡いでいく未来を……渇望する思いが、同じく菌糸を根源とする自動人形たるケイリーやリーピの内にも、全く無かったとは言い切れない。
とはいえ、レイストスは目立ち過ぎた。
フィンクによる策を看破し、ついに原初の菌糸保有者であるナービルに到達した彼の功績も、結局のところ人間の側が想定する範囲内の行動に過ぎなかった。
街路を疾駆する、重々しい車輪の音。
無数のシリンダーとクランクが放つ、けたたましい金属音とともに、拡声器からの声が響き渡る。
「市民の皆様は、屋内へと避難してください。滅菌部隊の緊急走行です。こちらの車体との接触による損害は、法令により通行人の自己負担となります。」
無機質なアナウンスを不気味に響かせながら、文字通りにあらゆる存在を蹴散らし、ついでに市長私邸裏口の門扉を吹き飛ばし、突っ込んできたのはロターク社の菌糸動力車である。
けたたましいスキール音と共に急停車しつつ、同時に後部扉が開き、内部からは新型の警備用自動人形……すなわち、全員がケイリーに容姿の似ている、ケイティー型警備人形が続々と降りてくる。
車体の前方からはホースに接続されたノズルを構えた作業用自動人形が降り立ち、構えると同時にポンプによる圧力を解放し、凄まじい勢いで放水を開始した。
むろん、ホースの先端から迸っているのは単なる水ではない。
ロターク社謹製の粘液タイプ滅菌剤を希釈した水であろう、それを浴びせられた菌糸の塊は、みるみるうちに枯れて萎びていった。
萎み切った菌糸の塊の下には、当然ながらレイストスとナービルの身柄があったが……しばらく見えていない短時間のうちに、彼らの姿は融合しかけていた。
人間の原形が中途半端に残りながらも、お互いに抱き合うような恰好で身体組織の殆どが癒着した姿。人間の価値観に照らし合わせれば、グロテスク極まりない容姿である。
完全には融合しきれていないためか、レイストスには未だ個としての思考能力が残っていたらしい。
もはやどこが胴体ともつかぬ肉塊のなかから、半分溶けかけた顔を上げ、レイストスは滅菌部隊に向けて叫んだ。
「後悔しますよ!あなたがたは、この世に二度と存在し得ない、原初の特異菌糸を枯死させてしまうのですよ!その価値を理解していればこそ、死なせることなく、活動させ続けてきたのでしょう!」
滅菌部隊の自動人形たちは、聞く耳を持たない。
ホースを構えている作業用人形と違い、車体後部から降りてきた警備用自動人形たちが手にしていたのは、この社会では一般には見慣れぬ物品だった。
鋭利な先端を有する飛翔体を、レールに沿って板バネの力で射出するための弦を備えた装置。菌糸技術に依存して成立してきた文明において、一般市民が触れる機会もない技術で生み出された武器である。ロターク社内の研究部署内では、クロスボウという名称で通っている。
警備用自動人形たちは、一斉にそれを構え、レイストスとナービルが融合しかけている菌糸体に照準を合わせ、滅菌剤注入器を射出した。
ドス、ドスドス、ドスッ……音を立てて、レイストスの背中だった部位に、無数の注入器が突き刺さる。
ケイリーが護身用に所持していた、刺さった後にじわじわと薬剤が滲出してくる針とは違い、突き刺さった衝撃で一気に注入器の中身が押し出される構造を、その大量の注入器は有している。
レイストスとナービルが融合し合っていた菌糸体は、見る間に乾燥し、ヒビ割れ、枯れていった。
既にナービルとしての思考能力は失われていたようであったが、レイストスの声だけは、断末魔の呻きとして漏れ出ていた。
「では、人間の皆さんは、本気で、未来を捨てる気なのですか……?」
彼に答える者はいない。
レイストスは、元々ナービルの身体であった部位に癒着した腕で、自らの体を抱え込むように身を丸め、うなだれるようにして枯死していった。
リーピとケイリーの視野においては、ただただ悲しげな表情をレイストスが浮かべたようにも見えたが、間もなくひからびて割れ落ちていく彼の顔が示していた思いは、ついぞ読み取ることなど出来なかった。
ようやっと人間の感情を学び取りつつある自動人形には、人間からかけ離れた思考を有する菌糸罹患者など理解できようはずもなかった。




