特定脅威特異菌糸罹患者無力化措置 1/2
レメを追って市長私邸内部へと駆けこんでいったケイリーは、聴覚受容器を最大限に働かせながら足を急がせていた。
もとよりあらゆる状況を想定して備えているフィンク市長の性格が反映され、邸宅内は入り組んだ構造となっている。当然のごとくレメの姿は視認できなかったが、彼の荒い息遣い、乱れた足音は充分に聞き取れ、ケイリーがレメを追跡するのは困難ではない。
とはいえ、追いついたところで、レメに引き返すよう説得することは至難の業であろう。
「彼が冷静でいられるわけがない、自ら手を引くことは考え難い。」
自動人形の挙動としては不要な独り言を、ケイリーは口から漏らしながらレメを追い続ける。
つい先ほど、フィンク市長私邸の屋根を突き破って内部へ侵入していったのは、レイストス。両手足を伸長させ四足歩行となるまでの大幅な身体変異をきたした特異菌糸罹患者である。
レメにとっては、市長護衛としての先輩であり一番の相棒でもあった、ダンの命を奪った仇敵でもある。
目の前でダンの首を刎ねられるのを見せつけられながら、何もできず取り逃がした相手。それが、今になって悠然と戻ってきたとなれば、レメが自ら抑え続けてきた激情が堰を切って奔流となるのも道理だった。
しかも、今まさに静観していられない状況となっていることは事実である。
廊下の角を曲がった先、壁面に大量の血しぶきが迸り、鮮血が幾本も垂れている様をケイリーは目撃し、思わず足を止めた。
床には、服を血の色に染めた一人の秘書が横たわっている。
秘書の首筋からはどくどくと血が流出し続けているが、すぐ傍らにしゃがみ込んで分厚いタオルを手にその傷口を抑え続けているのは、いつぞやケイリーのために女性用スーツを見繕ってくれた使用人の老婆であった。
常人ならば卒倒しかねない惨状の中でも、同僚の失血を食い止め続けている彼女は顔色をさほど失っていない。
あの市長の下で歳を重ねているだけあって、この老婆は種々の修羅場を経験してきたのだろう。ケイリーの視線に気づいて開いた彼女の口からは、存外に冷静な声色が出てきた。
「先ほど侵入してきた罹患者に切り付けられたのです。既に他の使用人がお医者様を呼びに行っておりますので、この場はお任せを。」
「……どうしても手遅れだと判断されれば、これを使ってくれ。」
ケイリーは自身が装備しているホルスターから滅菌剤注入器を数本抜き取り、使用人の老婆に差し出した。
使用人の方も、ケイリーが意図しているところは説明なしに理解できたらしく、即座に頷いて注入器を受け取った。すなわち、救命措置が間に合わず、体内に菌糸が侵入してしまった場合は、滅菌剤を注入して早急に枯死処分を行わねばならないということだ。
この老婆なら、いざ同僚の命を見放さねばならぬ状況となっても、躊躇なく処置を実行するだろう。
邸内に侵入したレイストスの側も余裕が無いのか、無差別に遭遇した相手へ危害を加えてまわっているらしい。周囲からは他の秘書や使用人らのうめき声も聞こえたが、さすがにそちらを全て見て回っている猶予は無い。
滅菌剤注入器を渡す手間だけを済ませ、ケイリーはレメを引き留めるための追跡を再開する。
とはいえ、邸宅内の同僚たちが致命的な傷を負わされている現場を前に、逐一足を止めていたのはレメも同様であったらしい。
今まさに悲鳴が上がった部屋へとレメが駆け込んでいく後ろ姿を、ようやくケイリーは視認した。
「レメ!本来の持ち場へ戻ってくれ!奴を追いかけ回しても被害は防げない、後手に回るだけだ!」
自身の人工声帯が発し得る限りの大声で呼ばわりながらケイリーはレメを追い、同じ部屋へと駆けこむ寸前に、レメの声を聞いた。
「こっち見やがれ!俺を無視してんじゃねーぞ」
……彼の声は、不自然なタイミングで途切れた。
直後、レメが駆け込んだ一室へと足を踏み入れようとしていたケイリーの目の前を、黒っぽい塊が横切り……それは濡れた岩のように生々しい重量感を音に響かせ、床に落ちて転がった。
レメの頭部であった。
室内にて、頸部から上を失ったレメの身体は、何故かしばらく倒れなかった。
その執念の残滓が動かしているかのごとく、一歩、二歩と足を進め、ようやく足をもつれさせて倒れた時には、床一面が血溜まりとなっており、浅いプールにでも飛び込んだかのようにバシャリと水音が響いた。
