17 置き忘れた昔話
話を聞き終えた後、苦々しい顔でハルは口を開いた。
「……やっぱり思い出しましたか」
その言葉によって懸念が確信へと変わっていく。ノエルの顔がみるみる青白いものになっていった。
「じゃあ、やっぱり……あれは」
「そうですよ。あのわがままお坊ちゃんを“グルジス”へと放り込んだのはノエル様と俺です」
あまりの決定打に頭が鈍器で殴られたような衝撃が襲ってきた。
恐ろしい。国王の弟の息子、つまりは王家の分家筋の高貴な人を魔の森“グルジス”に放り込んでしまったなんて、確実に重罪だ。
それ以前に、森に放り込んだということを今まですっかり忘れてのほほんと生きてきた自分が恐ろしい!
「はあ……。だからソフィア様の婿候補にアラン=カーティス様の名前があがった時に嫌な予感がしたんだよなあ」
「だ、だって……!あれ……ええ!?」
「ノエル様、落ち着いてください」
「おおおおお落ち着いていられるわけないでしょう!?どうして今まで忘れていたんだろう!?今になっていろいろ思い出してくるんだけど!」
確か、自分が九歳くらいの時だった気がする。初めてソフィアのもとに舞踏会の招待状が届いてしまい、父はものすごく焦っていた。
ソフィアは幼い頃は病弱だった。現在はハルが魔の森から採取した貴重な薬草を定期的に飲むことで安定しているが、昔は免疫力が弱く、すぐに熱を出していた。招待状が送られたときも高熱で伏せていて外に出られるような状態ではなかった。しかし、主催者はレヴィ家にとって絶対に断れない相手。
そこで白羽の矢が刺さったのはノエルである。
ソフィアは母似でとても可憐な少女だったが、ノエルは父似で平凡そのもの。しかし、幼いからということを武器にすれば乗り切れると、焦りすぎて目をぐるぐる回しながら父が力説していた。将来、本物のソフィアが社交場に出て昔と姿が違うと言われても成長したらこうなったと、貫き通せば良いと。
無茶苦茶な大人だと幼いながらも呆れた。
茶髪の上に金の鬘をかぶせて姿をごまかし、瞳の色はどうにもできないからできるだけ伏せているようにと言われた。姉の上品なマナーに忠実であるようにと、会場に到着する寸前まで馬車の中でこっぴどく母に仕込まれた。遊び盛りだった九歳の自分は外で駆けずり回ってばかりだったから、マナーという文字が頭の中にこれっぽっちも入っておらず、母の強烈なしごきは恐怖と苦痛でしかなかった。
また、初めての社交界は右も左もわからない幼い自分には怖くて仕方なかった。だから、父に無理を言って姉の次に信頼しているハルを同行させた。
それからは、まあ。アランの語ったとおり、なのだが。
「だってあの舞踏会で、高慢で横暴で自分勝手な男の子がすごく気に入らなくて。根性叩き直してやるってカーッとなって。大嫌いなマナーを強要させられてむしゃくしゃしてたし……。だから!」
だから、あの夜。ハルに命令して魔の森と恐れられる“グルジス”に連れて行かせ、そしてどこの誰とも知らない御曹司を怒りに任せて放り込んだ。
「一応あの男の子に森を熟知しているハルをこっそりつければ大丈夫かなと思ったんだよ。ハルがいるならまず間違いはないから」
「そうですね。“グルジス”は俺の庭です」
「でもハルってばあの男の子はどこかのしがない貴族のご子息でしたって、無事に帰したからもう大丈夫って言ってたじゃない!だったらいいや、てそのまま忘れていた私もどうかと思うけど!」
よりによってその男の子がカーティス公爵の長男だったなんて。重罪だ。終身刑だ。最悪、死罪。
「ああもう!どうして嘘を言ったの!?」
「……本当のことを報告すればそうやってどこまでも悩んでしまうでしょう?見たくなかったんです。でも、無事に生還したんだからいいじゃないですか」
「終わりよければ全て良しって言いたいの!?」
「はい。放り込まれたことも肯定的に受け止めてるみたいですし、性格矯正もできたんですよ。それに、当人はソフィア様だと思い込んでますし」
そこも問題なのだとノエルはズキズキと痛む頭を抱えた。
アランがソフィアに恋心を抱くきっかけが自分が苛立ちまかせでしでかしたことだなんて、アランの夢を壊しそうで怖い。間違った見方をさせられているソフィアにも申し訳ない。心優しく穏やかなソフィアは絶対に見ず知らずの他人を恐ろしい魔の森に放り込んだりしない。絶対に。
「きっかけはどうであれ、アラン様が今まで恋焦がれた相手は間違いなくソフィア様です。あの夜の少女ではないと不審に思えばすぐにソフィア様を見なくなるでしょう。でも違いました。勘違いから始まったとはいえ、それでもずっと見てきたのはソフィア様です」
だから心配はいらないでしょう。
落ち着き払ったハルの正論に、ノエルはやむなく頷くしかなかった。
つまり、真実は胸の奥深くに隠してしまったほうがいいということになる。
それでもソフィアには伝えたほうがいいのか、乙女にあるまじき唸り声を上げながら悩んでいると、ハルはぼそりと呟いた。
「……俺としては、勘違いしてもらってよかったと思いますけどね」
「うん?何か言った?」
いえ、何も。
爽やかな笑顔で返答しようとした矢先、二人の前に現れた人物によって遮れられてしまった。
「ノエル。やはりここにいたか」
「お父様!」
ノエルの隣にいるハルを認めて、ヒューイは小さく笑う。ハルが礼をして下がろうとしたが、すぐさま片手で制した。
「大丈夫だ。いつもすまないね、娘の相手をしてもらって」
「いえ。こちらも楽しくさせていただいています」
「そうかそうか。ノエルの話し相手が終わったらソフィアにいつもの薬草を用意してもらえるか」
「わかりました」
いつもの薬草、という言葉にノエルは自然と渋い顔になる。ソフィアの健康のためには欠かせないものなのだが、いつか飲ませてもらった時の凄まじい苦さに悶えたことを思い出す。
「それとノエル。おまえに伝えておくことがある」
「え……あ、はい。何でしょう」
例の苦味を必死に頭から払いながら見上げると、にやりと口を弧の形にする父の顔があった。
良いことを思いついたかのような会心の笑みに嫌な予感しかしない。無意識に流れる冷や汗をそのままに、ノエルは恐る恐る続きを促す。
「実はな、ソフィアの婿候補に加えたい人物がいる」
「……へ?」
腑抜けた娘の声に気づくことなく、父は声高々に宣言した。
「新たな候補者は、先日ソフィアの窮地を救った近衛騎士にして大戦の英雄、ギディオン=ノックスだ!」
宣言されたノエルとハルは、凛々しそうに胸を張るヒューイを呆然と眺めることしかできなかった。




