14 幕間の閑話
泣かなかったな、とレヴィ一家の乗る馬車を見送りながら、アランはひとり呟いた。
彼女は最後まで泣かなかった。気丈に振舞う姿にこちらの胸が締め付けられる。怪我を負って、貞操の危機に会って。それでも彼女は、姉が無事でよかったと茶色の瞳を緩めるのだ。
もっと早く助けに行くべきだったと後悔が重くのしかかる。馬車が見えなくなってもアランは屋敷の裏手から一歩も動こうとはしなかった。
裏で大きな事件が起きてしまったが、舞踏会は何事もなく続けられている。大事にすれば主催者であるカーティス家の警備を怠ったとする責任問題に繋がり、レヴィ家にもあらぬ噂が立つかもしれない。双方が協議した結果、表には絶対に出さないようにするという方向で動くことになった。カーティス公爵は来賓客が勘づかないように舞踏会をいつも以上に仕切り、レヴィ一家は屋敷の裏手からこっそりと帰路につく。そして事件に関わるすべての人物に箝口令を敷く。これで表立って世間に出回ることはないだろう。レヴィ家とカーティス家を敵に回すことができるほど力や度胸のある家はないという自負もある。この件を材料に揺さぶりをかける者がいるとしたら、こちらは事件以上の材料で相手を脅せば良い。
フーカー子爵については糾弾しない代わりに膨大な賠償金と領地をレヴィ家に渡すこととした。なけなしの金しか残らないフーカー家はこれで底辺に落ちた。貴族として胸を張る時代は永遠に来ない。
本当は怒りに任せて叩きのめしてやりたかった。
極度の恐怖で顔を真っ青にして震えるソフィア。子爵の矛先が向いたときにはカッと頭に血がのぼって原型が残らないほど切り刻んでやろうとした。冷静になった今では、女性の前で酷い光景を見せなくてよかったとは思う。思うけど。
「……やっぱり、始末すればよかった」
彼女の空元気な笑顔が頭にこびりついて離れてくれない。
最初はソフィアの窮地に心が乱されたのに、何故か今の思考を占めるのはノエルをあのような目に合わせたことによる怒りだった。
不穏な考えを抱いていると背後から足音が聞こえてきた。
「もう帰らせたの」
「……ああ。そのほうが良いだろうと父上が」
ふーん、とアーネストは気のない返事を返した。
彼も自分と同じく怒っていると思っていたが、至って冷静だった。護衛のギディオンから報告を受け全ての経緯を知っているはずだ。
「おまえ、顔が凶悪犯みたいに目つきが悪いんだけど」
「自覚してる」
「へえ。珍しいね。どうでもいいけど」
本当に関心がなさそうな返答に訝しがる。この従兄弟はソフィアに求婚していたのではないのか。
「君は平気なのか」
「別に。ソフィアの貞操は守れたんだからいいんじゃないの。さすがに奪われてたら候補者から降りたけどね。誰かのお手つきなんて気持ち悪い」
「アーネストっ!」
柳眉を逆立てて掴みかかろうとすればいつの間に控えていたのかギディオンが間に入ってきた。静かな瞳のまま騎士が頭を下げる。
「申し訳ありません、アラン様。怒りをお沈めください」
「……っ」
アランは唇を噛み、しぶしぶアーネストから距離を取った。怒りを向けられたアーネストは意味がわからないと言ったように見てくる。この身勝手な王子に理解を求めてること自体が無駄だったのだと、嘆息した。
昔の自分を見ているようで頭が痛い。近々、本当にどうにかしないと。
やりきれなさに悩んでいると、アーネストはいつも通りの仏頂面に戻り口を開いた。
「それより、あのレヴィ侯爵だけどさあ。とんでもないこと言ってたんだけど」
「……は?」
アーネストの側で控えていたギディオンの珍しく困った表情に、アランは首を傾げた。
このような姿で帰ってくるとは思わなかった。
ノエルは自分の現状を改めて認識しながら馬車から降りた。
途中までナイフで裂かれたドレスは胸元が若干あらわになるので、アランから拝借した上着をそのままかけている。本当はすぐに上着を返そうとしたのだが、頑として受け取ろうとしなかった。申し訳なさで胸中がいっぱいになる。
髪は子爵に鷲掴みにされ、ぐしゃぐしゃになったので下ろした状態だ。せっかく時間をかけて編みこんでもらったというのに。
姉は少し髪が乱れただけだが、顔に生気が見られなかった。当然といえば当然で、早く休んでもらえればと思う。
誰から見ても姉妹はボロボロだ。だから、馬車を出迎えたハルは二人を目にして色を失った。
「な……何があったんですか、ノエル様!?」
「……ハル」
もの凄い形相でノエルに詰め寄るハルに、もう少し身を整えてから帰ればよかったと後悔した。この庭師が心配しないわけがない。
「ちょっといろいろあってね」
「ちょっとどころじゃないでしょう!?」
「まあ、落ち着きなさい。ハル」
ヒューイが今にも飛びかかりそうなハルを諌める。主人の一声にハルは気を落ち着かせようとするが、目の前のノエルの姿を見ていればどうしても冷静になることができなかった。
「ノエルが許すのなら後で話を聞きなさい。先に湯浴みをしたほうが良い。トム」
「かしこまりました。すぐに手配しましょう」
トムが控えていた使用人に指示を飛ばしつつ、憤るハルを睨む。その鋭さにオーバーヒート気味な頭に冷水をかけられた気分になり、若干、正気に返った。
ノエルとハルの様子にスザンナは軽く息を吐きつつ、放心気味のソフィアの肩を抱く。
「さあ、ソフィア。いきましょう。今夜はゆっくり休みなさい」
「……はい」
母の支えを借りながらソフィアは力の入らない足取りで屋敷に向かう。ノエルの横を通るときに足を止め、弱々しいながらも笑みを向けた。
「……ごめんねノエル。私ではあなたを守れなかった」
「大丈夫だよ。お姉様も怖い思いしたんだから」
「本当にごめんなさい。湯浴みしてちゃんと綺麗にしてね。……ハルも早くノエルを休ませてあげてね」
「……かしこまりました」
私の心配はしないのね。
母に支えられながら自宅へと歩くソフィアの呟きは誰の耳にも入ることはなかった。
母と姉はもう屋敷に入ってしまった。父もトムを連れてどこかへ行ってしまった。
ありがたくないことに誰かが気を利かせたのか、ハルと二人きりになってしまった現状にノエルは内心狼狽えた。ひとつも動くことなくじっと見つめるハルの視線が痛くて、いたたまれない空気を壊すようにわざと大きな声を出した。
「そうだ!ハルに聞きたいことがあってね!」
「……ノエル様」
「私もびっくりしたんだけど、ハルなら覚えてるんじゃないかなって!」
「ノエル様!」
遮るような強い声にびくっと肩が跳ねる。ゆっくりと顔を上げれば、自分を見つめる深い黒の瞳に吸い込まれそうになった。
「平気ですか……?」
今までの憤りが落ち着いたようで、ハルは静かに問いかける。
その一言でだめだと思った。
「……わた、し……っ」
我慢できなくなって嗚咽が漏れる。もう踏んばることが難しく、必死に保っていた表情を歪ませてノエルはハルの胸に寄りかかった。
自分が幼い頃からの付き合いだからだろうか。どれだけ虚勢を張ってもこの人の前では簡単に崩れてしまう。
馬車から降りて、ハルの顔を見た瞬間から耐えていたというのに。
「もう、終わったんですよ。ノエル様」
シャツが濡れていくことを感じながら、ハルは優しい手つきで茶色の髪を撫でた。
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