あいでんてぃてぃ
荷車を引きながら、ニメリアは夕暮れの空を見上げた。機械の目に映る夕焼けは、かつて見ていたものと同じ色なのだろうか。それとも、データとして処理された偽りの美しさなのか。
「彼女はもはや、エルフではない。機械と融合した姿は……異物だ」――長老の言葉が耳に残る。
こんな容姿に変わってでも、ニメリアは自分がエルフであることを捨てられない。だって生まれてからこれまでずっと、彼女はエルフ以外の何者でもなかったのだから。
けれど、森で向けられた視線が胸を刺す。わたしはもう、エルフではない? だとしたら、何者なのだろう。それは彼女自身、わからずにいた。
口を噤んで、キッと前方を見るニメリアの胸の装置が暗い紫色に輝く。――それは悲しみの色か、決意の色か。
休憩の際は、木の根を傷つけないよう慎重に荷車を置ける安全な場所を選んだ。
道端の植物に手を触れる度に「木の実を食すれば、種を残せ」というエルフの教えを実践していた。“何かを得たら、必ず受け取った以上に返しなさい”、という意味だ。
薬草を採取する時は、根が再生できるよう一部だけを丁寧に摘み取り、感謝の言葉を添えて小さな水滴を地面に落とした。
グツに到着した時、まず目に飛び込んできたのは巨大な鍛冶場から立ち上る煙の柱だった。この町はドワーフたちが山の斜面を削り出して作った都市で、至る所からカンカンと金属を硬い打つ音が響いている。
「初めて来たのか?」
荷車を引いていたニメリアに、年老いたドワーフが声をかけた。彼の左目は機械式の単眼鏡に置き換えられていた。彼女の義体をじっと見はしたものの、驚いた様子はなかった。
「はい。義体の材料を求めて」
「なら、下層の鍛冶街へ行くといい。エルフには少し暑いかもしれんが」
ニメリアは、自分の姿を見てエルフだとすぐ断言してくれたことに素直に驚いた。と同時に、心が救われた心地がした。
彼の言葉通り、下層に降りると熱気が一気に押し寄せた。
森を出るときニメリアは森の気候に合わせ長袖を着てきていた。あまりの暑さに、それを自ら切り、ノースリーブスタイルに変えることにした。左上は機械の腕。そして反対の腕は自然の肌が露出する。
「あぁ、わくわくする」
ニメリアの右目の機械瞳が大きく開き、中心から淡い金色の光が放射状に広がった。左腕の液体は螺旋状に流れ、内部の小さな歯車が様々な方向に回転する。
無数の炉が並ぶ通りでは、ドワーフたちが様々な金属を鍛えている。彼らの中には義手や義足を持つ者も多く、彼らも同様ニメリアの姿に驚くどころか、むしろ興味津々といった様子で技術的な質問を投げかけてきた。
「シュニダウの森から来たとは珍しい。あそこのエルフは滅多に森を出ないと聞くが」
アビゲイルは興味深そうに彼女の機械の部分を眺めた。
「ちょっと事情があってね」ニメリアは簡潔に答えた。
「あの森は神秘的な場所だ。我々ドワーフでさえ、その中心部に足を踏み入れたことはない。噂では森の中心に世界樹のような巨木があると聞くが」アビゲイルは懐かしそうに言った。
「イクイヌン・ヴァロ……そう呼ばれているわ。エルフにとって大切な場所なの」
「おお、そうか」アビゲイルは頷いた。「人間たちは『大陸の緑の心臓』と呼んでいるようだが、我々ドワーフにとっては『永遠の木々の国』だ。あの森がなければ、このあたりの国は常に戦争状態だろうな」
“戦争“と言う言葉に合わせて腕をクロスしたポーズを取ったアビゲイルの右の指は、少し動きが不自然だった。親指、人差し指、中指。それまでの動きを見ているに、それが利き手だとニメリアはすぐわかった。
「その指……」
「あぁ。わかったか。仕事中の事故でな。動かないことはないんだ、ただ思うように、となると不自由はある。もう長いことこうだから慣れてはいるが、まぁ仕事の幅は狭くなっちまったな」
そう言って、義指を外して見せて、ガハハと陽気に笑った。
「このとおり、すぐ取れちまうくらいだ。生きてるだけで、感謝しないとな」
ニメリアには、彼がその言葉の裏にどんな気持ちを抱えているか、痛いほどよくわかった。
彼女の胸の歯車は動きが遅くなり、内部の光が弱まって暗い紫色に変わる。左腕の液体の流れも緩やかになり、小さな渦が生まれては消えていった。
***
静寂に包まれた夕暮れの工房で、ニメリアは一人黙々と義指の製作に取り組んでいた。
天井には採光用の天窓があり、月光や太陽光を取り込めるよう設計されている。壁には様々な設計図や過去の作品のスケッチが貼られ、棚には珍しい材料や魔法の触媒が並んでいる。
窓から差し込む夕日が、作業台に広げた工具や材料に橙色の光を投げかけている。
まず目の前には、先日採型した石膏モデルがある。患者の断端を正確に再現したこの陽性モデルを、やすりで丁寧に修正していく。盛るべき箇所、削るべき箇所を指先で確かめながら、一ミリ単位の精度で形を整えていく。
ニメリアの右目の機械瞳は完全に開き、鋭い集中力を示すように中心から強い光線が前方に投影されていた。耳朶の薄い膜に浮かぶ回路のパターンが明確になり、葉脈のような線が青く浮かび上がっている。
「ここが圧迫されると、痛みの原因になる」と独り言ちながら、骨の突出部分に当たる箇所を特に慎重に削る。
