一時帰還 およびラーディとの対話
フィンク市長からの次なる依頼が来るまでの間に、リーピとケイリーは一旦事務所へと帰る。
心なしか、リーピもケイリーも早足となっていた。
感情を有さぬはずの自動人形ゆえ慌てているわけではなく、帰路の途中に買い物を済ませた分の時間を取り戻すためという明確な理由による行動である。
……しかし事務所に残してきたラーディの安否が気にかかっていることは事実であった。
自宅や工房にて女性が独りきりで働いているより、外観からは無人にしか見えない事務所で籠っている方が、菌糸罹患者に狙われるリスクはよほど低いはずではある。罹患者たちの目的は特異菌糸の感染拡大であり、無人の場所をわざわざ襲撃することはない。
それでも、帰ってきた事務所内がひっそり静まり返っていて、生きている者の気配がしない様は、明確にリーピとケイリーの口調に緊張を走らせていた。
「ラーディさん?只今戻りましたよ、どちらにいらっしゃいますか?」
「外出したのか?我々が彼女をここに閉じ込め監禁状態とするわけにはいかないため入り口は施錠しなかったが、とはいえ現状の街中を一人で歩き回るのは安全とは言えない。」
リーピとケイリーは事務所内へと呼びかけるが、何も返答は無い。
窓のブラインダーを開ければ、差し込んできた昼の陽射しが窓枠ばかりを眩しく照らす。ラーディがソファの背もたれに隠れる位置で眠っているのかとも思われたが、その位置にも彼女の姿はなかった。
テーブルには、リーピ達が出かける前と同様に、ラーディが靴のデザイン案を描いていたスケッチブックが開かれていた。避難時に彼女が何よりも優先して持ち出したスケッチブックが残されているということは、少なくともラーディは完全にここを離れたわけではなさそうだ。描かれている内容も少し増えている。
リーピはテーブルへと近づき、スケッチブックの紙の表面に触れ、すぐ傍に転がされていた筆記具、その下のテーブルの天板、そしてソファの座面にも触って言った。
「これらの物品には、まだラーディさんの体温が残っています。熱伝導率の高い金属部分が冷めきっていない点を鑑みれば、彼女は遠くには行っていません。」
「我々が事務所に帰ってきた時点で、周囲の街路には誰の姿もなかった。この事務所が入っている建物も、他の部屋は閉め切られていて中に隠れることは出来ない。すなわち、この事務所の内部にラーディは隠れているんだな。」
リーピに続いてケイリーも推測を述べたが、声質からは急激に緊迫感が薄れていった。
もしも血痕が残されていたり、室内の家具が散乱し乱闘や抵抗の跡が残っていたりなどすれば安堵には程遠かったろうが、そのような痕跡はない。しかし、たしかにラーディが慌てて行動したのだろう痕跡として、敷いてあるカーペットの隅が僅かにめくれているのだけは見いだせた。
要するに、リーピ達が出発する前に言いつけた通り、ラーディは訪問者の気配を察知して備品室に籠ったのだ。それは安全を期する上で一番の行為であったが、リーピとケイリーの声は聞こえているのだから、そろそろ顔を出しても良いはずだ。
一応、リーピはラーディへと聞こえるような声量を保って喋りつつ、彼女の隠れ場所へと近づいて行った。
「カーペット表面の起毛にも、体重の掛かった跡が残っています。一時的な足跡ですね。この足跡をたどれば、ラーディさんが向かった先は判明します。」
「その先にあるのは、備品室だな。そこに隠れているのか、ラーディ?」
返答するつもりは無かったろうが、閉めきった備品室の扉の内側から、ガタンと物音が響いた。
常日頃の言動からも想定できることではあったが、やはりラーディは焦りが募ると狼狽も高まり、隙を作ってしまう性格だ。この事務所に入ってきたのが菌糸罹患者であれば、さして長時間隠れ切ることも出来なかっただろう。
もはやラーディが息をひそめて隠れているのは丸わかりであったが、とはいえリーピは扉を開ける際に少し警戒していた。
先日、帰宅した際は無事であるように見えたポームが、既に菌糸罹患者になり果てていた一件は記憶に新しい。
「ラーディさん、開けますよ?驚いて怪我などしないでくださいね……。」
「え、えいっ!……あれ?あ、あぁ、よかった、本物のリーピさんとケイリーさんですねぇ。」
リーピの警戒は、ある意味正解であった。
ラーディは無事であったが、これまた彼女は教えられた通り律儀に滅菌剤の注入器を振りかざして構えていたのである。
備品室の扉が開かれると同時に、扉を開けた相手に対し注入器を突き立てんばかりの勢いで振り下ろしたラーディ。警戒していたリーピは回避し、そして人間を凌駕する反応速度で背後のケイリーがラーディの腕を掴み、動きを止めていた。
「危ないじゃないか。確かに相手が菌糸罹患者であれば、今のが最適な行動ではあるが……私たちが帰ってきた時から、声は聞こえていただろう?」
「はいぃ、聞こえてはいたんですけどぉ……その、菌糸に感染した方は、生前と同じように行動して、こちらを油断させて近づいて来るんでしょう。もしかしたら、偽者のリーピさんとケイリーさんが入ってきたかと疑っちゃいましてぇ。」
「確かに、特異菌糸に感染した人間の場合はそうなりますが、僕ら自動人形の場合は同様の心配など無用です。備品室から出てきてソファにお掛けください、空腹状態で緊張を続けていては身体に悪いです。」
リーピはラーディに声を掛けながら、彼女を至近距離でじっと観察していた。彼女が、今も人間であるか、疑う余地を残さぬように。