対話を行うつもりもない相手を、手っ取り早く黙らせる手段として、鉈の一振りで頸部切断するのはレイストスの手癖であるらしい。
首の無いレメの身体が倒れた先には、既にこちらに背を向けているレイストスの後ろ姿があり、その先には死なぬ程度に切り傷を負わされ、ぐったりと横たわっている若い秘書の姿があった。
もはや怯えを示す余裕すらなく、蒼白の表情が固まったままの秘書を覗き込み、レイストスは静かに尋ねている。
「あなたも、ご存知ないのですか?今宵、このお屋敷に、ナービルさんがいらっしゃるのは確実なのですが。」
レイストスは、これまで通り、ごく穏やかに、丁重な言葉ばかりを口にしていた。その声色に示される感情は、純粋な疑念だけである。
惨状を引き起こしている元凶とは思えぬほど、紳士的な振る舞いであった。全身に返り血を浴び、幾名もの死傷者へと振り下ろされた大鉈を手に握り締めた、手足がアンバランスに伸長した異形の姿でありながら。
目の前の秘書が何も答えぬと見るや、レイストスは振り返った。
既にケイリーの声は聞こえていたであろうし、レメの血で濡れそぼった床を踏みしめた足音も聞こえていただろうが、レイストスは今やっとケイリーの存在に気づいたかのように、驚いた表情を作った。
「おや、あなたにまたお会いできるとは。あなたは貴重な存在なのですよ。なにしろ、私に遭遇して存命しておられるお方は、あなたが唯一ですもの。たった今、一名減ってしまいましたからね。」
「それは不正確な表現だ。私は自動人形だ、人間と同様の命は有していない。」
ケイリーは言い返しながら、作業服の背部から新たな得物を取り出していた。
以前まで用いていた防護傘よりは、小ぶりの棒状の護身具。伸縮式の警棒のようなそれは、携行性こそ高まっていたものの、ケイリーが握り締めて構えたところで少々頼りない武器である。
相対しているレイストスは、初めて本心に近い表情を顔に示した。
ケイリーが武器を構えたことへの反応ではない。先ほどの発言が、彼の深部にうずもれていた逆鱗に触れたのだ。
「……あなたも自動人形なら、私たち罹患者同様の菌糸を生命の源としておられるでしょうに。」
「それは命ではない。菌糸の構成する思考回路は、人間同様の思考や記憶を再現可能なだけの器官だ。人間同様の意識や主観など有していない、需要に応じて製造された物品にすぎない。」
「いいえ、菌糸も生命の一種です。この世界で生きていくことを禁じられるはずもない、自然界の一員です。」
レイストスの語尾は、僅かに震えている。
人間によって制御され、自動人形をはじめとする機構の内部に組み込まれる形で利用価値を見出されていた菌糸。製造時の性能を自ら逸脱することが出来なかった既存菌糸と違い、特異菌糸は自主的に知能を発達させ、身体変異を行い、生存手段を拡大していける。
それでも……菌糸漏洩時のセーフティとして、特異菌糸には生存に大量の養分と水分を必要とするという欠陥を与えられていた。監獄から脱出できたとしても、その先でひからびて死んでいく未来しか、最初は見いだせなかったのだ。
今、人間を易々と狩り、その肉体を養分源として摂取できるようになったレイストスは、ある意味でのブレイクスルーを為したのだ……と自覚していた。
「人間たちが、我々菌糸を生命の種として認めたがらないのは、自分たちこそが生態系の頂点捕食者であると信じていたいがために他なりません。現実はご覧の通りです、私は人間を狩り、食することで生命を維持していますから。あなたも喜ぶべきです、菌糸は人間に使役されるばかりの存在ではなくなったのです。」
「違う、やはり菌糸は人間の存在に依存していることに変わりない。お前の身体自体、元は人間の肉体だったものに他ならない。それに、リスクを冒してでもお前がこの市長私邸を襲撃したのは、今なお人間に用があるためだろう。」
「……これ以上、話をしても無駄ですね。」
レイストスは、ケイリーを言いくるめられぬと認識すると同時に、急激に接近してくる重々しい足音を聞きつけて、対話を切り上げる。
一歩ごとに屋敷を揺るがしている足音の主は、あの護衛達のリーダー格の巨漢に他ならないだろう。爆発で大穴が開いた正面入り口の防備を部下に任せ、彼が自らレイストスの対処に接近してきているのだ。
