特定脅威特異菌糸罹患者無力化措置 2/2
レメとケイリーが駆け込んでいった後、むろん市長私邸内部にて起きた事をリーピとケンは知る由もない。
ケンは本来与えられた仕事のままに、屋敷裏口にて混乱に乗じての侵入を阻止し続けており、そのお伴としてリーピも騒動の見物人たちへ後退を呼びかけつづけていた。
「現場から離れてください、まだ菌糸罹患者の襲撃は終息しておりません。皆様の身に危険が及ぶ可能性があります。」
「敷地内に踏み込んだ奴は不法侵入だ。群衆に紛れて逃げても、もれなく後日警察のお世話になるってことだけは警告しとくぜ。覚え違いも見間違いもしない自動人形が、こっちには居るからな。」
さきほど、身体を大幅に変異させた菌糸罹患者が市長私邸の屋根を突き破っていった現場を前に、盛大な見世物であるかのように寄ってきていた観衆たち。
新聞の発刊も行われていない現状、一般市民らの好奇心には歯止めがききづらくなっていたが、リーピとケンが懸命に声を掛け続けた効果は発揮され、あらためて混雑は邸宅敷地からじわじわ離れていった。
レメのことが気がかりであることも手伝ってか、ケンは眉根からスキンヘッドの額まで深く皺を寄せた威圧的な表情のまま、その太腕を組みつつ呟く。
「一般人の平和ボケもいいとこだな、人死にが出てる現場があると聞きゃあ、普通は全力で逃げるもんだろ。次に狙われるのは自分かもしれねーって、実感できんもんかね。」
「やはり報道手段が麻痺してしまっていることが原因と思われます。先ほどの混雑の中にも、撮影機材に写真乾板をセットしている方がおられましたから。」
「撮影機だぁ?労働者が働き詰めても買えねぇ高級品を、よくこんな雑踏に持ち込めるもんだな。下町だと一瞬でひったくられてんぞ。」
市長私邸が存在する街区なだけあって、周辺住民は程度の差こそあれ、街全体で見れば富裕層に分類される市民ばかりである。
彼らが常日頃から浸っている精神的余裕は、この緊迫した現場においても発揮されるのか、なんとも危機感の無い群衆がたむろする結果を生み出していた。
この状況もまた、レイストスが狙って作り出したものか否かは定かでなかったが……元市議会議員であった時のレイストス本人の記憶を継承しているならば、狙うことは不可能でもあるまい。
これまでの襲撃事案は、偶発的に特異菌糸を身体に宿した罹患者が、その場での思いつきのみで行動し、なし崩し的に自らの延命を図るばかりだった。それを鑑みれば、レイストスが有しているのは一線を画す行動力である。
邸内から、レメが何やら喚いた大声が響いてくる。ケンはチラと振り返り、しかしこの場を離れるわけにもいかず呟いた。
「しっかし、ここに来てレイストスの野郎は外れを引いちまったな。今回は裏の裏をかくつもりで、わざと騒ぎを起こした方に本命の襲撃を掛けたんだろうが、残念ながらこの屋敷に重要な護衛対象は何も無ぇ。」
「フィンク市長ご自身や、重要文書の類……そして、秘書であるナービルさんの身柄は、全て市庁舎の方に存在しますからね。」
「……あぁ、そうだな。」
ケンは迷わず頷いてはいたものの、リーピがナービルの存在に敢えて言及した瞬間、ケンはピクリと動きを止めて視線を逸らしていた。
本来の自動人形であれば人間の発言内容をそのまま受け取るところであったが、これまで人間からの学習内容を累積させ続けてきたリーピは、やはりケンの返答に虚偽が含まれる可能性を見出していた。
真実を伏せねばならぬ理由も、推測できぬわけではない。
レイストスが本気で狙う対象がこの邸宅内にあるのだとすれば、その事実や所在はごく信頼のおける身内だけで共有されているだろう。若手の護衛達に伏せられているのなら、外部から雇われているリーピやケイリーにはなおさら伝えられることはあるまい。