「指関節部分は彼の動きに合わせて……」
特殊な合金で作られた指のパーツを一つ一つ組み立て、関節の可動域を調整する。握りの形と力の入れ方を考慮した特別な設計だ。断端と義指をつなぐソケットを取り付ける。内側にはクッション材を貼り、長時間の装着でも痛みが出ないよう配慮している。
そして最後に、外装を整える。見た目も大切だ。患者の肌の色に近い特殊な樹脂でカバーし、指の関節や爪まで細かく作り込んでいく。
そこまで作った義指を持ち上げ、夕日に透かして見る。明日の仮合わせで患者の反応を見るのが今から楽しみだ。この手で再び大切なものを握れる喜びを想像すると、疲れも吹き飛ぶ。
「一人一人に合った義体を」
これは、父から教わった想いそのもの。この仕事の醍醐味だ。
「でも――」
荷車の中の工房で、ニメリアは広げた設計図をもう一度見つめる。機械の部品と魔法の回路が入り混じる複雑な図面。彼女自身の体のように、相容れない二つの世界の狭間が描かれている。
「これは、森の掟に背いていること?」
左腕の透明な生体樹脂の下で緑の液体がゆっくりと流れる。この液体は森の湖から採取したものだ。自然の力を機械の中に閉じ込めることは、本当に正しいのだろうか。
自然の守護者でありながら、森を壊す技術の使い手。それはつまり、何者なのか。
「……それでも今は、やるしかない。さてと」
ニメリアは立ち上がり、工房内の隣のスペースに目をやる。
工房の内部は二つのスペースに区切られており、前方には精密な工具や材料が整然と並ぶ。そして後方には魔法陣が刻まれた床――”小さな儀式の間”――がある。
ニメリアは完成間近の義指を前に、静かに目を閉じた。この間の床には古代エルフ文字で魔法陣が描かれており、その中心に義指を置く。
「風よ、光よ」
ニメリアは母から教わった古いエルフの言葉で呪文を唱え始めた。機械の部分である右目が閉じられた今、左目の奥から魔法の感覚が蘇ってくる。幼い頃から森の番人として培ってきた、自然との繋がりを呼び覚ます感覚。
部屋の空気が微かに震える。右目が機械的に赤く光り、同時に胸に埋め込まれた半透明の装置内の歯車が青く輝く。義指の周りに淡い緑色の光が集まり始めた。ニメリアの胸の装置が共鳴するように脈打ち、その光が強まる。
「宿れ、森の息吹」
ニメリアは両手を三本の義指の上に翳した。
「動きを繋ぎ、心を映し、一体に。……精霊の加護あれ」
魔法陣が明るく輝き、義指全体が淡い光に包まれた。
金属の表面に微細な模様が一瞬浮かび上がり、それは生きた木の年輪のように見える。
光が静まったとき、義指の外見は最初と変わっていないように見えた。
しかし、こうして作った義体は、使用者の体の一部として受け入れられた時、確かな違いが出るのだ。
「これで……完成です」
ニメリアの声は小さく震えていた。三日三晩ほとんど眠らずに取り組んだ初めての義体が、ついに完成したのだ。受け入れられるかどうか、不安もあった。
目の前に座るドワーフの鍛冶師アビゲイルは、その義体を見つめていた。
ニメリアが作り上げたそれは、単なる金属の腕ではない。
彼の家系に伝わる鍛冶の紋様を刻み込み、指先には熱に強い特殊合金を使用。さらに、彼の故郷の山の形状を模した装飾を施していた。
「どうぞ試してみてください」
アビゲイルは恐る恐る義体に触れ、ニメリアの指示に従って接続部に腕を合わせた。一瞬の光が走り、義体が彼の神経と同調する。
「動かせますか?」
彼はゆっくりと指を動かし始めた。一本、また一本と。そして突然、彼は大きな声で笑い出した。
「動く! 動くぞ!」
アビゲイルは新しい腕を使って、近くにあった小さな金槌を掴んだ。その動きは確かに彼の意思で動いていた。
「すごい。これで……また鍛冶ができる。家族を養える」
彼の目に涙が浮かんだ。その瞬間、ニメリアの胸の装置が明るく輝いた。彼女はこの時初めて、自分の技術が誰かの人生を変えられることを実感した。
ニメリアがこうして優れた義指を作れるのは、自身が機械と生体の融合を経験しているからに他ならなかった。
事故で体の一部を失った後、自らの体に機械を組み込むことで、神経と機械のインターフェースの細かな違和感について体感をもって知識を得ることができたのは彼女にとって大きな経験だった。
「ニメリア、お前は奇跡を起こす職人だ。この仕事はなんて言うんだ? 義体技師とでもいうのか?」
「“義体技師”――……」
この響きは、その感覚に合うものであり――なんだか自分だけのもののような気がして、ニメリアは誇らしかった。
「はい。義体技師――と、名乗ってみます」
アビゲイルはニメリアの両手を握りしめた。彼の温かい手と冷たい義体の手が、彼女の手を包む。
「ありがとう。ありがとう」と繰り返す彼は、最後に「生きててよかった」と言った。その言葉にかつての嘘はないと思った。
その時、ニメリアの左腕の機械部分に最も顕著な変化があった。内部の緑の液体が一瞬だけ明るく脈動した後、より鮮やかな翠色に変わる。
液体の流れは直線的になり、小さな歯車が一斉に同じ方向に安定した速度で回転し始めた。
ニメリアはこの時、心の底からほっとしていた。