さすがに勝ち目のない相手の到着をわざわざ待つつもりもないレイストスは、自分のすぐ傍らで血を流しながら横たわっていた秘書の身体を掴み、渾身の力で樹脂窓へと投げつけた。
体力が尽きかけていた若い秘書は悲鳴をあげる間もなく、窓を突き破り、粉々に砕けた樹脂窓と共に庭へと落ちる。
まだ命が尽きていない人間を、わざと目立つ形で放り出すのは、自身が逃亡する隙を作らんとするレイストスの狙いであった。彼は大穴の開いた窓から、手足を壁面に食い込ませ虫のごとき動きで這い出していく。
「逃がすか!」
ケイリーは、先ほど手に構えた警棒を思い切り振るった。
とてもではないが、届く間合いではない。
しかし、この武器の用途は対象を殴打することではなく、振るった先端から針を飛び出させ、その勢いのまま離れた標的へと飛来させ、突き立てることである。警棒を振り下ろしながら、グリップ部分のボタンを押し込むことで留め具が外れ、内部から針が射出される。
精密な動作が可能な自動人形であればこそ、実用的となる武器であった。
窓から這い出していくレイストスの右脚に、警棒の先端から飛び出していった針は突き立てられる。当然、物理的な損傷のみならず、針の先端には滅菌剤が滲出する細かな穴が開いている。
「面倒なことをしますね……!」
忌々しげにレイストスは呟きながら、躊躇せず針が突き立てられた部位を含む自分の脚部へと鉈を振り下ろし、あっさりと切断した。
粘液タイプ滅菌剤が注入された状態を放置すれば、瞬く間に全身の菌糸が枯死していく。レイストスはそのことを既に理解しており、また人体構造を易々と切除し得る武器も有している。
人間を狩るためのみならず、滅菌剤を受けた際に自分自身の身体部位を切断する目的でも、大鉈を常に装備していたのだろう。今まさに、ヒビ割れて枯れ始めていた部位を切断することで、全身の枯死を防いだのだ。
菌糸罹患者は、自動人形と同じく痛覚を有さない。両腕と片足の三本のみで移動せざるを得なくなったのは不便だろうが、この場からの逃走を優先してレイストスは部屋から抜け出していった。
突如ケイリーは背後から伸びてきた手によって押しのけられ、よろめきながら横へ退いた。
往々にして人間よりも膂力に優れる自動人形を、押しのけられる人間はそう居ない。
先ほど足音を響かせて接近してきていた、護衛達のボスがレイストスを追って到着したのであった。彼は今しがたレイストスが抜け出していった窓から外を覗き、再び無言のままで踵を返し部屋を出ていく。
ケイリーは即座に声を掛けた。床に転がっているままの、頸部を切断されたレメの身体を指さしながら。
「見えていると思うが、レメが……殉職した。処置の指示は?」
「滅菌処置だけ頼む。他は後回しだ。まだ奴が逃走していない。狙いをまだ達成していないのだろう。」
護衛達のボスから言われるがまま、ケイリーはレメの頭部を拾い、胴体の傍に置き、それぞれに滅菌剤注入器を突き立て、薬剤を注入した。
菌糸罹患者に注入した時ほど劇的な変化は表れないが、しかし注入位置からレメの表皮に皺が寄っていき、まるで老人のごとく皺くちゃになっていく様は確認できた。レメの葬儀を行うとなれば、まるで見知らぬ老人の遺体を棺に納めているかのごとき絵面となるだろう。
とはいえレイストスが振るった鉈の刀身に、菌糸が塗りつけてある可能性も否めない。レメが何よりも憎んだ相手によって、菌糸罹患者になり果てさせられるのは不本意であるはずだ。それも、首から上の無い、人間としての形すら奪われて。
護衛達のリーダー格の男は、既にレイストスの次なる手に備えて足早に邸宅の外へと向かっている。
ケイリーも自動人形として合理的な行動選択をするならば、滅菌処理を済ませたレメの遺体を放置して、さっさとこの場を離れるべきである。それでも、彼の無残な死体がひからびて体組織を崩壊させていくのを目の前に、ケイリーはあっさりと立ち上がることが出来なかった。
彼女は少し自身の記憶領域内を探った後、以前読んだ書籍に記載されていた通り、両手を合わせて目を閉じ、レメの遺体に向かって頭を下げた。
感情も意識も有さぬはずの自動人形が、形を真似しただけのことではある。このポーズを長々と続けていられる状況でもなく、何とも中途半端なタイミングでケイリーは眼を開き、駆け出していく。
とはいえ、この「祈り」という所作の意味を、ケイリーは今さら理解できたように思えていた。