ガシャン!と樹脂窓が割れる音とともに、庭へと血まみれの若い秘書が投げ出される。
近場に張っていた護衛らが駆け寄り、即座に応急措置を開始している様を視野に収めつつ、ケンは再び気の張り始めた声で述べた。
「マジに奪われたくねぇ物は無いにしても、屋敷の損害はバカにならねーな。修繕費も治療費も、罹患者どもが律儀に支払ってくれるわけねーし。」
「警戒して下さい、ケン。たった今の窓の破損は、建物内部から罹患者が脱出するための行動かと。」
リーピが口早に言うや否や、窓枠から身を乗り出したレイストスの姿が現れた。
既に彼の表情からは、先ほどの余裕は薄れている。
事前に現場を混乱させておくため投入した一般の罹患者たちは制圧されてしまっており、外部からの侵入を阻止するのに手いっぱいだった護衛達、特にそのボスがレイストスの身柄を補足し追い詰め始めたとなれば、これ以上の長居は困難だ。
邸宅の壁面に両手足を食い込ませて外壁を上がっていこうとしたレイストスであったが、何故か彼は唐突に自らの右脚目掛けて大鉈を振るい、躊躇なく切除した。
ケンは顔を顰めながら言う。
「何やってんだアイツ。右脚を掴まれでもしたか?そこまで必死になって逃げようってか?」
「一瞬でしたが、レイストス氏の右脚に針のようなものが突き立ったのが見えました。ケイリーが、滅菌剤注入器を彼の脚部目掛けて放ったのでしょう。全身の菌糸が枯死するのを防ぐため、薬剤注入部位をレイストス氏は自身で切除したものと思われます。」
リーピが推測を述べている目の前で、レイストスはカサカサと虫のごとき動きで邸宅外壁を這いあがり、屋根の上に自らの姿を隠した。痛覚を有さぬ菌糸罹患者らしく片足を失ったデメリットは見せず、むしろいっそう身軽になったようにも見えた。
レイストスが抜け出した窓枠から、護衛達のボスが顔を出し、外の状況を確認して即座に邸内へと引き返していく。
ボスの意図しているところは、直接言葉で伝えられずともケンにも理解できていた。
「レイストスは、まだ逃げるつもりがなさそうだ。ここには何も無ぇってのに、しつこい野郎だな。だが、また屋根に穴開けて侵入すりゃあ、次こそ俺らのボスが叩きのめしてくれる。」
「窓から抜け出た時点で、敷地外へと飛び移れば逃亡は叶ったはずというのに、まだリスクを冒すだけの行動根拠がレイストス氏にあるのでしょうか。」
リーピが呟いた疑念への答えは、間もなく与えられた。
レイストスは、再び邸宅内へと侵入しようとはしていなかった。
チラと屋根上から彼の顔がこちらを覗いた直後、レイストスは大鉈を振りかざして飛び降りてくる。
ケンとリーピが居る位置目掛けて、屋根からはぎ取ったのだろう幾つかの破片も共に投げ落とされた。
「避けろ!」
「了解。」
リーピは自動人形本来の性質をフルに発揮し、ケンが短く言い放った指示を最短時間で処理、最適な回避行動を実行する。
と言っても、レイストスが行った攻撃行動はあまりにも大振りに過ぎた。
ただでさえ長大な刃渡りの鉈を、邸宅の屋根上から飛び降りつつ振り下ろしたのだから、その軌道は読みやすく、攻撃回避は容易い。
……しかし、リーピは既に現状へと違和感を抱いていた。
「あのレイストス氏が、今になってリターンを期待できない行動を実行するものでしょうか……?」
油断している相手を一撃のもとに仕留めたり、標的に逃げ場を与えぬよう閉所にて迫ったり、と“狩り”の手法には確実性を期し続けていたレイストス。
数階建ての屋根の上から飛び降りても目立った損傷を負わない、というのは確かに人間を凌駕する身体能力の証であったが、それは攻撃対象に回避の猶予を盛大に与え、攻撃行動を易々と予測させてしまう振る舞いだ。
今さら、こんな隙だらけの攻撃を見せるものだろうか?