喋るラーディの口腔内は血色がきちんと残っており、そして本来通りの人体構造が健在であることを示すように、腹の鳴る音が聞こえてきた。ラーディはリーピ達不在の間を、平穏無事に過ごせたのだろう。
ラーディがテーブル上のスケッチブックを片付けている間に、ケイリーは事務所への帰路途中で買ってきた食材に簡単な調理を施す。給湯室のまな板の上、パンにナイフで切り込みをいれ、具材を挟んでラーディの昼食として出した。
人間のために食事を用意するのは、ポームと同居していた数日前ぶりのことである。
「まだ安心して外出できる状況ではないから、私たちの方で食事は用意した。お口に合うかどうか、わからないが。」
「いえいえ有難うございます、うわ、なんか、誰かに食事を用意してもらうのって、私の人生で初めてかも?いやそんなことないですねぇ、赤ん坊の時はさすがに……といっても、私が覚えてる限りでは、実質初めてのことですねぇ。なんか、感激です。」
フィリックやアントンと同郷の田舎で、孤児として里親の元で育っていた彼女にとっては、物心ついた時から他人に給仕してもらう立場など考えられもしなかったのは事実だった。
市長邸宅があるのと同じ富裕街区の惣菜屋で買ってきた食材ということもあって、実際に味も悪くないのだろう。ラーディは目を輝かせながら、即席の惣菜パンにかぶりついていた。
ラーディの食事中、リーピとケイリーは先ほどのフィンク市長からの依頼についての記録をはじめとした事務作業を行っていたが、空腹を満たしたラーディが口を開けば彼女との会話を優先した。
人間との会話による学習機会を最優先とすることは、今も変わりないリーピとケイリーの思考原理である。
「今になって思い返せば、さっきの私、まぬけでしたかねぇ。そりゃそうです、自動人形さんが菌糸に感染するわけないんですから、リーピさんとケイリーさんの偽者が入ってくるだなんて、ありえないですよねぇ。」
「僕らについてはその通りですが、しかしあらゆる自動人形が特異菌糸の感染リスクと無縁であるとは断言できません。既存菌糸が繁茂している内部に特異菌糸が侵入して機能を乗っ取る事例は、例えば通話機においても確認されています。」
リーピが喋る傍らで、ケイリーはデスク上の通話機を持ち上げて蓋を外し、内部に異常繁殖している菌糸が存在しないか確認している。
現状、自動人形をはじめとして様々なガジェットに利用されている既存菌糸。僅かな水分と養分さえ与えれば長期間活動を続け、情報伝達や思考回路の維持など優れた性能を有する菌糸は、現代社会と密接な関係にある。
一方で、現在まさに菌糸通話網が特異菌糸に乗っ取られ枯死して機能停止しているように、社会に浸透した技術であるがゆえのリスクも切り離せない。
「自動人形に関しましては、僕たちのようにロターク社純正製品の場合は実質特異菌糸による感染リスクと無縁です。身体パーツを覆う表皮、外殻、そのさらに内部にある保護構造に中枢たる菌糸が密閉されているため、菌糸漏洩と同時に外部からの侵入リスクも抑えられています。ですが、この保護構造が十全に備わっていない個体、すなわち非正規に製造された格安自動人形の場合は、特異菌糸が内部に侵入するリスクがあります。」
「あー、中小工場とかでもたびたび問題になってる、格安自動人形さんですかぁ。菌糸漏れを起こすって話は聞きますけど、特異菌糸に感染までしちゃうんですねぇ。」
「ですので自動人形につきましては、正規メーカー純正製品のみの導入を徹底していただきたいものですが……より安価に入手できる手段が頼られてしまうのも事実です。格安自動人形の内部に特異菌糸が侵入した場合、本来では実現し得ない高度な思考回路を構築することとなります。性能向上は見込めますが、行動原理が罹患者同様に特異菌糸の感染拡大であるため、早急の処分が必要となります。」
リーピは、実際に特異菌糸に感染した格安自動人形の例を挙げようかと考えたが、それは口に出す前に撤回した。
他でもない、ラーディが喪った幼馴染であるアントンの花屋にて、雇われていた自動人形スクルタがその唯一の例であったためだ。ポームの一件について心に負った傷が癒えきっていないタイミングで、敢えて思い出させるべきではないとリーピは判断していた。
おかげで、ラーディは自分がまだ知らぬ脅威を聞かされた第三者であるかのように感じていられた。
「もしもそんな人形さんがいたら怖いですねぇ、人間が感染した時と違って、外見では見分けがつかなさそうです。」
「むろん、菌糸の侵入経路となる破損が、人形の身体パーツのいずこかに見出せるはずではありますが、意図的に目立たない位置に穴を開け、特異菌糸を侵入させられた場合は特定が困難となりそうですね。」
生存に飲食を必要とする人間の場合は、特異菌糸を経口摂取することで生前の姿を損なわぬままに罹患者となり得るが、自動人形の場合は何らかの形で内部構造が露出していなければ感染は起きえない。
そういった理由で、これまで明らかとなった自動人形の菌糸感染事例はスクルタの一件のみとなっていたが……ここまでの説明を自ら語りながら、リーピは今後についての懸念を抱かずにいられなかった。
豊富な養分源たりうる人体を狩り、捕食し、今も生存を続ける罹患者、レイストス。
短期間しか生きて居られなかった罹患者たちは突発的な感染に頼ってばかりであったが、レイストスであれば計画的に感染拡大を図ることが可能である。
昨晩の工業区画にて、人間の罹患者を多量に発生させた暴動が中途半端な成果に終わったのを受け、レイストスが全く異なる手段を実行に移す予測は、あながち外れと断ずることも出来なかった。