リーピが瞬間的に抱いた違和感への答えは、間もなく明瞭に得られることとなった。
レイストスが四つん這いで着地した……正確には、彼は片足を自ら切り落としているのだから三つ足での着地となったが……その時、まるで弦楽器でも奏でられたかのような奇妙な音が、ビィンと響き渡った。
分かりやすく脅威が目の前に振ってきたおかげか、これまで呑気に寄ってきていた見物人たちは、今さらながら慌てふためいて逃げ散っていく。
誰にも命中することなく振り下ろした大鉈を握り直しつつ、レイストスは振り返ってケンとリーピの姿を確認する。その時、今まで愛想笑い程度しか浮かべてこなかった顔面に、彼はここに来て初めて満面の笑みをたたえた。
心の底から嬉しそうな、無邪気な少年に戻ったかのような笑顔であった。
「あぁ……!やっぱり!あなたは、人間ではありませんね!」
リーピに対して伝える言葉としては、確かに正確な内容であったが、しかし自動人形であることが分かり切っている対象にはわざわざ伝えまい。
レイストスが弾ませた声を掛け、熱い視線を注いでいるのは、ケンの身体であった。
ケンは、先ほどの攻撃を回避した際、バランスを崩して転倒していた。敵に接近しての立ち回りに慣れている警護担当にしては珍しい転倒であった。
が、無理もないこと、ケンの膝から下はすっぱりと切断されていたのだ。
受け身を取ることもかなわず、ケンは顔面を強打していたが、地面につくはずの手も無かった。すなわち、両腕も両脚同様に切断された後だった。
皮膚や結合組織がちぎれたり、脛骨や腓骨が砕かれたりした跡も遠目には見えないほど、まさに標本でも作られたかのごとく、綺麗な切断面であった。
そして、レイストスの発言内容通り……ケンの肉体の断面からは、一滴も血が流れだしていなかった。体組織は灰色であった……間違いなく、菌糸によって構成された肉体であった。
その大きすぎる損傷とは裏腹に、ケンが表情一つ変えず、痛みを感じていない様子であるのも当然のことだった。
「なぜ、どうやって……?」
当然のごとく浮かぶ、瞬間的には整理され切らない疑念を口にしながら、一歩進み出たリーピも転倒した。
転倒による損傷がそのまま高額な修理費に繋がる自動人形は、よほどのことが無い限り転倒しない姿勢制御を実現しているはずである。背後から急に突き飛ばされたり、岩礁のごとき不安定な足場を歩かされたりしても、転倒する確率は皆無だ。
今、リーピが転倒したのは、全く想定されていない状況が発生したために他ならなかった。
すなわち、リーピの脚部も切断されていたのだ。
リーピが被った切断面は膝上に位置していたが、それはリーピが小柄であったためだ。切断面の地表からの高さは、ちょうどケンの足の切断面の位置と等しかった。
脚部切断の元凶が仕掛けられているとすれば、その位置にあるはずだ。
地面に倒れ伏す直前にリーピは、自動人形の視力をもってしてようやく視認できるほど、あまりにも細すぎる鋼線が空中に震えている様に気づき、口を開いた。
「あえて目立つ行動と共に振り下ろした鉈は、陽動ということですか。このワイヤーの張力によって、僕らの脚部を切断する方こそ、本命だったのですね。」
「そうです。あなたたちがそれを理解する必要はないのですが、しかし喚いたり叫んだりしがちな人間と違って、話が通じやすいのは利点ですね。やはり我々菌糸こそ、人間よりも上位に存在する生命であると、そうは思いませんか?自動人形さんと……原初の菌糸保有者さん。」
口を動かしつつも、レイストスは行動を止めていない。
ピンと張りつめられていた幾本ものワイヤーの端は、屋根上から投げ落とされ地面に刺さっている無数の瓦礫の全てにしっかりと括りつけられている。レイストスは大鉈を握っていない側の片手で、ワイヤーのもう一端を握っている。
一度ワイヤーを緩めた後、再び空気中にビィンと耳を貫く音を響かせながら、レイストスはワイヤーを張りつめさせる。
ワイヤーの張りつめる音が響くと同時に、ケンの表皮が剥がれた。鋭い鋼線が、体組織を削ぎ落としているのだ。相変わらず血は出ず、ケンの体内からは灰色の組織ばかりが零れ落ちる。
既に立ち上がれない状態になっているリーピには、用が無いらしい。レイストスが繰り返し攻撃を加えたのは、ケンに対してであった。
筋骨隆々たる警護の男をこそ、先んじて無力化すべきであるとの判断は合理的であったが、邸宅内に侵入する意味が既にない以上、ただの警護を倒す意味は薄い。
レイストスの狙いは、ケンの身柄そのものであった。




